7-5 charisma
「紹介しますわ。こちらは機械技師のテスタロッサ・ワトソン。テッサと呼んであげてください。ちなみにテッサはパールの大ファンですのよ?」
「へぇ、知らなかった」
ルゥの淡々とした説明に俺は相槌を打った。
テッサやラッシ、それに他の掃除人達がパールの事を特別な目で見るのはわけがある。
パールワン・エテオ。世界のあらゆる場所で人道的支援を行う赤十字社の一員であり、また、地雷掃除人という職業を掛け持つ美しき活動家である。その慈母のような容姿と包容力から、何かとメディアに取り上げられる事が多く、特に国連が彼女を広告塔として用いるのをよく目にする。世論を敵に回しては、俺達の命がいくつあっても足りない。こんなに危険な職場でも極端に地雷の犠牲者が少ないのは、パールのおかげだと言っても過言ではない。
よくメディアで一時的に持ち上げられる有名人なんてのはごまんといるが、パールはそれに該当しない。彼女に対する心無い批評なんかも多く聞くが、それは実際に本人に会っていないからそんな事が言えるのだ。会ってみりゃわかる、パールは本物だ。落ち着いた物腰、それに見え隠れする女性らしさ、周りの人間を安心させる雰囲気。さして強烈ではないが、清らかなカリスマといえばそれらしく聞こえるだろうか。パールはそれを先天的に持っている。
そこらへんのタレントや政治家よりもずっとオーラがある故、パールを見た途端ラッシが奇声を上げたり、テッサが絶句したりするのは至極当然の事なのかもしれない。パールの弟子である俺にとっては、さすがに驚きすぎだろとツッコみたくなるが。
俺がパールの事を師匠というのはあくまで便宜上で、その言葉以上に俺達の関係を表すものがないからだ。地雷に関する座学も彼女から教わったし、お互い第一線で地雷掃除人として働いている。先生と生徒は何かしっくりこないし、やっぱり師匠と弟子ってのが合っていると思う。
だから、名の知れた大物にこうやって気兼ねなく会話できて、パールを生で見た人間の反応を間近で見られるというのは、俺だけの特権なのかもしれない。
未だ唖然としているテッサを微笑ましく見つめ、パールは耳にかかった栗色の髪の毛を優しくかきあげた。
「それは嬉しいな。若い娘に好いてもらえるのは光栄だよ」
「ほ、本物、なんですか?」
テッサは自分の目に映っているものがまだ信じられないようで、しかしその人物を食い入るように、口をぽかんと開けて凝視していた。その光景がまるで金魚みたいで、俺は思わず顔を逸らしてにやけてしまった。
「パールワン・エテオはこの世に一人しかいないよ」
「それよりテッサ。貴方、顔が煤だらけですわよ?」
ルゥは隣に誰がいようがいつもの態度は変わらない。それだけに、普段の様子からは考えられないテッサのあたふたとした感じは、すごく見応えがあって興味深くもある。指摘されたテッサは頬に手をやり、それとおでこ丸出しの髪型にも気づいたようで、倉庫の奥の部屋へと逃げるように消えていった。
「あ! す、すぐに洗ってきます!」
その場に残ったのはモジャ頭の男だけで、パールもそいつの方へと向き直す。隣にいたルゥが紹介を始めたのだが……。
「で、こちらの男性が……モップでしたっけ?」
「ラッシです、ルゥ殿! 『ッ』しか合ってないであります!」
「あら失礼。モップみたいな頭をしてらっしゃるので」
