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地雷掃除人  作者: 東京輔
第8話 Vertraulich ~隠密~
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8-15 もう一つの角部屋


 とはいえ、まずい事になった。

 身を屈め、高鳴る心臓を鎮めようとしながらも、俺はそう噛み締めざるを得なかった。思えば、無茶苦茶な作戦だったのだ。潜入任務などというもの、RPGのパーティよろしく並び歩いてできるもんじゃない。素人が何やったって無駄、ウルフ一人に任せておけばいい。俺は口を酸っぱくしてそう訴えた。なのにこのザマだ。


 だが。

 ここまで来て、おめおめと引き上げる事もできやしない。見つかってしまった三人に申し訳が立たないというわけじゃなく、それは単なる意地みたいなものだった。スーツ着て女子寮に忍び込んで罠を回避して、そこまでいって降参するのは野暮っつーか。

 微熱があったら仕事をパスするほどのノミの心臓の俺が、なぜこうも突っ張っているのかというと、サコンの言うアレが大きな要因になっていた。


「……保険だよ」


 この言葉がでかかった。もしも誰かに見つかって晒し上げを食らっても、言い免れる事ができる魔法のような言霊。つっても、手厳しい罰則は免れる事はできないだろうけど。とにかくその言葉のおかげで、地雷原をのこのこ歩くよりは今の状況のほうがいくらかマシに思えたのだ。

 やれるだけはやってみる。後の事は神のみぞ知る。深夜の女子寮の廊下でうじうじするレンはもういない。窮鼠は腹を括り、目的地を目指したのだ。


 目的地――ルゥの部屋は一体どの扉の向こうなのか。角部屋はロウファ、その隣はズィーゼの部屋。ジョウの仮説が正しいのなら、ズィーゼの部屋の隣のもう一方がルゥの部屋だという事になるが……。その部屋は何の変哲のない部屋だった。他と変わりがない、と言い表したほうが正しいか。

 俺の手にはマスターキーが握られているが、切り札は乱用すべきものではない。数撃ちゃ当たるなどというギャンブルはしないのが鉄則だ。それにもしかしたら、ここにルゥの部屋はなくて、どこか特別な場所に身を置いているという事も考えられる。

 あまり歩き回りたくはなかったが、俺は階段の左側の方の部屋も見る事にした。手がかりなんて、外観を見ただけで探しようもなさそうだが――。そう思って同じ扉が並ぶのを眺めているときだった。


 一番奥の部屋。窓から差し込む月明かりにも入らず、滲んだ闇に佇む奥の角部屋。俺達が侵入した、テッサの部屋のちょうど真上に位置する場所。その扉の横に、それまで見た事のない物体が取り付けられていた。インターホンのような黒い物体だった。

 他の扉も確認してみるが、そのような物体は見当たらなかった。取り付けられているのはこの部屋だけ……。見るからに怪しいのだが。ルゥのことだから、間取りが広くなる角部屋を取るのでは、という俺の仮説にも当てはまるし。しかし、こんなあからさまな場所に目星をつけていいものなのか? 逡巡は当然のように俺を惑わせた。


 マスターキーを使えば警報が鳴り響くかもしれない。機銃が作動して頭を撃ち抜かれるかもしれない。得体の知れないモノに躊躇するのは当たり前だ。そもそもこんな事してまで、ルゥの潔白を証明する意味はあるのだろうか。サコンもケイスケも、誰も彼もがあいつの事をスパイだと思い込みやがって……。



 はっとして、息を呑んだ。そしてすぐに、笑いがこみ上げてきた。



 すっかり俺も思い込みの渦に巻き込まれていた。ルゥがスパイであると決めつけていた。バカヤローが。そうじゃないに決まってる。あいつはただのパートナー。扱いがめんどくさくて色っぽい、だけど仕事は気持ち悪いほど完璧にこなす、そんなやつだ。

 スパイじゃないのなら、この怪しい物体も俺の命を脅かすような代物でないのは確かだ。疑っていたらこの扉は開けやしない。ルゥを信じているからこそ開けられる扉なのだ。

 頼むぜ、ルゥ。お前の事信じてるからな。


 カードリーダにマスターキーを通す。ピピッという音が鳴り、黒い物体から電子音声が発せられる。


「声紋認識です。スピーカーに声を当ててください」


 声紋認識!?

 鍵の他に声紋による認証が必要な扉。どうやらここで間違いないようが……。


「声紋認識です。スピーカーに声を当ててください」


 無慈悲にも電子音声は認証を迫ってくる。どうする、俺? どうする!?

