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地雷掃除人  作者: 東京輔
第2話 Vertrauen ~信頼~
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2-3 彼の答え

 S・Sの設備は、整っている所とそうでない所の差がすこぶる激しい。俺たちの寝床と二階の受付は世代を、いや世紀を間違えてるんじゃないかと思わせるほどの、悪い意味でアンティークな造りになっているが、こと厨房に至っては最新の設備が整っている。

 ……と言っても、地球に存在する料理ならなんでも揃っているくらいで、肝心の食堂は、これまた古風な長テーブルと軋んだ椅子がずらりと並んでいるだけの、面白くもない造りなのだが。

 先日と同じように、カウンターに肘をかけてマザー・トードに挨拶をすませた。


「おはようさん、今日は金曜日だから、フライデースペシャル――」

「いや、トード。今日はオレンジジュースだけでいい。うんと冷たいやつな」


 金曜日は好物を腹いっぱい食べるのというのも、俺のルーチンの一つである。マザー・トードにもその事は伝えていて、俺専用の朝食を手際よく調理してくれるのだが、今日はどうにも胃袋が縮こまっているらしい。フライドチキンを食すほどの食欲が湧かなかった。


「なんだい、神経質が聞いて呆れるね。風邪でもひいたのかい?」

「それもあるけど……。まぁ、たまにはいいだろ?」

「よかぁないね。せめてトースト一枚でも食べないと、せっかくのいい男が台無しだよ」

「勘弁してよ。明日から、またいつもの食べるからさ」

「わかったわかった。シュガートーストでいいんだね?」

「……オーライ」


 少し歯並びの悪いマザー・トードの微笑みは、慣れていないときついものがあるが、それでも俺を心配してくれる無償の優しさが、俺にとっては嬉しかった。

 ……でも、シュガートーストは余計だ。


 席についてしばらくしてもなお、不思議と腹が減ることはなかった。唯一頼んだオレンジジュースも、喉の渇きを潤す役目を果たしたと同時に、不要なものになってしまった。体温は平熱に戻ったし、体調も決して悪くないはずなのに、それでも何も喉に通らない。

 朝食をとる事など、自分だけのルーチンワークではなく、誰もが当たり前に行う行為なのはわかっている。ともすれば、気分が優れないから朝食は食べないという選択も、それはそれでありなのだと、そう自分に言い聞かせる。


 本当は分かっていた。食事が喉を通らない理由も、軽い頭痛がする理由も、何が自分に支障を来たしているのかも……。ただ俺はどこかで、他の理由があってほしいと、そう望んでいるのだ。

 この両眼に何を映そうとも、思い出すのは昨日見上げた空高く舞い上がる粉塵と、人の形をした塊の虚無の視線。いずれはその記憶も風化するとはいえ、吹き飛んだ足やむき出しになった骨肉、そしておびただしい量の血を見る事に慣れていない俺にとって、全てが衝撃的過ぎたのだ。

 眼を閉じたら、それだけでどうにかなってしまいそうで、俺はせめて気休めにと、視界に映る食器や遠くで食事を済ます人を眺めていた。悪夢のように、夢で終わってくれればどんなに楽であろうか……。


 ――悪夢。


 そういえば今日、夢を見た気がする。悪夢とは言えないまでも、それほど気持ちよくもない夢。俺は必死に思い出そうとした。悪夢よりタチの悪い現実を少しでも意識から遠ざけるだけで、救われる気がしたのだ。だがそれは叶わなかった。


「湿気た面が、今日は特に冴えてねぇじゃないか。えぇ、レンさんよぉ?」


 向かいの席に座ろうとしている人間が別の奴だったらどれだけ救われたか。しゃがれた声とベルトに乗っかるだらしない腹、それだけで誰なのかはっきりとわかったが、どうせなら、もっとお気楽な野郎―たとえばジョウとかサンタナとか、そこらへんの人間のほうがまだ気が紛れたのに……。


「……サコン。今日はあんたと話したくない。悪いが席を外してくれ」

「そうつれない事言うなよ。俺はお前さんと話がしたいんだ」

「そうかい。だが俺はごめんだね。朝っぱらからあんたのギトギトの顔を見るだけで胸焼けしそうなんだ。だから黙って席を外せ」


 自然と口調が激しさを増した。どこからともなく湧き出る苛立ちをぶつければ、さすがにサコンも、いつもの俺とは違うというのを感じ取って退いてくれるだろうと予測していたが、それは浅はかな考えだった。


