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ワラシと風鈴  作者: 小町沙都子
5/10

Chapter5

 家の中はサトルとおばあちゃんの二人だけになった。

 しかも、真夏だというのに、梅雨のようにしとしとと雨が降り始めた。涼しいのはいいけれど、外に遊びに行けないのがつらい。

 仕方がないので、たまっていた宿題をそろそろ片付けることにした。

 おばあちゃんと二人で朝は昨日と同じようにパンを焼いて食べ、昼はおにぎりと漬物と鶏肉の唐揚げを、夕食は白いご飯と煮ものと焼き魚を二人分、隣のシマダさんのおばさんが雨の中傘をさして持ってきてくれた。

 シマダさんは、畑や雑木林をはさんでサトルたちの家から歩いて五分ぐらいの隣の家に住んでいる、お父さんとおばあちゃんの間ぐらいの年のご夫婦だった。子供は二人いるが、最近社会人になって村を出て行ったので、今は夫婦二人で暮らしていた。

 サトルがありがとうございます、とお礼を言って洗っておいた昼のタッパーを返すと、

「あら気がきくねぇ、偉いねぇ」

と、にっこり笑った。そのあとで、

「おばあちゃんはお元気?」

と聞いてきた。

「あ、はい」

とうなづくと、ちょっと中をのぞき込むようにして声を低め、

「あんたのとこも大変ねぇ、あんなにしっかりしたおばあちゃんだったのにねぇ。あんたたちと一緒に住んで、どう、いくぶん前みたいにはっきりしてきたみたい?」

と小声でサトルにたずねた。サトルは答えに詰まってしまい、

「ええ、何とか、とりあえず」

と自分でもよく意味のわからないあいまいな答え方をしておいた。

シマダさんは、一応納得したようにうなづいて、

「困ったことがあったらいつでも言ってね」

と言って帰って行った。

 

 次の日、雨がまだやまないので、サトルはまた家の中をあれこれ物色して回った。

 二階のサトルの部屋の隣の納戸を、少し本格的にあさってみることにした。

 これだけ放っておかれてるんだから、少しぐらい納戸をいじったって、怒られはしないだろう。

 あちこちに積み上げられたかび臭い段ボール箱をよく見ると、薄くなったマジックの字で「夫衣類」「子供学校の作品」「地区会名簿類」などと書いてあった。おばあちゃんの書いた字のようだった。

 手前の方にあった茶色い表紙のアルバムは、お父さんが持って来たものらしい。何となく見覚えがあった。

そっと開くと、色あせたカラー写真が何枚も貼ってあった。

 若いころのおじいちゃんとおばあちゃん、今のサトルと同じぐらいの年に見える子供のころのお父さんと一緒に、お父さんによく似た小さい男の子が写っている写真があり、サトルは目を凝らした。

(この子がトシ坊?)

