5-5.覚悟したのは津久井
こうして、ようやく雑務部としての依頼を受けることに成功したのだが……
あくまで「受けた」だけであり、本番はこれからだ。
久遠の提案で、津久井が先に行き、俺と久遠は準備を兼ね時間差を置いて向かうことになった。
安倍川河川敷にある、バイパスの通っている橋の下。
俺の家や久遠の住む静清ホームから、そんなに離れていない場所だ。
昔はよく遊びに行っていたから土地勘がある。
「私は準備できたわ。西ヶ谷は?」
そのまま直行する以上、服装は制服だ。
久遠は通学用の鞄を閉じ、窓の戸締りまで終えたところだった。
「うーん……竹刀はどうしようかと思ってさ」
重量竹刀を置いてきたことが、まさかこんなに影響するとは……
高校は社会の縮図、小さな忘れ物もこうやって響くんだろうな。
あああ、社会へ出るのが嫌になってきたよ。
「じゃあ刀、持っていきなさい」
「……マジで?」
刀なんか持っていっていいのか?
さすがに雑務部とてまずいだろう。
そう目で訴えたが、何がまずいのかという風な目で返されてしまった。
「だって、それしかないでしょ?」
「そりゃそうだけどさ……」
「峰打ちすれば問題ないわ。日本刀は使うたびに歯がこぼれるというし、ちょうどいいんじゃない?」
なんか無責任なこと言い出したぞ、この部長。
しかし、他に武器がないのも事実だ。
以前使った改造電動ガンは、あてる自信がないし……
ナイフだって戻すのをまた忘れそうだし……
久遠から針を借りたって、まず使いこないだろうし……
よもや素手でやりあうわけにもいかない。
「仕方ないか……」
立てかけておいた竹刀ケースを手にとると、肩にかけて重さを確かめた。
重量竹刀の入ったケースをかけた時と、あまり変わらない感覚だ。
「それじゃあ……行くか」
こくりとうなづく久遠。
部室から出て、鍵を閉める。
一度わかれてお互いのロッカーで靴をはき替え、玄関ホールでふたたび合流。
いつもの流れだな。
「そういえば、久遠はバス通学だろ? どうするんだ?」
玄関ホールからグラウンドに出たところで、気になったことを質問した。
外では野球部員の声が鮮明に聞こえる。
部員がいじめに遭い、そしていじめをしているというのに……知らないってのはいいことだな。
まあここにいる部員が悪いわけじゃないけど。
「そうね、西ヶ谷の後ろに乗っけていってもらうわ」
「ああそう。……え?」
待て待て待て。
たしかに学校指定の通学用自転車というのは、後ろに荷台をつけることが決まっている。
そして俺は不良じゃないし、自転車にさしてこだわりもないから、後ろには四角く簡易的な荷台が設置された自転車に乗っているのだ。
いやそういう問題じゃなくてさ……
「あれ重量制限あるんだぞ?」
「失礼ね、私がそんなに太って見えるのかしら?」
女子高生の平均体重以下でも無理だろ……
だけど久遠はそんなことを言って聞くような人間ではない。
「ほら急ぐ! 早くしないと津久井君が……」
「わかったわかった!」
急かす久遠を手で制止しつつ、俺は駐輪場へと向かっていった。
いつもの県庁前を通ると、おまわりさんがうるさいものな。
別の道からでも行きますか……
太陽が沈み照りつけるような日差しがなくなったことで、暑さもなんとかやわらいできたようだ。
しかし後ろの荷台に久遠を乗せ、河川敷まで自転車をこいできた俺にとっては、運動による発熱によってむしろ暑くなっているように感じた。
あたりは暗くなり始めているが、夏というだけあって表情が読みとれるくらいの明るさが残っている。
「ハッ……ハッ……ハッ……。はぁはぁ……」
「ここまででいいわ。もうそんなに距離はないのだし」
さすがに俺の疲れを感じとったのか、久遠は荷台から滑るようにして降りた。
夕方の河川敷はひっそりとしていた。
沈む太陽光で色あせている緑色の草がたくさん生えている、小高い土手。
コンクリートで造られた階段を上っていくと、その河川敷に広がるグラウンドが見えた。
