7-3.とまったのは久遠
土日を挟み、週があけて火曜日になった。
企画部の会議、これで三度目となる。
いい加減、この会議室でやるのはやめませんかね?
ホワイトボードの寿命がドンドン短くなっていきますよ?
あ、でもこの学校――南城高校は、全室ホワイトボードだから意味ないか。
普通の教室なんかでやったら、そこを使っているクラスは板書なしになってしまう。
いっそのこと、もうプロジェクターにでもするかな……
そうしたら、今度はスクリーンがぶっ壊れそうだ。
会議室の入り口付近に、生徒たちと対面するような感じで置かれている、白色の長机。
その一番端っこという、企画部における俺の定位置の椅子に座りながら、そんなことを考えていた。
ホワイトボード上のデジタル時計が指しているのは、午後四時十分。
集合は四時のはずだから、本来であれば始まっていてもおかしくはない。
しかし――
「遅いわね……富士村くん」
反対側の端っこに座っている神崎先輩が、肘をつきながら「はぁ……」とため息をつく。
約束通り、神崎先輩は今回の会議に同席すべく、四時前にはここへきていた。
それも早く始めるようにと急かすこともせず、むしろアンケートの集計すら手伝ってくれたのだ。
頼りになる生徒会長、先輩である。
そんな神崎先輩がいるせいか、今日の会議室はいくぶんか空気がやわらいでいるようだ。
生徒たちは軽く言葉を交わしたり、携帯電話をいじったりしている。
いつもなら注意すべきところなのだろうが、今回は……
『やあ諸君! 会議を始めるとしようか!』
相変わらずのハイテンションで、富士村が姿を現した。
使うつもりなのか、右手にはホワイトボードを指すための指示棒を持ってきている。
部屋中の空気が、さぁーっとひいた。
波が沖へひいていくような、あの感じだ。
それまで会議室に漂っていた落ち着いた雰囲気が、富士村の登場と同時に流れ消えてしまったというか……
「さあて、前回のアンケートを……ムムムッ!」
教卓についてから、わざとらしく横を見る富士村。
神崎先輩に気づいたみたいだ。
いや、入ってきた時点で絶対に気づいていたでしょ。
「これはこれはこれは神崎南城高校生徒会会長殿! ご苦労様であります!」
富士村はビシッと背筋を伸ばし、神崎先輩に向かって直立不動で敬礼した。
無駄に回数を重ねている言葉だとか、無駄に長い肩書きだとか、目上の人に使ってはいけない言葉だとか……
突っ込みどころ満載だが、ここは我慢するとしよう。
もう毎回のことだしな。
「こ、こんにちは……。企画部の会議に同席させていだたこうと思って……」
さすがの神崎先輩も、あはは……と引きつった笑顔を浮かべている。
身体とか、若干ひいているし。
あれが正常な人間の反応なんだろうな。
「そうですかそうですか! ……ウオッホン!」
大きくわざとらしい咳払いをした富士村。
敬礼の姿勢からクルリと向きを変え、ふたたび教卓へとついた。
「本日は、南城高校生徒会会長、神崎様が、ご覧悦なさっている! しいっかりとした態度で、会議に臨むように!」
両手を教卓にドンと置き、訴えるように叫ぶ
普通に「神崎会長」でいいじゃんかよ。
しかも「ご覧悦」って、いろいろ間違っていないか?
