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地雷掃除人  作者: 東京輔
第8話 Vertraulich ~隠密~
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8-1 一夜限りの

 形から入るという言葉があるが、俺はそれがあながち間違いではないと思っている。プロのアスリートなんかを注視していると、そこに彼らがよく行う動作――癖、とうべきか――がある事に気がつく。ピッチに立った際に勝利の女神に祈ってみたり、サーブを打つ前に必ずボールを地面に三回バウンドさせたり、プレー中とは関係のない、一見すると意味のない行動のようにも見える。

 しかし実際には、それらは彼らにとって欠かせない動作であるのは言うまでもない。癖というのは言い換えればその人のリズムであって、それなしだと体のどこかが狂ってしまう。まぁ、本当のところは違って、リズムが狂ってしまいそうなのを恐れている、のだと思う。悲しいかな人間という生物は、思い込みという質量を持たないものに大きく依存しているのだ。


 だとすれば、俺が鏡の前に立って、どこかおかしなところがないかと確認するのも、欠かせない動作だと言える。サッカー選手たちが髪型をバッチリ決めて試合に臨むのと同じだ、どうせ汗でぐしゃぐしゃになっちまうのに。きっとそこには、彼ら特有のリズムがどこかに隠されているのだろう。

 顔を洗って髭を剃って、白い無地のワイシャツに袖を通す。タイを締めて良い生地のスーツを着用すれば、男なら誰だって身が引き締まるものだ。インテリぶって眼鏡なんぞもかけるとなお良いが、生憎それらしきものは『土竜眼(モール・アイズ)』しか見当たらない。

 『土竜眼』は地中の地雷を可視化させる俺だけの商売道具なのだが、残念ながら今日は

出番なしなのでお休みしてもらう。『土竜眼』だけじゃない。お気に入りのトレンチコート風の作業着も、質の良い革製のブーツも、地雷を無力化する兵器『液体窒素剣(シュネー・トライベン)』も、これから向かう任務には不必要なものだ。

 ……あ、でもミニポムだけは連れてく。ウルフに持ってこいと言われたからな。


 時刻はちょうど午前一時。ルゥがコーディネートしてくれた正装に身を包み、新品同様に黒光る革靴を履いて部屋を出る。そこには既に、俺と同じくスーツを着た男たちが待っていた。


「珍しく準備が早いじゃねぇか。俺が最後なんてな」

「あたぼうよ。五分前行動がプロの掟だ。時間ぴったりに来るひよっこのお前さんにはわからんかね」


 相変わらずの悪態をつくのはサコン。彼もいつものボロっちい作業着ではなく、漆黒のスーツを着用している。醜く弛んだビール腹は上手い具合に上着で隠れ、その恰幅の良さのせいでデキる男感を演出している。不敵な笑みとオールバックに仕上げた髪型が噛み合って、なかなかに良い味を醸し出してやがる。くたびれたハンチング帽を被っている口うるさい上司とは思えないほどに、だ。


「ぬかしやがれ。本物のプロの前で出しゃばってると、後で痛い目見るぜ」

「……これだけは言っておく。プロは必要以上に口を開かない」


 そう言って俺とサコンを咎めたのは本物のプロ、ウルフだ。

 筋肉で固められた細身の体格。鋭利な刃物のように鋭い黄色の双眸。闇に染まった静かな佇まい。ただ一つ、野性的な銀髪だけが己を主張するパーツとなっている。それがウルムナフ・コーガンと呼ばれる男の姿だ。

 スーツで身だしなみを整えているだけあって、ナンバーで呼ばれるどこぞの潜入捜査官を彷彿とさせる格好良さだ。どこを切り取っても映画俳優、もしくはゲームの主人公のそれと遜色ない佇まいで惚れ惚れとする。願わくば彼を操作して物語を進めたいところだが、残念な事にこれは現実。プロであるウルフの後を、素人である俺とサコンがついていって任務を遂行するのが今すべき事なのである。


「う~ん! すっごいワクワクしてきたッス! やっぱり人生はこうでなくっちゃ始まらな――ひぎゃっ!?」

「ばかたれ。ウルフの言う事聞いてなかったのか」

「ウルフさんよぉ、ジョウはお荷物だと思うんだがね。それでも連れて行くってのかい?」

「それを言うなら、俺は三人分のお荷物を抱えている事になるな」

「うぅ~。ウルフさん、けっこう辛辣ッス……」


 俺の正義の鉄槌(という名のデコピン)を食らって弱々しい声を漏らすのがジョウ、俺の後輩だ。こいつもまた、下ろし立てのスーツを着ていた。というよりは、スーツに着せられているという言い回しのほうが正しいかもしれない。これほど紳士服が絶望的に似合わない輩というのもそうそういないだろう。顔立ちや体格が年の割に幼く見えるが故、ジョウを見ていると学芸会でもおっ始まるのかと勘違いしてしまいそうだ。


「なぁ、今からでも遅くないぜ、ウルフ。考え直してくれないか? 絶対お前一人で行ったほうがいいって」

「は、ここまで来て怖気づいたかね。みっともねぇ」

「ジジイは黙ってろ。俺はウルフに聞いてんだ。なぁ、ウルフ?」

「ここまで念入りに準備を重ねてきたんだ、何も問題はない。賽は投げられた、覚悟を決めろ、レン」

「だが……」


 形から入ったのはいいものの、俺は未だ決意を渋っていた。だってナンセンスだ。誰が何と言おうと、俺の職業は地雷掃除人であって、それ以上でも以下でもない。契約書にも全部目を通してサインした。今日これから実行しようとしている任務は、契約書にはない内容で、正直俺の管轄外だ。だけど、それは俺自身が解決しなければいけない問題なのも確かなのだ。


