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7-6.とまったのは久遠

 土日が過ぎた、九月の第四月曜日――

 今日から金曜日までの五日間が、体育祭までの準備日となっている。

 このラスト一週間で、全ての準備を終わらせなければならない。

 幸いなことに、神崎先輩が言うには準備のペースが去年より早いらしい。

 実施競技も早々に決まったし、生徒のモチベーションもここまで維持できているし。

『器具の移動、完了しましたー』

『当日のライン確認、終了です』

 ここからのメインは、各決定事項の確認作業だ。

 予算も支給が終わり、組の振り分けも済んだらしく、会議室には実行委員のほぼ全てが集合していた。

 そのせいか、先週よりもさらににぎやかだ。

 もっとも、富士村のやつは出番がなくなっているのを悟ったのか、隅っこの方であわあわしているけど。

 自分の役割が見つけられないのだろう。

「……くん、西ヶ谷くん!」

「あっ……はい!」

 名前を呼ばれていることに気がつき、ハッと我に帰った。

 神崎先輩が、すぐ前で二枚のプリントを差し出している。

「これ両方を見比べて、本部テントの座る位置に問題がないか確認して」

 言われるがままにプリントを受け取った。

 当日に運営を行う、本部テントの座席位置の確認か。

 生徒会長、実行委員長、校長や教頭もある。

 放送と書かれている場所があることから、アナウンスもここでやるんだろうな。

「今度は西ヶ谷くんがボーっとしちゃって……何があったのかしら」

 心配そうな表情で、元の椅子へ戻っていく神崎先輩。

 久遠が転校することは、神崎先輩にすら伝えていない。

 本人が、あれだけ話すことに苦慮くりょした内容だ。

 厳密に言えば関係のない俺が、相談されているとはいえ軽々しく口にしていいものかと考えたからだった。

 おそらく久遠は、こうして俺が悩むことも予想していたのだろうな。

 それをさせまいと、話さなかった部分もあるだろう。

 いや、間違いなくある。

 冷たい性格のように感じられる久遠であるが、その根はとても他人思いだ。

 友達と呼べる存在がいなかったから気づかれなかっただけだろう。

 それをこんなことで、味わうことになるなんて……

『えっ? 入っていない?』

 神崎先輩の驚いたような声が聞こえたのは、俺が本部テントの確認を終えたのと同時だった。

 顔を上げると、生徒会の男子が一枚のプリントを見せている。

「届けられた書類の通りに作成したのですが……」

「そんなはずは……そんな」

 動揺している神崎先輩。

 どうしたことかと、生徒がぞろぞろと集まってきた。

 どうやら、確定して帰ってきた当日のプログラムが、神崎先輩の想定していたものと違うらしい。

 一部の競技の時間が長かったり、逆に短かったり。

 しかも一番の問題点は、全体競技である長縄跳びの競技時間が入っていないことだった。

 選抜リレーすら上回る目玉競技である、長縄跳びが入っていないなんて……

 これでは、せっかく久遠が出したアイディアが水の泡となってしまう。

「ねえ久遠さん、タイムテーブル変更の書類、ちゃんと提出したわよね?」

 神崎先輩の、いや会議室にいるほとんどの生徒の視線が、久遠へと向けられる。

「その書類は、私が預かった上で、西ヶ谷くんに手伝って……」

 そのとき、久遠がハッと目を丸くした。

 そのまま、ゆっくり俺の方へと顔を向けてくる。

 俺も、久遠へと視線を送り返した。

 言わなくてもわかる。

 タイムテーブル変更の書類を、俺は受け取った。

 そしてそれを処理しようとしたとき、久遠から予算要求の申請書類を、会計部に持っていくように頼まれた。

 それを持っていった後、タイムテーブルの変更書類は――

 俺の視界から、姿を消していた。

 あれは、誰かがやってくれたわけではない。

 机の上から落ちた――その程度だったのだろう。

 俺のミスだ。

 神崎先輩や、久遠がやってくれたのだと思い込み、探そうともしなかった。

 あのとき、机の周囲を見ることだけでもしていれば……

 ガタッ。

「申し訳ございません、私が変更書類を紛失し、捜索せずに放置してしまいました」

 俺が声を上げようとしたときだ。

 久遠が椅子から立ち上がる。

 そして深く……深く、頭を下げた。

 両手をスカートの前で軽くあわせ、毛の短い絨毯じゅうたんが敷き詰められた床を見つめるように。

 西ヶ谷くんに任せました。

 そんな責任をなすりつけるような言葉は、一切出てこない。

 自らのミスであると告げ、言い訳もすることなく謝罪したのだ。

 そこからは、企画部の実質的なリーダーとしてのプライドなど感じられなかった。

 久遠の行動に、静まり返る会議室。

 それまでのにぎわいが、うそのようだ。

 誰もが厳しい視線を、久遠の黒髪に投げつけていた。

 その雰囲気に圧倒され、立つことはおろか口を開くこともできない自分。

 本当に悪いのは、俺なのに。

「久遠さん……」

 小さく漏らした神崎先輩。

 ふっと微笑んだ後、くるりと後ろに向き直った。

「タイムテーブルの問題については、私が責任を持って処理します! 他のみなさんは、今やってる作業を続けてください!」

 はいっ! それでは作業再開!

