7-3 彼女達は世界遺産級
「パールさん! ひさしぶりッス!」
「ジョウ」
どこから湧いて出てきたのか、ジョウがパールに向かって駆け寄り、そのままの勢いで彼女の胸に飛びこんだ。それは軽いハグなどではなくて、けれども恋人同士のそれとはまた別のものだった。強いて言うなら、友達とケンカして泣きながら帰ってきた子どもが、母親に慰めてもらっているような、そんな感じのやつだ。
あまりの勢いに、俺を含む男連中は、パールからジョウを引っぺがす事もせず、その一部始終を見守る事になった。
「会いたかったッス! 仕事じゃレンさん達にこき使われ、私生活じゃズィーゼに散々遊ばれて……! パールさんのような優しい人がいれば、僕は――」
パールは胸の中で喚くジョウの頭をよしよしと撫でていたが、その顔には苦笑が混じっていた。その苦笑の意味は、すぐに俺達にも理解できた。二人の間に割り込むように、オペレーターの制服に身を包んだ、あの女が現れたからだ。
「ひどい言い草じゃない、ジョウ? 躾の仕方を間違ったかしら」
「ひっ……!」
体をビクッと強張らせ、ジョウはおそるおそる声のする方を振り向いた。ジョウの眼には何が映っていたのだろう。悪魔。女豹。それともあの世か。少なくとも俺達には、相当おかんむりのジョウのパートナーが眼に映っているわけだが。
深緑の腰まで届く長い髪をなびかせて、彼女――ズィーゼは、パールからジョウを引き剥がし、彼の顔を自分のところまで最大限に引き寄せた。
「それに飛び込むのはパールじゃなくて、私の胸のほうでしょ? 駄目じゃない、飼い主を間違えたら。それとも私のより、パールの豊満で柔らかそうな胸のほうがよかった?」
「ズ、ズィーゼ! とんでもないッス!」
ジョウは思い出したように、ぎこちなくズィーゼの腰に腕を回した。男連中はそれを羨ましそうに恨めしそうに、しげしげと見つめた。確かに考えてみれば、パールとズィーゼに抱きついて文句を言われない男なんて、赤ん坊とジョウ以外思い当たらない。
「やっぱりズィーゼが一番ッス! ズィーゼ以外考えられないッス!」
「わかればいいのよ。でもね、ジョウ。あなたは一つ大切な事を忘れている」
「な、なにッスか……?」
子犬のように怯えるジョウ。彼の両頬を包むズィーゼの指が、輪郭をなぞるように這っていく。慈愛に満ちたズィーゼの表情が、段々と冷酷な、そしてサディスティックなものに変わっていった。
「様が、ぬけてるわよ」
「ひぃ……! ごめんなさいッス、ズィーゼ様~!」
どうやら彼女の言う通り、ジョウの躾がまだ足りなかったという事か。それで飼い主のズィーゼは御立腹というわけだ。怖や怖や……。そんな二人の様子を見ても、男連中は指をくわえて未だ羨望の眼差しをやめないでいた。これには俺も呆れを通り越して、何だか切なさまで感じるようになった。
パールといえば、こんな状況ですら楽しんでいる様子だった。
「いいパートナーじゃないか、ズィーゼ。お前にぴったりな人材が現れて何よりだよ」
「そうね。この子は叩けば叩くほど色んなものが出てくるから、飽きが来ないわ」
喚いていたジョウもそれを聞いて顔を上げ、ぱっと目を輝かせた。
「ズィーゼ、それって褒めてるッスか?」
「あらぁ? まだ首輪の紐が締め足りなかったしら?」
「ひえぇ! ごめんなさいッス、ズィーゼ様ぁぁぁ……」
ズィーゼなりの愛情表現とはいえ、いくらなんでもパートナーの首に爪を食いこませるのはいかがなものかと思う。いやまぁ、仕事上のパートナーという関係が歪みに歪んで、ああいう形で収まっているのは言うまでもないが。
一つだけ言えるのは、その時俺は、完全にそれが他人事だと思って油断していたという事だ。背後に迫る人の気配なんか気づけやしないが、せめて自分自身の厄介なパートナーの存在を、思い出すべきだった。
甘い吐息がふうっと耳にかかり、俺の体全体に鳥肌を起こさせる。
「ねぇ、レン。やはり我々も、彼女達のような主従関係を作ったほうがいいと思いますの」
「……ッ! そう言いながら、人の首に手を添えるのやめてくれないか? ルゥ」
それとなくスマートな対応ができたのは、俺も自分のパートナーの扱いに慣れてしまったが故だろう。「あら」と言って俺の首から指を放す人物は、驚いた様子も見せずに俺に向かって丁寧な挨拶をした。
「ご機嫌麗しゅう。相変わらず貴方は、締まりのない生活を送っているようですわね」
そう言って、そいつはいきなり着ていたものを脱ぎ始めた。おぉっ! と男連中から感嘆の声が上がる。しかし、彼らの馬鹿馬鹿しいラッキースケベな妄想通りには至らなかった。要らないものを取っ払ったその体には、残念ながらオペレーターの制服が着用されており、その全貌が明らかになる。
