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地雷掃除人  作者: 東京輔
第7話 Sternschnuppe ~流星~
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7-2 おかえり

 パールが変装を解いて姿を現すや否や、それまでくたびれていた連中が目の色を変え、俺達の周りを一斉に囲った。食堂の近くを通っていた奴らも騒ぎを聞きつけて、彼女の凛々しい姿を見た瞬間に歓声を上げた。


「パールだ! パールが帰ってきたぞぉ!」

「おっしゃあああ! 今日は宴だあああ!」


 各々が別々の言葉、態度で歓喜するのを見て戸惑いながらも、パールは素直に嬉しそうな顔をした。そして肩を竦めて見守る俺と目が合うと、彼女の顔にさらに微笑みが浮かぶ。食堂内はもはや食事どころではなくなり、ただただ一人の人間の帰還を讃える声が、次々に湧き起った。

 やれ宴だ、やれパーティだなどの浮かれた言葉が飛び交う中、厨房から野太くてやたらと通る声が食堂内に響き渡る。


「お前たち、酒のつまみは用意できないよ! ただでさえ食料が届かなくてカツカツなんだから!」

「そんな~! トード、それはないよ~」

「一日くらい贅沢したっていいじゃねぇか」


 食堂を切り盛りするマザー・トードの一喝に、すぐさまブーイングが起こった。俺は文句こそ言わなかったものの、パールの帰還を祝いたい気持ち半分、マザー・トードに同情する気持ち半分、心の中はその二つで揺らいでいた。酒があるだけでもありがたいとは思うが、それだけじゃパールをもてなすには少々物足りない。

 マザー・トードは荒い鼻息をひとつして、食堂内にいる男連中を睨め回した。


「そうだね。それでお前たちが三日間、水と塩とケチャップだけの生活に耐えられれば済む話なんだがね」


 言い返そうとした連中も、結局何も言い返す事ができず、背を丸めてしゅんとした。

 サヘラン内部の進行を続ける俺達地雷掃除人は、使用されなくなった石油採掘場をこの間から拠点とし、再び進路を妨げる『必死地帯(デス・ベルト)』と悪戦苦闘の日々を送っている。砂漠だらけのサヘランじゃあ自給自足はままならず、隣国のギズモから物資の供給をおこなっているのだ。

 だから、マザー・トードが言い放った言葉は俺達に対する脅しなんかじゃなく、限りなく事実になり得る事柄を述べたのだろう。人間、水があればそれなりに生き延びられるとはよく聞くが、働く者として食糧難は死活問題だ。トードの作り置きしたケチャップを喜んで食す人間なんざ、ヒゲ面のジジイしか思い浮かばない。


 お祝いムードが鎮まりそうな気配の中、パールの優しい声が耳に届く。


「そんな事だろうと思って――」


 そう言って、パールは椅子の下にあるぱんぱんに膨れ上がったリュックサックを二つ、足元に移した。それを綺麗な指で開けると、中にはチェダーチーズやらスナック菓子やら、真空パックされた魚の干物なんかも入っている。おおよそ酒飲みが好きそうなものを詰めこんだ、といった感じだ。俺が愛してやまない柿ピーも、当然のように入っていた。


「ささやかだが、皆の酒のつまみくらいは調達してきたよ」


 瞬間、周りから歓声や拍手が止め処なく食堂内に響き渡った。人間や環境の違いを越えて、平等な愛情を注いでくれる。どんな時でも気配りを忘れず、常に物事の先を読んで、進むべき道に導いてくれる存在。それがパールワン・エテオという人物だ。

 自然な感じで纏められた彼女の栗色の髪は艶やかで、落ち着いた雰囲気を感じさせる。カジュアルカラーで統一された彼女が愛用するワークウェアは、洒落っ気こそはないものの、パールの魅力を存分に引き出している。ボタンを外した上着から見える、肌触りの良さそうな白いブラウスは甘美な曲線を描き、女性である事を証明する胸の膨らみを強調しているかのようだ。

 ……と。俺は師匠相手になに欲情しちまってるんだ。いかんいかん。


 邪念を振り払い、改めてパールの顔を覗くと、止まない歓声の中で彼女は何だか申し訳なさそうな表情をしていた。


「すまん。皆の朝食の邪魔をするつもりはなかったのだが……」

「邪魔だなんてとんでもないですぜ、パールさんよぉ」


 パールの前に、一人の中年が歩み寄る。ハンチング帽のつばを握って、彼女にニヒルな視線を送っている……つもりなのだろう。ただ、腹の出た中年がそんな事をやっても様になるわけがなく、俺のほうが恥ずかしさで思わず顔を覆いたくなってしまう。

