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ワラシと風鈴  作者: 小町沙都子
4/10

Chapter4

 住みかにしている縁の下でひざを抱えて、ワラシはちょっとドキドキしていた。

 あいつにもおれが見えてきたらしいぞ。

 林の中で、いっちょまえに崖渡りをしているのを見て思わずこちらから声をかけそうになった時、あいつは確かにこっちを見て笑った。

 そのあと思い切って一緒に遊んでやろうと思って近くまで行ったら、また見えなくなってしまったようだが。

 カヨは最近、昼間からうつらうつらしていることが多い。

 そんな時は、ワラシのことを完全に自分の弟と勘違いしていて、おかあさんはどこ、とか、ヒサちゃんはまだおむつ取れないのかしら、などと言う。昨日は突然ワラシをじっと見つめて、「ごめんね」とつぶやいた。

 ワラシは黙ってうなづくしかなかった。


 次の日には雨はやみ、サトルは今度こそ川へたどりついた。

 広い河原には、顔見知りになった学校の子が何人か、はだしで短パンとランニング姿で遊んでいた。

 サトルを見ると、おお、と叫んで手招きしてくれた。

「お前ペットボトルか何か持ってる?」

 同じ学年のユウスケが期待のこもったまなざしでたずねた。

 持っていないというとちょっとがっかりしたようだが、魚取りをしているらしく、サトルも仲間に入れてくれた。

 川の水は冷たく澄んでいて、大小さまざまな魚が群れて泳いでいた。

 みんなめいめいに、魚取りの網や水中メガネなどを持ってきていた。

 サトルは初めは少し遠慮していたが、そのうち川下の草むらにひっかかっているペットボトルを二,三本見つけたので、それを手土産に気がねなく魚取りに加わることが出来た。

 仲間が一人増えて、河原はにわかに活気づいた。

「おーい」

 どこか上の方で声がした。見上げると、六年生のソウタが対岸の崖の上の木の陰から手を振っていた。

 みんなが見上げて注目を一身に集めたソウタは、次の瞬間、足を滑らせたのか、わっと叫んで五メートルほど下の川に落ちた。

 大きな水しぶきとドボン、と水音がして、ソウタの姿はしばらく川の中に消えた。

 一瞬あたりは水を打ったようにしんとなった。

 やがて顔が出てきて、ソウタがずぶぬれの顔をぬぐってこちらを見て笑った。

「気持ちいいぞう、お前らもやってみろよ」

 川はそこだけ深くなっているようだった。足がつかずに立ち泳ぎをしているのがわかる。

「おれも行こ」

 ユウスケが魚取りの網を投げだして、川を渡り、ごつごつ岩が飛び出している崖を登り始めた。

 サトルもどうしようか迷ったが、着替えを持ってきていないし、服のままじゃ立ち泳ぎに自信がなかった。本音を言えば、ちょっと怖かった。

 ユウスケに続いて、二,三人の子供たちが次々に飛び込んで歓声を上げた。

「そこ、危ないんだよ。むかし、子供が落ちて死んだことがあるって、うちのおばあちゃんが言ってたよ」

 何人かいた女の子たちの一人が叫んだ。

「だいじょうぶだし。女子はそこでこわがってろよ」

 崖の上から誰かが叫んだ。サトルはばつが悪くなってわざと遠くの方へじゃぶじゃぶ歩いて行った。

「ほんとだよ。小さな男の子が落ちて死んじゃったんだって!」

 男子対女子のけんかになりそうなのを横目に、サトルはそのまま子供たちの集団を迂回して、こっそり家に帰った。

 家に帰るとお母さんがいた。

「お母さん、そこの川で子供が死んだことがあるってほんと?」

「あんた足濡れてるじゃない。おふろ場で洗ってらっしゃい!」

 ふりかえったお母さんは廊下にくっきりぬれた足跡が付いているのを見て、金切り声をあげた。

 ふろおけにたまった生ぬるい水をひしゃくで汲み、足を洗い流しながら、サトルはふとおばあちゃんの言葉を思い出した。

「トシ坊って、そこの川で死んじゃった子のこと?」

 台所でそうめんをゆでていたお母さんは驚いた顔でサトルを見た。

「誰かに聞いたの?」

「川で女子が言ってた」

「そう・・・」

 お母さんはちらっとおばあちゃんの部屋の方を見た。