「えらく機嫌が悪いじゃねぇか、えぇ? まさか昨日の事を、まだ引きずっているわけじゃあるまいに」

「……なんだと?」


 結果は最悪だった。サコンはあろう事か、最も触れてほしくないものをわざわざ掘り返してきやがったのだ。挑発じみたサコンの視線を、俺は強く睨み返した。


「図星か、えぇ? 呑気に朝飯なんぞ食いやがって。もう少し繊細な奴だと思っていたが、どうやら随分と図太い神経の持ち主なんだな、お前さんは」

「どうとでも言うんだな。あれは不幸な事故さ。俺が何をしようが、誰を助けに行こうが、どっちにしろ子供は助からなかった」

「てめぇ、本気で言ってんのか!?」


 サコンが大声を張り上げたかと思うと、俺の胸倉を掴み、乱暴に俺の体を引き寄せた。周囲が静まり返る。いつもの二人が煽り合っているという雰囲気ではない、というのは、あたふたと手持ち無沙汰になったトングを片手に、パニックになっているジョウを見れば明らかだった。


「人の死を軽んじるなよ……! てめぇは人の命を何だと思ってやがるんだ! 今度そんな口叩いたらタダじゃおかねぇ!」


 人に胸倉を掴まれ、声を荒げて何かを訴えられる事に、俺は既視感を覚えていた。そしてその行為が、昨日もされた事だと気づくのに幾許もかからなかったが、呆然と立ち尽くす以外に何もできなかった昨日と決定的に違うのは、俺がある程度の論理を組み立てて、言葉にするくらいの心の余裕がある事だ。


「へ、軽んじてるのはどっちだよ」

「なにぃ!?」

「俺が本気で両方の命を救えたと思ってんなら話は別だがな、死んじまった人間を仮に救うとしたら、その時点でお前は、()()()()()()()()()()()()()()()。違うか?」

「屁理屈こいてんじゃねぇ! てめぇ、自分が正しい事をしたと思ってんのか!? 子供の命とじじいの命、未来があるのはどっちなのかわかって言ってんのか!?」

「よせよ、サコン。人の命はいつだって平等だ。俺は一つの命を救う事ができた。だが、それが俺の精一杯だったってだけだ」


 俺は怒りに満ちているサコンの眼を静かに見つめて言い返したが、その言葉はおそらく、誰よりも自分自身に言い聞かせたものだった。

 声に出せばちょっとは気が楽になるかと思ったが、案外そうでもなかった。効果があったとすれば、俺の胸倉を掴んでいたサコンの手の力が弱まったくらいだった。


「……俺はお前さんを買被り過ぎていたようだ。常識もわからない最低な野郎だよ、お前さんは」

「へ、そうかい。あんたがそう思うならそれで結構。だからこの手を離せ。ギブアップだよ、ほら。服が伸びちまう」


 俺はサコンの腕をポンポンと軽く叩き、体が解放されるのを促した。


「……ふん」


 サコンは俺を突き放し、椅子に座ってハンチング帽を深く被り直した。

 事の一部始終を見ていたギャラリーが、時が動き出したかのように何事もなく活動を再開する。慌てふためいていたジョウもほっと胸をなでおろし、いつも食べている大盛りのサラダをよそい始めた。

 一向に腹の減らない俺は諦めて、マザー・トードには悪いと思いながらも、食堂を後にしようと踵を返した時だった。


「おい、レン」

「何だよ、まだ文句あんのか?」


 サコンに呼び止められ、俺はかったるそうにそう言って振り返った。サコンはハンチング帽のつばに指をかけたまま、言葉を続けた。


「やっぱりお前さんは最低野郎だよ。食いもんを粗末にするなんざ、いくら神が寛大でも見逃しちゃくれねぇぜ」

「あんたにくれてやるさ。そうすりゃ俺も救われる」

「け、シュガートーストにオレンジジュースとは、何ともセンスのない組み合わせだ。糖分が多すぎて糖尿病になっちまう。まったく、何にもわかっちゃいねぇよ」

「ぬかせ」


 俺は再び踵を返し、食堂を後にした。

 結局、何しに食堂に来たのかよくわからなくなったが、寝起きの悪い俺にとっては丁度良い眠気覚ましになったのかもしれない。奴が何を言いたいのか、何を俺に伝えたかったのかは考えを巡らせなくてもわかっているつもりだ。ただそれを否定しなければ肯定もしない。人が何を信じて生きていこうが、何を善しとして仕事をしようが、そんなのはその人の勝手だ。


 人の命はいつだって平等である。それが俺の唯一の揺るぎない答えだ。


 言葉にしなくとも、既に心に誓ったそれを再確認するなど俺らしくもない。やれやれと思い、部屋に戻ったらポォムゥがまたキンキンする声でしゃべり倒してきやがった。頭痛が治ってないから後にしろと言って、俺は頭を押さえたが……。


 ……頭痛はいつの間にかなくなっていた。

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