別にルゥはボケをかましたわけではない。仕事だけは抜かりなくこなす彼女が名前を覚えていないという事は、ラッシは彼女の管轄外の人間と解釈できる。まぁ、モップと言い間違えたのは多少の悪意があるのだろうけど。
ラッシはパールに向かって敬礼した。どことなく締まりのない、ふにゃけた敬礼に見えるのは俺だけだろうか。
「自分はラッシ・ヘンネルバリという者であります! パール殿のご活躍は、それはもう色んなところからうかがっております! 自分は単なる一兵でありますが、こうしてお会いできたことを大変ありがたく感じるとともに――」
「なげぇよ」
「と、とにかくよろしくお願い致しますでございます!」
「ああ、よろしく」
ラッシもやはり緊張していたようで、喋り方がいつもの変なのに加え、語尾さえもおかしくなっていた。そこはそういう人間なのだと察したのだろう、パールは特に何の反応もなく普通に接してあげた。
「お、お待たせしました……」
奥の部屋から、内気な少女の声が届く。いやちょっと待て。おかしいだろそれは。普段から年上の俺に敬語を使う事なんかありゃしないのに、その態度の変わりようはなんだ。
内気な少女と化したテッサは前髪を下ろし、小奇麗に顔を洗って再び登場した。肌のテカりは若さの証か。今度は眼鏡もかけており、体をもじもじとさせているものだから、内気さ度合いがいつも以上にアップしている。というか、いつもとキャラが違う。
腕の置き所が落ち着かぬまま、テッサは頬を赤らめてたどたどしく言葉を発する。
「すみません! 煤だらけの格好でパールさんのお出迎えだなんて……」
「構わないさ。それは働き者の証拠だ。それより……」
パールは一旦言葉を区切り、横に鎮座する一両の戦車と歯車の塊を眺めた。
「このマインローラー、君が作ったというのは本当か?」
「は、はい!」
「レンから話を聞いた時は、どんなアマゾネスが入ってきたのかと思ったが、まさかこんな可愛らしい少女だったとは。驚いたよ」
「可愛らしいだなんて、そんな……」
テッサはあからさまにデレデレした様子を見せた。よかった、俺がパールに吹き込んだ情報は全然耳に入っていないようだ。いつもなら絶対そっちに文句を言っているはず。俺がほっと胸を撫で下ろしていると、ラッシがモジャ頭をゆさゆささせて誇らしげに言う。
「マインローラーの操縦手は自分が務めているであります!」
「こんな状態にしたのもお前だけどな」
「ぐは」
「まぁ、生きていただけよしとしようじゃないか」
本来は笑って済ませられる話ではないのだが、パールにそう言われたら納得せざるを得ない。それに、他人のミスをうだうだと必要以上に責めるのも大人気ないってもんだろう。
『皇女』グロリアの耐久性が確かだというのも実証された事だし、パールの言う通り、犠牲となった命がなかった事を幸いと捉えたほうがいい。
「それと、テッサが『必死地帯』のルートを推選したという話も聞いている。マインローラーで突破口を開いたという話も」
言葉を続けるパールの顔を、テッサはうっとりと見つめていた。あれは乙女の顔だ。
「私も含め、ここの連中は頭の固い人間の集まりでな。説得には時間がかかっただろう? どんな魔法を使ったんだ?」
「それはあの、ウルフさんが……」
ウルフさん、だと!? さん付けで呼んだ事なんかないだろうが!
