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地雷掃除人  作者: 東京輔
第8話 Vertraulich ~隠密~
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8-13 階段の踊り場


 最初のヤマ場は越えた。だが、息つく暇もなく俺達は女子寮の廊下を忍び足で進む。廊下には観賞用の百合の花が一つ、ぽつんと活けてあるだけでがらんどうとしている。既に夜目は利いて不便さはないが、星光りに照らされた廊下というものは尚の事不気味に思えた。幽霊なんてものはまるっきり信じちゃいないが、俺は暗闇を徘徊する物好きでもない。先頭を歩くウルフの背中だけが頼りで、俺はそれについて行くだけだった。

 そろそろまともな会話をして、意志疎通を図りたい。だけれど、こうも音が反響する場所でそんな事しようものなら、勘のいい誰かに気づかれるだろう。そうでなくとも、こっちにはスタート地点早々、ポカをやらかしたサコンとジョウというお荷物がいるんだ。いつどこで、どんな見つかり方をするか知れたもんじゃない。まぁ、かくいう俺もウルフにとっちゃお荷物で、見つかる前提の話というところが、何とも絶望的な感じではあるが……。


「まずい……!」


 ほらな。あれだけ口を酸っぱくして、俺達に喋るなと注意したウルフが開口一番これだよ。隠密なんて所業、俺達のようなお荷物を抱えてやれるようなそんな簡単なもんじゃないって事だ。

 …………は?


 階段の方へ素早く移動するウルフを見て、俺はしばし呆然とした。耳と、そして目を疑ったのは俺だけではなかったはずだ。あの潜入のプロのウルフが最初にルールを破るだなんて、と。

 否、違う。ウルフは俺達に()()()()のだ。独り言を呟く事で、予想だにしていなかったハプニングが、彼の眼前で起こっているという事を。

 最奥に見える頑強そうな扉。女子寮の入口。男子絶対禁制と謳われたその扉が、何者かの手によって開かれる、今まさにその最中だったのだ。ガシュッと金属製の重苦しい錠が外された音が廊下に響き渡る。頭でそれを理解する前に、俺はウルフと同じ体勢で、同じ場所に弾き飛ぶようにして身を潜めた。


 同時、だったと思う。そう思いたい。そうであってほしい。この時間に一体誰が? 確認はできない。息を殺す事だけで精いっぱいだ。しかし――


「誰だい?」


 入口から聞こえる聞き慣れた声。聞き慣れた安堵はなく、逆に血の気が引いていく感覚だけが俺の身体を巡る。声の主はマザー・トード、食堂を牛耳る料理人だ。こんな夜遅くまで、次の日に出す料理の仕込みをしてたっていうのか。その仕事ぶりに感謝したいところではあるが、今この瞬間だけは彼女を恨んだ。タイミング悪すぎんだろ、と。

 俺は九割方、諦め気味にウルフの横顔を見た。だが、うっすらと額に汗を浮かべているものの、ウルフはまだ諦めていなかった。静かにしていろと言わんばかりに、唇に人差し指を置いたのだ。


「そこにいるのはわかっているよ」


 やっぱりバレてるじゃねーか!

 しかし、ウルフはまだその場を動こうとしない。このままじゃジリ貧だ。そう思い、俺は階段の方を振り返った。階段の踊り場まで行けば死角に逃げ込める。一か八か、慌てふためくジョウを宥めて行くしか――

 はっと息を呑んだ。いなかったのだ、俺の後ろにいるべき人間が。


「……やれやれ。見つかっちまったか」

「いくら壁に張りついてても、そんなに腹が出てりゃあね」


 廊下からしゃがれた声が聞こえた。そう、階段がある場所へと潜り込めたのは俺とウルフとジョウの三人。頭でわかっても足が追いつかず、最後尾のジョウに追い抜かれた哀れな老人を、俺達は置き去りにしていたのだ。

 スーツを着た中年が暗い廊下を悠々と歩いてくる、それまでの忍び足が嘘のように。浮足立つ俺とは対照的に、サコンは幾らかの余裕を持っているようにも見えた。


 サコンはゆっくりと、俺達の潜む曲がり角まで歩んできた。そして一瞬、目配せをする。

 ――ついてねぇな。まさか俺が貧乏くじを引くだなんてよ。

 それは何だかとても頼もしく見えたし、この状況では、サコンに頼らざるを得なかった。


「どこから忍び込んだかは知らないけど、悪い事なら見逃せないよ」

「ほう。じゃあ俺の目的が、お前さんに会いに来たってんならどうしたものかね? ミセス・トード」

「何寝ぼけた事言ってんだい。隙あらば若い娘の尻ばかり追っかけてるくせに」

「あれは目の保養というやつよ。この年になると、オンナを落とすにゃ金がいくらあっても足りねぇご時世だ。若いのは眺めるに尽きる」


 サコンは何も変わらぬ様子だった。変わったところがあるとすれば、素知らぬ顔で嘘を吐いているくらいだった。口のウマい奴ってのは、ある事ない事ふんだんに織り交ぜて、相手を自分の世界に引き込ませる。サコンは自分の考えとは正反対の事を口にしても、顔色声色何一ついつもの調子で言い並べた。とりわけ、今日のサコンの舌は絶好調――いや、火事場の馬鹿力と言ったほうが正しいか。


