8-3 feel so bad
俺はサコンの持つ封筒に目を向けた。
「で、サコン。その茶封筒には何が入っていたんだ?」
「お前さんも鈍いねぇ。まさか自警団の連中が、当てずっぽうで俺たちを待ち構えていたとでも? そりゃあ、ちとナンセンスだな」
止め処なく汗を流す中年を横目に、俺は思考に意識を傾けた。そしてすぐに思考は一つの仮説へと導かれる。
「……内通者がいる、てのか!?」
「その可能性がある、という事でしょうな。サコン殿の言う通り、今回の一件を偶然と捉えるには、奇跡と呼ばれるものを数回起こさなければならない。その奇跡が偶然ではなく、必然的なものだと考えれば――」
「仮説は仮説でしかない。クロかシロかを証明するためには、しらみ潰しに調査するしかないだろうよ。その調査依頼が俺のところにきた、というわけだ」
目を見張るほどにサコンとケイスケは冷静だった。素っ頓狂な声を上げた俺が馬鹿みたいだ。それを恥じるより前に、サコンが俺に紙を渡してくれたのは幸いだった。その紙を一枚ずつめくってみると、見覚えのある顔ぶれの写真が並んでいた。
「これは?」
「茶封筒の中に入っていた。今のところ、シロだとは言い切れない者たちのリストだ」
「ちょっと待て。その言い分だと、少なくとも俺とサコンとケイスケは、シロと判断されているっつー事か?」
「レン殿、我ら三人、何か共通点があると思いませぬか?」
あらぬ疑いをかけられるのも癪だが、勝手にシロと判断されてもそれはそれで微妙な感じだ。ケイスケが言うには、ここにいる三人に何か共通するものがあるらしいのだが……。今回は思考を巡らせるまでもなく答えに行き着いた。
「……なるほどな。『ならず者』か」
日常的な道具から戦争に使われる兵器に至るまで機械の自動化が進む昨今、地雷撤去もその波に揉まれて随分と撤去の自動化、簡略化がなされてきた。今ある科学技術の粋を集結させれば、何だったら一週間とかからずにサヘランに蔓延る地雷を殲滅できる事だろう。
それがなされていないのは、やはり化石燃料が枯渇寸前の現状の所為なのは間違いない。マインローラー、指向性電波、衛星レーザー等々、どれも地雷撤去には効果的ではあるものの、それらの運用には全て、天文学的なコストが必要となってしまっている。それこそ世界経済がぶっ壊れてしまうほどのだ。まあ、今現在でもバランスを保っているかと聞かれると首を傾げてしまうが。
何にせよ、そういう経緯があって地雷掃除人という奴等の需要が増えて、俺たちがせっせと目の前の地雷を片づけてメシを食っているという現状がある。その地雷掃除人の中でも、とりわけアナログな方法で仕事をしている者たちは『ならず者』と呼ばれている。ちなみに俺はそう呼ばれる立場にある。
アナログな方法、つまり、わざわざ自分の足で地雷のある所まで出向いて撤去するという事。撤去の仕方は道具によるが、手前の命を懸けて作業を行う事がこの愛称に由来する。誤解してほしくないが、これはあくまで皮肉を込めた愛称であって、蔑視の称号ではないという事だ。それを根拠に、離れた位置から機械などの遠隔操作で地雷撤去する者たちの事は『臆病者』と呼ばれている。どちらも口の悪い掃除人達から生まれた愛称なのだ。
少し説明が長くなったが、俺とサコン、そしてケイスケは『ならず者』と呼ばれる共通点があった。そしてその共通点は、俺たちが内通者でないという事を決定づける要因なのだ。
「そう。スパイであろう者が、地雷に近づいて撤去するなんて馬鹿な真似、しないという事よ。悔しいが一理あるわな。『ならず者』の面々で極秘裏に調査せよ、との事だ。つくづく泣けるぜ、己の引きの悪さにな」
「にしても、ろくな判断基準じゃねぇな。俺たちの身分調査もたいしてせずによぉ」
ドラム缶風呂に入った『ならず者』の二人が揃って当てのない皮肉を口に出す。俺が言った皮肉は図らずもケイスケに拾われてしまった。
「ご安心を。我らは事前に徹底的に調査されたようです。それこそ我らの出生記録から、仕事に向かうまでの車内の会話まで、念入りに隅々と」
「……ああ、そう」
何もやましい事はしていないが、気分の良い話でもない。ただ、俺の素性を調べた人には気の毒だ。酸いも甘いも経験してきた人間の経歴ならともかく、こんな変哲のない人生を歩んできた俺を調査する羽目になるなんて、同情するぜ。
