6-13 Welcome!
「ねぇ、レン」
「何だ?」
ようやく何か話す気になってくれたかと思いきや、テッサはシュラフの上で体育座りをしたままで、俺の事などは見てすらいなかった。
「笑ってよ」
「は?」
予想だにしていなかった注文に、俺は思わず聞き返してしまう。
「嘲笑ってよ、私のこと。あんたなんかに慰められるなんて、私にとって屈辱でしかないから。ねぇ、昨日のように言いたい事言ってよ。自慢のマインローラーを粉砕されて、上層部に顔向けできない惨めな私を嘲笑ってよ!」
「テッサ……」
テッサは瞬きもせずに、俺に懇願するようにそう言った。彼女の眼は奇しくも瑞々しく潤っている。瞬きをしない理由がそこにあった。大粒の涙を流させるのは簡単だ。テッサの言うように嘲笑っても、逆に同情しても彼女は泣くに違いない。だが、俺はそのどちらも選択する気はなかった。女の涙を見るのは趣味じゃない。
「なぁ、テッサ。こんな話を知っているか? 金持ちの男と庭師の青年の話だ」
気を紛らわせる事。溢れ出る感情を止めるには、これが一番だ。傍にあった椅子に腰かけて、俺は独り言のように淡々と呟いていった。
「金持ちの男は常に不満だった。夏は避暑地にある別荘で過ごし、冬は自宅の豪邸で暖を取り、美味いものを食べ、良い女を抱き、何一つ不自由のない人生を送っていた。にも関わらず、男は何も満たされなかった。幸福が飽和して、男の心を麻痺させていたんだ。そんなある日、自宅の庭園で働く一人の庭師が男の目に留まった。庭師の青年はいつも幸せそうだった。そんなに金をあげているわけでもないのに、挨拶はいつも元気が良くて、休憩の時間は仕事仲間と楽しそうに過ごしていた。金持ちの男は庭師の青年のことを羨ましがった。彼が送っている生活を自分も送れば、満たされない心を満たす事ができるかもしれないと考えた。だから金持ちの男は一週間だけ、庭師の青年の生活を交換しようと提案した。庭師の青年は快諾してくれた」
いつでもこんな話ができるほど、俺の頭の中に説法がいくつもストックされているわけではない。偶然、今のテッサに丁度良い話を、俺の師匠から聞かされたことがあるからだ。師匠の言葉をなぞるように、俺は受け売り話を続けた。
「庭師の青年は、贅沢を極めた金持ちの男の生活に驚き、興奮した。食べた事はないがすごく美味い料理と酒、身支度を全てやってくれる家政婦、遊んでも遊びつくせないほどの嗜好品……。庭師の青年にとって、その一週間は桃源郷のようだった。一方で、金持ちの男は苦しんでいた。長時間の労働で体は悲鳴を上げ、食べるものも粗末なものばかり。水なのか泥水なのかと思うくらいの不味い酒。トイレで用を足すくらいの時間で終わる休憩。庭師の青年の生活は、金持ちの男にとって幸福どころか地獄にさえ感じられた。当然男の心が満たされる事はなかった……。金持ちの男は、心が麻痺していたんじゃない。単純に心が貧しかった、貧乏だったのさ。それとは逆に、庭師の青年は心が豊かだった。不幸なことが起きてもポジティブに、良いことが起こったら、それがどんなに些細なことでも心から嬉しがった。これが二人の違いってわけだ」
そこまで言いきって、俺は顔を上げた。
「要は、気持ちの持ちようって事さ。皇女の事は、まぁ、残念だったけどよ、また作ればいいじゃねぇか。今度はさらにパワーアップしたやつをよ」
「簡単に言ってくれるわね……」
そう呟いたテッサは、どうやら普段の落ち着きを取り戻したようだった。そこで俺は、言おうか言わないか迷っていた事を、テッサに伝える事にした。
