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地雷掃除人  作者: 東京輔
第8話 Vertraulich ~隠密~
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8-12 テッサの部屋


 スーツを着た四人の男が黙々と悪路を闊歩する。女子寮内に入ったら忍び足を余儀なくされる。だから今のうちに、普通に歩くという行為を満喫しているのだろう。少なくとも俺はそうだった。この間まで細々と灯っていた外灯も、倹約のためにいよいよその役目を果たせなくなり、辺りは闇に包まれている。革靴が礫を踏みにじる音も、辺境の地の闇に飲まれていくようだった。

 潜入するポイント――テッサの部屋の外に赴くにあたり、最大限の注意を払うために、ウルフは遠回りする道を選んだ。駐車場のある裏口から外に出て、S・Sの味気ない玄関、食堂が見える砂利道を通り、今は使われていない施設を通り過ぎ、ややあってようやく女子寮が見えてくる――という、一言で約めるのなら面倒くさいほうの道だ。


 奇妙な事に目的地に着くまでの間、誰も口を利く事はなかった。ジョウあたりが特にはしゃいでそうなのに、こいつがまた一言も喋らない。ウルフの言いつけをきちんと守っているのであれば、こっちも文句の一つも言わずに済む。だがその所為で、長々と続く悪路に歩を進める度に、俺特有のネガティブ志向が働く羽目になったのだ。

 見つかった時になんて言い訳すればいいのか。このメンバーで潜入するのは間違いなんじゃないか。そもそも内通者なんて存在するのかどうか。ルゥは、彼女は本当にサヘランに通じる内通者なのか……。疑問や疑念が絶えず俺の頭の中で反響しては霧消し、そしてまた何もないところから降ってくる。

 結局、心の澱が取り除かれる事はなく、溜息を吐いて有耶無耶にするしかなかった。気がつけば前を歩いていたウルフが足を止めてしゃがみこみ、俺達にもそうするように身振りで促す。それが俺にとって、心を落ち着かせる唯一の特効薬になったのだ。


 後ろに続く俺とサコン、そしてジョウが潜入のプロに倣い、女子寮の壁にへばりつく。壁の表面はひんやりとして堅く、ザラザラしている。曲がり角の向こう側を慎重に覗き込むウルフの後ろ姿に、妙なシュールさを覚える。だってここ、女子寮だぜ? 状況を考えたら笑うなというほうが無理な話だ。

 ウルフが真剣な表情で振り返り、改めるように頷く。覚悟はできたな、行くぞ――そう訴えるかのように。徒競走でたとえるのなら、「ヨーイ」と審判が言って、ピストルの音が鳴るのを待ち構えるあの気持ちの悪い一瞬だ。その時になると、散々嫌がっていた気持ちがヤケクソになってもうどうにでもなれと、しばしば変にテンションが昂るものだ。

 やるっきゃない。自暴自棄と覚悟の間で彷徨う感情を丸め込んで、嚥下するように俺は頷いた。後ろの二人はどうせ軽い気持ちで首を縦に振ったはずだ。


 低い姿勢を保ったまま角を曲がり、窓が並ぶ壁に沿うようにして足を運ぶ。何十とある窓の中で唯一、出会い頭の窓だけがぽっかりと空いていた。カーテンで間を仕切っているというわけでもなく、間抜けにぽかんと口を開けている風にも見えた。

 その口に飲み込まれるかのように――躊躇なくウルフは部屋の中の闇に消えた。深夜の静謐を乱す事のない、完璧なる潜入だった。呆然として俺達が見惚れていると、窓の外からウルフの手だけが出て、チョイチョイと人差し指を動かした。後に続け、という事だろう。

 次鋒の俺は意を決して、窓の下枠に手をかけた。ウルフのように華麗に跳び越えられるとは思えないので、左足を窓の枠にかけて、そして右足で勢いをつけて慎重に事を進める。中の様子を確認する暇もないくらいにテンパっていたが、何とかウルフがしゃがみこむベッドの隅にまで滑り込む事ができた。

 こんな何てことない動作でも、ありえないくらいに緊張する。心臓がバクバクいっておかしくなりそうだ。でも、それは心地の良い緊張だった。ガキの頃に戻ったかのような錯覚さえ覚える。未知なる体験を求めて、友達とバカをやっていたもんだ。精神年齢は当時とほとんど変わってないのかも。


 フッと息を漏らして感傷に浸るまでには至らなかった。背後から衣擦れと、静かな寝息が聞こえたからだ。咄嗟にウルフと眼を見合わせると、こちらの思惑を理解したように頷く。俺達が背もたれているベッドの上で部屋の主が――テッサが眠っているのだ。

 ちんちくりんの新人とはいえ、女の部屋に忍び込んだ事には違いない。それに意識を割いたからなのか、俺はある事に気づいたのだ。

 新しい建物独特の匂いに混じって、部屋の中に甘い匂いが充満している。お菓子とかの甘さじゃない。もっとこう、概念みたいな甘さだ。わかってくれるだろうか? 女の部屋特有の、むせ返るような甘ったるい匂い。シャンプーや香水の香りが入り混じったような、くらくらする匂いだ。

 テッサを一端の女性だと俺の頭が認識してるってことか。それはそれで何だか不服だ。取留めのない事を思い、俺が何気なく鼻を拭った時、それは起こった。


「よっこいせ……のあ゛ぁ゛ッ!」


 刹那に心臓が飛び跳ね、瞳孔がカッと開く。サコンの野郎が足をつっかえて、俺の目の前で床に不時着したのだ。完全にアウトの大きな音と、小汚い悲鳴と共に。俺はもうそこで何もかもを諦め、虚空を仰いだ。

 ――しかし。


「むにゃ……アミノ酸……」


 意味不明の寝言のあとに、再び寝息が一定のリズムで刻まれる。あれだけの音を出したというのに、テッサはまるで起きる様子がなかった。つーか、アミノ酸ってなんだよ……。

 這いつくばったまま静止していたサコンも、彼女の寝息に気づいたようで、四つん這いのまま俺の隣にまで移動してきた。ポマードで固めた髪はすでに崩れていた。


 き、気づいてないってぇのか?

