1-5 避けられない事実
KEEP OUTと書かれたテープをくぐり、出来の悪い迷路のような暗い路地を突き進む。ここは、数週間前に俺を含む掃除人が、やっとの思いで地雷を一掃したポイントだ。何も知らない子供たちが地雷を手渡され、明らかに非効率的な場所に設置された無人兵器のおびただしい数に、吐気を催したのを今でも覚えている。
しかし今は、その時とはまた異なる不快感があった。心臓を誰かに直接素手で握られているような――いや違う、他人の心臓を俺が素手で握っているような、そんな奇妙な感覚に襲われ、どうにかなりそうだった。
そのうえ、後ろをついてくるポォムゥの心電図のような音が、徐々に速まってきているのが俺の不安感を増大させた。足が鉛でできてるんじゃないかと思うくらい重かったが、それはきっと本当に圧し掛かっていたのだろう、重圧という見えない鉛が。
ようやく路地の三分の二を渡ったというところで我に返った。またさっきとは違う心電図のような電子音が聞こえたからだ。続いてポォムゥが後ろで叫んだ。
「レン、やばいぞ! 地雷原に近づいてる人間がもう一人いる! この角を曲がったところだ!」
「嘘だろ!? 地雷とそいつとの距離は?」
「今近づいてる人が十二.一メートル……おじいちゃんだ。さっきの子供はもう、地雷原の中に……。一番近いので、二.九メートル……」
それは絶望的な数値だった。
人の一生を一瞬で終わらせる代物を、数分かけて一個片づける。それを何千回、何万回と繰り返していくだけの作業をやっている人間だからわかる。地雷という兵器がどれだけ恐ろしく、どれだけ無慈悲な兵器なのかということが。
地雷原の中を歩くということは、命綱なしで綱渡りをすることと似たようなものだ。何かに注意を払えば払うほど、その存在に知らず知らず吸い寄られてしまう。平静でいられなくなるのだ。
その子供はおそらく、地雷の怖さをわかっていないのだろう。自分の三m先に『死』がある中で、大地を踏みしめる。その行為がどれだけ愚かであることか。
――間に合うのか。
地雷原の中にいる人間を救出するなんて事は初めてだし、やれるかどうかもわからない。異なる場所で二人の人間が危険な目にさらされている。それを見過ごすわけにはいかない。だが、立ち尽くす時間などない事はとうにわかりきっているのに、俺はそうすることでしか自分を保てなかった。
得も言われぬ黒い塊が迫ってきている。死の恐怖? 違う。選択の恐怖? それも違う。曖昧に、けれども確実に近づいてくる現実に脅えているのだ。
「どうしたレン、立ち止まっている時間はないぞ! レン、急げ! レン! レン!!」
俺は誰を助けるのか。
俺は誰を助けたいのか。
俺は誰を助けられるのか。
足を動かしたのは俺の意志かどうかはわからない。ただ一つだけわかるのは、誰かを助けたいと強く心に願った俺の本心だけだ。路地の隙間からこぼれる陽射しが妙に目に残った。けれども、そこに神のお告げなんてものはこれっぽっちも存在しなかった。
*
ようやく路地を抜け出して、息つく暇もなく俺は素早く辺りを見回した。すると一五〇メートルほど離れた場所に、人影らしきものが揺らいでいた。蜃気楼かもしれないと思い、照りつける日光を右腕で遮ってもう一度見ると、そこには確かにおぼろげな人間の姿があった。
「とぉぉまあぁぁぁれええええええ!!」
大声を出すのは苦手だが、俺は走りながら持てる全ての力でもって声を張り上げた。足よ、速く動けと念じても、気持ちが空回りするばかりでつまずきそうになる。しかし、声さえ届けば、届きさえすればまだ可能性はあるのだ。
だが、虚ろに揺らぐ人影は、その歩みを止めることはなかった。
くそったれ! 耳が遠いのか!?
