7-7 液体窒素剣2
俺は黒いアタッシュケースをテーブルに乗せて、金具がついている部分に右手の人差し指を置いた。数秒後、ピピッという音と共に解錠される。俺の人差し指が鍵――簡単に言えば、こいつを開けるためには指紋認証が必要なのだ。
解錠されたアタッシュケースの隙間から、白い煙がブシューッと噴出される。最初にこれを見た時は、そりゃあ俺も興奮したもんだ。だが今となっては、その音は仕事が始まる合図であり、それほど高揚した気分にはなれない。
パールがアタッシュケースをゆっくりと開けると、白煙の奥底にしなやかな曲線を帯びた剣がそこにあった。俗に言う日本刀というやつだ。見た目的には従来のそれとほぼ変わらないが、用途はまるっきり違う。これは人を斬るための道具じゃない。これは地中に潜む地雷を撤去するためのもの――しかも不爆撤去ができるという、本当の話とは信じ難いとは思うが、マジでそういうふざけた代物だ。
不爆撤去を行う過程として、『液体窒素剣』には主に二つの機能が備わっている。
一つは地雷外殻をいとも容易に切断する振動剣。柄のちょうど人差し指がかかる部分に突起があり、それを押すと刀身が高速振動を行う。日本刀の切れ味は鋭いという話は聞いているが、振動剣はそれすら凌駕する切断性能を持っている。電柱のような厚みがあって堅いものでも、軸さえぶれなければスパッと切れるらしい。まぁ、やった事はないけれど。
もう一つは刃先から噴出される液体窒素。これは機能というより名称というべきか。刃先が何かを切断したと認識した瞬間、刃先の細い隙間から液体窒素を放出させるのだ。つまり、地雷の中にある信管を凍結させて、作動させぬようにするためのものというわけだ。もちろん、液体窒素が無限に入っているわけではなく、こまめに補充しなければならないのがたまにきずだが。
色々と改良の余地はあるが、ともかくこの二つの機能を以て、初めて地雷の高速不爆撤去を可能にした兵器――それが『液体窒素剣』なのだ。
科学の粋を結集させた代物故、こいつのメンテナンスは欠かさず行う必要がある。二つのうちどちらかの性能が失われてしまうだけで、こいつはただのガラクタになっちまう。日本刀にも地雷撤去道具にもなり損ねた、哀れなものに。
パールは重要文化財でも扱うように『液体窒素剣』を両手で持ち上げ、それから色々な角度からそれを調べた。鞘を抜いて、白銀に輝く刀身もひとしきり確認する。あれだけ俺が使い倒しているというのに、『液体窒素剣』は輝きを失うどころか、より洗練さを増しているように感じる。最近になって、手に馴染む感覚ができたのも一つの要因だろうか。
異常が見られないのがわかると、パールは刀身を鞘に収めてひとつ頷いた。
「……うん。見たところ不具合などはなさそうだな」
「当然だ。この世に二つとない代物だぜ? そりゃあ扱いも丁寧になる」
「これを使える人間も二人といないしな」
パールにそう言われ、俺は何となく恥ずかしくなって頬を掻いた。
『液体窒素剣』が優れた兵器かというと、それはおそらく論外であろう。こいつには致命的な弱点がある。扱う人間の危険性を計算に入れていない不良品なのだ。元々は国連の科学研究所が作ったもので、遠隔操作で動かす予定だったものの一部を魔改造して出来たものだそうだ。地雷撤去は繊細でかつスピードを求められる。遠隔操作で不爆撤去を行うには、科学の進歩があと少し足りなかったらしい。
で、結局人の手が必要になった『液体窒素剣』は使い手が見つからず、そのままおじゃんになってしまうっていうところに、一人の人間が候補者に上がったと。それがまぁ、レクトガン・シュナイドという地雷掃除人――つまり俺だったというわけだ。
他人事みたいに話しているが、当時素人だった俺が『液体窒素剣』を使いこなすには多くの時間を要した。血反吐はさすがに吐かなかったけど、反吐が出そうになるほど辛かったのは確かだ。特に、二の腕周りの筋肉をいじめるのはもう二度どごめんだ。
昔を思い出していると、横から耳にキーンと来る声が放たれる。
「ポォムゥを忘れちゃ困るぞ! ポォムゥはレンの地雷探知機だからな!」
「ふふ、そうだったな」
