勇者の前奏曲②
5月26日、誤字脱字および文章の一部分を修正しました
『各種計器に異常なし。ラグナさん、ソフィアさん聞こえますか?』
「問題なく聞こえているよ」
イヤモニから聞こえる声に答えながら、ラグナは目の前の建物を見上げる。
現在、勇者を名乗る人物により占拠されている放送施設の前に、ラグナとソフィアはいた。任務中であるため、黒い制服の上に同じ色のフードがついたコートを身にまとい、手には皮の手袋をはめていた。これが一応の正装なのだ。そこに、ラグナは腰に巻いたベルトに剣帯を通して刀を固定し、背中には拳銃を一丁吊るしていたし、ソフィアは二丁の拳銃をホルダーに通して左右の太ももに固定していた。
二人の前にある、頂上に巨大なアンテナを乗せた背の高いビルが通信施設だ。一階部分だけがガラス張りになり、中の様子が見える。血痕が点々と残るエントランスの中では、内部に侵入した治安維持部隊の隊員がけが人を搬送していた。けが人の中にも治安維持部隊の隊員が多い。灰色の制服に身を包んだ人たちがあわただしくエントランスを出入りしていた。
治安維持部隊はその名の通り、シェルター内の治安を守る組織だ。普段より街中をパトロールし、犯罪やテロ、あるいは災害や火事といった非常事態への対応が主な仕事だ。筆記試験および実技試験に合格するだけで入隊可能なため、かなりの人数がいて、各地区ごとに数十名で構成される担当の部隊が割り振られている。
現在のように、主要施設が占拠されたような状況では、真っ先に現場に駆け付け事態を解決しようとする者たちだ。
「……どんな暴れ方をしたんだろうね?」
腕を押さえて呻く治安維持部隊の人間が担架に乗せられて運ばれていくのを見ながら、ソフィアが顔をしかめて呟く。
ラグナたちが現場に到着してからも負傷者は次々と運ばれ、救急車に収容されていく。
「さぁな。どうしたらたった二人で、負傷者多数にできるんだか」
確認されている限り、殺されたという人は今のところいないそうだ。殺さないよう手加減をしていたのだろうか。だとしても、これだけの数の人間を、しかも死傷者を出さずに制圧するのは、かなり骨が折れる作業であろう。
『二人の端末に地図と位置情報を送りました。確認してください』
イヤモニから聞こえる声に、ラグナはズボンのポケットから端末を取り出す。手に収まる程度の大きさで、その大半をモニターが示している。タッチパネルが搭載されたそれを弄れば、画面に地図と赤い点が表示される。
『現在二人がいるのは正面玄関前になります。正面玄関およびエントランスは治安維持部隊によって安全が確保されています。目的の階は二四階のスタジオIです』
「治安維持部隊の突入は?」
『一度突入しましたが、失敗しました。現在は応援が来るまで突入を見合わせています。ですので、ラグナさんとソフィアさんの突入の後、安全が確認された階まで治安維持部隊が突入するようになりますね。治安維持部隊がけが人を救出する予定ですので、お二人はけが人の救出よりも進路の確保をお願いします』
「了解」
エントランス内へと二人は足を踏み入れれば、治安維持部隊の一人が、慌てて二人に敬礼をする。
「ご苦労様です。エッジの方ですね? 私はホド第二支部所属ジン・ホワイト中尉です」
彼はここの地区を担当している隊の隊長なのだろう。隊長の証である赤い腕章が、左腕に巻かれている。年齢は三〇台後半くらいか。
「ああ。アーカム特殊部隊所属ラグナ・アーズガルド大尉だ」
「同じくアーカム所属、ソフィア・ブリューナク少尉です」
二人も略式の敬礼と、名ばかりの階級を告げる。彼らが所属するエッジ部隊というのは少々特殊な立ち位置にあるため、階級などは形骸化しているのだ。下手をすれば、自分の階級すら覚えていないものもいるだろう。
「内部の様子はどうなっているか教えてもらえますか?」
「はい。現在、一階の安全は確保されています。我々が侵入しても、特に動きはありません。また罠の類も現在発見されていません」
