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地雷掃除人  作者: 東京輔
第5話 Durchbruch ~突破~
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5-14 最後までお前と

「レン!」


 自分の名を呼ぶ声。その声により、顔に落ちる小雨やずぶ濡れになった全身など、あらゆる感覚がかき消された。いくつかの瞬きの果てに映る景色は、何とも味気ないものだった。闇だけが蔓延る右目の視界。それと暗視装置のように緑色のレンズを通して、景色の詳細を映す左目の視界。地面には、赤い輪郭で縁取られた変なものまで見える。


 地雷。


 そう、それは地雷だった。地中に埋まっている地雷。左目の視界はそれを映し出していた。血の海にも見える地面に一筋、俺の足元も含む一本の軌跡があった。まるでその道を辿って行けと言っているようだ。


 全身に電流が流れるような感覚が走る。俺はようやく、今自分が置かれている状況を思い出したのだ。少し前のめりになっていた体勢を慌てて立て直す。一歩前に進んでいたら、軌跡から足をはみ出していたかもしれない。もしはみ出していたら俺は……。

 戦慄を覚えるのと同時に、過去の嫌な出来事が未だに脳裏に残っているのがわかった。思い出の中の俺は全身ずぶ濡れだったが、今現在の俺の背中にもじっとりと汗が滲んでいた。冷たい汗が一瞬にして噴き出したのだろう、すごく気持ち悪い。


 途端に動悸が激しくなった。混乱していた頭を落ち着かせるためにも、俺はその場で立ち止まり、深呼吸を行った。実のところ、自分が置かれている状況を思い出したわけではなかった。ただ単に、白昼夢を見ていたという事に気がついただけだ。まともな思考は久々だった。数時間もの間ずっと、地雷との相対距離を測ってそれを避ける、その行為だけを延々と行っていたからだ。


 そうだ、ここは『必死地帯(デス・ベルト)』。何人たりとも足を踏み入れる事の出来ない地雷原。その向こうにあるスダメナの石油採掘場を目指して、俺は『必死地帯』を突破しようとしているのだ――。


「ポッ!」


 左の胸ポケットから、拍子抜けな声が聞こえた。ほんのりと桃色に発光するそれが、どうやら俺を白昼夢から呼び覚ましたらしい。あのチンチクリンのポォムゥをさらにチンチクリンにした、ミニポムとかいう代物だ。不安げに俺を見上げるミニポムの目は、少し潤んでいるようにも見えた。


「……悪いな。危ねぇところだった」


 地雷原のど真ん中で呟く独り言にしては、割と上等な文句が出てきたものだ。

 既に日は沈み、御覧のように暗闇だけの世界が続く。あとどれだけ歩けばいいのか、俺が歩いてから何時間経ったのか。とても気になったが、俺は一旦目を瞑り、天を仰いだ。途中経過を知ってしまったら、おそらく絶望してしまう。そこにこれっぽっちの希望も見出せない未来が見て取れる。怖かったのだ。それならば、何も見ずただ黙々とこの地獄を歩いているほうがいいかもしれない……。

 シャツが背中に張り付いて気持ち悪かったが、動悸のほうは大分落ち着いてきたようだ。ずっと立ち止まっているわけにはいかない。下半身、特に膝の裏側に多少の張りを感じた。休めば休むほど疲労が蓄積していくようだ。そうなる前に、あともうひと踏ん張り気張ってみるか。

 ゆっくりと目を開けたその向こうには、何の変化も見当たらず、ただひたすらに赤い輪郭の危険物が地中に眠っている。俺は瞬時に一番近いそれとの相対距離を数値化する。四十八センチと七ミリ。過去の俺は運に見放されていたが、今回はどうやらちょっとばかしはツイてるらしい。死ななきゃ安いもんだ。俺は口元を少し緩めたが、すぐに戻した。そうして再び、地雷を避けて歩く事だけに専念する。


 前方三メートル二十センチ、慎重に跨ぐ。次、一メートル四十五センチ八ミリ――。


                *


 いいか、レン?


 我々地雷掃除人の最大の敵は、自分自身だ。元々心を持たぬ兵器など、恐れる事はない。


 何かに心を奪われてはいけない。集中する事すら、我々にとっては危険な行為なのだ。


 大切なのは、全てを見渡す事の出来る大局観。何物にも囚われない散漫な心。


 息を吸い、息を吐く中で全てを受け入れろ。そう、眠りに入る感覚と同じように――。



 師匠の言葉が頭を過ぎる。だが、それは泡のように俺の頭の中から消えた。その代わりに、ある数値が頭に飛び込んでくる。二メートル七十三センチ七ミリ……眼前の避けるべき対象物との相対距離だ。俺の右足が機械のようにそれを跨ぐ。単純作業の果てに、地雷に対する恐怖感は消えていた。ただ、それよりもっと精神的にくるものがあった。


