6-4.知ったのは西ヶ谷
しっかりと伸ばされた背筋。
軽く握られている両手。
静かな息づかい。
そして、前へと向けられている視線。
暗い緑色の座布団に、改まった格好で正座をしている久遠からは、もう先ほどのような弱さなど感じられなかった。
いつもの――感情を出さない冷淡とも言える久遠だ。
「しかし、葵さんがご学友を連れていらっしゃるとは、意外ですな」
茶色のゴツいテーブルを挟んだ正面。
黄土色の袈裟に身を包んだ、常善寺の住職が座っていた。
綺麗にそり上げられた頭の下には、ニコニコと笑う顔が見える。
見た目五十代から六十代くらいだろうか。
住職にしては若いな。
そんな印象を持った。
「同じ部活の同級生です」
冷たい声で久遠が返す。
しかし、そんな久遠の性格も知っているのだろう。
笑顔を崩すことなく、住職はさらに言葉を続けた。
「さようですか。男性の方ですから、もしや……とも思いましたが」
意味を察し、俺が恥ずかしくなってきた。
出発前の緊張感を思い出してしまうから、やめてくれよ……
久遠の声が消えた。
どうやら反論するための言葉が浮かばないらしい。
久遠を黙らせるとは……
お墓参りを終えた俺は、久遠に連れられお寺の本堂へと入った。
最近はお寺にもエアコンがついているらしく、ひんやりとした涼しさが感じられる。
整然と敷きつめられた、何枚もの畳。
格子状の模様がわかる、木製の天井。
それらの中央には、腕を伸ばしても抱え込めないほどの太さをした、大木を彷彿(ほう
つ)とさせる柱が二本。
間から見える奥には、あの独特の体勢をした観音像が鈍い金色で鎮座していた。
また上を見れば、天井から吊り下げられた天蓋が、シャンデリアのごとくキラキラと光っている。
ここまでよく見たのは初めてだ。
他の場所からも、金箔の輝きがまぶしい。
「まあ前置きはこれくらいにして……見て欲しいものがある、とのことでしたな」
細く目を開き、姿勢を正す住職。
腰から首まで、コルセットでも入っているのかと思うほど背筋が伸びている。
「はい、彼の持っている刀。これを見てもらいたいのです」
静かな、そして丁寧な言葉づかいで久遠は言った。
続いて俺の方へと顔を向けてくる。
なるほど。
わざわざあの刀を持ってこいと言ったのは、このためだったのか。
思い出したのは、津久井を助けたときのこと――
鞘を抜いた瞬間の感触だ。
熱されているように熱く感じた右手。
鈍くなった五感。
神経を切断されたかのように脳の命令を受けつけない身体。
自分が自分でなくなったような、第三者視点での感覚。
そして、あのときは反応速度が明らかに早かった。
いつもはだんだんと自分を失っていくのであるが、今回はスッと、魂と身体が即座に分離したような感じだったのだ。
まるで、何かのスイッチが入ったかのように。
となれば、抜いた刀に理由があると見るのが自然だろう。
白鞘に包まれた、例の刀に――
俺は竹刀ケースを開け、中身を取り出した。
あの独特の質感をした、折り目のない紫色の布だ。
もしかしたら、この布にも秘密があるのではないだろうか?
そう思い、あえて布にくるまれたまま刀をテーブルへと置いた。
「では失礼して……」
住職がゆっくりとお辞儀をする。
そして慣れた動作で紺色の紐を解き、紫色の布を広げた。
肌色の一本棒――あの刀が姿を現す。
「……」
本堂の空気が変わった。
それまでのなごんだ雰囲気ではなく、ピリピリとした緊張感が漂い始めている。
目を細め、鋭い視線で白鞘を見つめる住職。
手で触って質感を確かめ、真横にして刀をゆっくりゆっくり抜いていった。
俺も久遠も、それをいつになく真面目な表情で見つめる。
そういえば、久遠は気づいていたんだな。
いじめの制裁をするときの俺が、まるで別人のような行動を見せることを。
そして今回、それが刀を抜いた直後に起きたことも。
普段とはわずかに違った、俺の変化のタイミング。
二つから考えた結果、刀が原因ではないのだろうかと結論づけたのではないだろうか。
少なくとも、この刀に久遠が興味というか、疑問を持っていることは確実だ。
それを解き明かすべく、久遠が住職に刀を見せようとしたことを、断ろうとは思わなかった、
俺も知りたい。
この刀の正体は何なのか、俺も知りたいと思ったからだ。
「ふむ……」
数分ほど刃先を見つめていた住職は、短い声を漏らした。
その声に、本堂に漂っていた緊張感が若干薄れてくる。
「この刀は、非常に興味深い」
細めたままの目で、両腕を上下に組み、はっきりとした声でそう言ってきた住職。
「興味深い……とは?」
「特殊、という意味ですな。これまで見てきた、いかなる刀とも違う」
久遠の問いかけに、言葉が加えられた。
いかなる刀とも違う。
何が違うというのだろうか。
形?
重さ?
色?