「レンさん、もう後には退けないッスよ」

「そうさね。あの方はお前さんのパートナーだろうが」

「ルゥにかけられた疑惑、その疑いを晴らすためだ。気を強く持て」


 三方向からエールを送られるが、ジョウとサコンの表情には他意があるようで、にへらとにやけてやがる。まぁ、他意がなければ、こんな深夜に紳士服でこそこそするなんて馬鹿な真似、できやしないだろうけど。ウルフの愚直な真剣さだけが俺の良心だ。

 全ての元凶は彼らが言うように、俺のパートナー、ルゥの所為に他ならない。彼女のいささか度が過ぎたミステリアスさ故に、サヘランから送られたスパイなのでは、という疑惑をかけられているなんて馬鹿げている。今からでもドッキリでした、と言われても頷いて納得するくらいだ。

 だが、現実とやらは無情なもので、ドッキリの通達はこの状況になってもやってこない。つまりはこれが、契約書に載っていない大真面目な仕事だという事を意味している。全くもって面白くない。俺はかぶりを振っておどけてみせるのがやっとだった。


「よせよ。やんなきゃいけないって事はわかってる。俺が心配してんのは、その後の事さ」

「その後の事?」

「もしもルゥが何でもなくて、俺たちの存在がばれちまった場合だよ。おしおきで済めばいいんだがな」

「どんな辱めを受けるのか、想像するだけで気を失いそうッス……」


 それまで頬を緩ませていたジョウが、一瞬にして暗い顔をして身震いをする。

 そう、俺の告げた『もしもの話』が現実になったら、それはそれで生き永らえる事は困難だ。……というのは脚色が過ぎるが、断罪を受けよと言われたらそれまでだ。俺たちがこれからやろうとしている事は、傍から見れば下賤な背徳行為でしかないのだから。

 震えるジョウとは対照的に、サコンは余裕綽々といった感じで口角を上げる。


「やる前から失敗の事を考えるのは三流のする事よ。成功させるための準備をしてきたわけだ、後は大胆に実行すりゃあいいだけさ。……それに、嬉しい誤算もあるかもだしな」

「サコン、嬉しい誤算て何ッスか?」

「そりゃあお前、本来男が入る事のできない場所に足を踏み入れるわけだ。そうとは知らないレディ達が、一糸纏わぬ姿でお出迎えしてくれるって事もありえる」

「はうあッ! 考えてみればそうッスね!」

「だから、大声を出すんじゃねぇっての」

「ここで立ち話をしている時間はない。……ここからは頼むぞ」


 呑気に話すジョウとサコンに、ウルフが緊張感を走らせる。これ以上は一言もしゃべるなよ、と優しく忠告するように唇に指を当てた。おしゃべりのジョウもそれに従い、『口にチャック』のジェスチャーを行う。

 静まりかえる廊下を、軋みの音を出さないように慎重に歩を進める。一旦建物の外に出た俺たちを待っていたのは、遮るものが何一つないサヘランの星空。少し前までは流星群も見ることもできたが、今はもうすっかり落ち着いている。

 感傷に浸っている場合ではない。まず目指すのは、ここから道を隔てた場所にある、俺たちが拠点とした所ではいくらか外観がマシな建物だ。壁が薄くて隣の部屋の音が聞こえるとか、シャワーが共同で使いづらいとか、そういう類の心配を一切しなくていい場所。だからこそ、俺たちが寝泊まりする場所とは段違いにセキュリティも頑丈だと断言できよう。

 それでも、男たちは真夜中の荒野を往く。少なくとも俺は往く理由がある、道理がある。パートナーの女性には、いつも世話になっているから。


「さしずめ、俺たちゃ一夜限りのジェームズ・ボンドってところか……。いいね、悪くない」

「聞こえはいいが、潜入するのが()()だなんてな」


 誰からも気づかれず、誰からも悟られる事なく任務をやり遂げる。いや、やり遂げなければならない。なぜならば、そこは男子禁制の秘密の園、オペレーター達が仮住まう女子寮なのだから。

 形から入った紳士服は、闇に紛れるためのせめてもの迷彩代わり。懐に隠し持っているのはミニポムくらいで、『液体窒素剣』も『土竜眼』も装備していないのは心細いが、役に立ちそうもないので致し方ない。


「無駄話はそこまでだ。何かあったら合図で知らせること。いいな?」


 眼光鋭くウルフは言い放った。事前に用意した簡単な合図。相手の肩を一回叩いたら『話す』、二回叩いたら『待て』、三回ならば『ヤバい』。これだけでコミュニケーションが取れるかどうかは謎だが、潜入のプロであるウルフが命じたのだからおそらく大丈夫なのだろう。

 俺はふと、ガキの頃を思い出す。男の子なら一度は想像する、女性の部屋に忍び込むという背徳的行為。そこでなんやかんや起きてしまうラッキースケベ的なハプニング。そういう事態に巻き込まれないかな、という安直で楽観的な妄想をしていた事を。

 大人になった今、その背徳行為を強いられるとは夢にも思っていなかった。ここまで歩んできた人生でも、そしてこれから歩んでいく人生でも、おそらくたった一度きりの体験であろう。願わくば、これが後になって武勇伝なり笑い話になってくれると思いたい。



 真夜中に、男四人が、紳士服で、男子禁制の女子寮に、本気の潜入を試みる……!


 しばらく更新しておりませんでした(汗)

 第8話は楽しく書けていけたらいいなと思っております。

 よろしくお願いします。

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