 うっせー黙ってろ! 一生喋んな、この役立たずジジイ!

 静かに。……反省は作戦が終わってからだ。


 依然として口は閉ざされたままだったが、たぶんそんな意思疎通がおこなわれた。人間、やろうと思えばできるものだ。

 気が気じゃないままぼんやりと窓の外に目をやると、ジョウがあたふたとしていた。ふしぎな踊りを踊っているようにも見える。さっきのドタバタの一部始終を外から見ていたからなのか、どうやら中に入りあぐねているようだった。


 いいから早く入ってこい! バレないから!

 突っ立ってるほうが危ねぇぜ。ジョウさんよぉ。

 で、でもぉ……。

 ジョウ、焦らなくていい。ゆっくりと、音を立てずにな。

 わ、わかったッス……。


 俺は祈るような気持ちでジョウを見守った。間抜けなジョウの事だ、失態をやらかすなという方が無理な話だろう。だから俺は祈願したのだ、普段は存在すら否定する神様とやらに。

 そんな俺の神頼みとは裏腹に、ジョウは身軽にヒョイと窓枠を跳び越えた。着地をテレマークできめて無垢な笑顔を俺達に向ける。それさえなけりゃ褒めてやってもよかったのだが。


 見た見た? うまくいったッス!

 バカ! ふざけてる場合じゃねぇ! ミニポムぶつけんぞ!

 いやぁ、僕ったら本番に強いタイプ? レンさんよりも上手だったッスよ!

 んなこたどうだっていいから、お前も早くこっちに――


 調子付いたジョウは俺の訴えも聞かず、テレマークの姿勢のまま身振り手振りではしゃいでいた。隣にいたウルフが重い溜息を漏らす。……やっぱり俺達、お邪魔だったんじゃねーの?

 そういう疑問が頭を過ぎった時だった。


「むにゃ……だれ……?」


 気怠い声が頭上から聞こえる。最悪な事が現実となった。

 はしゃいでいたジョウもピタリと動きを止め、テレマーク姿勢のまま膝を折り曲げる。その顔は何とも形容のできない無表情であった。

 呼気を聞かれたら拙い。今となっては無駄かもしれないが、俺は手で口を塞いだ。衣擦れの音が大きくなる。テッサが上体を起こしたのか。とうとうバレたか? いや、あいつは眼鏡がなきゃ何も見えないはずだから……。

 思考がごちゃごちゃに入り混じる最中、ふよんと飛び出すものがあった。胸ポケットから飛び出たそれは、淡い桃色の光を放ち暗闇を照らす。


「ポッ!」

「ポムちゃん……? なんで……?」


 ミニポムが滞空時間の長い浮遊を経て、トサッとベッドに着地する。その時、俺以外の連中は何を思っただろうか。絶望、驚嘆、諦観――。少なくとも俺は、口を塞いで事の顛末を見守るので精いっぱいだった。

 間の悪い静寂は、テッサの言葉によって雲散し、


「……ま、いっか……」


 そしてまた、再び姿を現す。

 気持ちの良さそうな寝息が、夜の闇に溶け込んでいく。

 その間、ジョウはひざを折り曲げたテレマーク姿勢を保ったままだった。

 時間にすればおよそ五分。体感時間では恐ろしく長い、緊張した静寂。

 ウルフが顔をこちらに向け、黄色の双眸をぎらつかせる。


 ……そろそろ行くぞ。

 お、起きないッスか?

 お前たちが音を立てない限りは、な。


 そうしてウルフは音もなく立ち上がる。怖々とそれに続いた俺達に一瞥をくれると、部屋の入口に向かって歩きだした。置いてかないでと言わんばかりに俺は後を追う。テッサの部屋の絨毯はこの前確認した通り、色んな物が散らばっていた。そろりと爪先を置いては、またそろりともう一方の爪先を慎重に運んでいく。地雷原よか、今はこっちの状況の方がよっぽどおっかない。


 ウルフが進んだ軌跡を正確にトレースしながら、やっとの事で入口に到達する。額に浮かぶ冷や汗を拭っていると、肩にふよんとミニポムが乗った。のっけからハプニングだらけで生きた心地がしない。ここがスタート地点だというのに、既に先が思いやられるなんて気が滅入る。

 殿(しんがり)のジョウが到着したのを見届ける間もなく、先頭のウルフは扉を開ける。どうやら、ここからすぐにでも離れたいのは潜入のプロも同じらしい。淡く発光するミニポムを胸ポケットに押し込み、俺も『必死地帯(デス・ベルト)』から脱け出すように新人の部屋から出るのだった。


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