生徒はみんな、どういう反応をしていいかわからず、富士村を見上げたまま固まっている。
久遠に至っては、もはや下を向いている有様だ。
神崎先輩がくれば、と考えていたが……
むしろ悪化したと思える状態で、企画部三回目の会議が始まった。
「えっと……まずは本日回収した、全体競技のアンケートについてお伝えいたします」
俺は集計結果の紙片を見つめつつ、書かれた内容を説明していく。
アンケートの内容は、今年の全体競技として何がふさわしいか、だ。
選択肢は、富士村の提案した「ハイパースペシャルグレートバッティングローテーションデラックス(つまり、ぐるぐるバット)」「イッツザロープバトル(つまり、綱引き)」「ビッグボールクライシス(つまり、大玉送り)」「オールクロスオブランナーズ(つまり、ムカデ競走)」
これに過去の実施競技である、「組体操」「玉入れ」「ダンス」を加えた、合計七競技が候補となった。
それぞれに簡単な説明をつけ足し、企画部の生徒たちに回答してもらったのだが……
「集計の結果、大きく票を伸ばした競技が存在せず、選出競技としては決定力のないものとなりました」
富士村の競技の説明がわかりにくかったり、全体競技そのものの説明が不足していた部分があったのだろう。
もっとも多く票を獲得した競技ですら三票と、投票先が見事にバラけてしまったのである。
学年競技のときには上手いこと偏ってくれたのにな。
いや、あれが上手くいきすぎたんだろう。
まとめると、全体競技として一つの競技を決めるには至らなかった、ということだ。
「そのため、再度意見を募り、全体競技を決定したいと……」
「ちょっと待ってくれよ! 選択肢をそのアンケートで上位になった競技にしぼりこむなりすれば、新しい競技を考える必要性はないんじゃないのか?」
あれは二年生だったかな。
やや後方にいた、身長が低めの男子が手を挙げながらそう言ってきた。
そうだな。
本来なら、それは正論だ。
一回目のアンケートで決められなくても、そこから上位の選択肢をしぼりこんでいけば、いつかは一つに決定できる。
わざわざ新しい意見を出そうとする必要は、存在しないのだ。
……「本来」なら、ね。
「うん。ちょっとそれについて、私の説明を聞いてもらってもいいかな?」
可愛らしく、やわらかな声を神崎先輩が発した。
そして、ごく自然な流れで椅子からスッと立ち上がる。
そのままペコリと一礼すると、ゆっくとした動作で教卓にいる富士村と向きあった。
「富士村くん、マーカーを貸していただけるかしら?」
ビクッと身体の震えた富士村。
少し間を置き、足を屈めた。
「ははっ! 神崎生徒会会長殿、どうぞ、ごゆるりとお使いください!」
まるで王冠か指輪でも渡すときように、片膝をついた状態で両手を使い、握っていた黒色のマーカーを譲り渡した。
顔は直角に下を向き、まぶたは微動だにしない。
盛大にかっこつけているのがミエミエだ。
たかがマーカー一本渡すだけで、そこまでできる根性は賞賛に値するかもしれない。
「どうも、ありがとうね」
そんな富士村の心中を知ってか知らずか、ぱあっと笑顔を浮かべる神崎先輩。
こちらは企みなど微塵も伝わってこない、純粋な笑顔に感じられた。
富士村相手にもさりげなく礼儀を尽くす神崎先輩、さすがですね。
太い指が並ぶ富士村の手から、白く細い手でマーカーを受け取った神崎先輩は、ホワイトボードに向かうと丁寧に文字を書き始めた。
こういう板書は慣れているのか、書き始めの位置を迷うこともなければ、文字の大きさも適切だ。
富士村どころか、俺の板書した文字すら下手すぎて恥ずかしく感じられる。
神崎先輩は数行の板書を終えると、
「それじゃあ、少し説明するわね」
またニコっと笑った。
板書された文字は、とても読みやすく感じられる。
女の子っぽく丸い印象を受けるが、とめ、はね、はらいがしっかりと押さえられていて、それぞれの文字の特徴が生かされていた。
久遠が楷書のようなかっこいい文字であるならば、こちらは曲線美を意識した美しい文字だ。
文字一つからも、その人物の深さがうかがえる。
「全体競技というのは、体育祭の目玉として、学校の生徒全員が参加できるように設定する競技なの」
うんうんと頷く生徒たち。
注目を受けていることを確認したのか、神崎先輩は教卓の中央から一歩横へと動いた。
それに代わって、ホワイトボードに書かれていた文字が、生徒たちの視線を一気に集める。
「全体競技は、その特殊性から条件があるのよ。まずは全員が参加できること、学年間で差が出にくいこと、他の競技と被っていないこと」
