檻の中の遁走曲①
——四月七日。九時。
「……で、なんで俺が?」
そう、不服そうに呟いたラグナは黒いジャケットとボトムといった制服で、廊下を歩いていた。待機日という名の休日を除き、任務中以外は基本的にこの格好をしていなければならないのだ。
彼がいるのは、移動要塞アーカムの内部の廊下だ。アーカム自体、陸を走る軍艦のような作りになっており、内部はかなり広く、多種多様な施設がある。その施設のほとんどが、人類の天敵たるマモノに関連するものだ。
そんなアーカムの最下層にあるその場所を二人は歩いていた。
「昨日の勇者、とっつ構えたの、お前さんだろ?」
彼の横で歩くのは、茶髪の大柄な男性。健康的に日に焼けた小麦色の肌に、服の上からも分かる引き締まった体躯。身にまとうのは、ラグナと同じデザインの黒いジャケットとボトムで、右手には黒色のバンクルを巻いていた。年齢は二十台半ばくらいだろう。ほほに斜めに走る傷が目に付くが、だからと言って近寄りがたい雰囲気ではないのは、もともとの顔つきとまとう雰囲気によるものだろうか。
彼は、クラウス・クライスト。ラグナにとっては上官に当たる存在だ。だが、そんな彼を相手に、こうも砕けた口調が許されるのは、彼らがともに戦場を駆け抜ける同士だからだろう。
「俺とソフィだけど。なんで、俺だけなんだ?」
「ソフィアには話を聞いた。お前さんの話も、ソフィアと大差はないだろうってのがリュウコの判断」
「なら、どうして?」
ラグナの質問に、クラウスはため息をついた。
「とっつかまえた奴の素性が、まったく分からん。そこで、お前さんの力を借りて、真実かどうか判断して欲しいんだと」
「素性が分からない、ね」
『我々は勇者協会から派遣された勇者だ』
昨日のジークフリードの発言を思い出して、ラグナは顔をしかめる。一晩経って冷静に考えてみたところで、異世界からやってきた勇者などとは、到底信じられるような話ではない。
「何も出なかったのか?」
「住民票も戸籍もない。犯罪歴もなし」
「スラムの出身の可能性は?」
「その線は低いとリュウコはにらんでるみたいだ。まぁ、スラムの奴にしちゃ、身なりはそこそこ整っているみたいだしな。でも、恰好は時代遅れも良いところだがね」
そう言って、クラウスは頭の後ろで手を組み、口をとがらせる。
「挙句、言っていることは異世界から来た。それに、ソフィアはその可能性が否定できないと言って、変な水晶を提出してるしな。本当に、何者なんだろうな? 精神異常者か、頭のおかしい馬鹿か」
「やっぱりそうなるよなぁ」
ラグナはクラウスの言葉に同感していた。彼女の言葉は、確かに筋は通っているのだが、現実的ではないように思えてしょうがない。
異世界について、研究がなされていないわけではない。多世界説が唱えられるほどに、異世界の存在は信じられ調査されているのだ。だが、結果は何も分からない。仮説ばかりで確実な証拠は何もないのが実情だ。すでに、ほとんどの学者は異世界は存在しないのではといった結論に達しているというのに。
「んで、自白剤を使うより、お前さんの魔法を使ったほうが後遺症残らずに済むだろ? というわけで、お前さんの出番ってことだ」
「いや、そんなのホドの連中に任せれば良いだろう? なんだって、うちでやるんだ?」
ラグナの言葉に、クラウスは盛大にため息をついた。
「……昨日、事態を収拾したのはお前さんたちだったろ? ホドの奴ら、手柄をおれらに渡して、ついでに面倒ごとも押し付けてきた」
「どういうこと?」
「お前さんがとっつ構えた奴、どうにもエッジの適性があるみたいだ。昨日の簡易検査の結果だから、正確じゃないがそれこそ、生身でもエッジ並みの魔素を扱えるらしい」
「そんな馬鹿な」
クラウスの言葉に、ラグナは耳を疑った。
エッジとは、世界にはびこるマモノを屠れる唯一の存在だ。マモノが確認された後に発見された魔素と呼ばれるエネルギーを使い、肉体を強化し魔法を操る兵士たちの総称になる。エッジになるには肉体的および精神的な適性が必要で、誰でもなれるというわけではないのだ。