学校とさほど変わらない大きさに、ネットがポツンと立っている。
隣にはさらにグラウンドがあり、こちらはサッカー用なのか横に長い。
そして、それらを仕切るようにアスファルトの道路が伸ばされている。
残った場所には緑地と植え込みが設けられていた。
「バイパスの橋の下、と言っていたわね」
「あっちだな」
俺は自転車をひきながら、後ろにいる久遠に歩調をあわせるようにして歩き出した。
人の気配はない。
こんな時間に、河川敷へとわざわざくるような人間もいないのだろう。
それはいじめをする側にとって、絶好の条件だ。
助けを呼ばれたところで、誰も気づくはずがないのだから。
バイパスの橋の下に呼び出したことからも、隠れたいという心理がみえみえだ。
車の行き交うバイパスまでは、直線距離にしておよそ二百メートル。
ガタガタという橋を通過していく音が、耳へと届くようになってきた時……
「ストップ!」
「うおっ、あぶねえ……。見つけたのか?」
同時に、俺は肩に置かれた手で後ろへ引き倒されそうになる。
「土手と橋げたの下、人影が見えるわ」
その言葉に従い、俺もバイパス下にある土手と橋げたの間の空間を見つめた。
右には橋を支えるためのコンクリート、真ん中にはアスファルト、左にはやはりコンクリート製の橋げた。
ん?
アスファルトと橋げたの間にはやや広めのスペースがあるが……
そこで動いているのは――人影。
二……三……四人いるな。
白く見えることから、いずれも制服姿らしい。
「手に持っている棒状のものは……」
「おそらく金属バットだろ」
野球部で棒状のものと言ったら、金属製のバットしか思いつかない。
「二手にわかれましょう。私は橋の向こう側に回るから、西ヶ谷は橋げたの裏あたりまで近づいて」
「タイミングはどうするんだ?」
「様子を見て、私が先に仕掛けるわ。注意をひくから、その後に飛び出して」
わかった。
そう伝えるようにうなづくと、久遠は土手を下りていった。
俺は静かに自転車のスタンドを立て、竹刀のケースから紫色の布を取り出した。
結び目を解くと、また姿を現した薄い肌色の鞘。
今ここに至っても、こんなものを使っていいのかと考えてしまう。
だが重量竹刀を持ってくるような時間もない。
布と紐をケースに突っ込むと、久遠とは反対方向の川側へと土手を下りた。
気づかれないよう足音に注意しつつ、植え込みを伝って姿を晒さないように距離を詰めていく。
少し時間がかかったが、無事に橋げたの下へと辿りついた。
分厚いコンクリート製の橋げた。
この上には国道のバイパスが通っており、車が通過するたびにドンドン! という音がこだましてくる。
その音でかき消されそうになりながらも、人影からの会話が聞こえてきた。
『早く立てよ。まだ十本も打ってないんだけど?』
キンッという金属バットの甲高い音。
続いてボールのバウンドする硬い音。
何かにあたる鈍い音も聞こえたが、それは何の音なのかわからなかった。
『またエラーかよ』
『お前、そんなんでレギュラー面してるのか?』
『腕立て十回。とっととやれや』
低い声が三人分、耳へと入ってくる。
一……二……三……という、苦しそうなうめき声。
力をふりしぼっているようなその声は、間違いなく津久井の声だった。
ということは、他の三人は野球部の三年生か。
やはり津久井は、その三人に――
『遅え』
『サボってんじゃねえよ、このタコが』
キンッという金属バットの音が響いた。
さっきよりも明らかに鋭い音だ。
そして今度は、ボールのバウンドする音が聞こえない。
シューッという、空気を切り裂くような音だ。
『うぐっ……うっうっ……』
鈍い音。
何かが倒れこむ音。
ようやく聞こえた、ボールがトントンとバウンドする音。
同時に響く、痛みを耐えるような津久井のうめき声。
これは……ボールが当たったのか。
おそらく、ライナーのような鋭い打球を身体に受けたのだろう。
この大した距離でもない場所で放たれた、硬い野球用のボールを?
