6-5 nervous girl
「テッサ! テッサ!!」
ロウファが必死に呼びかけた後、少女は紺色の髪がかかる重い瞼をゆっくりと開けた。
「……ん……ロウ、ファ……?」
彼女の顔を覗き込むロウファをぼうっと眺めて、テッサは数回の瞬きの後、何事もなかったようにむくりと体を起こした。泥のように眠っていた彼女が次に発した言葉は、あまりに普通過ぎて逆に珍妙だった。
「いま……何時?」
「え? ええと、もう少しで日付が変わる頃だけど……」
「そう……」
あまりに変哲のない質問だったため、ロウファは少し狼狽して右手首に巻いた腕時計を確認した。彼女の返答にもテッサは動揺せず、傍にあった眼鏡を掛け直した。ロウファの横にいた俺とウルフにも気づいていないようで、テッサは部屋の隅にある机に足を向けた。その足元はおぼつかず、慌ててロウファが彼女を支える。
「無理しちゃダメよ! 昨日から寮に帰ってないんでしょう?」
「一回帰ったよ。……シャワーを浴びに」
「そういう問題じゃなくって……!」
「まだやり残した事が残っているの。ローラー支持架の最終耐久度テストに、磁気発生装置の動作確認。それと……」
呪文のような言葉をぼそぼそと呟きながら、テッサは机にあった栄養ドリンクに手を伸ばし、それを一気に飲み干した。机の上には、同じ空き瓶が一ダースほど散乱している。他にも固形の栄養食品が山積みになっていたり、スパナなどの工具類が置いてあったり、上の棚にはテッサのお気に入りのフィギュアがショーケースにしまってあったりと、中々にカオスな状態だった。
タオルで顔を拭い終わったテッサは、ようやくロウファ以外の人間がいるのがわかったようだ。怪訝そうな視線を俺達に向けた。
「……何? 今は取込中なんだけど」
「これ……お前が作ったのか?」
彼女を心配するような言葉をかけるのは気恥ずかしかったので、目の前に鎮座するマインローラーを眺めて俺は言った。テッサは溜息をしたかと思えば、大きく息を吸った後、
「非建設的な質問ね。S・Sにいる連中が一世代前の道具しか扱えない点。私がそのS・Sまでやって来た点。それと私が数日間倉庫に籠っていた事を総合して考えると、答えは明らかでしょ?」
――という、鼻につく返答を俺によこしたのだ。ロジカルな言葉もそうだが、こいつの『そんなこともわからないの?』みたいな振る舞いには、いちいち虫唾が走ってしまう。いくら俺でも、数分前までぶっ倒れていた人間を心配しないわけがない。それどころか、彼女を煽てて誉めてやろうとさえ思っていたのに、どうもこの気が強い少女には俺の優しさがわからないらしい。
言い返したい気持ちを抑え、俺はテッサの言葉を無視するようにこう答えた。
「……強度に問題はないのか? 知っているとは思うが、サヘラン製の地雷は貫通力が――」
しかし、そんな俺の優しさも虚しく遮られる。
「馬鹿にしないで。展開アームから処理ローラーまで、特殊チタン合金でできた私の特別製よ。加えて、車両前面には厚さ47mmのアクリルカバーを装着している。……突貫工事だから、あまり納得はいってないけれど、それでも前方からの衝撃はほぼ無力化できるわ」
その言葉通り、テッサは不満げな様子で一両の戦車を見上げたが、それでも自分の施したものに不安はないようだ。
遮られた言葉を改めて説明すると、サヘラン製の地雷は従来のものと少し勝手が違うのだ。サヘランの地雷は、『進軍を食い止める兵器』ではなく、『対象を破壊する兵器』として設置されている。そのため、爆発規模は直径五十センチにも満たないが、その分垂直方向の貫通力に優れ、装甲車はおろか人体を木端微塵に吹き飛ばす凶悪な破壊力を持っている。
しかし、テッサが作り上げたこのマインローラーは、その地雷の破壊力すらも上回る鉄壁の装甲で覆われているらしい。車両前面、及び前方の履帯周りには、まるで硝子でもコーディングしているかのように、照明の光を強く反射して輝いている。だが、戦車の後ろ半分は改造が施されていないようで、本当は頑丈なはずなのに心許ない感じにも見える。サンドイエローの迷彩色が、哀愁さえも漂わせているようだった。
「つっても、まだ実践に出してないだろ? こいつは」
「あんたの脳みそはどこで成長が止まったの? それとも衰えて萎んじゃった? 今の世の中にはね、VR訓練というとても便利なシステムが存在するの。実践と何も変わらない仮想現実で、この子は何千、何万とある地雷原を走行し、シミュレーションを行った」
テッサの強烈な皮肉に、俺は思わず憤りそうになった。だが、彼女の睨むような目つきの下に広がるクマが、俺の言葉を詰まらせた。青あざのようなそれは、まだ未成年のテッサの健康を脅かしているようにも見える。若々しい身体に無理をさせているのが明らかだった。
