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地雷掃除人  作者: 東京輔
第8話 Vertraulich ~隠密~
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8-14 ズィーゼの隣の部屋


 つかつかとこちらに歩み寄る足音。誰かが俺達の存在に気づいたのは言うまでもない。だがどうやって? その場を離れるどころはおろか、俺達が神に祈る暇も与えられないまま、その足音は廊下に飛び出したジョウと対峙した。


「……ジョウ?」

「ズ、ズィーゼ……ッスか?」


 どちらも怪訝そうに互いの名前を呼び合う。その名を聞いた途端、冷や汗が背筋に伝わるような悪寒に襲われる。ズィーゼ――ジョウのパートナーであり、生粋のサディストで知られている。あいつに俺達の存在を気づかれたらヤバい。まぁ、もうジョウは手遅れだろうけど。

 悪あがきだとは思うが、ウルフと俺は階段の陰で息を潜め、成り行きを見守る事にした。


「どうして僕が来たってわかったッスか? 物音は立てなかったつもりなのに……」

「そうね。ジョウはこれから私の部屋を行き来する事になるだろうから教えてあげる」


 ズィーゼの意味深な発言はさておき、俺達の存在がばれた理由には興味があった。


「そこの廊下にはね、赤外線のトラップを仕掛けてあるの。私が個人的に取り付けたやつね」

「ど、どうしてッスか?」

「んなもん、セルフディフェンスの一環に決まってるでしょ。拠点と言えどここは敵地。いつどこで奇襲されるかわかったもんじゃないからね。うちで働く連中を当てになんかできやしないし」


 階段と廊下の接ぎ目。一見すると何もないように見えるが、壁に縦一列、鉛筆ほどの太さの穴が並んで空いていた。ウルフはこの穴の直前で止まって様子を見ていたとなると、この初見殺しのトラップを見破っていたという事か? 当のウルフは険しい表情をして、事の成り行きを見守っていたので、それについては訊けなかった。


「ついでに言っとくと、そこのトラップは通る人によって発動するモノが異なるの。オペレーターなら何もなし。地雷掃除人なら催眠ガス。それ以外の侵入者なら、あそこの機銃が作動する」


 天井を見ると、鉛玉を放つ黒くて物騒なモノがこちらに銃口を向けていた。


「ハイテクッスね……。あれ? でも僕通ったのに催眠ガス出てないッスよ?」

「あんたはフリーパスに設定してあるの、時々私が連れてくるから。それで、こんな夜中にジョウの信号が出てさ、装置の故障かと思って来てみたら本人がいるんだもの。で、そんな恰好で何しに来たの? まさかとは思うけど、私以外の女のところに――」

「ちち、違うッスよ。もちろんズィーゼに会いに来たッス! ズィーゼ、今日は僕らにとってとても大切な日ッスよ。忘れてしまったッスか!?」

「ジョウと出会ってまだ一年も経ってないけど?」

「あ……」


 割と持ち堪えていたジョウだったが、ここにきてボロが出てしまった。というかそれよりも、声が反響する廊下で普通の声量で会話をされては元も子もない。今度は本当に、背筋に冷や汗が伝うのを感じた。


「そういう事じゃなくって!」


 ジョウがさらに語気を強めて言う。俺は生きた心地がしなかった、おそらくウルフも。意を決したジョウは、ズィーゼの胴体にひしと抱きつき、顔をうずめながらこう言った。


「今日という日を、僕とズィーゼの記念日にしたいッス!」

「……なかなか素敵じゃない、それ。気に入ったわ」


 あのズィーゼも少々面食らっていたようだったが、しばらくした後、抱きつく少年を優しい声音で包み込む。ここにきてジョウのアドリブは冴えわたっていた。それはいいとして、二人とも早くどこかへはけてほしいというのが本音だった。ズィーゼの部屋がおあつらえ向きなのだが。


「私のどんな攻めも受けてくれる……。これはプロポーズと受け取っていいのね?」

「あ、いや、そういうのはまだ早いと思うッス」

「優柔不断な子。でも、全部ひっくるめて愛くるしいんだから、参っちゃうな」


 慈母のようにジョウの頭を愛くるしく撫でた後、ズィーゼは彼の襟首をむんずと掴む。


「というわけで、私の部屋にいらっしゃい。なんだかんだいってジョウも男の子なのね。溜まってたんでしょう? お姉さんが楽にしてあげる」

「やっぱりこうなるッスかあぁぁ」


 無駄な抵抗である事を知らぬまま、ジタバタと暴れるジョウ。無事に明日を迎えられたのなら、メシの一つでも奢ってあげるとしよう。しかしながら、そんな哀れな少年にすら、天然サディストであるズィーゼは容赦なかったのだ。