そうだとしたら、その痛みは尋常ではないはずだ。
あたり所と打球速度が悪ければ、プロ選手ですら骨折するようなもののはずだから。
『先輩……いじめですよ……』
弱々しい津久井の声が聞こえてきた。
『あん? 聞こえねー』
『もう一度言ってくれよ? 俺らが何だって?』
バカにしたような言葉づかい。
それでも津久井は続けた。
『それは……いじめですよね……?』
ようやく、津久井は自分の現状を認めたのだ。
自分はいじめを受けている。
自分は先輩から、いじめられているんだと。
そして、それを直に先輩たちへと伝えたのだ。
それまでの津久井であれば、反撃を受けるかもしれないという恐怖感から絶対にできなかったことだろう。
だが今の津久井は違った。
これからリンチされるような、そんなリスクを負ってでも、先輩たちに「やめてください」と遠まわしながら訴えているのだ。
もちろん、それでやめてもらえるような楽観視などしていないだろう。
俺たちに……見せつけているのだ。
ここへくるであろう、あるいはすでにきているであろう俺たち雑務部に、自分は覚悟を決めたというメッセージを送るために。
『は? これは、お前がレギュラーとしてやっていくためにトレーニングしてやってるだけなんだけど?』
『……違いますよね? ……僕がレギュラーに入ったのが気に入らないから、……僕に八つあたりをしているんだすよね?』
三年生の否定にも屈せず、津久井は言葉を重ねた。
もう逃げたりしない。
そういった雰囲気が、声だけでも痛いほど伝わってきた。
『もう……やめてくださいよ。僕は……』
『黙れよ! このクズが!』
ザッザという足音。
グイッというこの音は、津久井が胸倉をつかまれた音だろう。
『先輩に逆らうとは、いい度胸してんじゃ……』
怒りがあふれ出てきた三年生が、津久井を怒鳴りつけようとした。
その瞬間――
『うぐっ!?』
うめき声。
津久井のではない。
さっきまで津久井を怒鳴りつけようとしていた、三年生のうめき声だ。
『おい! 喜多島!』
『いきなりどうした? ……誰だ、てめえ!?』
たじろく三年生の声が重なる。
久遠が針を投げたのは明白だった。
そして残る二人の注目も……久遠に向かっている。
俺の出番だな。
左手で握り締めていた、白鞘の刀をすらりと抜いた。
「つっ!?」
その直後――
刀を握っている右手が、熱されたように発熱している感じがした。
いや、右手だけではない。
全身が熱く、熱湯の中にでもいるみたいにほてっているのだ。
同時に神経が鈍く、感覚がすーっと引いていく。
神経が切断されたように、脳の命令を身体が受けつけない。
何がどうなっているんだ?
混乱する頭で考える。
ああ……これは「あの時」と同じだ。
いつもいじめの現場に出くわすと、こういう風に時分が遠くなっていくんだよな。
まるで、自分が自分でなくなっていくような感覚。
でもおかしいな?