コン、コン、コン。
と、マーカーが軽くホワイトボードを叩いていった。
バンバンやっていたどこかの誰かさんとは、えらい違いですね。
きっとホワイトボードも、丁寧な使い方で喜んでいるでしょう。
「他にも、去年やったものでないことや、団結力が重要なこと……などなど」
ここで神崎先輩がマーカーを置く。
コトンという音と共に、黒色のマーカーが教卓の上で静止した。
「現時点で得票数上位にあるのが、ビッグボールクライシスと組体操、次いでダンスなんだけど、どれも全体競技をやる上での条件を満たしていないの」
困った顔を見せる神崎先輩。
富士村の考えたメチャクチャな競技名も、略さずそのまま言うとは。
細かな気づかいであるが、その横で富士村がそわそわしているのを見る限り、効果はバツグンのようだ。
女子に名前を呼ばれただけで、気があるのではないかと盛大な勘違いをする、悲しい男子みたいだな。
あ、みたいではなく、悲しい男子そのものか。
俺も悲しい男子であることは確実なのだが、あんなのと一緒の格づけというのは少々腹がたつ。
悲しい男子の中堅ということにして欲しいな。
富士村は当然のベテラン扱いで。
「ビッグボールクライシスは、大玉送りとして去年やったでしょう? 組体操は三年生男子の学年競技として決定しているし、ダンスは得点の判定が難しいのよ」
たしかに。
去年の全体競技は、大玉送りをやったっけな。
同じ組で列を作り、直径二、三メートルはある巨大なゴム製の玉を往復させる競技だったが……
俺、全く玉にさわっていないんだよな。
だって真ん中はノリと友情が満ち溢れる、クラスの中心人物ばかりだったし、まず押しつぶされそうな中央にはいきたいとも思わなかったし。
組体操は、昨日三年生の学年競技として決定済みだ。
話を聞くあたり、組体操は毎年三年生男子の目玉競技として位置づけがなされており、変更はできないとのことだった。
ダンスの得点判定?
審判団が負けた組から嫌がらせを受けそうだ。
「通達が遅れてしまって、ごめんなさいね。この全体競技の決定で時間をとられるから、今年の企画部は人数を増やしたのよ」
しかし……
事情はわかったが、新しい提案がすぐに出てくるわけではない。
しかも条件が追加され、余計に案が考えられなくなった状況だ。
ポンポン出せるであろう富士村の案は、ろくなものがないだろうし。
「……」
会議室には、低い冷房の駆動音だけが聞こえていた。
吹き出し口にいるわけではないが、全く動いていないせいなのか、ちょっと寒く感じる
全員が参加できること。
学年間で差が出にくいこと。
他の競技と被っていないこと。
去年やったものでないこと。
団結力が重要なこと。
得点がつけられ、かつ勝敗が明確であること……
これら全てを満たす競技を考えなければならない。
そもそも存在するのか?
現実性を考えれば、これに予算がかからないことや準備が簡単なことが加わってくるだろう。
そうなると、大玉送りというのは妙案だったなと感じる。
去年の企画部も、こうやって考えた末に結論を出したのかな。
やっぱり、体育祭の実行委員というのは辛い仕事だ。
「雑務部のみなさんからは、何か意見とかありませんか?」
やさしい声を神崎先輩がかけてきた。
ニコッというその笑顔を見ると、何か出してあげたいとは思うのですが……
リレーは最初からやると決まっているらしいし。
借りもの競走は、二年生女子の学年競技だし。
フットボール? ライン引いている時間などないし。
「長縄跳びなど、いかがでしょうか?」
さらっと出た久遠の声。
いつものように、抑揚がほとんどない無機質な声だ。
この静かな会議室に、恐ろしいほど溶け込んだ口調でもあった。
「長縄跳び? あの大勢でやる、長い縄を使った縄跳びのことよね?」
神崎先輩の問いかけに、首を縦に振る久遠。
「クラスごとでの参加とすれば、一学年ずつ競技して全員が実施することが可能ですし、協力性が重要なので、一年生でも練習次第で三年生に対する勝算が生まれます。用意するものも長縄だけでこと足りますし、回数で得点の決定も容易でしょう」
説明を聞いているうちに、納得しかできなくなってしまった。
そうだな。
長縄跳びであれば、まず全員が参加できる。
縄に引っかからずに飛ぶだけだから、ルールとしても簡単で、学年や性別による差も出にくい。
他の実施競技とも全く被っていないし、団結力はもっとも重要だ。
そして、何より飛んだ回数をそのまま得点として換算できる。
回数に応じて加算してもいいし、順位点制にすることも可能だ。
これは非常にいいアイディアではないか?