 そんな俺の事などは知らず、サコンはしゃがれた声で話を続ける。


「お前さんのいないここの生活は、さながら水の入っていない水槽のようなものだったよ。おかげで俺たちゃ干物になる寸前だった。そこでようやっと、お前さんの帰還というわけだ。この干からびた世界に、ようこそ舞い戻ってくださった」

「その言い回し、やっと帰ってきた気分になるよ、サコン。中年の星は健在のようで……と言っても、私も人の事は言えないのだがな」


 パールは複雑な笑みを浮かべた。サコンはそれとは対照的に、カッカッカと歯を見せて大袈裟に笑う。


「冗談はやめてくだせぇ。お前さんの美貌とじゃあ、俺は比べるにも値しない存在よ。しかし、パールさんよぉ。お前さんは全く歳を取らねぇよなぁ」


 サコンがそう言うと、パールはここにきて初めて重い息をついた。


「お肌のケアは大変なんだぞ? 朝から晩まで、その事で常に頭がいっぱいさ。特にこの場所は陽射しが強いからな、また紫外線対策をしなければ……。と、サコン。歳の話はよしてくれ、いささか憂鬱になる」


 女に年齢を聞くのは良しとされていないってのは、いくら俺でも知っている。だから俺は、師匠であるパールの正式な年齢を知らないし、調べた事もない。少なくとも二十七の俺より年上なのは確実だが、彼女が一瞬見せた暗い表情を見る限り、気にしなくてはいけない年齢に達してしまったという事だろう。

 微かに、ほんの微かに見える、パールの顔にうっすらと伸びたほうれい線。無情にも顔に刻まれていく皺は、女にとっては脅威そのもののはず。だが、それを込みでパールを見ても、充分に美しいと思えてしまう。それは彼女の外見だけでなく、内面の美しさも知っているからなのだろうか……。


「な~に、それでも俺の隣にいる若造は、お前さんに見惚れて何も喋れないでいるがね。えぇ、レンさんよぉ?」

「あ? あぁ……」


 サコンに急に話を振られた俺は、間抜けな返事をしてしまった。図らずもその返事は、パールに見惚れていた事を肯定しており、それを撤回する時間は用意されていなかった。

 俺はパールと視線を合わせたが、気恥ずかしくてまたすぐに逸らしてしまう。おかえりなんて言う柄じゃないし、挨拶としての抱擁なんてなおさらだ。二人だけの空間ならまだしも、視線が集まる中でキザな事なんかできやしない。


「…………」


 後ろ髪を掻き、俺は所在なく視線を宙に彷徨わせてしまう。伝えたい事を素直に伝えられない不器用な性分は、大人になった今でも直す事ができない。会話の始めの踏ん切りをつけられず、いつも相手に委ねてしまうのだ。だから今も、間の悪い沈黙が食堂内に漂っている。

 だが、まるでそれをわかっていたかのように、パールは口を押さえて悪戯に微笑んだ。


「まったく、お前は師に向かって、おかえりの一言も言えないのか?」

「馬鹿言うな。こちとらあんたの言いつけをちゃんと守って、毎日地雷撤去に勤しんでいたんだ。死なずに今日まで生きているのが不思議なくらいだぜ」


 踏ん切りはつけられないが、生意気な口は条件反射のように利く事ができる。自分で自分の頬を抓ってやりたい気分だ。まあ、痛いからしないけど。

 パールは俺の左肩に手を添えて、親が子を見るような優しい眼で俺を見つめた。


「そうだな……。レン、よく今日という日まで無事でいてくれた。私は嬉しいよ、お前の成長ぶりが」

「よせよ、人前で」


 褒められるのは慣れていなくて、どんなリアクションを取ればいいのかがわからない。頭が熱くなって、ボーッとなって、舞い上がってしまいそうな自分がいる。ただもう俺は子どもじゃないから、それを態度で全面に押し出すのはきっとダサい。嬉しさや喜びは、こんなにも俺の心の中にあるってのに。

 ――結局俺は、素直におかえりとは言えなかった。


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