7-1 日常は常に非日常
その日の食堂の風景は、俺にとっては日常そのものだった。
十列ほど立ち並ぶ長テーブルは、洒落たデザインの年代物で、各々が食す料理をうまく引き立てている。窓から注がれる朝日はいささか眩しすぎるが、目覚ましだと思えば心地の良いものだ。とはいえ、寝覚めの悪い俺にとっては強烈すぎるので、窓際の席は避けるのが俺の行動パターンの一つだ。カウンター席で朝食を取れば、朝のルーチンをこなす事になるが、毎日それだと飽きが来るので、今日は気まぐれで長テーブルの陽射しがかからない方の端っこで、マザー・トードの手料理に舌鼓を打っている。
だが、そんな俺の気まぐれのせいで、対面には現在、脂ぎったヒゲ面が居座ってしまっている。
「レンよ、お前さんはなぁ、何にもわかっちゃいないわけよ」
ヒゲ面は利いた風な口をききながら、目の前にある出来たてのオムレツをナイフで一口サイズに切り始めた。そして呆れて言葉を返さない俺に、独り言のように再び口を開く。
「優れた人物ってのは、自分の好きな事には手間暇を惜しまないわけよ。それがたとえ、腑抜けた野郎と向かい合わせのつまらん食事であっても、だ」
そう言って、ヒゲ面は俺が食べている料理に目をやる。
「ワン公よりひどく食い散らかしている様を間近で眺めながら、俺は神に祈るのさ。嗚呼、神よ。どうかこの汚らわしき愚者に、美学の概念を与えたまえ……てな」
「は、たかがオムレツひとつにナイフとフォーク使ってちまちま食べるのが、あんたの言う美学ってやつかい? 高尚過ぎて、俺には何一つ理解できないね。それに納得いかない点もある」
「ほお。食器をろくに使えない犬畜生にも、考える頭はあるわけだ。聞くだけ聞いておいてやるかね」
減らず口を叩いてくるヒゲ面――サコンは、俺の上司というか仕事仲間というか、そこらへんが曖昧な面倒くさい奴である。歳が離れすぎていて、敬意を払うにしてもしっくりこない野郎だ。その代わりと言っては何だが、この老いぼれに悪態をつくのが俺の日常となっている。
「そうだな。まず一つ、あんたには食い散らかしているように見えるかもしれないが、これはスクランブルエッグというちゃんとした名前がある卵料理だ。それにだな、俺はこいつをいただく時は、三種類の味を楽しんでいるわけだ。プレーン、ケチャップ、ソイソース。食器が汚くなるのは、それだけ食事を楽しんでいる証拠さ」
「にしても、お前さんのそれは汚すぎるんだよ。スマートじゃねぇ。綺麗に扱ってこそ、食器も本望だとは思わんかね」
ああ言えばこう言う、まことに扱いが難しいポンコツジジイだ。
したり顔で俺を覗くサコンをよそに、俺の隣の席から無邪気な声が聞こえる。
「ねぇねぇサコン、レンさん。今日は何の日だか知ってるッスか?」
「ジョウよ、お前さんは人の話に割り込んでくるんじゃねぇよ。それと、口に物を入れたまま喋るんじゃねぇ」
俺の気まぐれに関係なく、いつも俺の隣に陣取る若輩者がいる。それがジョウだ。ここで働く者としては最年少の地雷掃除人である。明るい色の赤毛は、彼の性格をそのまま表しているようなものだが、いつまでも学生気分でいられるのは困る。食事の時は一人にしてくれと頼んでいるのに、金魚のフンのように俺にひっついてくるのは正直言って鬱陶しい。サコンとは方向性が違う面倒くささだ。
人に話を振っておいて、ジョウはサンドウィッチを子どものように目を輝かせて、あ~んとかぶりつく。サコンの注意などは、まるで耳に入っていないのだろう。かと思えば、俺達の方を見て返答を待っている。これでは落ち着いて食事を取れない。俺は溜息まじりにジョウに言ってやった。
「頬張り過ぎなんだよ、ったく、リスかお前は」
「ほーは、ふーふぇーふんが――」
「その状態で喋ろうとすんな! 全部飲み込んでから話せ!」
「ははっはっふ」
わかったッス。とジョウは答えたのだろう。その前の言葉は全くもって聞き取れなかったが。その様子を見ていたサコンは、嫌味な笑みを浮かべながら止まっていた手を動かした。その先にある皿の上には、俺にとって理解しがたい光景が広がっていた。
「ったく……。話が逸れちまったがな、サコン。俺が納得できない点はまだある。あんたのそのオムレツの食い方に、美学の一つも感じられねぇんだよ。これが二つ目だ」
「へ、言ってみるがいいさね」
「たかがオムレツにナイフを使うのは、まぁ百歩譲ってよしとしよう。だが、そのケチャップのおぞましい量はどういう事だ? まるで血の海じゃねぇか!?」
俺が声を張り上げたのは、どう考えてもサコンの食べるオムレツに、あり得ないほどの量のケチャップがかけられていたからだ。ヘアピンカーブが、オムレツの上を所狭しと波打っている。人の食い方をとやかく言う前に、まずは自分のを見直せと言っているのだ。
だが、あろう事かサコンはどこか自慢げに、反論を繰り広げる。
「滅多な事言うんじゃないよ。俺ぁケチャップが好きなのさ。特にトードお手製の、このトマトケチャップは一級品よ。素材の味を殺さぬまま、されど存在感は欠かさない、まるで俺のような働きっぷりがな」
「そんだけぶっかけるんなら、ケチャップだけ食ってりゃいいんだ。せっかくのふわトロオムレツが台無しだぜ」