 左、二メートル七十四センチ。次、また左、五十一センチ九ミリ――。


 『土竜眼(モールアイズ)』が映し出す軌跡、『必死地帯』を突破する活路に終わりがないのだ。少なくとも、ここから見える地平線までずっと続いている。周りは言わずもがな、地雷でごった返している。まるで幅が狭い吊り橋をいつまでも歩き続けているようだ。幅が狭いだけじゃない。手すりもないし、足場には穴さえ空いている脆い吊り橋を……。油断と焦燥が心の隙を作り、足の疲労が体を蝕んでいく。少しでも気を抜くと、地雷の海に吸い込まれるような錯覚に陥ってしまう。


 正面、一メートル六十五センチ一ミリ。次、九十七センチ、右に二つ――。


 まだなのか……! 時刻や現在位置を知りたい衝動に駆られる。だが、必死にそれを抑えて足だけを機械的に動かす。たかが十五キロメートルの道のりなのに、それが無限に続いているようにも思える。トレーニングで走る時とは全然違う。音楽を流して気を散らす事もできやしない。

 孤独。今まで気にも留めなかった孤独感が俺を襲った。半径五キロメートルの中に俺以外の人間がいない。たったそれだけの事なのに、不安の靄が俺の心を覆った。『土竜眼』をつけた左目を瞑れば、視界は黒く塗りつぶされる。その闇は何かに酷似していた。

 そうだ。あれはオズが俺の家にやって来る前の思い出。親父の俺に対する嫌味が耳に入らないように、布団を覆いかぶさっていた記憶が蘇る。涙で枕を濡らした記憶は両手の指では数えきれない。あの時感じた孤独が、よりによってこんな状況になって再び感じる事になるとは……。


 左、二メートル三十センチくらい。すぐに右、四十五センチ――。


 心に乱れが生じ、地雷の位置を完璧に把握するのが難しくなってきやがった。次々と頭に飛び込んでくる数値の群れに、俺はどうにかなってしまいそうだった。散漫な心の状態を保つにしても、これほど長く地雷原に身を置いた経験がないから、今にでもぶっ倒れてしまいそうだった。

 こんな時に限って思い出すのは、子どもの頃の記憶。散漫な心の状態の副産物。否が応でも家族の顔が脳裏に浮かぶ。そして記憶が蘇る。布団の中で泣きじゃくっていた俺が、そのちっぽけな思考で何を思ったのか。頬に流れるその涙の理由は――。


 父の期待に応えられなかったから?

 母を悲しませてしまったから?

 出来の悪い自分が情けなかったから?


 多分、どれも違うのだろう。



 俺は、憎かったのだ。非情な嫌味を愚痴る父親、最終的に父の言う事に従う母親、そして何一つ文句も言えなかった自分自身。憎くて仕方がなかったのだ。脳裏に浮かぶ両親の表情は、温かい微笑みなどではなく、俺を蔑むような冷たいものだった。

 楽しかった過去の出来事より先に、そういう思い出しくもないものを思い出すあたり、俺はどうやっても捻くれ者なのだろう。捻くれた挙句に辿り着いたのが『必死地帯』なんざ、笑えない話だ。『必死地帯』を抜け出した先にあるもの。それがわかれば、俺も少しはマシな人間になれるかな……。


 正面、すぐそこ、七十センチ、くらい。……次、左、二メートル。右に避けて――。


 思考が分散し、俺は地雷を避けながら別の事を頭に巡らせてしまっていた。だからこそ一旦地面から目を離して、ふと目線を上げる事ができたのかもしれない。目の前に広がる光景の変化に気づく事ができたのだった。俺はそれを見た瞬間、心臓が跳ね上がるのを確かに感じた。

 『土竜眼』に映る地雷が、ある地点――まだずっと向こうだが――で急に途絶えていた。横に一直線、まるでそこに境界線があるかのように、ぱたりとなくなっているのだ。初めはどういう事なのかわからなかったが、すぐに一つの結論に達した。永久に続いていると思われた『必死地帯』の終わり。それがようやくこの眼で確認する事ができたのだ。

 思いっきり叫んで喜びたい衝動に駆られたが、散漫な心の状態がそれを未然に防いだ。地雷掃除人の敵は自分自身。油断という悪魔が常に足元に付き纏っている。俺は唇を噛み締めて、できるだけ先を見ないようにした。向こうにある希望を見上げて、地面に潜む絶望を踏んだら何の意味もなくなる。残りの時間、何分かかるかはわからないが、決して絶望からは目を逸らさない。最後までお前とつきあってやるよ……。


 右、一メートル三十一センチ五ミリ。次、右と正面に一つずつ、九十八センチ。次――。


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