「マジなんだって。だから、昨日みたいにエッジみたいなことができたんだろうって判断。普通の犯罪者と違って、エッジおよびエッジの適性がある奴は、捕らえた部隊で好きに扱っていいのは知ってるだろ?」
「それは知ってるけど、まさかな」
呆然とした様子で、ラグナは呟いた。確かによほど腕はたつとは思ったけど、そんな異常な存在だとは思いもしなかったぞ。
そんな話をしている間に目的地についた。階段を下った先、武骨な金属製の扉の前でクラウスは止まった。
「クラウスだ。ラグナも一緒だ。入っていいか?」
「ああ、構わん、入れ」
中から聞こえたのは男性の声。
クラウスが扉を押し開けると、そこには牢屋をはさんで三人の人物が対峙していた。
うち二人。牢屋の中に押し込められているのは、昨日ラグナが捕らえたジークフリードとネイ。ジークフリードの方は牢屋の中央で仁王立ちをしており、その陰に隠れるようにネイが床に座り込んでいた。
「早かったな」
もう一人。牢屋の外にいるのは、長身痩躯の黒髪の青年。まるでむき出しの刃物のような雰囲気をまとう彼は、切れ長の瑠璃の瞳がクラウスとラグナを捉えると、ぽつりとそう呟いた。身にまとっているのは、金色の刺繍が施されているのが違うくらいで、ラグナやクラウスが身にまとっているのと同じデザインのジャケットとボトム。手には黒色のバンクルと革製の手袋をはめていた。
彼は壁にもたれて、牢屋の中の人物をにらんでいた。いや、たぶん本人ににらんでいる自覚はないだろうが、はたから見るとそう見えるのは、彼の眉間にいつも刻まれている皺のせいだろう。
「……ラグナ、昨日はよくやったとおれは言いたいんだけどな」
おもむろに腕を組みかえ、青年はラグナを見てため息をつく。
「俺はリュウコの言った通り、アーカムの実力を示しただけだけど?」
皮肉るように、ラグナは口の端を持ち上げて笑う。
「ああ、確かにおれはアーカムの実力を示して来いと言った。だが、面倒ごとを持ってこいとは言った覚えはないぞ?」
若干不機嫌さが籠った重低音の声で、黒髪の青年——リュウコは告げる。
「俺も面倒ごとを持ってくるつもりはなかったよ」
どこかげんなりとした調子でラグナは応える。おかしな連中だとは思ったけど、これほど厄介ごとになるとは思っていなかったんだ。
「む、貴殿は確か……ふむ、昨日我々を捕まえた君か。名は……」
ジークフリードを見やれば、顎に手をやり悩んでいた。
「ラグナだ」
名乗れば、彼はにこやかな笑みを浮かべた。
「そうか、ラグナか。良い名だな。我が名はジークフリード。ジークフリード・フォン・ニーベルングだ」
牢屋越しに延ばされたジークフリードの手に、ラグナは何度か目を瞬かせた。
「ジーク様?!」
そんなジークを見て、ネイが悲鳴じみた声を上げた。甲高い声が部屋の中に反響する。
「む、どうした、ネイ?」
「どうしたじゃありませんよ! あれほど簡単に真名を名乗っちゃダメだって、何度も言われたじゃないですか!」
「む? だが、名乗られた以上、名乗るのは礼儀だ」
「だからって、フルネームを名乗る必要ないんですよ? そうやって、今まで痛い目にあったじゃないですか!」
ネイのヒステリックな声が牢に響中、ラグナはリュウコを見やった。彼は珍しく口の端も持ち上げていた。笑っているのだとラグナには分かった。
「手間が一つ省けたな」
「そうだな」
どこか嬉しそうな声音で言うリュウコに、ラグナもまた相槌を返す。
「どうするんですか、ジーク様! このままだと、真言魔法とかその他の支配系魔法によって、全部暴かれた後、あんなことやこんなこと、果てはジーク様があられもない姿に!!」
「楽しそうだな、ネイよ」
拳を握りしめ天井を見上げるネイ。一方のジークフリードは、面白そうにそんな彼女を見ていた。