ブラウスの胸元のボタンを開け、セクシーに着崩す形となった制服。その下からでもわかってしまうほどの性的なボディライン。現実離れした淡い桃色の髪で、どこまでも冷めたような眼差しとくれば、そんなやつは一人しかいない。
ルゥビノ・アクタウス――俺のパートナーだ。
「ここに来るんなら、事前に連絡を入れてくれよ。そしたら俺も、ちっとは締まりある顔で出迎えられる」
「まったく貴方ときたら、パールばかりに目がいって、隣で変装していた私にはちっとも気がつかないんですもの。それに今のリアクションも薄すぎて、全然歯ごたえがありませんでしたわ」
「悪かったな。つか、パールと比べて、お前の変装は気合入り過ぎなんだよ」
支給品のコートで変装していたパールと違い、ルゥの変装は見事なものだった。
長い髪はウィッグの中に収めて、目元は色のついたサングラスで隠している。サヘランは陽射しが強いので、サングラスを常用する人間が多いのだ。変装はそれだけじゃない。肩幅の広い男物のジャケットを羽織って体のラインを隠し、下半身は大きめのカーゴパンツを履いて、どこにでもいる男性を演出していた。
ともかく、この場所にルゥ、ズィーゼ、パールという三人の美女が集結したというわけだ。眼福というか、ここまでくるともう壮観だ。世界遺産を間近で見たような感動さえも覚える。男連中は聖母に祈るが如く、今にも跪きそうな感じだった。その感情は俺にもわかる。今までの生活がどれだけ女っ気のないものだったのか、今考えると恐ろしい。
俺たちのそんな様子を見て、ズィーゼはさぞかし鬱陶しそうな目をした。
「にしても何? この人集りは。私たちは見世物じゃないのよ? それ以上私の身体をいやらしい目で見ようものなら、料金が発生するけど」
ズィーゼがいじらしくスレンダーな身体を捩る。とはいえ、ルゥとパールに比べてしまうと、ズィーゼはやや貧相な身体つきなのだが……。と、これは絶対に口に出してはいけない言葉だな。
「すまないね、御三方。ここの連中は、金を払ってでも拝みたい人間がほとんどでね」
「正直な物言いは評価いたしますが、サコン、貴方の目線は下衆以外の何物でもないですわね」
「こりゃ手厳しい」
ルゥの言う通り、サコンの視線は欲望丸出しのお下劣なものだった。彼女達の二つの山に向かって喋っている様は、地雷撤去のスペシャリストとは程遠いものだった。
そんなサコンの下品な視線も構わず、パールは両隣にいるルゥとズィーゼを見比べた。
「相変わらず、うちのオペレーター達は頼もしいな。物怖じしない女性がいると、組織として身が引締まる。しかもそれが美しいとなればこの上ない」
「物怖じしないで終わればいいんだがな……」
「何か言いましたか、レン?」
相変わらずうちのオペレーターは地獄耳だことで……。俺は肩を竦めた。
「いや何も。それより、パール。あんたが帰ってきたっつー事は、あれをやるんだろう? 今日の午後にでもぶっぱなすのか?」
「こちらに到着したのがついさっきなんだ。決行は明日にするよ。丸一日中の移動はさすがに堪える」
パールは腰に手を当てて、少しだけ辛そうな顔をした。
ルゥが呆れたように息をつく。
「レン、貴方、パールの多忙なスケジュールを知らないわけではないでしょう? 貴方よりも過密で時間に追われる仕事を、彼女はこなしていますのよ」
ルゥに真っ当な事を言われ、俺は再び肩を竦めた。
パールほどの器量がある人間が、地雷掃除人という肩書きだけに収まるわけがないし、周りの人間も放っておくわけがない。彼女特有の地雷撤去の仕方もあって、パールは世界各地を飛び回っているのだが、それは追い追い説明するとしよう。
「一応聞いてみただけだ。あれによっては、俺達全員の動きを変える必要があるからな」
「そうだ。その話で思い出したが、『必死地帯』のルートを選んだんだって? 慎重に事を進めてきたお前達らしくないじゃないか」
決して強い口調ではなかったが、パールの問いに俺は歯切れの悪い返事を返す。
「それはだな、まあ、色々あって」
身内の人間、それ以外に拘らず、パールは犠牲者や怪我人が出る事を極端に嫌う。俺達が無謀なルートを選んだのは、彼女がまだ出会った事のない人物に大きく起因する。だが、それを一から説明するのは少し面倒だ。
せっかくの師との再会にあいつの顔を思い出したくなかったが、いずれはパールに知れ渡る事だ。早いうちに紹介したほうがいいだろう。
「直接会わせりゃ済む話か。パール、お前に会わせたいやつがいる。最近ここに来たばかりの新人なんだけどな」




