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巻二之三

その後、(らん)が言ったように、鬼が再び出ることはなかった。

鬼が出ない日が何日と続くうちに、やがて出歩く人も増え始め、街は元の活気を取り戻していった。

しかし蘭は、それ以来ぐったりと力を無くしたように、ぼうっとして、いつも人通りの無い道の脇に1人座り込んでいた。

そうしている日が何日か続いたある日、蘭の元で足を止めるものがあった。

座り込んで俯いていた蘭は、その気配に気付いて、ゆっくりと顔を上げた。

そしてはっと目を見開いた。笠を目深に被ったその奥から、金色の瞳がぎらりと光っていたのだ。

まるで夢だったかみたいに、おぼろげにしか記憶に残っていないあの夜に、鬼の元へ現れた金色の青年……、間違いなくその人自身だった。

青年は蘭を見て、穏やかに笑った。

「やっぱり君だ。やっと見つけた」

蘭はしばらく戸惑った表情で青年を見上げていたが、やがて俯いて、疲れたため息をついた。

やや置いてまた顔を上げ、薄く笑いを浮かべる。

「こんにちは。なあに? あなた、わたしを買ってくださるの?」

青年は、にこりと笑って頷く。

「ああ、そうだ。君を買いたい」

「あなたも見たところ、人間じゃないみたい。……わたしって、鬼に好かれるのかしら」

青年はやや神妙な顔をした。

「否定はしないけど、私は鬼じゃないよ」

「そう……、でしょうね。だってあの時あの鬼を倒したのはあなただった……。わたし、ちゃんと見てたのよ。だからあなたはきっと悪いひとじゃない。あなたになら、別に買われてもいいわ」

「買うと言っても、君の腕を、だ」

青年は言った。蘭は眉を寄せる。

「腕?」

「失礼、名乗るのが遅れたね。私は金雷寺(こんらいじ)の者、名は独禮(どくらい)。君の素質を見込んで、私たちの仲間に加えたいと思っているんだ」

「はあ?」

蘭は思わずそんな声を上げた。

「私はお察しの通り、人間の身ではなくてね、(あやかし)の力を持っているんだ。……妖には妖を。こないだの鬼のように、人にはどうしようもない災いを払う仕事をしている」

青年、独禮はそう言った。蘭は唖然として目を瞬かせる。

「鬼退治の仲間になれって?」

「そういうことだ」

「無茶言わないで。わたしは人間よ」

「妖の力は私が授ける。君にはそれだけの素質があるんだ」

蘭は怪訝な表情を浮かべたが、やがて小さく吹き出した。

「おかしなことを言う人ね。わたしは見ての通り、貧しいただの遊女よ?」

「もう遊女はやらなくていい」

独禮は落ち着いた声で言った。

蘭ははっと表情を失って、独禮の金色の眼を見つめてしまう。

「もう体を売るようなことはしなくていい。私と共に来て、国の平穏のために戦うんだ」

独禮の、金色に輝く姿は、なぜか凛とした静けさを纏っているようだった。

蘭はじっと独禮を見つめる。独禮もそれを受け止める。2人はしばらく見つめ合っていた。

やがて独禮は、蘭の方へすっと手を差し出した。

「さあ」

蘭は、やや体を強張らせて身を引いた。

差し出された手をじっと見つめていたが、やがて俯いてため息をつく。

「……わたしを買ってくれるんでしょ? お代さえもらえれば何も文句は言わないわ。あなたの好きにすればいい」

独禮は答えなかった。

やがて独禮が差し出した手を下ろそうとしたが、しかしその手を、蘭はようやく取った。

独禮は少し驚いて蘭を見たが、蘭は俯いたままで、独禮の方を見てはいなかった。


蘭が金雷寺へやって来ると、崇範(そうはん)林揺(りんよう)はギョッとした。

「あ、ど、独禮さま、おかえりなさい」

崇範は戸惑いながらもそう言って独禮を出迎えた。独禮はうんと頷く。

そして平然として、蘭を連れて坊内へ上がっていく。

崇範はこそこそと言った。

「ちょっと若様あ……、別に責めやしませんけれど、もうちょっと、こう夜が更けてからとか、こういうことは一応こっそりと……」

独禮はキョトンとして立ち止まったが、やがて軽く笑った。

「……ああ、彼女を連れてきたのはそういうことじゃないよ」

「へ? だ、だって、遊女でしょう?」

「ついさっきまではね。今は違う。私達の仲間だよ」

「へっ!?」

崇範は驚いて、独禮と蘭の顔をまじまじと見つめた。

「新人だ。スカウトして来たのさ」

崇範は驚いた顔で、蘭の顔をまた見つめる。蘭は恥ずかしそうに顔を背けた。

そんな蘭を見て、崇範も慌てて視線を逸らした。

「そ、素質があったってことですか?」

崇範は独禮に視線を戻す。

「ああ、それはもう抜群にね。初めて見た時から思っていたんだ」

「えっ、知り合いなんですか?」

「いや、こないだ町中に出た鬼を退治した時に見つけたんだ。あの時は騒ぎが大きくなって声をかけることもできなかったんだけど。ここ数日探してて、今日やっと見つけ出したんだ」