興奮したネイがその後もしゃべり続け、ジークフリードがにこにことその様を見ていること数十秒。
「……手荒な真似する気はないんだけどな」
放っておいたらいつまでも続けられそうな雰囲気に、いい加減付き合いきれなくなったラグナが口を開く。
「手荒な真似をするつもりはないのなら、一体何をするおつもりですか!?」
「ネイ、落ち着いたらどうだ? 彼らに敵意はないようだぞ?」
「しかし——」
「ネイ」
諭すようなジークフリードの言葉に、ネイは押し黙った。どうにも、ジークフリードとネイでは、ジークフリードの方が上のようだ。
「それで、貴殿は我々をどうするつもりなんだ?」
「あなた方が何を考えているのか、はっきりさせたい。簡単に言えば、敵か味方か」
リュウコがジークフリードへと視線を向ける。
「我々は味方だ。この世界を救いに来た」
「口ではどうとでも言える。我々が欲しているのは、確実な証拠だ」
「証拠と言われても、こちらには証明できるものはほとんどありませんよ」
ネイがリュウコをにらみつけて言い放つ。帽子の下から、血のように赤い目がわずかに見えた。
「だから、真名を聞いたんだ。その言葉に間違いがないのか、それを確定するために」
「む? どういうことだ?」
ラグナの言葉に、ジークフリードは首を傾げた。
ラグナは一度目を閉じて深呼吸をする。足元からこみあげ、体中をめぐる力へと意識を向ける。扱いにくい魔法を使う準備が整ったところで、再び目を開け、ジークフリードを真正面から見据える。
「ジークフリード・フォン・ニーベルング。それは、真に汝の名であるか?」
「そうだ。我が名は、ジークフリード・フォン・ニーベルングに間違いはない」
続くラグナの問いに、ジークフリードは胸を張って答えた。
「ならば、ジークフリード・フォン・ニーベルングへと問う。我は言の葉を操りし者。言霊を束ね、世界へと干渉する者なり——」
朗々とラグナは詠唱する。青い光が、彼の瞳の奥に宿り、深い瑠璃の瞳が、鮮烈な蒼い瞳へと変わる。
「——我がジークフリード・フォン・ニーベルングに命ずるは、汝の真実のみを口にすることなり。汝の真実をここにさらけ出すことなり」
「我、ジークフリード・フォン・ニーベルングは、ここに答える」
ジークフリードはしゃべりながらも、不思議そうな顔をする。何かを確認するようにのどに手をやったり、顔に手をやったりとしている。きっと、自分の意図しないままに言葉をしゃべる感覚に驚いているのだろう。
「我は世界の狭間に存在する勇者協会から派遣された勇者が一人。この世界を救うべき、この地へネイとともにやってきた」
しかし、ジークフリードの言葉によどみはない。
一方、ラグナはわずかに顔をしかめた。どうにもこの魔法は扱いにくくて困る。
「汝は我らが敵か」
「否。汝らが世界の救いを願う限り、我は裏切らぬ」
何かを確認するように、ラグナはリュウコを一瞥した。
視線を受けた彼は黙って一つうなずいた。
「汝の言葉、確かに受け取った。」
もう一度ラグナは目を閉じて、そっと息を吐き出した。いつの間にか入っていた肩の力を抜いて、目を開けた彼の瞳は、いつものように深い瑠璃色を宿していた。
「……何だったのだ? 今のは」
しばらく喉や口を触ったのちに、ジークフリードは首を傾げた。
「ジーク様、真言魔法の一種でございます。真名と言霊を用いて使役する魔法だと思われます」
「その通り。ただの真言魔法。これで、君が敵じゃないことが証明されたわけだ」
かすかな疲労感を感じて、ラグナは額をこすった。やはりこの魔法は苦手だ。万能ではあるが、消耗が激しい。
「む? そうなのか。それは、良かった」
「安心するのはまだ早い」
リュウコは壁から背を離すと、牢屋に近づく。
「これで、あなた方には選択肢が三つ与えられる。一つは我々に協力し、エッジとしてマモノを倒す。二つ目は我々に協力せずに処刑される。三つ目は脱走し処刑される。どれがいい」