「それとね、ジョウ」優しい声音から一転、冷ややかで見下すようなズィーゼの声。「言ったわよね? 私を呼ぶときは必ず()をつけなさいって。朝までにたんと調教し直してあげる」

「うわあああぁぁぁ……」


 さながら天国から地獄に突き落とされたような、そんなジョウの断末魔は、ドアが閉まる音によりぶつ切りに遮断される。しんと静まり返る女子寮の廊下。それを渇望していたのにもかかわらず、いざそれが訪れると急に不安が襲ってきやがる。鼓動は一定のリズムを刻めず、俺は息苦しさを感じていた。

 数十秒、もしくは数分。ほとぼりが冷め、心も落ち着いてきた具合の頃に、ウルフが俺の肩を叩いた。二回、という事は『話す』の合図だ。俺は気を確かにもって頷いた。


「行ったようだな」

「ああ。しかしウルフ、よくそこに赤外線トラップがあるなんてわかったな」

「機銃が視界に入ったのもあるが……気づいたのは偶然に近い」

「は?」


 聞き返すと、ウルフは小さい溜息をついた。


「……俺にとって、今回の潜入で一番の脅威だったのは、ズィーゼだった。打算的思考を持つルゥと違って、彼女の言動は奔放で読めない。たった今、それを改めて思い知ったよ。通る人を区別して異なるトラップを発動させるなんて芸当、素人にはできない」


 なるほど確かに。こちらの想定外を容易に破りそうな気配がある、あのズィーゼという女は。ウルフはずっと彼女の事を危惧していた。だけど今回はウルフの勝ちだ。(まが)(なり)にもオペレーターの素性を知っていたからこそ、注意を払えたというものだろう。ジョウが犠牲になってしまったが、これもある意味必要経費だと――

 そこで俺はハッと気づき、驚いてウルフのほうを向いた。


「まさかウルフ、ジョウを連れてきた理由ってのは……!?」

「人柱、といったら語弊があるが……」俺の予想は当たっていた。「ジョウを身代わりに、ズィーゼの眼を騙す事ができたらと思ってな。これほどうまくいくとは思っていなかったが」


 だから『ならず者』でないジョウを連れて行くという暴挙にでたのか。いや、結果としてそれは賢明な判断と成り得た。


「だけど、どうするよ? そこの壁はトラップがあるんだろ? 他の侵入経路を探すのか?」

「問題ない」


 おもむろにウルフは煙草に火を点け、トラップのある空間に煙をフーッと吐いた。すると、煙の中に異質な赤い線が浮かぶ。ズィーゼが言った通り、赤外線は横に格子状に伸びていたが、その間隔はさほど窮屈でなかった。ただ、下を潜ろうにも真ん中を通り抜けようにも、微妙に引っかかりそうないやらしい配置をしている。ドジな俺なら躓いて即引っかかりそうだ。

 ウルフは後ろに手をまわし、どこからか見たことのない物体を取り出す。鏡のようなそれを一番下の赤外線に当てると、赤外線は何もない壁に反射された。警報も催涙ガスも出ていない。

 かくしてウルフは、匍匐前進で通れる空間を確保したのだ。手際よく、一分も経たないうちに。


「うおぉ……!」


 アクション映画とかでよく観るシーンじゃねーか!

 一部始終を間近で見て感嘆の声をあげる俺を、ウルフは渋い顔で睨んだ。


「くれぐれも頭を上げるなよ」


 そう言って、ウルフがお手本とでも言うように匍匐前進でトラップを抜け、俺を待つ。俺は細心の注意を払って(といっても地べたに這いつくばるだけだが)ズィーゼの仕掛けたトラップを突破した。その達成感たるや、『必死地帯(デス・ベルト)』を徒歩で突破したときと遜色ないものだった。お荷物が二人ともいなくなり、潜入も程良く捗りそうな、そんな雰囲気が俺を満たしていた。

 気を引き締めろと言わんばかりに、ウルフが『口にチャック』のジェスチャーをする。そうして壁を背にし、奥の廊下を覗き込むスーツ姿はエージェントそのもの。銃を持っていないのが悔やまれるほどだった。

 俺が馬鹿みたいに見惚れていると、銃を持っていないエージェントは意味ありげに俺に視線を投げかける。


 手前か、奥か、どっちだと思う?