 おばあちゃんは縁台の方に顔を向けて、いびきをかいて眠っている。

「お父さんの弟がね、小さい時川に落ちてなくなったって聞いたことがあるわ」

 お母さんは少し小さい声で言った。

「え?」

 サトルは面食らった。

 お父さんの弟?おばあちゃんは「私の弟」って言っていたはずだ。

 やっぱり、昨日もぼけてたんだな。おばあちゃんの話は、いつでもまともに信じない方がいいみたいだ。

「お父さんがあなたぐらいのときにね。一緒に川に遊びに行って、高い崖から落っこちて、流されてしまったそうよ。台風の後で、川の水がすごく増えてたんだって」

 あなたも川遊びは気をつけなさい、とお母さんは話をしめくくった。

 

 晴れて暑い日が何日も続いた。

 あのあと、サトルも他の子達と一緒に思い切って崖から飛び込んでみた。

 最初は怖かったけど、川底が深いから、勢いで深く沈んでも岩にあたる心配もなく、それがかえって安全に思えた。それに、五、六メートル泳げばすぐ足のたつ浅瀬にたどりついた。

 着替えなんかなくても、短パンにランニングなら、暑い日差しに服はすぐ乾いた。飛び込みは、男の子たちの間ですっかりブームになった。

 崖の上は小高い丘になっていて、村の集落が見渡せた。

 サトルの家も友達の家もよく見えたから、お互いに家の場所を教えあって、行き来も始まった。

 都会に住んでいたころは、長い夏休みは両親の田舎に帰ったり、家族旅行に出かけたり、塾や、習い事の合宿や、インストラクター付きの子供キャンプに行ったりして、めいめいが忙しく、みんなで遊ぶことはほとんどなかった。

 けれども、ここは都会と違って塾や習い事に通うのがかなり不便なので、毎日あれこれ習い事漬けになっている子はほとんどいない。

 ふだん学校から帰ってからは遊びに出ない子供たちも、夏休みは時間がたっぷりあるので、けっこう外で集まって遊んでいた。

 夏休みを機に、学年や年齢を超えて、少ないながらも子供たちの結束がどんどん高まってきていた。

 あの崖渡りの枝にも、友達を連れて何度か行った。

 地元の子供たちも知らない穴場だったようで、崖渡りは川の飛び込みに次いで人気の遊びの一つになった。この魅力的な場所の発見者として、サトルは子供たちから一目置かれる存在になった。

 一気に友達が増え、毎日があっという間に過ぎて行った。

 時々サトルはあの少年の姿を探したが、森の中でも河原でも、あの時の不思議な少年には一度も会うことがなかった。


 八月の半ば、お盆に入ったころ、お母さんの方のおじいちゃんが突然倒れたと知らせが入った。

 お母さんの実家は、ここからはかなり遠い。

 サトルとおばあちゃんがいるし、今から新幹線も飛行機もチケットを取るのは無理だろう、とお母さんはためらったが、運よくお父さんの会社の夏休みと重なったのと、インターネットで調べたら、偶然にも飛行機の空席が一つあったので、お父さんのお盆休みを待って、一人で出かけることになった。

「三日か四日で帰るから。おばあちゃんをよろしくね」

 とサトルに言って、お父さんが夏休みに入った日の朝早く、お母さんは出かけて行った。

 お母さんを車で駅まで送ったあと、二度寝してしまったお父さんを放っておいて、サトルはパンを焼きマーガリンを塗って、おばあちゃんとふたりで朝ごはんにした。

 ふろ場を見ると洗濯物がたまっている。今朝、お母さんが洗濯をする暇がなかったのだ。

 洗濯ぐらいはできる、と思い、サトルはかごの中身を洗濯機に入れた。

 まだ洗濯槽に余裕があるので、キッチンとトイレのタオルを入れ、他に何か洗うものはないかと見回したら、おばあちゃんの部屋の真ん中に白っぽい塊があった。

 近づいてみると、おばあちゃんが脱ぎ捨てた下着だった。昨日はおふろに入らなかったらしい。

 おばあちゃん独特の汗のにおいに混じって、つんと鼻をつくかわきかけたおしっこのにおいもする下着の束を前にしばらくためらっていたサトルは、思い切って両手に抱えると、ぞっとしながら口で息をしてふろ場まで猛ダッシュし、洗濯機に投げ入れ、ふたを閉めてスイッチを入れた。