ぱらぱらとサコンに渡された紙をめくっていると、そこに身近な人物の名前が目に留まる。Conrad Williams、そしてLevia Hungという名前だ。
「『臆病者』の面々と……。おい、コンラッドとリヴァイアの名前もあるじゃねぇか。てか、リヴァイアも『ならず者』だろうが。何でリストに入ってるんだ?」
「無口だからな、あいつは。自分の部屋で何してるかわからねぇし」
サコンの言う事に反論はできなかった。『臆病者』のコンラッドは別として――彼が内通者だとは微塵も思っていないが――リヴァイアはここにいる俺たちと同じ『ならず者』、地雷を近接撤去する方法を取っている数少ない人間の一人だ。
だが、リヴァイアが疑われる理由は何となくわかる。バンダナで口を覆い隠す風貌も、自室に籠りがちな体質も、怪しいと言われれば否定はできない。ただ、彼の代わりに弁明しておくと、口を覆うバンダナはサヘラン特有の煩わしい砂埃対策で、自室に籠っているのは趣味で飼っている熱帯魚の世話をしているからだ。奴の部屋を漁ったところで、熱帯魚の餌しか出てこないのが関の山だろう。
加えて、リヴァイアは地雷を不爆撤去できる数少ない人物でもある。スペシャリストだけが集う地雷掃除人の中でも希少価値は高い。確固たる証拠はないが、リヴァイアが内通者だとは誰も思っていないはずだ。それでも素性を探りたければ、どうぞご自由にという感じだ。リヴァイアが俺より抑揚のある経歴だといいけどな。
サコンに手渡された紙媒体のリストが最後のページを迎えた。とりわけその最後のページには、でかでかとわかりやすくperson under surveillanceと書かれていた。その文字の下にある写真の人物に、なぜか挑発的な態度すら感じられる。非現実的な桃色の髪、ご自慢のバストではち切れそうなオペレーターの制服。360度、どの角度から見ても俺とパートナーの契約を結んでいる女性だった。
深い溜息で立ち昇る湯気をまき散らす。同時に、俺はかぶりを振ってぼそりと呟いた。
「……なぁ、サコン。どうしてうちのオペレーターがリストアップされているんだ? しかも要注意人物の項目に」
「俺に言わせる気かね? 彼女がシロと断定できなかった、ついでに不可解な行動が他の人間より多く見受けられた、と考えるのが普通だと思うんだがね」
「馬鹿らしい。確かにルゥのやつは何考えてるのかわからねぇ、パートナーの俺でさえもな。だけど、あいつはそういう類の人間じゃない。ただちょっとミステリアスで、甘いものが好きなオペレーターなだけだって」
「敵の信用を得て油断させる、というのは内通者の常套手段でもありますゆえ」
「ケイスケ!」
自分でも驚くらい、俺は声を荒げてしまった。それでも眼前のケイスケはぴくりとも動揺せず、薪の燃え上がる様をじっと見続けていた。
「拙者とて、ルゥ殿の事を内通者だとは思いたくありませぬ。直接関わりがないとはいえ、これまで作戦を共にした仲間ですから。だからこそ、彼女や他の人間の潔白を証明する必要があるのです」
「もしも、だ」
額に汗を浮かばせるサコンが続ける。
「もしも仮に、彼女が本当にサヘランのスパイだとすれば、お前さんの言動は事細かくチェックされているだろう、えぇ? レンさんよぉ。何せ地雷撤去のスペシャリストだ、あちら側にとって、お前さんは厄介極まりない人物だろうて。何かあるとすぐに、彼女からすぐに連絡が来るのは俺でも知ってるぜ?」
ルゥは俺たちと共にずっとS・Sに滞在しているわけではない。サヘランの隣国、ギズモにある本部に戻って俺のオペレーターを務めている事がほとんとだ。それでも互いに仕事に支障を来たす事はなかった。ルゥの俺に対する連絡の徹底ぶりは周りの人間こそが知る。俺にとっては面倒くさい事この上ないのだが。
「壁に耳あり障子に目あり、てな。あいつ絶対、俺の服のどこかに盗聴器かなんか仕掛けてやがるんだ。そうとしか考えられない連絡の早さだからな」
「そうだ。だからお前さんを脱がせる必要があった」
「なにぃ?」
俺は冗談めいた口振りでおどけようとした。だが、サコンの話す言葉のトーンは思いの外真面目なものだった。
「老いぼれジジイの奇妙な余興に巻き込まれて、嫌々露天風呂に入る事になったパートナー……。そういう演出をして初めて、彼女の眼を欺く事ができると目論んだのさ、上の連中は」
