7-4 見えるかい?
拠点中央にある屋根の低い建物群。普段の生活でそこ以外の場所には出向かわないし、何より出向かう用事がない。整備された都市ならぶらぶらと足を運ぶのも悪くはないが、ここはそれとは真逆の廃墟ときたもんだ。肝試しなら普段の地雷掃除で間に合っている。
だから、俺があの倉庫に向かうのは数えるほどしかなくて、あまり良い思い出もない。そこでの直近の出来事といえば、生涯初のぎっくり腰を患って悶絶したという、どうしようもないものだ。
大きな溝の中に配置された石油採掘場の、唯一の入口の近くに倉庫群が立ち並ぶ。今はもう動いていないクレーンのような怪しげな機械――おそらく石油を取り出すためのもの――の先端の位置から把握して、そこからちょうど三十ヤードの倉庫。俺の空間把握能力は、こんな時にも効果を発揮するのだ。
そこからトンテンカンと、日曜大工を彷彿とさせる金属音が響いてくる。専ら最近のあいつは皇女の修理に追われているらしい。もっとも、俺が顔を出せばぎゃーぎゃーとうるさいのは目に見えているから、最近は顔を合わせてすらいないのだけど。
開放されたシャッターから顔を覗かせると、そこには一両の戦車とギザギザの歯車の塊みたいなやつが鎮座していた。ただ、そのどちらも損傷がひどくて、戦後そのまま放置された感じにやつれている。それでも戦車は雄々しく、また優雅に屹立していた。
横にいたパールにもそれを眺めさせて、俺は彼女の反応を待った。
「ほう、これはすごい……」
パールは予想通り、感嘆の声を漏らした。褒められたのは俺のわけじゃないのだが、なぜだか誇らしく感じてしまう。最新のゲーム機だとか、家電だとかを友達に見せたような子どもみたいな感覚だ。実際にこの厳つい物体の活躍をこの目で見たからこそ、今のこのくたびれた様子がもどかしい。地雷処理戦車、『皇女』グロリアの勇姿は、今もなお俺達の間で話のネタになるほどだった。
マインローラーそのものもそうだが、それを作り上げた人物もまた、パールに知らせておく必要があった。そのために俺がこの倉庫に足を運んだわけだから。
入口の壁にもたれて、俺は時を待った。多分ニヤニヤしていたのだろう、パールは俺の顔を不思議そうに見つめていた。そして俺の予期していた通り、どこからかくぐもった怒鳴り声が倉庫内を木霊した。
「バカ! 誰がはんだごて持って来いって言った!? 必要なのはドライバー! しかも電動のやつ! 何をどうやったらドリルドライバーとはんだごて間違うのよ!?」
「はいぃ! すみませえぇん!」
情けない声とともに、戦車の陰から一つの人影が鉛玉のように弾き出る。カールしまくった髪の毛をゆさゆさと動かして、作業台に置かれた工具をしっちゃかめっちゃか掻き回す様は、そいつの要領の悪さを物語っていた。その何とも言えない侘びしい後ろ姿に、俺は構わず声をかけた。
「ようラッシ。相変わらず天パもじゃもじゃさせてるじゃねぇか」
「あ、これはレン殿! 申し訳ありませんが、ただいま取込中でして……」
「遅い! なにくっちゃべってんのよ!」
くぐもった声の発信源は、どうも戦車の中らしい。姿を見せずにどやしたてるなんざ、あいつらしいと言えばあいつらしいが。
「はいぃ! 今すぐお持ちします!」
そう言って、ラッシは再び机の工具を掻き回し始めた。一瞬こちらを振り向いたのにもかかわらず、パールの事には気づかなかったようだ。どこか殺伐とした倉庫内の空気を読み取ったのか、パールは俺に耳打ちをする。
「出直したほうがよくないか?」
「いや、いつもこんなだから気にしなくていい」
