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地雷掃除人  作者: 東京輔
第7話 Sternschnuppe ~流星~
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7-14 大出現


 サヘランの夜は寒い。

 植物の存在を許さないほどの乾ききった大地では、日中に浴びた太陽の熱もすぐに放射され、吐く息が白くなるくらいまで気温が下がる。前もって厚手の上着を羽織ってきたとはいえ、俺に身震いを起こさせるには充分な気温だった。

 眼前には闇に濁る砂利と礫と、歩を進める自分の脚だけが映る。たまに足元が明るくなったり元の暗さに戻ったりするのを見る限り、頭上ではおそらく流れ星がいくつも降っているようだ。だが、俺とパールは黙々と目の前の丘を登っているだけだった。


「外に出ても空を見ちゃダメだぞ。せーので一緒に見ようじゃないか」


 そう言ったのはパールだった。うっかり承諾してしまったのを今は後悔している。下を向きながら丘を登るというのもなかなかにしんどい作業だ。目的地である丘の頂をふっと見上げそうなのを何度堪えた事か。少し上擦った師匠の声が背中に届く。


「レン、まだだぞ。まだ見上げちゃダメだからな」

「わーってるって」


 俺は適当な返事を返す。これでもう何度目の忠告だよと、そう胸の中でぶつぶつと文句を言いながら。楽しみは最後に取っておくという考えは大いに賛同するが、今俺達がやっている行為はいささかマゾ染みている。減るもんじゃないという言葉があるが、今見ようとしているのは()()()()なので、俺がそう考えるのも致し方ない。

 五分ほどかけて勾配を登りきった頃には息も上がり、吐く息は白いままだが多少汗ばむほどに体温も上がっていた。それでもまだ、俺の目線は真下を向きっぱなしだ。


「さぁ、準備はいいか、レン?」

「とっとと言ってくれ、例の言葉をよ」

「よし、いくぞ。せーのッ!」


 パールの一際上擦った声を境に、俺達は一斉に顔を上げた。

 刹那、眩い光が視界に飛び込んでくる。光はキャンバスに一筆入れたように尾を引いて、俺が感嘆の声を上げる前に跡形もなく夜空の闇に溶けていく。感傷に浸る時間さえなかった。広大な暗色のキャンバスに描かれる光は、その一本だけではなかったから。

 いくつもの星座を模る夜の宝石たち。負けじと存在を主張して光り輝く、南西に浮かぶ小望月。それらに幾重もの発光する直線が書き足されては消滅していく。頭上を蔽う天体は洗練された絵画のようでありながら、未完のままの傑作なのだと思い知らされる。流星は人々の想像上で筆の行くまま描かれて、ありもしない完成への軌跡を辿る。それ故に、天文現象の中でもとりわけ優美で儚く、真に神秘的なものなのだと。

 大出現。数多の宇宙の塵が大気との摩擦で散りゆく現象を、俺達は目の当たりにしている。手を伸ばせば届きそうな砂漠の夜空、指を振ったら魔法のように星が流れるその下で。


「すごい……。これが流星群なのか……」

「ふわ……すげぇ……。たぶん俺、一生分の流れ星を見てる……」


 パールも俺も、一瞬でその宇宙の神秘の虜になってしまっていた。全天のプラネタリウムに圧倒されて、それ以上の言葉は何も出てこない。宇宙飛行士になりたいなんて思った事はないけれど、今なら彼らの気持ちがわかるような気がする。地球の重力に逆らってまでも、星の海に飛び込んでいきたいその気持ちが。

 天体観測なんざ金持ちの道楽なんて思ってた俺は馬鹿だ。もしも時間を巻き戻せるのなら、先日の朝のジョウに詫びを入れたい、俺が間違っていたと。流星群は人生で何回も見られるもんじゃないから、何が何でも絶対見とけと。違う場所でこの降りしきる星を眺める彼らは何を思うだろうか。願い事の一つでも祈っているだろうか。かけがえのない時間を共有する喜びを、俺は密かに噛み締めていた。これも宇宙の神秘の成せる業、皮肉屋の俺をも素直にさせちまう、圧倒的な絶景の所為に他ならない。