いくら大声を出しても振り向きもしない人影に、俺は心の中で激しく罵倒した。誰のせいでこんな事してると思ってるんだ、ふざけんな、という激情が歯をくいしばらせ、地面を蹴り上げる足に力がこもった。さっきから走りっぱなしで動悸が苦しい。だけど身体には冷たい汗が滲んでいる。揺れ動く視界に俺は何を見ているのだろうか。建ち並ぶ廃墟には少なくともだが、平和や安穏に浸った日常は存在しなかった。歪んだ人の像がぼんやりと近づいてくるのか遠のいていくのかもわからず、ただ俺の目に映るばかりだった。
でもおそらくもう少しで届く。俺はその人の腕を掴もうと右手を伸ばした時だった。
「レン、もうだめだ! あと一歩か二歩で当たっちゃう!」
ポォムゥの声がした。それを聞いた瞬間、俺は伸ばした右手を剣の柄に戻し、前を行く人影の足元の、常人には見えない鈍く光るものに狙いをつけた。
百六十四センチと二ミリ。空間把握は寸分に違いなく。剣は地面に滑り込んでいく。
「ばあああぁぁっっかやろおおおぉぉぉぉぉ!!」
水が蒸発したような音がするのと同時に、砂埃と噴き出た白煙が混じった気体が黄砂にまみれた路地を包んでいく。地雷は起爆する事なくただの鉄くずと化した。俺がそうさせた。顔が歪むほど頭が痛い。砂埃が口に入って最悪だ。徐々に晴れていく視界とは裏腹に、俺の心はぶつけようのない怒りでいっぱいだった。
「おい、じーさん! あんた何やってんだ!? ここがどこだかわかってんのか! ここには地雷があるんだぞ!」
「わしの家はこっちじゃ、間違っとらん! 家に帰らせい」
「……じーさん、呆けてるのか?」
老人の肩に乗せ、わなわなと震えていた手の力が急に抜けた。
俺は誰を助けるのか。
心の中でそう問う前に、俺は今、この世で最も聞きたくない音を聞いてしまった。
ズズン……と、地鳴りのような音が足にまで響いた。
爆音。そしてそれが意味するもの。
唐突に脳裏を過るのは、忌まわしき過去の記憶。永遠に忘れ去ろうと心の奥底に閉じ込めていたものが、轟音と共に地表に露になる。これは、ずっと目を背けてきた俺に対する報いなのか。選択からは逃れられない俺の運命。
「同じだ……あの時と……」
空高く噴き上がる粉塵は残酷なまでに青空から消えず、俺の目に焼き付いて離れようとしてくれなかった。拭いきれなかった悪いイメージ。記憶の淵から蘇る忌まわしき記憶。俺はきっと、あの時から何も変われていないのだろう。
積乱雲のように舞い上がる粉塵の向こう側に、何かを求めようとしているのだから。
*
俺が老人を救った場所から爆心地までは、そう遠くない距離だった。
歩けども歩けども、その道のりは永久に続いているかのような果てしないものであると、そう思いたかった。しかし現実は違う。脳裏にこびり付いた粉塵はいつの間にか空の彼方に漂い、その存在を消してしまっていた。残ったのは、変わらぬ空の青さと、そして……。
「はなせぇ! 息子の所へ行かせろぉ!」
「おっさん落ち着け! あんたも巻き添え食らいたいのか!? おとなしくしてくれ!」
「なにぃ!? 助けられなかった分際で何を! くそっ、はなせー!」
被害者の父親だと思われる人物が、地雷原に吸い寄せられ、狂ったかのようにがむしゃらに体を振りほどこうとしていた。それを抑えているのはビー・ジェイだ。ビー・ジェイは彼の体を押さえつけ、何とか宥めようとしているものの、その声が届くはずもなかった。
放心状態の俺は、付近にある地雷を撤去し始めた。
刀に模した専用の地雷撤去道具『液体窒素剣』を地面に突き刺し、凍てつく飛沫を上げて地中の魔物を排除していく。高周波振動した剣が硬い地面と地雷外殻をいとも簡単に貫き、液体窒素により中の信管を瞬間凍結させる。引き抜いた穴からは白煙が起こり、そこを踏み抜いたところでもう爆発は起きない。信管さえダメにしてしまえば、地雷などという兵器はまるで役に立たないからだ。
――そう、俺がもっと早く来ていればこんな事にはならなかった。廃れ果てた街並みで、誰かが悲しみに暮れる事もなかった。
いまさら地雷を排除したところで、どうにもならない事はわかっている。
誰も喜ばないし誰も帰ってこない。無意味な自己満足だった。
けれども、それでも俺は、そうする事でしか気持ちの整理がつかなかった。
何が地雷掃除人だ。何が命を張って仕事をする人間だ。他人の命すら守れない野郎が、そんな戯言をぬかす資格はない。大地を切り裂き、鉄でできた地雷の外殻をも貫く感触が、これほど不快に感じたのは初めてだった。頭痛は治まるどころか、呼吸の度に強くなるようだった。
地雷の位置を示すレーダーに反応が見られないのを確認する。やり場のない感情に身を任せていたため、撤去道具を持った右手には極度の疲労が溜まり、体は酸素を求めている。だが、それでも俺の中にある罪の意識が消える事はなかった。地面にある無数の赤い肉塊が、どんな正論も否定した。数分前までは人間だった肉塊。その生気の無い視線は、まるで俺の心を見透かしているかのような、冷たいものであった。
(救えなかった……。いや、もしもあの時、こっちに来ていれば救えたのか?)
俺は誰を助け、誰を救えなかったのか。
考える余裕はなかった。すぐにそれを突きつけられたからだ。
「貴様ァ! なぜ助けなかった!? なぜ見殺しにした!? なぜ……う……ぐ……。返せぇ! 俺の息子を返せぇ! 返せよぉ! 返せっ……! 殺してやる!」
生活感の見えない不気味な建物が並ぶ通りに、被害者の父親の声が響いた。陽炎が揺らめく中で、それは白昼夢のようでありながら、そうであってほしいとも思ったが、襟元を強引に掴まれたときの痛みが避けられない事実を物語っていた。
ひとまず、これで地雷掃除人の1つの話が終わりました。
あらすじにもあるように、この物語はチート主人公や俺TUEEEとはかけ離れた、捻くれ者でネガティブ思考の主人公が悩み、自らの行動に疑問を持ちながらも前に進んでいくお話です。
それでも拙作に興味を持っていただけたなら、次から始まる第2話もお楽しみください。一応つけ加えておきますが、今回のようなシリアス展開はこの第1話がピークなので、ご了承ください。