むしろなんでこれが出てこなかったのか、自分を疑うレベルである。
「それ、いいわね!」
神崎先輩も大絶賛していた。
他の生徒たちも、長縄跳びならいいのではないかと満場一致の雰囲気になっている。
まあ、この案を放棄したら、次にまともな案が出るのがいつになるかわからない、というのもあるんだろうけど。
「どうですか、長縄跳びに賛成の人は、挙手をお願いします」
一人、二人……
立ち上がった神崎先輩の呼びかけに応じ、周りを気にしながらではあるが、徐々に手が挙がっていく。
最終的には、会議室にいる全員が手を挙げることとなった。
それで採用を確信したのか、深く丁寧にお辞儀をした久遠。
「それじゃあ、久遠さんが提案してくれた長縄跳びを採用し……」
「決定! 決定決定! では久遠くん、その案を詳しくまとめてくれたまえ!」
神崎先輩のにこやかな笑顔と、さわやかな締めの言葉。
それを全てぶち壊しにするかのように、富士村が異常はハイテンションで突っ込んできた。
どうやら自分が仕切るタイミングを失っていたため、無理矢理入ってきたらしい。
ビシッと右手の人差し指を久遠に向け、黒縁メガネから上目づかいで久遠を見つめている。
口からは歯が見えていて、ニヤリと笑っているようにも見えた。
「は、はぁ……」
あまりにも予想外の出来事だったのか、あきれ顔で身体をひきつつ、不明瞭な返事をした久遠。
その隣で立っている神崎先輩も、あはは……と苦笑している。
ホンット、空気読めないやつだな。
まさか自分が、この場の中心だと思い込んでいるのだろうか。
「よろしい! では、本日はこれにて解散っ! ゆっくりと休んでくれたまえ!」
富士村の強引すぎる解散宣言。
これを誰もとめることができず、一応区切りとしてはよかったため、そのまま解散の流れとなった。
会議室のスライドドアが開き、リズムのあわないスキップしながら飛び出していく富士村。
その後を、また一つ進めた安堵感からなのか、笑顔のこぼれる生徒たちが次々と部屋を退室していった。
さて、俺たち雑務部は片づけだ。
元はと言えば、こういった雑務作業をやるために参加しているわけだし。
今日は神崎先輩も手伝ってくれるから、前回よりも早く終わりそうだな。
「久遠さん、ありがとうね」
椅子を整理していた神崎先輩が、記録用ノートのチェックをしていた久遠に礼を言った。
久遠は少し顔を上げ、
「いえ。ちょうど思いついただけですから」
と素っ気ない返事をする。
素直じゃないな。
たまにはうれしそうにすればいいのに。
泥沼化するかと思われた会議を、たった一言で救ったのだから。
「俺からも礼を言うよ、さすが久遠だな」
言ってから、これは礼になっていないと思った。
だけど、あのファインプレーを見せつけられて、黙っているのも嫌だなと思ったのだ。
すると久遠は、ちょっぴり恥ずかしそうに視線を下ろした。
「そんなことより……富士村くんはどうにかならないのでしょうか?」
急に話題を逸らされた。
ここ最近、たまにではあるが久遠の感情がわかるときがある。
顔ではなく行動でわかるというか、久遠特有の仕草らしきものが見えるのだ。
いつもと違う行動をとったときには、「ああ、今は恥ずかしいんだな」みたいな。
「彼はねぇ、やる気はあるんだけど……」
神崎先輩が、はぁ……と困ったような表情でため息をつく。
議題を宣言したり、自ら提案をするところを見る限り、リーダーとして会議を引っ張っていこうというやる気はあるようだ。
ただズレているんだよな。
やることが派手すぎるというか、注目を浴びたくてやっているというか、オーバーアクションで中身が伴っていないのだ。
だからやる気が空回りして、全くリーダーシップを発揮できない状態になっている。
「企画部のリーダーを自ら買って出てくれたから、期待はしたんだけどね。ちょっと私の判断が甘かったかな」
神崎先輩の声が寂しそうに聞こえた。
人間、誰にでもミスはある。
ミスをしない人間などいない。
もしいるとするならば、それは人間ではないだろう。
それに神崎先輩の判断は、人選ミスとは言いがたいものだ。
自ら役割を買ってくる人を、性格を理由に断るわけにはいかないのだから。
内閣の大臣や、会社の役員ならいざしらず、私立高校の委員会では特に。
我慢するしかないのか……
また明日も、企画部の会議があるだろう。
久遠ですらとめられない、神崎先輩ですら手に負えない怪物。
そんな富士村を相手にしなくてはならない。
前途多難になりそうな明日を、今は黙って迎えるしかなかった。
ご意見、ご感想をお待ちしております