いつもはもっと時間がかかった気がするのだが……
あれこれ考える前に、もう俺の身体は足を踏み出していた。
一歩、また一歩。
足の動きはどんどん速くなっていく。
ああ、俺は走っているのか。
「てめえ、喜多島に何をした!?」
そう叫んでいる三年生の後ろへと、俺の身体が躍り出る。
そして刀を両手で上方へと伸ばし、
「ぐあああっ!?」
背中に向けてばっさりと振り下ろした。
峰打ちとはいえ、金属製の刀を思い切り打たれれば、その痛みは想像をはるかに超える。
津久井が受けた痛みとも比較にならないほどの衝撃を受けた三年生は、足をばたつかせながら左手で刀を振り下ろされた右肩を必死につかんでいた。
その顔には、歯を食いしばって痛みに耐えている苦痛の表情が見える。
俺は戦果を確認すると、状況を整理すべく目線を上げた。
正確には俺ではなく、俺を制御している何かが目線を上げさせたわけだが……
もがき苦しんでいる、長身で五分刈りの三年生。
そのすぐ横には、信じられないという目でそいつを見ている、背が低く頭髪がやや長い別の三年生。
左には、へたりと座り込んでいる津久井。
正面には、久遠の針を受けたのかピクリとも動かない、うつ伏せの三年生。
こちらはほとんどスキンヘッドだ。
そしてそれを見下すかのように仁王立ちしている――久遠。
「お、お前ら……雑務部員かっ!?」
残った三年生が、さっきとは違う怯えるような声で聞いてきた。
だが久遠も俺も、言葉を返さない。
コンタクトのとれない相手ほど、恐怖を感じるものだ。
ここにいる連中は、津久井に反撃を躊躇わせるほどの恐怖感を覚えさせた。
それに見合う代償を払ってもらわねばならない。
じりじりと間を詰めていく、俺と久遠。
それを交互に見ている、中央の三年生。
「ま、待ってくれ! 今までのことは謝るから! 許してくれっ!」
いや、許さない。
人間を責めたてることが、どんなに罪深いか。
それによって、どれだけ心に傷を負うことになるのか。
津久井よりも彼らの方が、人生を甘く見ているのだ。
暴力を使えば、世の中で幅をきかせることができる。
そんなもの、ここでぶち壊さなければならない。
「うっ……」
逃げられないと判断したのか、三年生が足下の金属バットへと手を伸ばす。
が、久遠がそのわずかな隙を見逃さなかった。
右手から放たれる、銀色の弾丸のような鋭い針。
いじめを行う者に怒りの鉄槌を下すための道具、背中に集まる神経を圧迫して動きを封殺することのできる、久遠のみが使える強力な武器。
それを知っているにもかかわらず、彼らはいじめに手を染めてしまったのだ。
空気を切り裂き、針は突進していく。
それは信じがたいほど正確に、三年生の首筋にある神経をとらえた。
「うぐっ!?」
やられたっ。
そう聞こえそうな表情。
動きが固まり、金属バットを目の前にして恐怖に駆られる三年生。
俺はそれに――刀を思い切り振り下ろした。
鈍い感覚が、さらに鈍くなって頭へと伝わってくる。
ドサッと倒れこむ三年生。
直後、あわせるようにして久遠が糸をたぐりよせた。
「うがががあっ!」
針を抜いたことで、身体を動かす神経が機能を回復した。
だが同時に、痛みを感じる神経も回復したのだろう。
正直な身体は、刀で打たれた深く苦しい痛みも頭へと伝えた。
「そう、私たちは雑務部」
低く、抑揚のない冷たい声で久遠が言った。
「他人の気持ちも考えないような人間を、私たちは絶対に許さない」
何の落ち度もない人間を、自分たちの理由でいじめたのだ。
それも、実力不足でレギュラー入りできなかったという、自己中心的な理由で。
それによって、津久井は命を絶つところまで追い込まれた。
先輩という、逆らうことのできない立場。
いじめとして通報すれば、二年生が大会に出場できなくなってしまうという状況。
これらを巧みに使った、巧妙で狡猾な方法だ。
それでも、俺たちは許さない。
自分たちの利益だけを追求し、やってはならないことでも平気でやる。
見つからなければいい、自分たちさえよければいい。
そんな連中を、圧倒的な力で叩き潰していくのが雑務部なのだ。
他人の気持ちも考えないような人間を、俺たちは絶対に許さない――
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