「チッ、そういう事か……」
舌打ちは必然だった。この大掛かりなドラム缶風呂とそれに関わる人物たちは、全て仕立て上げられたものだったのだ。『ならず者』を集めさせる事、そしてルゥの眼――いや、耳と言ったほうが正しいか――を欺くための仕掛けだ。
ケイスケの国のヘンテコな文化に雑食のサコンが興味を持ち、若輩者の俺を半ば強制的に誘うという台本だという事か。ならば俺自身も、大根役者として上の連中の手の平で踊らされたわけだ。クソ面白くもない。
「なぁ」タオルで汗を拭って俺は訊ねた。「それなら素人の俺たちにやらせるより、本部の連中が抜き打ち調査でもやればいいんじゃないのか?」
「レン殿、抜き打ちは抜き打ちでなければならないのですぞ」
「あ? どういう意味だ?」
不機嫌な態度で接する俺に、ケイスケは依然平静さを保って答える。
「あまり考えたくはありませぬが、万が一ルゥ殿が内通者だとするならば、抜き打ち調査をするという事前情報を掴んでいるか、または抜き打ち調査をされてもボロが出ないような対策を取っているはずです。計算高いあの御方ならば」
「だから俺たちに求められるのは、抜き打ち調査のさらに上。ニンジャの如き隠密の所業なのよ、これがな」
ケイスケに便乗して、聞いてもいない返答をサコンがよこした。まったくどいつもこいつも、皺くちゃの難しい顔してる割には肝心な事がわかっちゃいねぇ。腹立たしさを前面に出して、俺は彼らに向かって嫌みったらしく言ってやった。
「さっきから聞いてりゃあ、サコンもケイスケも両方、どうしてもルゥのやつがスパイで間違いないかのような口振りだな。こうも大袈裟だと、まるでルゥをスパイに仕立て上げたいがための話にもみえる」
俺たちは雇われの身だ。だからと言って金銭による契約だけで信頼関係は結ばれっこない。地雷掃除人もオペレーターも、互いに信用してこそのパートナーだ。別にこれは俺たちだけの話じゃない。ビジネスにおける関係なら全部おんなじだ。腹の探り合いなんかやっているようじゃ、到底信頼関係などは得られない。
疑うっていうのはそういう事だ。人に背中を預けられない奴が、目の前にある地雷の撤去に専念できるかよ。『ならず者』ならなおさらだ。サコンもケイスケも、そんな邪念を持ちながら仕事をしているのだとするならば、呆れを通り越して笑いが出ちまう。
ルゥがスパイだって? 笑わせてくれる。あいつが、あいつがそんな事するわけない。あいつが俺に課す一日の地雷撤去の数のノルマは確かに恐ろしいが、それは俺の事を信用している証だ。スパイなら一日でも進ませぬよう画策するはずだ。それに、身内を疑われて良く思う人間なんかいるものか。ルゥは身内だ。味方だ。国連が用意した上等なオペレーターだ。あいつがスパイであるはずが――。
パチパチと薪が燃える音だけが耳に届く。ぐるぐると同じ言葉が俺の頭の中を巡っている。決して長い時間ではなかったが、それはとても露天風呂に入っているとは思えないほどの苦痛な、そして気持ちの悪い沈黙だった。
やがてしびれを切らしたように、ケイスケが口を開いた。
「レン殿、某とサコン殿はどちらも――」
「わかってる」しかしすぐに俺が割って入った。「わかってるよ。あんたらは最悪のケースを想定して行動している。賢明だと思う。俺のほうがどうせ頭でっかちなんだろうさ。俺が傀儡のように依頼を受ければ、それで済む話なんだろう? やってやるよ、毛ほども納得していないがな」
「……仲間を疑うなんざ、俺だってしたくはないわい。わかってんなら偏屈をこじらせるんじゃねぇよ、ばかたれが」
「ぬかせ、クソジジイ」
二人の『ならず者』が、互いに罵りの言葉を吐きだし合う。
額から大量の汗が肌を伝って下りてくる。不快な感覚だ。それを振り払うように両手でお湯を掬って顔にかける。風呂は身体に不必要なものを排出してくれるが、行き先のわからない感情までは取り除いてくれなかった。
誰が悪いのか。解決策はあるのか。そもそも解決できる問題なのか。俺は今後、どういった行動を取るべきなのか。のぼせた頭では、ベストな方法どころかベターなものさえ浮かんできやしない。罪のないサヘランの星空を仰いで、俺は今の正直な心情を呟くのがやっとだった。
「面倒な事になったな……」