「ぐちゃぐちゃにして食べるお前さんが言える事かね?」
「だから、これはスクランブルエッグ――」
「今日は流れ星が見えるッスよ!」
「「割り込んでくるんじゃねぇ!」」
俺はそう言って、ジョウの額に無慈悲な粛清をかました。何だかハモったような気もするが、この際どうだっていい。
「はぶし!」
変な声を出しながら、ジョウは後ろに仰け反った。額には、赤い斑点が綺麗に二つ浮き上がっている。図らずも粛清は同時に行われたのだ。ジョウは涙目になりながら額を抑え、俺達に訴えた。
「ひどいッス! 二人してデコピンするなんて!」
「本当なら頭をシバいてるところだがな、それだと埃が飛んで食事どころじゃなくまっちまう」
「レンの言う通りだ。まったく、ジョウは何にもわかっちゃいねぇよ」
「うぅ……。そのチームワークを違うところで発揮してほしかったッス……」
落ち込み気味にそう呟くジョウの事はひとまず置いといて、俺は話題を戻した。
「で? 流れ星がなんだって?」
「そうッス! 今日は三〇年に一度の流星群が見えるらしいッス!」
「三〇年に一度と言えば……。しし座流星群のことかね?」
「おぉ! サコン、すごいッス! 博識ッス!」
ジョウの言葉に気を良くしたのか、サコンはにやけながら背もたれに大きく圧し掛かる。ポンコツジジイの自分語りの幕開けだ。
「たりめぇよ。前に見た時は、夜景が美しいホテルの最上階を借りて、イイ女と一緒にロマンチックな夜を過ごしたもんさ」
「どの口が言ってんだ? どの口が?」
「時は無情に流れるのさ。干からびた大地に立つ現在は取るに足らんが、思い出は一生残る極上品よ。青臭い若造には理解できんかね」
頼んでもいないのにサコンが先輩風を吹かしてくるのも、残念ながら日常の一風景だ。隙あらば昔はよかった、俺はイケメンだったなどとほざきやがるので、いい加減俺の耳にはタコができてしまっている。
そんな老いぼれに皮肉のひとつでもくれてやろうと口を開きかけたが、隣にいるジョウがそれより早く相槌を打った。
「確かに理解できないッスけど、思い出が残るのは良い事ッス。という事で、今日は仕事を早く切り上げて、夜にみんなで一緒に流れ星を見よう~~~ッス!」
「お前は仕事をサボりたいだけじゃねぇか」
「も~う。現実的な話をしないでほしいッス。僕は単純に流れ星が見たいだけッスよ。ね? レンさんもサコンも、一緒に見てくれるッスよね?」
無邪気に訊ねるジョウの顔を見て、こいつは本当にガキなんだなと俺は鼻で笑った。そして手を横にひらひらと振る。
「パスパス。お星さまに願い事なんざ、とっくの昔に卒業してらぁ」
「悪いが、俺も遠慮させてもらうよ。野郎と見る趣味はないんでね」
「うぅ~。二人ともノリが悪いッス! いいもん! こうなったら別の人を誘うッス! 後で後悔しても知らないッスからね!」
ジョウはそう言い残して、食器を片づけに行った。ふわふわと風になびくジョウの後ろ髪を眺めながら、サコンは口の周りを丁寧に拭き、しゃがれた声を漏らした。
「唯一とも言える安らぎの時間が、今日もまた過ぎ去ってしまったぜ。歳を取ると、時間が経つのが速く感じて仕方ねぇ」
「だからって、あんたみたいに出来たてのオムレツを冷ましちまうのはどうかと思うがな」
「熱いままの料理を食い散らかすお前さんにゃあ、食事の美学はいつまでたってもわからねぇようだな」
「そう、その言葉で思い出した。納得できない点の三つ目だ」
個人の主張は十人十色で大いに結構。だが、ともすれば人によって正解が異なるのもまた事実。融通の利かない頭でっかちな野郎には、この言葉が一番だ。
「美学は人に押しつけるものじゃない――」
「あん?」
まさに言おうとした次の言葉が、俺の背後から聞こえてきた。気を悪くした俺は、振り返って後ろの人間を睨みつけた。俺と背中合わせで椅子に腰を下ろしているその人間は、俺にとって見覚えのない格好をしていた。
支給品だが誰も使っていないカーキ色のコートに、安っぽいキャップ。変装というにはいささかチープ過ぎる格好だ。そして、それらとは対照的に、美しい曲線描く首のラインと、耳元に光り輝く真珠のイヤリング。だが、それでは変装が台無しなのではないか、という俺の言葉が発せられる事はなかった。
後ろの人間は、深く被っていたキャップを脱ぎ捨てる。どこにその量が入っていたのかと言わんばかりの、栗色の長い髪がふわりと降りる。鼻孔をくすぐる甘い香りが、女性特有の髪の匂いだと気づくのに、それほどの時間はかからなかった。
「ふふ……。二人とも、元気そうで何よりだよ」
「お、お前さんは……!」
滅多にトーンを変えないサコンのしゃがれ声も、今ばかりは驚きの色を隠しきれていなかった。そしてそれは俺も同じ。なにせ、ばればれの変装を自分で解いたその女性は、俺が最も会いたかった人物なのだから。
「パール……パールじゃねぇか!?」
「久しぶりだな。レン、サコン」
にこやかに微笑み、優しい瞳をこちらに向けるその女性の名は、パールワン・エテオ。サヘランに蔓延る地雷を屠る、地雷掃除人の中の絶対的、かつ唯一無二の存在であり――。
俺の、師匠だ。
溢れ出る強キャラ臭……。
地雷掃除人第7話、スタートです。