「それにな、トード。俺は気づいちまったわけよ」恥ずかしそうに頬を掻きながら――もちろん演技だが――サコンは続ける。「人里離れた場所で生活してると、それがどうしても恋しくなってなぁ。埋め合わせようとするにゃ、愛情のこもった三食の手料理だけが俺の心を満たしてくれる。その料理を作ったオンナに恋をしたって――悪かないだろう?」

「やだね。だからってそんな恰好で来たのかい?」

「ダメかね? 惚れたオンナに会いに行くんだ、これくらい気合入れねぇとな」


 しばらくの沈黙。話を聞いていると、どうやらマザー・トードのほうはまんざらでもないらしい。そちらのほうが今の俺達には好都合ではあるが、いい歳した男女のラブロマンスなんか小っ恥ずかして見ちゃいられない。

 沈黙はトードの溜息によって破られた。深く、長い溜息だった。


「……あたしはいつだってこうだよ。変なオトコに好かれる性格(タチ)なんだ」


 どちらとも取れる言葉。自然と俺達は顔を見合わせる。ジョウはこういう話題に慣れていないようで、今にもばたんきゅうしそうな顔をしていた。

 するとトードが、


「お入り」入口近くの部屋のドアを開けた。「朝は早いんだ。ちゃっちゃと済ませるよ」

「す、済ませるってまさか……?」


 サコンは俺の気持ちを完全に代弁してくれた。ウルフも思わず、「うっ」と軽く呻いてしまうほどの予測不能事態。まさかのまさか、保険として用意していた策が見事に型にはまってしまうとは。


「ん? 何だい、()()()()()で来たんだろう? ここまで来て怖気づくんじゃないよ」


 おわかりいただけただろうか。そのつもり、もとい夜這いという下賤な行為を、マザー・トードは甘んじて受け入れようとしてくれているのだ。

 これにはサコンもたじたじのご様子だった。


「ま、待っとくれトード! お、俺にも心の準備というものが――」

「準備がなくとも愛があればいいんだよ。ほら、早く」

「はは、いやぁ、参ったねこれは。素敵な夜だ、涙が出ちまう」


 涙の理由(わけ)は明らかだった。若い女の寝顔を拝むというサコンの企みが、水泡に帰する事になったのだから。消え入るようなサコンの呟きの後、バタンとドアが閉まる音がする。これをウルフが見逃すはずがなかった。慎重かつ大胆に階段を駆け上がる。俺とジョウもそれに倣って、雛鳥のように正確に後を追う。窮地を脱した、ドジなジジイが犠牲となってしまったが。

 階段の踊り場を越えて、女子寮が再び静寂に包まれる頃、ウルフが自分の肩を二回叩いた。二回は『話す』という合図。俺は即座に頷いた。


「レン、ジョウ。正気は保っているか?」

「何だ突然?」

「いや……。もう二度も見つかりそうになったから」


 そう言ったウルフの顔には、疲れの色が見えていた。いつもとは違うプレッシャーが、彼の精神を削っているのだろう。申し訳ない気持ちが自ずと募る。


「ご愁傷様ッス」


 そう言ったジョウの頭を、俺は無言ではたいた。純粋な労りの言葉だったのかもしれないが、とりあえずウルフの代わりにはたいておいた。


「とにかく、無事に二階まで来れた。だがここからは手探りでルゥの部屋を探すしかない」

「部屋の位置に手がかりはないのか? 右を曲がった廊下の方か、それとも左か」

「パートナーのお前のほうが、何か知っているんじゃないのか?」


 思考を巡らすが、全くと言っていいほど何も浮かんでこなかった。お互いにプライベートには干渉しない。そう契約書にも書いてあったように、俺とルゥはビジネスライクな関係を保っていたから。それが今になって面倒な事態を呼び起こす事になるとは、思ってもみなかったが。俺は渋い表情をして肩を竦める他なかった。

 だが、なぜだか俺の隣にいるジョウが代わりに声をあげた。


「う~ん。ルゥさんはズィーゼと仲良しッスから、もしかしたら部屋が隣どうしかもしれないッス」

「バカ。ズィーゼの部屋がわかんないと意味ねぇだろ」

「ズィーゼの部屋は右を曲がって二番目ッスよ」


 俺とウルフは顔を見合わせる。こいつは何を言ってるんだ?

 その疑問はすぐに解消された。両者の関係性を知っていれば、誰しもその考えに至る簡単な話だったのだ。


「ジョウ。なぜそれを……?」

「ほ、ほら、時々ズィーゼに連れてこられるッス。時々ッスよ」


 それを聞いたウルフも、思い出したように頷く。決して恋人という関係ではないのに、女の部屋について行く、いや連れてこられるというジョウとズィーゼの奇妙な関係性。今それについて言及している暇はないが、迂闊だった。ジョウが女子寮に度々足を運んでいたという事実。羨ましいとかそういうのじゃない。事前にそれを聞いておけば、潜入の手立ても今より煮詰められたのではないか、と。

 ウルフが悔しそうに唇を噛む。それとほぼ同時に、ジョウがすくっと立ち上がった。


「ささ、何なら僕が案内するッス。あ、でも気をつけてくださいッス。あの人はものすごく勘がいいから」

「ま、待て、ジョウ! それ以上行くな!」


 ウルフの左手が空を掴み、ジョウは曲がり角まで足を運ぶ。ウルフが焦りながら静かに叫んだ理由を、俺とジョウは知ることになった。

 バタン! ――と、どこかでドアが勢いよく開かれる音がした。


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