「実はな、今回の作戦、ウルフは失敗すると予見していたらしい」
「え、何それ……?」
「今日の午前に会議があっただろ? お前が出て行った後、ウルフがそう言ったのさ。その時は多く語らなかったが、気になるんでさっき直接聞いてきた」
先ほどの長話よりも、テッサは俺の話に耳を傾けていた。相槌すら打たないのは、俺の言葉を促しているが故か。
「『失敗すると言ったのは、そうなったほうが彼女を奮起させる要因になり得るから。仮に今回の作戦が成功していたら、それはそれで順調に事が進んで助かった。結果として皇女グロリアは中破してしまったが、彼女が生きていてくれて何よりだった。初陣に失敗した彼女が、このまま退き下がるとは思えない。必ずやより強力なマインローラーを作り上げ、我々の進行に貢献することだろう』……だってよ」
テッサは俺を見つめたまま、驚きを隠せないでいた。心を打たれた時の人の表情って、おそらくこういう顔の事をいうのだろう。喋りっぱなしで喉が渇いたが、俺にはまだテッサに伝えたい事があった。
「それに……。今日のお前の戦果、知っているか?」
かぶりを振るテッサ。それも当然だろう、救出やら何やらごたごたがあって、それどころではなかったのだから。だが、俺にとって彼女の初陣で上げた戦果は、衝撃的な事実だった。
「散布型地雷二八〇六基、指向性地雷五三七基、対戦車地雷五六基、その他識別不明の地雷二一〇基……。走行距離二九四〇メートル、計三六〇九基の地雷を、お前は今日撤去した。アンブレイカブル・レコードだ」
「不倒記録……」
「それまでは、俺が記録保持者だったのによ。マインローラーが相手じゃ、さすがに分が悪いぜ……」
機械技師の新人で、地雷のじの字もわかっちゃいない少女に、初陣で一日の地雷撤去数を超されてしまったのだ。マインローラーこそ壊れてしまったものの、テッサは健在しているので、俺達が勝手に作ったルールではア リ なのだ。
慰めに来た俺の方が、実は慰めてもらいたいほど落ち込んでいるのは、ここだけの話だ。事実を聞かされ、目をぱちくりとさせるテッサに、俺はおどけた感じで肩を竦めた。
「もともと、地雷撤去なんざ人の手でやるようなもんじゃない。『必死地帯』を駆ける皇女を見て、俺はそれを痛感したよ。だが、どういうわけか国連の連中は俺を必要としてくれている。だから俺はここにいるんだ」
そう、本来ならば俺はこの場所に不必要な人間だ。……いや、人間という生き物が地雷撤去に向いていない、と言ったほうが正しいか。危険な作業をするのに機械化が進むこのご時世に、ちまぢまと手作業でやっていたこの俺を召集するくらいの緊急事態。
人の役に立てるなら、それはそれで大いに結構。生きている限りは、やる事がある。
「テッサ、お前が皇女に助けられた意味を考えろ」
「助けられた……意味?」
「そうだ。機械と違って、命は修理が利かない。そのたった一つの命が救われたんだ。一回失敗したくらいでへこたれるために、生き永らえたわけじゃないだろ? あんまりぐずっていると、周りの奴らがうるさいぜ? へこんでる暇があったら働けってな」
俺は立ち上がり、口を開こうとしたが、面と向かって伝えるのはなかなかに気恥ずかしい。そっぽを向いた先にある外の暗闇に向かって、俺は告げた。
「……お前も、地雷掃除人の一員なんだからよ」
「地雷掃除人……。そっか、私、地雷掃除人なんだね」
「ああ」
「えへへ」
無邪気な微笑み。頬を上げて抑え気味に笑うテッサの姿は初めてだった。
結局、途中で受け売り話や戦果の話をかいつまんだものの、俺がテッサにしてやれたのは、慰めではなく認める事だった。彼女が地雷掃除人であるという事を。