独禮はそう答えた。崇範は、はあ……と言いながら、またちらちらと蘭の方を窺っていた。

独禮の言葉を聞きながら、蘭はぼうっとその夜のことを思い出していた。

「あの鬼は何だったの……? どうして一晩目に、わたしを殺さなかったのかしら……」

そして呟くように言った。独禮たちの視線が蘭の方へ向く。

「そうだな……、君はひどく巻き込まれたんだし、今はこうして私達の仲間になったのだから、知る権利があるだろう」

独禮がそう言った。

「あの鬼は、鬼というより死霊(しりょう)の一種でね、ああやって大暴れするには、霊的なエネルギーが必要なんだ。あいつの場合、人間の魂を一時的に吸い込んで、その力を利用して動いていたんだよ」

独禮はそう淡々と説明をするが、蘭はキョトンとした顔でただ聞いていた。

「それで、あの時魂として利用されていたのが、蘭、君だ。だから君はその時意識を失っていたんだよ」

そう言って、独禮はすっと扇で蘭を指した。蘭は曖昧に頷いた。

「あいつは君の魂の味をよっぽどしめたんだろうね。何度も利用することを考えて、殺すことはしなかったんだと思う」

「そう……。なんだかよく分からないけど、命拾いしたってことね……」

「そうだね。死霊が気に入って生かしておく程に、君の魂は霊的に上質なんだ。その分、妖力を操る才能もあるわけさ」

独禮はそう言って笑った。

その無邪気にも見える笑みがなんだか怖くて、蘭はまた独禮から身を引く。

後ろの方でやりとりを眺めていた林揺が、ぼやくように言った。

「だからそれ、言われても全く嬉しくないからな」

崇範が吹き出して笑った。独禮は頬を掻きながら、そう? なんて言っている。

蘭は林揺へと視線をやった。

「あなたは……、鬼を燃やしたお坊さん……」

蘭の視線を受けて、林揺は気まずそうに目を逸らした。

「鬼だけじゃないけどね」

そんな口を挟んだのは独禮だった。

林揺は慌てて言い訳をし始める。

「うるさいな! 初陣(ういじん)だったんだ、多少の失敗は仕方ないだろ!」

「多少、じゃないだろあれは~」

独禮は大きくため息をつきながら言う。

キョトンとしている蘭に、独禮は呆れたような笑みを浮かべて言った。

「一晩目に鬼が両替屋を食べたのは間違いない。でも二晩目は犠牲者が出る前に私達が駆け付けたから被害は出ないはずだったんだ。けど、林揺が失敗してね。織物屋の店舗を丸焼けにしたのはあいつなんだよ」

「まあ……」

蘭は口を押さえて林揺を見た。林揺はいらだったような表情で、ぎっと蘭を睨み返していた。


やや経った昼下がり。

境内の狭い庭で崇範が棒きれを振り回しているところへ、水を汲みに来た林揺がのっそりと出てきた。

「おお、頑張ってるな、崇範」

「寺にいても心は武士ですからねっ」

崇範はブンブンと音を立てて素振りをした。

林揺は脇にある井戸の所へ歩き、桶を紐にくくりつける作業に入った。なんとなくお互いの仕事に向かいながら、沈黙が流れる。

ふと崇範が素振りを止めて、汗を拭いながら口を開いた。

「それにしても、突然でしたね……」

「ん?」

「あの……、お蘭さんと言いましたっけ。新しい仲間……」

「ああ……」

林揺は井戸の中に視線を落としたまま、頭を掻いた。

「俺もびっくりしたよ。まったく、妖怪がいて侍もいて、更に女と来たもんだから、めちゃくちゃな寺だな」

そう言って引きつった笑みを浮かべる。

「あはは、そうですねえ。でもお蘭さん、ぶっちゃけ言ってものすごく美人ですよね……。ああ、若様を誘惑したりしないでしょうか……」

「あんな妖怪男につく女なんかいるもんかね。まあ、心配なら崇範、お前が先に女を捕まえときゃいいんじゃないのか」

林揺が桶を引き上げながらつまらなさそうに言うと、崇範はブンと棒きれを一振りした。

きっぱりとした声で言う。

「年上の女は好みません」

「そうかい」

「林揺さんこそ、お蘭さんを狙うのなら今のうちでは……」

「バカ言うんじゃねえ、俺は坊主だぞ」

林揺は吐き捨てるように言って、すぐに水を汲んだ桶を持ってさっさと堂の中へ戻って行ってしまった。

崇範も一息ついて、素振りへ戻った。

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