ポォムゥのウザい態度を、パールは微笑みながら見守っていた。そこで俺はようやく、頭の中で浮遊していたいくつかの疑問を口にする事ができたのだ。
「おいパール、そろそろ教えてくれよ。俺の道具を突然見にきたり、こいつの事知ってたり。『他者の信用を得るには、まず自分の用件を伝えろ』って、俺はあんたから学んだぜ?」
「私はこうも教えたはずさ。『行動は迅速であればあるほどよい』とな」
学校の先公の話なんか覚えていたためしがないが、パールの言っていた言葉はよく覚えていた。だけど、何か今は上手くパールにはぐらかされた気がする。
「『液体窒素剣』の件はドクトルに頼まれていたんだ。お前が杜撰に扱っていないか、点検しておいてくれと。確かに、ドクトルがお前のナイフとフォークの扱い方を見た時、相当不安がっていたからな」
「よせよ。もう昔のことだ」
ドクトルというのが、『液体窒素剣』を魔改造した張本人だ。俺しか扱えないようなへっぽこ不良品を世に出しておきながら、よくもまあ偉そうな事が言える。
「それに、これは私の道具と対を成すもの……。これなしでは私は役立たずだし、その逆も然りだ。自分で言うのも何だが、我々の活躍なしでは『必死地帯』を突破できない」
俺の目を見据え、確かめるようにして話すパール。口下手な俺にとっては、彼女の話す言葉の重み一つ一つが羨ましくもあり、僻みを言うのも諦めさせた。
サヘランが国中に巻いた地雷を掃除するにあたって、国連は当初それらを撤去する兵器を量産化しようとした。燃料枯渇による経済危機が危ぶまれる昨今の状況を鑑みると、妥当な判断だろうと思う。だが、時代に置いていかれた兵器だけあって、撤去しようにもすぐ爆発するわ威力は無駄にでかいわで、安価で使う人を選ばない便利な兵器の量産化というのは、なかなか上手くいかなかったらしい。
そこで国連は仕方なく、新しいものを開発する事だけが生きがいの、ある物好きに新兵器開発の依頼を申し出たのだ。古参の地雷掃除人の中でも、さらに特定の人間しか扱えないものでもいい。とにかく『必死地帯』に一筋の道を作り出す兵器を開発してくれと。
物好きの開発者――ドクトルが導き出した結論はこうだ。
遠距離から地雷を一掃するコスト度外視の兵器。そして、超至近距離での高速撤去が可能だが、扱う人間の命を度外視した兵器。その二つを組み合わせて利用する事で、無駄な時間を浪費する事無く地雷原を突破できるはずだ、と……。後者が俺の持つ『液体窒素剣』。そして前者がパールの、彼女だけの地雷撤去道具というわけだ。
パールが言った対を成すものというのは、そういう意味だ。どちらが欠けてもサヘランへの道が遠のいてしまう。それ故、『液体窒素剣』を扱う俺に負担がかかるのは当然だった。パールのほうは一発の威力がでかい分、要所要所で使うタイミングを選ぶ必要がある。つまり、それ以外は俺が出張って地雷撤去をせっせとやらなきゃいけないわけだ。
悲しい事に、貧乏くじを引くのは慣れているからもうどうだっていいけれど、今回のはさすがに骨折り損を通り越している気がする。まぁ、乗りかかった船だし、今さらやめる気にもなれないっていうのが本音でもあるが。
俺はいつも通りに、ひたすら地雷原を練り歩いていくだけだ。何も変わりはない。
「変なプレッシャーはかけないでくれ。そんな事は言われなくてもわかってる。地雷撤去に必要なのは、研ぎ澄まされた集中力ではなく――」
「全てを見渡す散漫な心……。それでいい」
肩を竦めておどける俺に、パールは微笑みながらゆっくりと頷いた。
散漫な心の状態。地雷原において、集中という行為は神経をすり減らし、毎日のようにそれを繰り返せばいずれは心も身体もやられてしまう。大切なのは、全方位に気を配るという、ある意味でもっとも集中していて、身体にかかるストレスを極力ゼロにした状態。それが散漫な心の状態だ。
「ポォムゥも必要だぞ!」
集中しようにも、ピンクい物体が視界でうろちょろしていればできるはずもない。
シュネー・トライベンとはドイツ語で「吹雪」という意味だそうです。
響きがかっこいいので、使わせていただきました。
パールの地雷撤去道具の登場に関しては、今しばらくお待ちください。