 何にもありやしないと思っていたポケットをまさぐる。だが、えらくパンパンに膨れ上がった胸ポケットに手を当てた瞬間、俺は唐突にその存在を思い出したのだ。ピンクの、ふよんふよんした物体の事を。


「ポッ?」


 俺はミニポムを黒い物体――スピーカーに突き出し、囁いた。


「頼む、ルゥの声だ! 何かルゥの声で喋ってくれ!」


 神様とやらに祈るのは、今日これで何度目だろうか。何度だっていい。俺がルゥの声真似してゲームオーバーになるくらいだったら、ミニポムの性能に賭けたほうが何十倍もマシだろう。

 一か八かで懇願する俺とは対照的に、ミニポムは相も変わらずピンク色の輝きを放ち、しばらく考え込む動作をした。そして、


『……これでよろしくて?』


 間隔の長い電子音の後、ガチャリと重い錠が外される音がした。

 マジでやりやがった。

 本体のポォムゥに通信機能や人の声を真似る――いや、人の声を記憶して喋る機能があるのは知っていた。しかし、ミニポムまでその機能を持っていたとは。ともかく、これほどまでにピンク色のふよんふよんしたやつに感謝したのは初めてで、俺はミニポムの頭を愛犬を愛でるが如く撫で回したのだ。


 改めて、今の状況を考えてみる。ルゥの声紋によって開かれた、厳重なセキュリティを敷かれた扉。さすれば、ほぼ一〇〇%彼女の部屋で間違いないという事だ。ウルフがロウファに捕まった今、頼りになるのはミニポムしかいない。

 心強い相棒を胸ポケットに、俺は意を決して扉に手をかけた。


 曖昧な、薄い光でぼんやりと照らされるルゥの部屋。右から細く線状に伸びる強い光の向こうから、細かな水飛沫の音が聞こえる。シャワーを浴びているのだと容易に判断できた。ルゥはまだ起きている、しかし千載一遇のチャンスでもある。俺は部屋の奥へと忍び寄った。

 テッサの部屋と構造は変わらないはずだが、なぜだか殺風景に思えたのは単なる気のせいなのか。備え付けの豪華なベッドに、装飾の施された衣装ケース。インテリアとしても優秀そうなテーブルと椅子が一組ずつ。全体的に白色が選択されており、それだけみれば上等なホテルの代物を彷彿とさせるものばかりだった。

 ただその中で、部屋の隅に置かれたデスクとPC――出張用にしては仰々しさを匂わせる精密機械が、とりわけ異質さを放っていた。そんでもって、その部屋の片隅がもたらしたのだ、ここが一〇〇%ルゥの部屋だと言い切れる確証を。

 随分と綺麗に扱われている部屋で、そのデスクのある空間だけが片づけられていなかった。ドーナツが入っていたであろう箱が二つ、無造作に積まれており、傍には飲み口に口紅のついたティーカップが置いてある。好き好んで甘いものを食べる人物、それも仕事用のデスクでとなれば、それはもうあいつでしかありえない。俺が確信を得るには充分すぎるほどの物的証拠だった。


「そこまでです」


 ほらみろ。やっぱりルゥの部屋じゃねぇか。本人の声がしたんだから、これで安心してデータを引っこ抜――

 血の気が引いていく。心臓をキュッと握りしめられたような感覚。背後からの唐突な、そして冷徹な()()()の声。拳銃のセーフティを外す音。振り向く事はおろか、俺の思考はぱたりと停まってしまった。

 刹那、グイッと強引に片腕を取られ、顔も確認できぬままベッドにうつ伏せに押しつけられる。ルゥの枕の匂いに浸る事は叶わず、背中に回された腕を力のままに極められる。シャワーの音はフェイクだったのか。してやられた。


「あだだッ……!」

「私の質問に正直に答えなさい。さもなければ、頭を撃ち抜きますわよ」


 肩の関節が悲鳴を上げる最中、思考が蘇り、俺の頭は冷静に働いた。

 ルゥはまだ、侵入者を俺だとわかっていない……?