隣にいたルゥも無言で頷き、パールはまだ怪訝そうな表情をしたが、ひとまず納得したようだ。しかしこう、何というか、要領の悪い奴ってのはどうにも間の悪い人間ばかりでやきもきする。何も言わなくても俺の隣の人間に気づけよ、と頭をはたいてやりたい。そのうえ、注文されたドリルドライバーはすぐ手元にあるってのに、ラッシが手に持っているのはドリルそのものだった。『ドリル』と言って連想する、あの円錐状のやつだ。
ツッコミが喉からでかけていたがそれを我慢し、俺は冷ややかに再び声をかけた。
「おいラッシ、ちょっとこっち向け」
「すみませんレン殿、自分はいち早くテッサ殿にドリルドライバーを渡しに行かないと……」
「こっち向くだけでいいんだ。ほら早く」
「向くって言ったって、いったい何が――」
振り向いたラッシの顔は相変わらずで、ほっそい糸目と頼りなさげの眉毛はしっかりハの字になっていた。額にはうっすらと汗を浮かばせている。そしてその顔、いや、全身をカチコチに硬直させたのを俺は見逃さなかった。ラッシの糸目には、多分一人の女性が映っているはずだ。
パールはラッシと初対面だったが、右手を軽く上げて旧友との再会のような挨拶をした。
「や」
「ほぅわあああぁぁぁ!? あ、ああ貴方様は!?」
天パの頭をこれでもかと言うほど動かして、ラッシは拳法家のような奇声を発した。これにはパールも苦笑いを隠せられず、ぷっと吹き出してしまっていた。そうそう、こういう反応が見たかったんだよ俺は。ちょっと気づくのが遅かったが、リアクションは及第点を与えてやろう。ラッシ、合格。
さて、本命はどんな反応を見せるかな、などと思ったところで、戦車の砲塔についたキューポラからしびれを切らした本命が顔を出した。
「あ~んもう! なに奇声あげてんのよ!? とうとう出来損ないのポンコツ頭がおかしくなった!?」
上蓋をドンと叩いた本命は、そのまま上半身だけ身体を外に出してラッシを睨んだ。普段は下ろしている前髪を、スカーフみたいなヘアバンドでまとめた姿では貫録も何もあったもんじゃない。さらけ出されたおでこが陽に当たってなくて白い分、いっそう彼女を幼く見せる。着ていたシャツだけでなく、紺色の髪やシミひとつない肌にまで煤がついていて、ますます泥遊びをする幼女のようだった。実際の年齢は成人になるかならないかの女なのだが、俺からしてみればガキにしか見えない。
「テッサ、お前口の悪さに拍車がかかったんじゃねぇの?」
「その声はレンね! 冷やかしに来てんじゃないわよ! 暇があったら仕事しろっつーの!」
テッサのやつは口だけは減らないが、剣幕が全然追いついてないだけ軽く流せられる。というか、もう慣れた。こいつに罵声を浴びても何とも思わなくなった自分が怖い。
そんな肩を竦める俺と紺色の少女を見て、パールは声を上げて笑った。
「ははは。凄まじい威勢だな。物怖じしないのは良い事だ」
「隣にいるのは……誰? ルゥ?」
テッサは怪訝そうに声のする方を睨みつけた。そういえばテッサのやつ、眼鏡をかけていない。さっきも俺の事を声で判断していたっぽいから、見た目通りのド近眼だったのか。きっと手元ははっきり見えるから、今は眼鏡を外して作業していたのだろう。まったく、ラッシに続いてこうも反応が遅いと興が冷めちまう。せめて俺とルゥが満足するくらいのリアクションは取ってくれよな。
どこからかテッサは眼鏡を取りだし、改めてレンズ越しから声のする方を眺めた。
「見えるかい? 新人さん」
パールがそう声をかけるや否や、テッサの眼がカッと見開く。何とたとえていいのやら、それは嘘と現実の狭間を行き来しているような感じの、トリップ染みた表情だった。予想外のリアクションではあるが、俺にとってはあまり面白くない。
テッサは詰まる声を必死に絞り、こうとだけ呟いた。
「ッ…………! パ、パールワン・エテオ……!?」