 お父さんと手をつないで口をあけて笑っている半ズボンの男の子は、小学校に上がるか上がらないか、写真のお父さんより三つか四つ年下に見えた。

 ページの透明のビニールをそっとはがし、サトルはその写真を取り出そうとした。

 アルバムにぴったり貼りついている写真は、なかなかはがれなかった。

 小指の爪の先で写真を傷つけないように注意深くひっかくと、角がようやくはがれ、あとは一気にペリペリと音がして、簡単にはがすことが出来た。

その写真を持って、サトルはおばあちゃんの部屋をたずねた。

「ほれ、こっちの糸を反対に持ってくるんだよう」

 おばあちゃんは一人であやとりをしていた。

 一人で?サトルはぎくっとした。

 おばあちゃんの隣に、小さな人影が見えた。

 サトルの足音に、二人は同時に振り返った。

「あっ、お前!」

 おばあちゃんの隣にいたのは、いつか山の中で見たあの少年だった。

「いつ入ってきたんだ?」

 そう言いながら、サトルはこの辺に子供なんていないはずだと不思議に思った。

「だいじょうぶ。この子は私のおともだち」

  おばあちゃんはそう言って少年を指差した。少年は黙って下を向いて鼻をこすった。

「お前、おばあちゃんと知り合いなの?」

 サトルがたずねると、少年は怒ったように顔をしかめた。

「一応、だれか来たら、僕に言ってよ。今はお父さんもお母さんもいないんだからさ」

 サトルはおばあちゃんにくぎを刺す。

「はいはい、サトルはお父さんみたいだねぇ」

 おばあちゃんは目を細めて笑った。

 お父さんって、サトルのお父さんのことだろうか、おじいちゃんのことだろうか。それとももしかして、おばあちゃんのお父さん、サトルのひいおじいさんのことだろうか。サトルは少し混乱した。

 まあいいや。それより・・・。

「おばあちゃん、トシ坊ってこの子だろ?」

 サトルはあの写真を取り出しておばあちゃんに見せた。

 写真を受け取ってのぞきこんだおばあちゃんは、急にそのまま石になってしまったように、写真を見つめたまま、身動き一つしなくなってしまった。

 サトルと少年がそこにいることなど忘れてしまったかのように、じっと写真を見つめていつまでも黙っているおばあちゃんを前に、ふたりは申し合わせたように息を殺した。

 物音をたてることもためらうほどの沈黙が家の中に漂い始め、サトルは次第に息苦しくなってきた。

 しばらくしてやっとおばあちゃんが口を開いた。

「これはトシ坊じゃない。この子はヒデトシ、小さい時川で溺れて死んだ」

 きっぱり否定して首を振ったおばあちゃんの両眼には、うっすら涙がたまっていた。

「お父さんの弟なんでしょ。崖から川に落ちたって、学校の子が言ってた」

 サトルが言うと、おばあちゃんは再び黙り込んだ。

 サトルと少年の肩が触れ合った。二人は顔を見合わせた。

 少年は本当に奇妙だった。何もしゃべらないし、呼吸の音さえかすかで、時々本当に息をしているのか確かめたくなるほどだった。

 着ているものも古い着物で、まるで博物館にある昔の人形が抜け出てきたみたいだった。

 それでいて、触れると熱いぐらい確かなぬくもりがあり、黒く澄んだ瞳が不安そうに絶えず光をたたえて揺れていた。

サトルが少年に名前や家をたずねようと口を開きかけた時、おばあちゃんが語りだした。


 私のうちは年の離れた兄さんと私と弟と妹の四人兄妹でね、父さんと兄さんは兵隊に行って、家にいなかった。妹のヒサちゃんはまだ生まれて間もなくて、弟のトシ坊は、数えで五つだった。

 戦争が終って、みんなで日本に帰るってことになって。

 トシ坊は、いたずらで元気な子だったけど、出発前からしばらくずっと具合が悪かった。

 あのころは、チフスだの赤痢だの、いろんな伝染病があって、子供がかかるとすぐに悪くなって、あっという間に亡くなることも多かった。

 国境の近くは危ないからって昼間は歩かず、夜じゅう歩いたよ。

 母さんは身の回りの物を入れた大きなリュックを担いだ上にトシ坊まで背負って、私がヒサちゃんをおぶって、何日も。

 明け方、川を渡ったんだよ。

 みんなで一列になって、初めは浅瀬を渡っていたのに、途中で向こう岸からタタタッて機関銃の音がして、気がつくと私の肩のあたりぐらいの深さのところへ追いやられてしまった。

 小さな子供だってたくさんいるのに、川の真ん中で立ち往生になって。

 流れは速いし、水は冷たいし、隣にいた母さんが、疲れきってがくんとひざが折れて、沈んで溺れそうになった。

 私はもう夢中で、トシ坊捨ててよ母さん、どうせもう助からないよ、病気なんだもの。でないとみんな死んじゃうって言った。

 母さんは黙って首を振ったけど、私は怖くて、母さんが溺れて死んじゃったらどうしようって思って、そのとき私、きっとどうにかしてたんだね。無理やりトシ坊の腕を母さんの肩からもぎ取った。トシ坊は弱ってたから、難なく腕は外れて、浮き沈みしながらあおむけになって流され始めた。