ジンと名乗った治安維持部隊の隊長の言葉に、ラグナは顎に手をやってしばし考える。
「侵入されていることに気づいていないか、気づいてはいるが罠を仕掛ける余裕がなかったのか。そもそもそこまで考えられないバカか、あるいは侵入されても何とかなると思っているのか」
「なんとなく、さっきの演説見てると侵入されても何とかなるみたいに思っている気がするけどね」
ソフィアが苦笑混じりに呟く。
目的を達成するまでの時間稼ぎに、何らかの仕掛けを施すものだ。それをしないというのは、計画性がないか、逆にそういった手間が必要ないほどに自分の実力に自信があるのだろうか。まぁ、相手が本当に二人だけならそこまで手が回らないということも十分に考えられるのだが。
「我々は二階以上への侵入はできておりません。これより上には罠などがあるかもしれません」
「ある程度の罠は解除ないし目印をつけるようにしよう」
「助かります」
隊長が頭を下げ、感謝の意を示す。
「状況はだいたい把握できたし、そろそろ行くぞ」
「了解」
ラグナはソフィアにそう言って、階段を目指す。事前に提示された地図情報通りのところに非常用の内階段があり、その横にエレベーターがある。
「エレベーターは正常に稼働しています」
隊長の言葉を示すように、エレベーターは現在一階で停止している表示で止まっているが、異常事態を知らせるアラームや警報の類は出ていない。
「不意打ちが怖い以上、階段かな」
「そうだね」
エレベーターはそこへ行くまでの手間は省いてくれるのだが、出入り口に何か仕掛けてあったときの逃げ場がない。いくら頑丈にできていても、生きている以上は死ぬときは死ぬのだ。それに、即死ならまだマシだが、死ぬまでに時間がかかった時は目も当てられない。最悪の事態ともなれば、テロ云々関係なく、このシェルターが崩壊しかねないだろう。
「さすがですね」
そんな会話を聞いていた隊長の表情が引きつる。
「我々もさすがに二四階まで階段を使うのは、少々骨が折れます」
「エッジを普通の一般兵と一緒にしない方が良い」
隊長の言葉に、ラグナは苦笑い。
「俺たちの身体能力は普通の人間とは別次元にあるから」
「そうでしたね。失礼しました」
ラグナは隊長の言葉に、軽く頭を振ってから、階段を見上げる。見上げた限りで、何らかの仕掛けが施されているとは思えない。
「一息に二四階まで上がる?」
「途中の階で何か仕掛けられているとたまらないからな。各階を軽く見回りながら行くぞ」
「了解」
ソフィアの言葉を受けて、ラグナは腰のベルトに取り付けたホルダーから拳銃を取り出す。
「俺が先行する」
「了解。いつも通りだね」
「そうだな。後ろ頼むぞ?」
「うん、任せて」
そう声を掛け合って、二人は階段を上がり始める。
☆★★☆★★☆★★☆★☆☆
「二三階異常なし」
放送施設の内部へと侵入したラグナとソフィア。二階から見回り二三階までたどり着いたが、発見したのは数名の負傷者くらいで、結局罠や爆発物といったものは一切なかった。
「なんか、拍子抜けだね」
ソフィアが手にした拳銃を下ろして呟く。
「これで二四階に大量の罠とかだったら、本当笑えないな」
「私は二四階にも何もないと思うよ?」
「それだったら楽なんだが」
階段へと再び戻り、ラグナたちは二四階を目指す。
負傷者も、大半が五階より下にしかおらず、それ以上上には避難できずにスタジオ内でおびえている関係者がいる程度だ。そちらにはけが人はおらず、現在、治安維持部隊によって、順次回収されている。
「ジークフリードだったっけ? その人ってやっぱり強いのかな?」
「さぁ? でも、銃弾が飛び交う中、相手を戦闘不能にするだけの技量はあるみたいだな」
通ってきた光景を思い出してみれば、特に五階以下の警備兵がいたところには、たいてい近くに壁や床に銃痕が残っていた。明らかな戦闘痕だが、そこで相手が負傷者した様子はない。というのも、そこから先へと続く血痕がほとんどないからだ。無論血痕がないから、確実に相手が無傷かと言えば違うかもしれないのだが。