初陣を華々しく飾ってやる事は出来なかったが、その後のフォローはしてやれたかな。見たか、ロウファ。明日メシでも奢ってもらおう。そんな事を思いながら倉庫を後にしようとした時、上着のポケットから愛用の目薬を落としてしまった。空中でキャッチする事は出来ず、そのまま地面に落ちてしまう。
「よっ…………は゛う゛っ!」
「な、なに!?」
腰に感じる危険信号。痛みや痺れにも似ているが、それ以上にヤバい何かが腰を襲う。それまで経験した事のない恐怖に、俺は変な声を漏らしてしまった。地面に落ちた目薬を拾おうとした腕が、宙にぶらりと垂れ下がる。地面に手をつけてしまった瞬間に、俺が俺でなくなってしまうかのような錯覚、それほどの痛み。脂汗が額に浮かぶのがはっきりと感じられた。
「ぎ……ぎっくり腰か……これが……」
子供なら寝静まる頃、地雷もひっそりと眠るサヘランの夜に、俺の声にならない悲鳴が虚しく消えていった。
*
診療室に運ばれた俺は、そのままベッドに不時着した。四つん這いの体勢でへばりつくその情けない格好は、奇しくも先日に見たサコンの体勢と同様のものだった。今ならわかる。この体勢を維持してないと、体が腰のところから分離してしまいそうだ。いや、いっその事そうなったほうが楽になれるのかもしれないが。
「くそ……! 何だよこれ、どうやっても痛いじゃねぇか……!」
「よぉレン。お前さんもとうとう、こちら側に来ちまったのかい?」
隣のベッドから、覇気のないしゃがれた声が聞こえる。サコンはベッドで仰向けになりながら、天井を見つめてそう言った。
「うるせぇ! うっ……腰に声が響いて……!」
「虚勢を張りなさんな。あんまり騒いでると、下の世話すら人にさせる羽目になるぜ?」
シャレにならないサコンの皮肉に、今は言い返す力すら残っていない。全身に蝕む痛みに耐え、全ての気力を以てその痛みと格闘している最中なのだから。
微妙に体の各部の位置を変えてベストの体勢を模索していると、診療室の扉が勢いよくバンと開いた。助かったと心の底から安堵したのは、ほんの一瞬。救護に駆けつけたのはビー・ジェイではなく、ピッチピチの白衣を着た筋肉おばけだった。
「あら~ん♪ レンちゃんったら、ベッドでそんなにいやらしいポーズを取っちゃって! もしかして、私のこと誘ってる?」
「エ、エリー! ビー・ジェイはまだか!? そろそろ痛みも限界なんだが……」
既に嫌な予感しかしない状況なのにもかかわらず、俺の口はまだ淡い希望を言いやがった。当然、そんなものは筋肉おばけ――もとい、エリーに一蹴される。
「あら、何を言ってるの? ビー・ジェイちゃんはお休み中よん。夜勤を勤めるのは、あ・た・し♪」
「う、うそ……だろ?」
この場から逃げ出したいのはやまやまだが、腰がこんな様子じゃ何をされても抵抗できないだろう。そう、何をされても……。
サコンの奥で寝ていたもう一人の男、コンラッドがむくりと起き上がる。そして、俺に向かって一言、
「レン君。ようこそ、大人の世界へ……」
と言い残し、そのまま朽ち果てるように再び眠った。俺の肩には、ずしりと重いエリーの手がのしかかる。
「さぁ、まずはゆ~っくりうつ伏せになってもらおうかしら♪」
「い、いやだぁ~~~!!」
悲痛な叫びも虚しく、その後俺は、大人の世界へ羽ばたくという謎の初陣と共に、夜を過ごすことになった。
第6話終了です。お楽しみいただけましたか?
相変わらずの遅筆ですが、それでも更新は続けていくつもりなので、
今年もよろしくお願い致します。