「ウルフが君の意見に賛同し、説得を手伝ってくれたと?」
テッサはこくこくと頷く。パールは考えるように口に手をやり、再び眼前の乙女に対して肩に手を乗せて言葉を贈った。
「なるほど。現在の膠着状態を打開するためには、君のような新風が必要だったのかもしれないな。テッサ、これからもよろしく頼む。どうせここの連中から、ろくな歓迎も受けなかっただろう? 私から改めて礼を言っておくよ」
「こ、こここちらこそ!」
「だが、一つだけ約束してくれ」
憧れの人にエールを送られて今にも走り回って喜びそうなテッサとは対照的に、パールは一段と低い声で彼女に告げた。少女の肩から手を離さぬまま。
「我々は侵略者や戦争狂ではない。犠牲を伴ってまで平和を勝ち取ろうとする行為は、およそ未来的じゃない。救助活動で世界中を回ってきたから私はわかるんだ。巻き込まれた人とその周囲の人間たちは、空の向こうの明日を見上げられない。皆、錆色に滲んだ過去に縛り付けられている。戻ってこない平穏に縋りつくかのように……」
それは重い言葉だった。
きっと平和なんて、犠牲やリスクの上にしか成り立たないものだ。平和だけじゃない、政治やスポーツ、ゲームなんかでもそうだ。総合的に安定の状態を求めようとすれば、それに見合う対価が必要になってくる。自然の摂理とも言い換えられる。
だけど、その対価――犠牲を受け入れられるほど、人は単純にできていない。不条理や理不尽を背負えば、人間は誰だってその境遇を嘆き、悲しみで途方に暮れてしまう。誰かや何かの食い違いのせいで家族が死ぬなんて、納得しようがないのは当然だ。
地球に埋もれたエネルギーを吸い尽くした哀れな生物の末路を、俺達は生まれながらに歩かされ、醜い争いが起ころうとする未来さえ見据えている。滅び行く運命すらも。絶滅の道も自然の摂理、ある種の正しいサイクルなのかもしれない。
だが、一人の女性がそれに抗い、人々の犠牲を出さない解決案を模索しながら活動している。重い言葉は彼女が言うから頷けるが、そんな綺麗事が全て叶うなんざ、卑屈な俺は思わない。でも、俺の行動が彼女の助けのほんの一欠片になるのであれば、それはきっと良い事なんじゃないかなと思う。
いつだったか、テッサに無茶な作戦を立てるなと言った事を思い出す。俺が伝えきれなかった犠牲の愚かさ、無血の精神を俺の師匠が今、代弁してくれている。
「だから、向こう見ずな行動は今後しないようにしてくれ。何よりも清らかな未来のために」
「はい、誓います」
そして、その思いは彼女の心にちゃんと響いたようだ。羨望と感動が混じり合う瞳には、潤いが溢れ出そうになっていた。
「……でも、結果的にテッサの勇敢な行動はプラスに働いてくれた。『必死地帯』に奥深く入り込んだ亀裂は、有効的に使わせてもらうとするよ」
「それって、もしかして……?」
瞳の潤いが枯れぬまま、テッサははっと息を呑んだ。瞳に映る憧れの人が悪戯っぽく微笑む理由。それをテッサは悟ったのだ。
「風穴を空けてやるさ。時代の動きを止める元凶、その馬鹿げた地雷の巣窟にな」
パールの声には優しさだけでなく、確かな力強さも宿っていた。風穴を空ける、か。まったく、俺の師匠はリップサービスも一流ときたか。まぁ、それが彼女の人気の理由の一つでもあるんだが、俺には到底真似できないな。
感極まってとろけた表情をするテッサを横目に、ルゥがどこまでも冷静な口調でパールに告げる。
「パール、ギズモ国の外務大臣との会談が控えています。そろそろそちらの準備を」
「おっと、もうそんな時間か。じゃあテッサ、私も今日はここの女子寮に泊まるから、気兼ねなく部屋に遊びに来てくれ。歓迎するよ」
「い、いいんですか!? 絶対行きます!」
声高に叫ぶようにして、テッサは返事を返した。パールは踵を返しながら、「チャオ」と言って倉庫を後にした。ルゥもパールと一緒に帰ってしまったから、倉庫には俺とラッシとテッサの三人が残った。
パール達の姿が消えた後、しばらくしてラッシが思い出したように独り言を呟く。糸目にも感動の色が見て取れた。
「す、すごいであります。生のパール殿はオーラがありました……。会話もしちゃったし、もう自分、いつ死んでもいいであります……」
「おい、だからって『必死地帯』にマインローラーで突っ込むなんて馬鹿なことするんじゃねーぞ」
「しないですよそんな事! その前にテッサ殿にボコボコにされるであります」
「ま、それも否めないよな……って。おいテッサ、お~い」
二人の野郎が近くで何を言ってようが、どうやら憧れの人と対面した少女の耳には何も入ってこないようだ。宙を彷徨う視線の向こうには、きっとまだパールの姿を思い浮かべているのだろう。テッサはうっとりと乙女の顔をして、パールに触れられた肩を抱いていた。
「パールさん、ステキ……良い匂い……」
「ダメだこりゃ」
強そう。