「そしていずれのデータも、損傷度軽微で目的を達成できた事から、あんたが言う強度の問題は皆無と言っていいわね。何か異論はある?」
テッサはどこか反論を求めているかのように強気な視線を俺に向けたが、俺もそこまでちんけな奴じゃない。頑張っている若者に対して、一歩譲る事にした。
「……そうかい。どうやら俺の不安は杞憂だったようだ。せいぜい頑張ってくれよ」
「言われなくたって……。明日のこの子の初陣は、どうしても成功させなきゃいけないのよ、私は」
マインローラーの履帯に触れ、テッサは思いつめたようにそう呟いた。
初陣。
彼女の発したその言葉に、俺はようやく合点がいった。
「なるほど、それで気張ってたってわけだ。だが、あんまり張り切り過ぎない方がいいぜ? 失敗した時に、後ろ指を差されないようにな」
それは俺なりの励ましの言葉だった。変に気負いすぎると、不必要なプレッシャーがかかってロクな成果を生み出さない。駄目で元々くらいのほうが、かえって良い事もある。それをテッサに伝えたつもりだったのだが、俺に飛んできたのは感謝の言葉ではなく、銀紙を丸めたごみ屑だった。
「って!」
「そんなんじゃない……。私は、のうのうと何も考えずに、地雷を一つずつちびちび撤去していく奴らとは違う! 地球的危機にも目の色変えないで、だらだらと仕事をやっている大人達とは違うの!」
テッサはヒステリックにそう叫んだ。明かりのついた倉庫に残響が響く。
何が彼女の怒りを爆発させてしまったのかはわからないが、もし俺の発した言葉がそうさせたのならば、それは心外だ。しかも、テッサはまるで何もわかっちゃいない。俺達が毎日、どんな思いで地雷原に向かっているのかを。
常に自分の隣に死という概念が付き纏う感覚。数分前まで笑っていた仲間が、無人兵器のせいでただの肉塊になるかもしれない日々を過ごす事が、どれだけ苦痛でストレスが溜まるのかという事を。
無知な少女がそれを知るはずもないが、彼女の言葉は、俺の堪忍袋の緒を切れさせるのには充分な引き金となった。
「はっ、そうかよ。だったらお前のようなオチビがこの状況を打開できるか、明日この目で確かめてやるよ。失敗したらどうなるか、わかってんだろうな? こいつを動かすガソリン代だって、馬鹿にならない費用が必要なんだぜ? 新人のお前が、国連の連中にどう示しをつけるつもりだ?」
「ちょっとレン! ムキになり過ぎよ!」
言い合いになりそうなところで、ロウファが割って入った。咎められるのは、やはり年上の俺の方だった。当然それに納得はいかず、俺は自然と舌打ちをしてしまう。反抗心を瞳に宿すテッサは、声のトーンを低くして俺に言い放った。
「わかってる……わかってるわよ。重責を担うだけの活躍を、無能な連中に見せつけてやるんだから……!」
「言っておくが、俺は他人の尻拭いが大嫌いだからな。落とし前は自分でつけろよ?」
「……もう出てって。作業の邪魔よ」
視線を外したテッサの声に、これほどの覇気も感じられなかった。俺と口喧嘩する体力が惜しいのか、それとも大人気なく反論する俺に呆れ果てたのかはわからないが。少し言い過ぎた気もしたので、俺にとって今の沈黙はばつが悪い。
虚しい嘆息もほどほどに、俺は踵を返して倉庫を離れる事にした。
「おいウルフ、行こうぜ。俺達はお邪魔虫だとよ」
それまで見守っていたウルフは静かに頷き、テッサに向かって彼らしい言葉を残した。
「テッサ。徹夜は時に劇的な成果をもたらすが、それを脅かす最大の毒でもある。君が作業を続けるのなら、数時間の仮眠を取る事を薦める」
「余計なお世話……。私は私なりのやり方でやらせてもらうわ」
「そうか、健闘を祈る。ロウファ、悪いが彼女の事を頼んでもいいか? 俺とレンがいると、集中できないそうだから」
「え? あぁ、え~と、うん。任せて!」
ロウファは引きつった笑いを見せた。ノーとは言えない状況なだけに、多少は申し訳なくも思う。憎たらしいテッサも、それを気遣ったようだ。
「いいよ、ロウファも帰っても」
「だ~め。また作業の途中で気を失ったらどうするの? 早く終わらせて、私と一緒に帰りましょ?」
「……うん」
ロウファの包み込むような優しい声音は、紺色の髪の少女を正直にさせた。
その少女の初陣が、明日に迫ろうとしている。残念ながら、俺が彼女にしてやれる事はない。彼女の言うように、明日もちびちびと地雷を撤去するだけだ。一人の人間ができるのは、たったそれっぽっちの事でしかない。
突きつけられた真正面の言葉のせいで、俺はベッドのぬくもりの中で、ごちゃごちゃと自分の無能さを考えさせられる羽目になった。