 ……奥じゃないのか? ルゥの事だし。


 現状、一〇以上ある部屋の中から、ルゥの部屋を外観だけで判断するのは困難だった。だから、ジョウが置き土産として言い残していった『ズィーゼと部屋が隣同士なのでは』説は、格好の判断材料となったのだ。

 階段を境とすると、右側にある部屋は三つしかない。ズィーゼの部屋はその真ん中だから、俺達が捜すべきはその両隣の部屋になる。計算高いルゥの事だ、広い角部屋を優先的に選んでいるのではなかろうか。

 俺の勧めに納得したようで、ウルフは身を屈め、廊下を忍び歩く。ズィーゼの部屋を通り過ぎても、ジョウの悲鳴などは聞こえない。造りの良い部屋で助かった。先ほどの会話もおそらく聞かれてはいないはずだ。おそらくだけど。


 ウルフはマスターキーを取り出し、慎重に扉を開ける。夜目は利いているので、窓の月明かりだけで部屋の全貌は把握できた。造りはテッサの部屋と変わりないが、きちんと整頓されている。それだけで見栄えは驚くほど違った。

 俺はウルフの邪魔にならないように、扉の近くでそれとなく辺りを見回す。ここがルゥの部屋なのか否か、それさえ判断できればいい。だが、周りの物だけを見ても誰の部屋なのかはわからなかった。でも、

 ――この匂い。女物の香水の匂い。それには覚えがあった。

 懐かしいような、真新しいような、控えめだけどさりげなく主張する苺の香り。もう少しで思い出せそうな気がする。だけどこれ、ルゥの香水の匂いだったっけ……?


「誰!?」


 残念ながら俺に解答時間は与えられなかった。被っていた布団ごと起き上がり、女は叫んだ。髪が長い、という目の情報だけじゃ誰とも判断できない。ウルフの隠密には問題なく、オンナの勘とやらが過敏に反応したのだろうか。ともかく、状況は『ヤバい』の一言だった。

 無音で近づいていたウルフは銅像のように硬直した。彼なりの狼狽なのか。間近で女の顔を見たウルフは、彼女の名前を呟いた。


「ロウファ……!?」

「え、ウルフ?」


 確かめ合うように互いに名を呼ぶ二人。緊張の沈黙。サイドテールを解いた長い黒髪と、野性的な銀髪が月明かりに照らされる。図らずも彼らは居合わせてしまったのだ、男が侵入する事を許されない女子寮の部屋の中で。


「あれ、私まだ夢見てる?」

「…………」


 幸いな事に、ロウファは自分が寝ぼけていると勘違いしていた。真夜中の、それも自分の部屋に思い人が正装に身を包んで立っているなんて現実は、そりゃあありえないと思うだろう。呆然と立ち尽くしているウルフというのも良い演出になっていた。

 二人の時間が過ぎていく。ロウファが思い人しか見えていないおかげで、俺は何とか闇に紛れる事に成功していた。


「ウルフが私の部屋にいるわけないし、しかもスーツで……。やっぱり夢か。あ! でも、夢の中なら何を頼んでも聞いてくれるかも!」

「…………」


 自分以外の人間が二人も聞いているというのに、呑気に独り言ちるロウファ。彼女がベッドで居直る間でさえ、ウルフは何も動けずにいた。


「ねぇ、ウルフ」ぺたりと座り込んだロウファは、恥ずかしそうにウルフを見上げた。「あなたの口から、私の願いを言ってみて。……キャーッ! 何言ってるんだろ、私」


 本当に何を言ってるんだお前は。抱いていた枕に顔をうずめるロウファに、そうツッコみを入れたいのをぐっと堪える。場違いなのはどう考えても俺のほうだから。それに、いつまでも舞い上がってるロウファにはつきあっていられない。

 この状況をどうやって切り抜けるつもりだ、ウルフ?


「――に」

「え?」


 ロウファは聞き返す。聞き取れなかったからなのか、それともその言葉が信じられなかったからなのか。定かではないが、ただ一つ事実なのは、俺も全くロウファと同じ反応だったという事だ。

 今度ははっきりと俺の耳に届く、真に信じ難いウルフの言葉が。


「君に会いに」


 甘い台詞と同時に、ウルフは両手をロウファの背中に手をまわした。

 抱擁。それしか形容しようのない動作。ロウファといえば、甘んじてそれを受け入れるばかりだった。夢見心地のオペレーターには、明晰夢のような現実が待っていた。そしてその現実だけが、他の全ての感覚を奪う唯一の手段となり得たのだ。

 暗闇の中、ウルフの黄色い双眸がちらりとこちらを睨む。


 今のうちに、早く――


 足元に何かが落ちる。マスターキー。俺はようやく、ウルフの思惑を理解した。

 サコン、ジョウ、ウルフ。三人の同胞が俺に全てを託したのだ。……いや、元はといえばこれは俺と、あいつの問題。過程は複雑だったが、こうなるのが当然で最善だったのかもしれない。

 マスターキーという最後の切り札を手に取り、俺はロウファの部屋から脱出したのだった。


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