「ラグナ君なら、同じことできる?」
「手加減が難しいな。殺さない自信はあまりないよ」
そして、ラグナたちが通ってきた中ではやはり死傷者はいない。骨の一本や二本は折れているだろうが、瀕死の重傷といった者は一切いなかった。
「やっぱり、相当な実力者だよね」
二四階にたどり着き、素早く周囲の安全を確認しながら、ソフィアは呟く。
「でも、誰も死んでいないおかげで、俺たちも暴れやすい」
異常がないことを確認して、ラグナを先頭にはスタジオIを目指す。
スタジオIの出入り口には放送中のランプが灯っており、扉は開け放たれていた。
「ふははは! ……しかし、ネイよ。これは、本当に人々のところに届いているのかね?」
「はい、ジーク様。これは特殊な電波によって世界各地に届けられる"生放送"といったものですので、ジーク様の存在は世界に知られていますね」
「そうか! ならば、安心した」
出入り口で、中の様子を窺えば、そんな話が聞こえてきた。放送している場所へは黒いカーテンで仕切られており、ここから現場を見ることはできない。
「俺が突入して、動きを封じる。ソフィアは機材を頼む。何とかできそうか?」
「たぶん、大丈夫」
中へと聞こえないように小声で会話をして、突入の算段をつける。
「俺が陽動するけど、一応幻覚の魔法掛けておくぞ」
「うん、お願いします」
ソフィアの言葉に、ラグナは目を伏せて呟く。
「Lumen refractum,Show a phantasia -光は屈折し、幻覚を生み出す-」
言葉を呟けば、かすかにラグナの周囲に淡い水色の光が発生し、次の瞬間光は消え、代わりにソフィアの姿が消える。
「合図で突入する」
「うん」
だが、彼女の存在自体が消えたわけではない。彼女の小さな返事を聞きながら、中を窺う。
中では、まだ演説が続いている様子だ。先ほどから勇者という単語が何度も聞こえてくる。バカの一つ覚えかと思うが、何度も同じ名称を呼称することで、相手に印象付けるといった手法があったと、頭の片隅の知識を思い出していた。
「三」
意識を切り替えようと、コートのフードを目深にかぶりながら、ラグナは小声でカウントする。
「2」
腰に吊るした刀の柄に、手を掛ける。
「1」
ぐっと身を低くして、突入の体制を整える。
「0」
そのカウントとともに、ラグナは内部へと侵入する。カーテンを横一文字に引き裂けば、その向こう側で白い壁を背景に演説している赤毛の青年と、カメラを操る巨大な帽子をかぶった人物が見える。
「何事だ!?」
赤毛の青年——ジークフリードが色めき立ち、背中の剣に手を掛ける。彼が抜剣するより早く、ラグナは彼へと肉薄し、鋭く横へなぐ。
「ほう!」
だが、ジークフリードはそれを金属製の手甲ではじいて軌道をそらす。斜め上へとあげられ宙を切った一撃。だが、ラグナは即座に手首を翻し、今度は袈裟懸けに振り下ろす。それをジークフリードは横へと飛んでかわす。
間が開いたところで、ジークフリードは抜剣し構える。自信の背丈ほどある大剣の鋼が、電灯の光を受けて煌いた。
「ジーク様!」
そこでようやくカメラを回していた人物が動き出す。カメラをそのままにし、ジークフリードのもとへと駆け寄ろうとする。
「っ!」
だが、その動きをラグナはジャケットの内側に仕込んでおいたナイフを投げて止めさせる。思わぬ攻撃はその人物には当たらないが、わずかな時間を稼ぐことはできた。
「ラグナ君! 電源切ったよ!」
そして、その時間で目標の一つは達成した。ソフィアの声が何もないところから聞こえてくる。機材の電源を落とし、放送を中止させたのだ。煌々とスタジオを照らしていたライトが消え、にわかに薄暗くなる。どうにも、スタジオ自体の主電源を切ったと見える。
「何者だ?!」
どこからともなく聞こえるソフィアの声に、ジークフリードは声を張り上げ尋ねる。
「君たちをとらえに来た。大人しく従ってくれないか?」
刀を構えたまま、ラグナは静かに、ジークフリードへ言うのだった。