残念ながら、俺は本来あるべき刀の姿というものを見たことがない。
だからどの場所がどのように違うのか、見当すらつかないが……
質問したあたり、久遠にもわからないのだろう。
「刀にはある程度決まった外見が存在しますが、この形は初めて見たということです」
心を読まれたかのように、その答えを言い渡された。
久遠といいこの住職といい、俺の心を読むテレパシーでも持ってるのかよ。
聞きたいことについて勝手に答えがくるのはいいが、余計なことや聞かれたくないことまで読まれそうで怖い。
「刃の部分、この刀の本体とも言うべき場所に、何本もの筋模様が入っているのがわかりますかな?」
住職が刀を横に持ち、俺たちの方へと見せつけてきた。
持ち手――柄から現れている刀身が、銀色の光を放っている。
そこでは、わずかな色の濃さの違いによって地層のような模様が作り出されていた。
一本や二本ではない。
何本もの真っ直ぐとも曲がっているとも言えない微妙な線が積み重なっている。
俺のイメージする日本刀の刃といえば、一本の波線が中心を通っているものだ。
たしかにそれとは明らかに違う。
「刃先の模様は波紋、刃の部分の模様は地肌という名前がついております。これで大まかな刀の製法が推測できるのですが……」
切先――刃先を天井へと向ける住職。
「どうも製法どころか、原料から違うみたいですな」
「何が使われていると思われますか?」
久遠が疑問を投げかける。
住職は上に向けた刀、その先端を見つめた。
そしてゆっくりと視線を下げていく。
ちょっとした手の動きで、キラリと光を反射してくる刀。
「本来であれば砂鉄から作られる刀ですが、この刀は……」
そこで言葉が途切れた。
険しい表情になる住職。
「……もっと、高温に耐えられるような原料によって作られているようです」
鉄よりも高温?
鉄の融点は、およそ千五百度だったか。
沸点なら、三千度近くまでいけたはず。
それを上回る温度まで耐えられる素材など、そうそうないだろう。
もしかしたら、こういった刀にできる物質としては自然界に存在しないかもしれない。
まさか……意外にも新しい刀?
「高温に耐えられるような原料を使い、通常よりも高い温度で焼き、しかもそれを何回も繰り返している」
普通の刀はここまでしない。
伸ばして作ったほうが効率的だし、何より無駄に重くなってしまう。
しかしこの刀は、そこまで重いものではない。
とても不思議な刀だ……
そう説明した住職は、鞘へとその刃を慎重に収める。
そして広げたときと同じように、慣れた手つきで紫色の布を包み、紺色の紐を結んだ。
「この刀は特に大切にした方がいいでしょう。ただの刀ではありません」
「歴史的な価値がある。そういうことですか?」
「かもしれない、としか言えませんな。少なくとも、模造品の類ではないようですが」
難しい顔をする住職。
久遠が刀を見せにきたあたり、この人物は刀についてかなりの知識を持っているのだろう。
刀鍛冶あたりの職人だった、それとも研究に長けた人間なのか。
そしてその知識をもってしても、この刀のことはわからなかった――
武家でもなかった我が家に転がっていた不自然さ。
俺の状態を変化させる、あやしい能力。
そして、原料も製法もわからない本体――
ますまず謎が深まる刀だ。
じいさんよ、一体この刀はどうやって手に入れたんだ?
遺書か何かで、情報の一つくらい残しておいてくれよ……
刀を受けとり、竹刀ケースへと入れた。
やはり外からは、オーラも何も感じられない。
中身が刀だということなど、外見からは絶対にわからないだろう。
武器として隠しておく、という意味では便利かもしれないけど。
「それでは、私たちはこの辺で失礼したいと思います」
久遠が身体を下げ、すっと立ち上がる。
俺もそれに従うようにして立ち上がり、二人でお辞儀をした。
「葵さん、いつものことはどうなさいますかな?」
またニコニコという笑顔に戻った住職が、膝を立てつつ久遠に聞いた。
いつものこと?
ここにきて、毎年することでもあるのだろうか。
「引き取り先のことですか」
「ええ。残念ながら、去年もきませんでしたが……」
ようやく立ち上がった住職の表情が、少しだけ寂しそうに見えた。
下を向き、申し訳ないと言っているようにも感じられる。
「引き取り先?」
どうしても我慢できず、久遠に言葉の意味を聞いてみた。
「そうよ。本来、静清ホームは高校生の住むような場所ではないのよ」
でも私は住む場所も養ってくれる人もいない。
だから親戚やこの辺の住民、果ては全くの他人から養ってくれる人を探している。
要は養子に引き取ってもらえるところを探しているのよ。
そんなことを淡々(たんたん)と言われた。
「つまり養子縁組の募集か」
「そう思ってくれて構わないわ。まあ聞いていた通り、数年前から一組もきてくれないのだけど」
悲しそうな表情も寂しそうな感情も見せず、いつも通りの顔をしている久遠。
そうか。
久遠は、家族団らんというものを体験したことがないんだったな。
あんな父親と、それによって早くに亡くなってしまった母親しかいなかったから。
できることならうちに養子にきてくれないかな……なんてね。
幼馴染の風呂をのぞいてしまうようなシチュエーションが――
……いやいやいや
やめようやめようやめよう。
これじゃあただのエロ妄想じゃないか。
俺は久遠とそんな関係になりたいわけじゃないんだから。
第一、入浴中なんかに間違えて入ろうものなら、何をされるかわからない。
漫画やアニメなら怒鳴られる程度で済むだろうが……久遠の場合は命に関わるのだ。
見たら最後、いや最期かもしれない。
「どうしたの? 行くわよ」
「あ、ごめんごめん……」
変人を見るような顔で、久遠が本堂を後にしようとしていた。
完全ではないにしろ、何を考えていたかくらいの見当はつくらしい。
俺も健全な思春期の男子高校生なんだからさ、これくらい許してくれよ。
生まれて初めて、同級生の女子と日帰りながら旅行をしているんだぜ?
そう必死の言い訳を目で伝えながら、セミの鳴き声が聞こえてくる外へと出た。
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