 夜目の利いていない今ならば、まだ何とかなるかもしれない。ミニポムを使えば――いや、それは悪手になりかねない。大人しく「夜這いしに来た」とか言って誤魔化すのが最善か。そう画策する間にも、ルゥは容赦なく俺の身体に全体重を押しつけた。すげー重い。


「どこの組織の人間ですか?」

「どこにも、属して、ない……!」

「嘘はいけませんわね」

「ぐあッ……! 痛ってぇ……!」


 息が苦しい。俺の痩せ我慢の限界はすぐそこまできていた。それでも、胸を庇うようにして倒れ込んだおかげで、右手の自由はいくらか利く。これが懐まで到達すれば、()()()に手が届くというのに。


「もう一度だけ訊きます。貴方はどこの誰なのですか?」

「俺は、雇われの身だ……」

「傭兵ですか? そこはきっとレベルの低い組織なのですわね。それとも、貴方が飛び抜けてマヌケさんなのかしら」

「そう言いなさんな……。所属先はお前と同じなんだからよ」

「それはどういう――?」


 ルゥがそう言いかけたその時、俺と一緒に潰れていたピンクの精密機械が、胸ポケットから息苦しそうに顔を出した。


「ポッ」

「ミニポム? ……それでは、まさか!?」


 背中にかかった重しが消えて、俺はなすがままに仰向けにされる。月明かりに滲む、信じられないといったルゥの顔。奇しくも先ほどのウルフとロウファと同じように、二人だけの時間が流れていった。


「レン、なのですか? どうしてここに……?」

「決まってんだろ」俺は不敵に笑ってみせた。ようやく懐に手が届いたのだ。「お前に、会うためにな」


 ルゥの顔に()()()を吹きかける。見開いていたルゥの眼が自然に閉じ、俺を下敷きに倒れ込む。意識を失った彼女の豊満な身体を堪能するわけにはいかず、俺は必死に息を止め、脱力したルゥを引き剥がした。そして、隠し持っていたガスマスクをつけて、思いっきりむせる。吸いこんだら俺も夢魔に襲われる。


 いつぞやに、ちょうど今いる場所を俺達の拠点にしようとした際、潜入任務の真似事を俺がやらされたのを覚えているだろうか。『必死地帯(デス・ベルト)』を徒歩で横断するという、無謀な作戦を強いられたときだ。そのあと、俺はすっかりウルフに返しそびれていたのだ、そのとき使った催眠ガスとガスマスクを。効果は絶大で、取り扱いには気をつけるように注意されていた。だから俺は、こっそりそいつをスーツの裏に忍ばせて来ていたのだ、ウルフにもばれないように。ただし、これを使うときは最後の最後、何にも頼るものがなくなったときの切り札用にと、そう心に決めて。

 何につけても、ミスした際の対処は充分過ぎるほどだっていい。サコンの『保険』という言い逃れと、ウルフに返しそびれた催眠ガス。二重の対策をして皆に説得されて、俺は今回ようやく重い腰を上げたのだ。

 備えあれば憂いなし。仕事に関しては、こと神経質になってやってきた甲斐がここで発揮されたという事だ。できれば本職で発揮してもらいたかったが、まぁ良しとしよう。


 ベッドに倒れ込んだルゥを見遣る。起きてるときと違って険のない、眼を閉じたルゥの無防備な姿。白いブラウスと下着以外は何も身につけていない。きっとこれからシャワーを浴びようとしていたのだろうか。ご自慢のバストも普段はお目にかかれない太腿も、それはそれは存分に魅力的だったのだが。

 本当に俺、女子寮に潜入したんだな……。

 達成感も、ましてや官能的な昂ぶりすら湧き起こらない。あるのは疲れと、動悸と、そういった事実だけ。子どもの頃に描いたお馬鹿な妄想は、現実となれば白けるものだと思い知った。……いや、俺が白けた人間になっちまったのかもな。背広を羽織ったからといって、よく出来た大人になんかなれやしなかった。できる事なら今度はプライベートで忍び込み――すまん、嘘。誘われたって二度とやらねぇ。やるもんか。


「ミニポム、こっから先はお前の仕事だ」

「ポッ? ポッ!」


 電子機器に疎い俺は、後の仕事(つってもこれが一番大事なのだが)をミニポムに全て押しつけた。きっとルゥは、今晩の出来事を夢だと勘違いするだろう。訊かれても寝惚けてるんだと言ってやり過ごそう。ただ、パートナーが風邪を引いてしまうのは良くないので、泥のように眠るルゥに布団を被せてやった。


「ポッ!」


 ミニポムがデータの採取完了を告げる。証拠が残っていないか細心の注意を払って、俺は来た道を戻り、テッサの部屋の窓から何食わぬ顔で脱出し、隠密を終えたのだ。

 あれを隠密なんて言ってたら笑い話だし、誰にも言えないから笑い話にさえなりやしない。ただそれでも、サヘランの夜空だけは俺を優しく受け入れてくれた。


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