 洗い終わると、大きなかごに洗濯ものを入れて、二階のベランダへ干しに行った。物干しざおはサトルには高すぎたので、自分の部屋から椅子を持ってきた。

 東向きのベランダは容赦なく暑く、洗濯バサミで留めるそばからひじを伝ってぽたぽた汗が落ちた。

 昼前に起きだしてきたお父さんに誘われ、家の前でちょっとキャッチボールをした。

 お父さんとキャッチボールなんて、低学年以来だった。

 キャッチボールなんてしばらくやっていなかったから、最初のうちはお父さんがあきれるほど下手だった。が、お父さんにアドバイスを受けながら二、三〇分投げているうちに、少しずつコントロールもよくなってきて、最後の方ではお父さんがほう、と小さくうなるほどの球を投げられるようになった。

 お父さんは上機嫌で、お前けっこううまいなあ、ずいぶん日に焼けて、背も伸びたんじゃないか、筋肉もついてきたんじゃないか、と言って顔をほころばせた。

 昼はカップラーメンを食べた。おばあちゃんは半分も食べずに残してしまい、もったいないのでサトルが残りを食べた。

 そのあとまた昼寝してしまったお父さんに、夜はどうするんだろう、この辺じゃ宅配ピザも来てくれないのに、と心配していたが、夕方になって起きてきたお父さんが意気揚々と、

「今夜はカレーを作る!」

と宣言した。

 お父さんに料理が作れるなんて、サトルには青天のへきれきだった。

「お父さんは一人暮らしが長かったから、ずっと料理は作っていたし、サトルが生まれる前、お母さんがつわりで具合が悪かった時だって、お父さんこうやって何度か飯を作ってやったんだぞ」

そう言って大いばりのお父さんは、冷蔵庫からじゃがいも、たまねぎ、ニンジンを取り出し、冷凍庫の牛肉を電子レンジで解凍して、手際良くカレーを作り始めた。

サトルも手伝ったが、野菜を切るのはお父さんがやらせてくれなかった。

 危ないからと言うより、自分がやりたかったようだった。

 おばあちゃんはせっかくお父さんが作ったカレーを、からすぎる、と言って一口食べたきり、白いご飯のところに梅干しをのせて少し食べ、あとは残してしまった。

「トシ坊、カレーは牛乳とケチャップとはちみつを少し入れなきゃ」

 ぶつぶつ文句を言うおばあちゃんに、お父さんは黙って肩をすくめるだけだった。

「おばあちゃんはそうやってカレー作っていたの」

 とサトルがたずねると、

「えっ、何?」

と、おばあちゃんはキョトンとして目をしばたいた。

 サトルがもう一度カレーの話をすると、困ったように首をかしげて薄笑いを浮かべた。

「おや、そんなこと私言ったかね。忘れちゃったわ」

 たった今、自分で言ったことなのに。本当に、おばあちゃんの言うことはどこまで信用したらいいかわからない。


 晩ごはんの後、サトルが乾いた洗濯ものをたたんでいると、お父さんの携帯電話が鳴った。

 しばらく話し込んだあとで、お父さんは突然出張が入ったと言いだした。

「お前ももう五年生だ。飯のことは、隣のシマダさんに頼んでおくから。何かあったら、お父さんの携帯に電話しろよ。お母さんの方には心配させるといけないから、かけるなよ」

 そう言って、お父さんは旅行かばんに自分で着替えやら何やらを詰めて、次の日の朝早く一人でさっさと出かけてしまった。


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