 それを見て、たいへんなことをした、って思ったんだよ。手を伸ばせば、トシ坊の手に届いたかもしれない。だけど、私は背中にヒサちゃんがいて、立っているのもやっとで、とてもできなかった。

 トシ坊ごめんね、堪忍してね、母さんを死なすわけにはいかないの、ヒサちゃんにお乳だってやらなきゃいけないでしょう、そう心の中でつぶやいて目をつぶった。

 そのうち雨が降り出して、機関銃の音がやんだ。

 それからどうやってのがれたか覚えていないけど、気が付いたらまた陸に上がって、またずうっと歩いて、ようやく引き揚げ者の収容所にたどりついた。母さんはそれっきり、トシ坊の名前を口にしなかった。船を待つ間に、収容所で妹のヒサちゃんも病気で亡くなってしまった。

 母さんと私だけ、引き上げ船に乗って、その船の中でどういうわけだか、ひょっこり兄さんに会えたの。

 兄さんに会えてほっとしたのか、子供二人なくしてあんまりがっかりしたのか、大変な道のりで体がすっかりだめになってしまったのか、母さんは日本に着く前に船の中で亡くなった。

 帰ってから、兄さんと二人で暮らして、父さんの帰りを待ったけど、父さんはとうとう帰ってこなかった。

 あの時、トシ坊を捨てなかったら、母さんは生きていられたかな。

 母さんの背中にいたら、トシ坊は一緒に日本に帰れたかな。

 時々思い出してしまうのが悲しいねえ。


 おばあちゃんは、どこかで見たテレビドラマか何かが頭の中でごっちゃになって作り話をしているのだろうか。サトルははじめそう思った。

 戦争なんて、大昔の話じゃないか。たしか、七十年も前のはずだ。おばあちゃんは今、確か七十、いくつだろう?・・・。

 そしてサトルは、小さい頃おじいちゃんとおばあちゃんがヒキアゲの話をしているのを時々聞いたのを思い出した。

 おばあちゃんは戦争中、その頃日本の一部になっていた中国大陸に住んでいたそうだ。朝鮮半島の北の方、確かそう聞いた。戦争が終わったころ、七歳か八歳ぐらいだったという。

 たまたまテレビで遠い国の戦争や難民の話が報道された時、あの頃と同じだわ、あのキャンプのテント、なんだか懐かしい、とおばあちゃんが言っておじいちゃんがうなづいて聴いていたのを覚えている。 その時は全然ぴんとこなくて、ただ不思議だった。戦争なんて、どこか遠いところで起きている映画の一場面のように思っていたのに、身近なおばあちゃんが懐かしい、なんて言うなんて。

 でも、にこにこ笑いながら懐かしい、って言うぐらいだから、そんなに大変じゃなかったんだろうと思っていた。今の今まで。


 ワラシは混乱していた。

 目の前のカヨの愛らしいおかっぱ頭が、つやつやした小さいうすぺに色のぽっぺたが、黒目がちのぱっちりした瞳がどんどんぼやけていく。

 思わず目をこすって再びカヨを見ると、そこには一人のおばあさんがすわっていた。

 うすい灰色の髪をひっつめにして、しわだらけの首や手足はあちこちしみだらけで生白く、背中は曲がって、歯がすっかりない、小さなおばあさんが。

 隣を見ると、サトルがいる。カヨだけが、消えてしまった。

(カヨ、カヨ、どこ行った?おれを置いていかないでくれ・・・!)

 言葉にならない叫びをあげるワラシの耳に、りん、りん、とあの音が鳴った。

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