 しばらくの間、俺とパールは飽きる事なく降りしきる流れ星を眺めていた。地面はごつごつとした硬い石ばかりだったが気にも留めず、丘の傾斜に寝そべって天然のプラネタリウムを楽しんだ。こうも数珠つなぎに流れ星が降るのなら、どんなに長ったらしい願い事を祈っても叶うんじゃなかろうか。……いや、きっと流れ星一つに対してのまじないだから、それはさすがに無効だよななどと思いめぐらす。


「なあ、レン」


 そうしていると、パールが俺に声をかけてきた。そちらの方に顔を向けると、パールは傾斜にある平らで大きな岩に腰を下ろしていた。流星の光に照らし出されるその姿は、何物にもたとえようのない美しさだった。


「なんだ?」

「どんな願い事をした?」

「子どもじゃあるまいし、今さら願い事なんか柄じゃねぇよ」

「もう、面白味のない奴なんだから」


 俺は口角を上げて、再び星の降る夜空を見遣る。まじないなんて気休め、なんて口走ったら色んな人が怒るだろうけど、そういう結論に落ち着いた俺はつまらない人間なのだろう。だが、こんな絶景を目の当りにしたら、腐りかけてた俺の童心が再び顔を出すのも不自然な事ではなかった。


「でも、そうだな……。とにかく全員無事で、早くこの仕事が終わりますようにってのは祈る価値があるかもな。どうせ後一年はこんな毎日が続くだろうし」

「そうだな。全員無事で……必ずそうしなければな」

「あぁ」


 俺は強く相槌を打った。サヘランの首都、ゾノへの道程は近いようで限りなく遠い。進路を阻む時代遅れの兵器を撤去しなければ、人類の未来は荒廃の塵にまみれてしまう。

 だけど、多少の犠牲には目を瞑るという思考回路にはどうやっても至らない。それは俺の師匠の考えに背き、彼女によって鍛え上げられた俺の考えにも背く。甘っちょろい考えと一蹴されてもその信念は揺るがない。目指すところが綺麗事でなければ、最高の未来にはなり得ないから。

 体を起こし、燦々と降り注ぐ流星を目の裏側に焼きつける。お前らみたいにそう簡単にくたばらねぇからなと、そう心に強く誓って。


 それが終わってまた夜空を眺めていると、ふとある事を思い出した。


「そういや、あんたは何を祈ったんだ?」

「わ、私か? 私は……」


 俺の師匠にしては珍しく、思ったように言葉を出せないでいた。言葉を選んでいるのか、はたまた濁そうとしているのか、視線は横に泳いで一点に定まらない。それはやがて瞼を閉じた事で落ち着き、パールは観念したように自身の願い事を口にした。


「……早く、結婚できますようにって」

「はぁ?」


 それは独りよがりな、いや、願い事なんて大概そんなものなのだろうけど、パールのそれは思っていた以上にストレートすぎて反応に困ってしまう。それ故、俺が素っ頓狂な声で聞き返したのはごく自然な事だった。

 パールは今になって恥じらいがやってきたようで、やや赤面しながら語気を強めた。


「師匠に向かってその顔はなんだ。私にとっては切実な問題なんだぞ」

「いや、そうかもしれねぇけど……。あんたの事だから、てっきり争いのない時代が来ますようにとか、そういうのだと思ったからさ」

「一人の人間が祈ったところで、どうにかなるものじゃないさ。常日頃から言及を怠らず、積極的に行動を起こさなければ何も変わらない」


 パールの言う事はもっともだが、俺は怪訝な表情で彼女に訊ねた。


「それ、まったく同じ事が言えないか? あんたの願い事によぉ」

「それは……また別の話さ。できれば叶ってほしいけど、ムキになって実現させるものでもないし……。淡い、儚い願い事だよ」

「はいはい」


 さらにパールをからかう事はできたが、それは自重する事にした。デリケートな問題を皮肉るのは俺の主義に反する。俺にとって皮肉はスキンシップであり、相手を非難するためのものじゃない。多分、パールの頭を悩ませている問題は、男の俺が思っている以上に繊細で深刻な悩み事なのだろう。三〇年に一度しか訪れない流星群に頼み込むほどの願い事。その重みは当人にしかわかり得ない。

 流星の大出現と遭遇する確率と、結婚相手に巡り合う確率はどちらのほうが低いのだろうか。そう考えている間にも流れ星は一つ、また一つと明滅の瞬間に生涯を終えているのであった。


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