 ぱんっと両手を叩いた。

 メッセージが伝わったのか、一人二人……と生徒たちは元の仕事に戻っていく。

 会議室内の沈黙が終わり、雰囲気は回復しつつあった。

 神崎先輩は、こういったミスのフォローも慣れているのだろうな。

「久遠さん、西ヶ谷くん」

 こっちへいらっしゃい。

 そう手招きされ、俺は椅子から立ち上がった。

 会議室を出ると、同じく呼ばれた久遠と共に隣の部屋へと入る。

 久遠の様子がおかしいから、何か知らない?

 そう聞かれたときの部屋、生徒指導室だ。

 まさか、こんな短期間で二度も入るとは思わなかったな。

 LEDの蛍光灯がつけられ、白い壁に囲まれた室内が見えるようになった。

 神崎先輩が右に座ったのを確認しながら、自然な流れで久遠が左側へと座る。

 俺も続き、その隣へと腰を下ろした。

「……久遠さんの近況について、問いかけるようなことをするつもりはないわ」

 緊張が走っていたが、それを吹き飛ばすように小さく笑顔を見せた神崎先輩。

 一方の久遠は、口を固く結び、視線をわずかに落としている。

 それはミスをした自分を責めているからなのか、転校について話したくないことを見透かされているからなのか……

 俺にはわからなかった。

「西ヶ谷くんに手伝ってもらった。そう言いかけたみたいだけど、それは……」

「俺がくしたんです。席を外したときになくなっていたから、誰かがやってくれたのだと過信したんです」

 すいません。

 言葉をさえぎり、俺は正面に向かって頭を下げた。

 ここで言わないと、もうタイミングはこないと思ったからだ。

 おそらく、久遠は俺に責任を被せまいと自分のせいにするだろう。

 真実は俺と久遠しか知らないのだから、久遠がなくしたと言えば、神崎先輩もそれを信じざるをえない。

 そうしてもらってまで、俺は逃げたくなかった。

 何でもかんでも、久遠に助けてもらうのは、これで終わりだ。

 自分の非くらい、自分で認めなければいけない。

「西ヶ谷、あれは……」

「俺の責任だよ。久遠が仕事を追加したからじゃない。俺でなかったら、両方ともきっちり処理できているはずなのだから」

 横に顔を向けたところで、視線がぶつかった。

 にらみつけるような鋭い目。

 しかし、俺は目を背けようとはしなかった。

 したくなかった。

 もっと言えば、退きたくなかった。

 久遠からすれば、余計な口は出さないで、と言いたいところなのだろう。

 私が責任を負えば、西ヶ谷はこの件について何もしなくて済むでしょう? と。

 理論的にはそうだが、倫理りんり的には間違っている。

 責任がなくなったところで、それを反省しなくてもいいわけがない。

 後始末をしないわけには、いかないのだ。

 そもそも、あれは久遠のミスだったなんて、絶対に認めたくない。

「ふふっ……」

 笑い声が聞こえた。

 二人同時に、正面へと向き直る。

 神崎先輩は、右手を口にあてて笑っていた。

 目を細めて、ほほを少し赤らめ、口元で緩いカーブを作っている。

「友達思いなのね、二人とも」

 よいしょっと。

 椅子に座りなおす神崎先輩。

「自分を責めるのはやめましょう。そんなことをしてもお互いに苦しくなるだけなんだし、現状は何も変わってくれないわ」

 両手を机の上であわせ、軽く握りしめている。

 ちょっと真剣な表情になっていた。

 そして語るように、言い聞かせるように言葉を並べてくる。

「これからどうするべきか。今から何をするべきなのか。それを考えて、行動していくのが先よ」

 体育祭は延びてくれない。

 私たちにどんなことがあろうと、今週の土曜日に開催されるの。

 だからそれをどうするか……

 静かな言葉だった。

 ……そうだな。

 悔しいくらいの正論だ。

 久遠なんかと揉めてどうする。

 責任がー、悪いのはー、と言いあいをしたところで、何も生まれない。

 どうせ目的は一緒なのだから、二人で後始末をするのが最善手だ。

 それにミスと言っても、タイムテーブルの変更がなされていないだけ。

 これで体育祭が開催できないと気を負うには、まだまだ早すぎるな。

「……神崎先輩、タイムテーブルの最終確定を延ばしてもらえるよう、交渉してもらえませんか?」

「ええ、任せて」

 久遠が顔を上げた。

 そこに、さっきまでの弱りきった雰囲気はない。

 先輩相手にも鋭い視線を送りつける、雑務部長の久遠 葵だ。

「西ヶ谷」

「おう」

 しばらくの間、じっと見つめられた後、

「現時点で決定しているタイムテーブルを再調整して。不要な時間をカットして、一競技が行える時間を確保するの」

 具体的な指示を伝えられた。

「わかった、任せろ」

 無駄な時間を探し、必要な時間を確保する。

 こういうときの常套じょうとう手段だな。

 それくらいなら俺にもできるし、かつ効果的だ。

 やってやる。

 少しでも久遠を助けるために。

 自分の責任を果たすために。

「私は長縄跳びの競技時間を、再度確認してみます。他の作業と平行になりますので、早くても明日以降になってしまいますが」

「大丈夫よ。できるだけ、他の作業も分担させていくから」

 神崎先輩のフォローもあり、修正のための行動が決まった。

「では、戻りましょうか」

「ええ」

「はい」

 椅子が引かれる音。

 スライドドアが開けられる音。

 廊下から聞こえてくる、ぱたぱたという足音。

 生徒指導室にいたせいで聞こえなくなっていた音が耳に入ってきて、元の場所へ戻るという実感がわいてきた。

 さて、俺たちの仕事はこれからだ。

 事務作業担当の雑務部としてではなく、西ヶ谷と久遠というコンビの仕事は――

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