8-7 ネグリジェ
前回に引き続いてのサービス回でございます。
「ふぁ……。朝っぱらからいったい何の騒ぎですの?」
テッサと入れ替わりで登場したのは、彼らの描く理想を体現する女性だった。だが、狂喜乱舞するオヤジ共とは対照的に、俺とウルフは目に見えない程度に身構えた。
「うおおぉぉッ! ルゥ様の寝間着姿じゃあ!」
「何という眼福の極み……! もはやエロスを通り越して神々しさすら感じられる!」
歓喜によるどよめきが、狭い廊下に響き渡る。現れたのは俺のパートナーであるルゥビノ・アクタウス――スパイ疑惑をかけられている女性だった。彼女は男心をくすぐる魅惑的な格好で俺達の前に姿を現したのだ。
誰かが口にした寝間着という言葉はあまりにセンスがないので訂正しておくと、ルゥが身につけているのはネグリジェというやつだ。柔らかそうな素材を使った、おまけに胸元が強調された下着同然の小悪魔的なデザインのものだった。だらしのない欠伸も計算の内か。
その神秘的な雰囲気に当てられたオヤジ共は、直前のキャミソール姿のテッサの事などすっかり忘れて、目の前のネグリジェ姿のルゥにぞっこんだった。テッサよ、これがお前にはないエロスというものだ。……と本人に言ったらどういう答えが返ってくるだろうか。
「あらあら、朝からそんなに血圧を上昇させては、仕事に影響があるのではなくて?」
オヤジ共の熱烈な視線にようやく気づいたルゥは、開いた女子寮の扉に寄り掛かり、自らの太ももに指を這わせた。それは完全に狙ってやっている動作だったが、オヤジ共はまんまと引っ掛かり、雄叫びに近い歓声を上げる。ルゥという女性の頭頂部から爪先まで、何もかもが官能的で、朝から見るにはいささか刺激が強すぎる。子供は見ちゃいけませんというやつにモロ引っかかる程度のヤバさだ。
だが、俺がルゥの雰囲気に飲まれずに冷静でいられたのは、今まで思ってもみなかった嫌疑を彼女に抱いていたからだ。ルゥがスパイかもしれないという説は、俺に疑心暗鬼を生じさせた。演技や芝居の類は正直苦手な分野だが、俺はいつもの俺である事を演じてルゥとの会話を試みた。この場にいるウルフ以外の誰にも悟られぬように。
「な~にオヤジ共相手にいい気になってんだよ、ルゥ。オペレーターの朝がこんなに遅いとはな、まったく恐れ入るぜ」
「そういう貴方こそ、休養を取って女子寮の門戸を叩くなんて、よっぽど欲求不満でいらしたのね」
そう言いながらルゥは、全方位に向けていたポーズを俺だけにぶつけてきた。ぶつける、という表現が正しいほどの危ういエロスだった。甘い香りさえ漂ってきそうなほどルゥの顔が接近する。その下には、脂肪で出来た山が二つ。
……待て待て! 落ち着きやがれ、俺!
男たるもの、女性の谷間に目に行かないわけがない。それは雄の本能だから。煩悩ともいう。しかし、その本能だか煩悩だか、とにかくそういうピンク色の誘惑をひたすらに薙ぎ払い、俺は何とか鼻で笑う事に成功したのだ。
「馬鹿言え。俺だって昼までぐうたらしていたかったよ。毎日あんたに散々こき使われてるからな。だけど、ウルフがどうしてもって言うから」
「あら、そうでしたのウルフ?」
「灯りの付け替えをロウファに頼まれていてね。まぁ、別にレンじゃなくても他の連中の手を借りればいいのだが……」
ウルフはネグリジェを纏ったルゥの事など気にも留めず、オヤジ共の群集に視線を移した。そして緊張した糸がプツンと切れたように、そのオヤジ共が一斉にウルフに向かって捲し立てたのだ。
「ウルフ! 仕方ねぇから俺が手伝ってやるよ!」
「何言ってんだ、俺だ俺! ウルフも疲れてんだろ、休め休め! 灯りの付け替えなんざ、代わりに俺たちがやっておいて――」
何ともお下劣な顔をしてオヤジ共はウルフに懇願する。そうかと思えば、女子寮の扉の向こうからは悲鳴染みた叫び声が聞こえてきた。
「絶対にいや! 男が入ってくるだなんて考えられない!」
「下心見え見えなのよ! このヘンタイ! スケベ!」
「入っていいのはウルフさんだけよ! ……レンもぎりぎり許すけど、ぎりぎり」
「何だよ、その差は」
誰が喋ったかはわからんが、俺はすかさずツッコみを入れた。さすがにオヤジ共の待遇よりはいくらかマシだが、何だか釈然としない。あれか、俺は許容範囲内外のボーダーラインに立っているという事か。……う~む、やはり素直に喜べねぇ。文句ありげにウルフを睨んだものの、涼しい顔をして躱されただけだった。
俺達を挟んでの相容れないやりとりが続く中、ウルフはルゥに向かって静かに言う。
「まぁ、こういう事を想定しての人選というわけさ」
「……なるほど。確かに消去法で選ぶなら、貴方がた二人が適任のようですわね」
「わかってくれたなら嬉しいよ。一〇分とかからないと思うから、そこを開けてもらえないだろうか?」
ようやくウルフが本題に踏み込んだ。俺達の真の目的は女子寮の――あわよくばルゥの部屋の偵察だ。潜入任務に偵察は必要不可欠。しかし、こんな大胆なやり方での偵察とは度肝を抜かれた。道理で直前になるまで俺に教えてくれなかったわけだ。事前に知っていたら、ガッチガチの棒読み具合でテッサやルゥに怪しまれていたはずだろう。
少しの間の後、ルゥは逡巡する仕草も見せずに横に逸れ、女子寮につながる道を開けた。そして上品な動作で俺達を招き入れた。
「どうぞお入りください。私は門番ではありませんし、暗い廊下を毎日歩くのは好ましくありませんので」
奥に続く道には、オヤジ共に辛辣な言葉を投げていたオペレーター達がきつい視線をくれてきやがる。主にウルフの隣にいる俺だけに。何はともあれ、これで第一関門は突破したとしておこう。ウルフと横に並んで扉を通過しようとした時、通りすがりにルゥが俺の背中に冷ややかな声をかけた。
「……ですが、早急にお願い致しますわよ。それと、各々の個室を覗いたりしないように」
「もし覗いたら?」
振り返り、おどけた感じで俺はルゥに聞き返す。ネグリジェ姿に興味を示さなかった俺の事が気に食わなかったのだろうか、ルゥは右手でハサミのジェスチャーをしながら、邪悪に微笑んだ。
「そうですわねぇ。女の子になってもらおうかしら、強制的に」
「おぅ、そりゃおっかねぇ……」
おぞましい悪寒を股間に感じながら、俺とウルフは秘密の花園に足を踏み入れたのだった。