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地雷掃除人  作者: 東京輔
第5話 Durchbruch ~突破~
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5-11 義弟


 ――三七.五ヤード、メタセコイアの樹の近く。四二.八ヤード、ハザードの一歩手前。


『レン、もう一個いったよ』


 ゴルフクラブがボールを叩く乾いた音の方向を向く。ぱっとしない曇天の空模様の中で、飛ばされたボールは明らかにグリーンの上に落ちる軌道ではなかった。大きくスライスしたボールは、そのまま林の中へと突っ込んでいった。無線から聞こえる声が言うまでもなく、紛う事なきOBである。


「またかよ、面倒くせぇな」


 綺麗に整えられた芝生を、俺はそう呟きながら横断した。客があさっての方向に打ったボールを探し出すのが、俺に求められたアルバイトの内容だった。それまでは館内の清掃をぐだぐだとかったるそうにやっていたのだが、たまたま人手の足りない時にこの仕事を頼まれたのがきっかけで、それからはずっとボールの行方を追っているだけの楽なバイトをやっている。

 周りの人が言うには、ここのバイトで一番骨が折れる作業らしいのだが、俺にしてみれば、こんなに簡単で高い賃金がもらえるバイトはなかった。休憩時間に手の込んだ料理をつまめるというのも捨てがたいが、何よりも自然の緑をこうやって拝めるのが、俺にとって最高のご褒美だった。

 今打っている人たちはうちの常連客で、キャディを務める連中にチップをたくさん渡す事で知られている。何でも、どんなOBを打っても、俺がボールを見つけてくれるからいつも機嫌が良く、最近はどんどん羽振りも良くなっているらしい。そんな理由で、愛想笑いも苦手な俺としては珍しく、キャディをやっているバイトの女の子達とも割と仲良くやっている。


 ボールが落ちた付近の樹の近くまで足を運んだ。いくら正確にボールの行方を追ったところで、絶対にそこにボールが落ちているわけではない。枝や茂みによってボールの軌道は変化する。そればかりは流石の俺も勘を頼りに探すしかない。幸いにも、今行われているのは18番ホール。俺の仕事もこれが最後というわけだ。常連のおっさんがミスショットをしなければという前提だが。早いところ見つけて、キャディ達より一足先にあがるとしよう。


「あれぇ? レン、今日はどしたの? やけに早いね」

「まあな、ちょっと約束があって」


 バイトの連中が使用する休憩室で、帰る支度をしていた俺にキャディの格好をした女が話しかけてきた。彼女の名はベルタ。ショートヘアの赤毛と愛嬌のある笑顔が特徴的で、お客から人気を集めている。誰とでも自然に接する性格からなのか、ベルタを嫌う者は仕事場にはいなかった。無論、俺もだ。

 ベルタは俺のそばでテーブルに寄り掛かり、悪戯な言葉をかけてきた。


「彼女でもできたとか?」

「あぁ」

「え、うそ!? マジ!?」

「……すまん、嘘だ」


 ベルタがあまりに俺の予想を上回る反応を見せたものだから、俺は咄嗟に謝ってしまった。にもかかわらず、ベルタは目を見開いたまま口とぽかんと開けている。俺は嘆息して言葉を続けた。


「……弟と遊ぶ約束してんだよ。文句あるか」

「い、いや~そっか、弟君か。まさか唐変木のレンを彼氏にするなんて、よっぽど物好きな人もいるんだな~って、びっくりしちゃった」

「……さりげなく毒を吐くの、やめてくれねぇ?」

「フフ、いいじゃんいいじゃん」


 ようやくベルタはいつもの調子に戻ったようで、俺の背中をバンバンと強く叩いた。


「ねぇ、それよりさ。来週の火曜日って何の日か知ってる?」

「え? 知らないが」

「私の誕生日♪ うちでパーティーやるからさ、レンもどうかなって思って」

「行かない」

「え゛!?」


 別に俺は、人の誕生日を恨めしく思うような、そこまで卑屈な人間ではない。祝ってやりたいという気持ちはもちろんある。断る理由をあえて挙げるのであれば、俺が()()()()卑屈な人間だから、とでも言っておこう。即答した俺を、ベルタは驚いて見つめた。


「お前の事だから、どうせ何十人も人集めてんだろ?」

「そんなにいないよ~。三十人くらいだと思うけど」

「じゅうぶん多いわ! お前は俺のことが社交的に見えるのか!? 片隅で俺が一人寂しく料理を食べる光景が目に見えてんだよ」

「……自分で言ってて悲しくならない?」

「言うな!」


 自虐した俺に鋭い追撃をしてきたベルタだったが、心なしかしょんぼりしているように見えた。まさか人気者の自分の申し入れを断られるとは思わなかったのだろう。休憩室に嫌な沈黙が訪れる。自分の爪先を曇った瞳でぼんやりと眺めるベルタに、俺は仕方なく声をかけた。


「とにかくだな、パーティーなんぞはもっと賑やかな連中だけでやってくれ。プレゼントぐらいはそのうち買ってやるよ。――あ~、でもお前に何あげたらいいかわかんねぇから、後日飯を奢るとか、そんなんで勘弁してくれ」


 俯いていたベルタは俺の言葉を聞くなり、浮かない顔から晴れやかな笑顔へと変わっていった。


「え、それってレンと二人っきりで食事するってこと!?」

「お前まさか、友達も呼んで人の金で豪遊する気かよ! えげつねぇ奴だな」

「ちが、そういう意味じゃなくって!」


 何がそういう意味じゃないのだろうか。ふと疑問に思ったが、そろそろ帰りのバスが出る時間だ。腕時計を見ると午後三時三五分を回ろうとしている。俺はおもむろに席を立って休憩室を後にした。


「どうだかな。あまりにも高い店はごめんだぜ?」


                *


 俺の家は都心部から数十キロほど離れた郊外にある。一般的に高級住宅街と呼ばれる場所で、閑静であり治安も良く環境的には申し分ない。唯一の欠点があるとすれば、アルバイトをするためには都心部に足を運ぶ必要がある事だ。だが、数カ月前から始めたゴルフ場の球拾いのバイトは、その点移動がすごく楽で助かった。大体ゴルフ場ってのは人里離れた所にあるが、そのゴルフ場の数キロ手前に俺の家があるからだ。今まで俺が都心部まで行って、安い給料をもらっていたのが馬鹿みたいに思えるほど、今のバイトは好待遇だった。

 高級住宅街に住んでいるのに、なぜバイトをしているかだって? そんなの決まっているだろう、親がびた一文として俺に金をよこさないからだ。俺の親父は医者だった。だがその長男として生まれた俺が、親父の頭の良さを引き継がなかったもんだから、こうやってバイトをしている羽目になっている。

 バス停から三軒隣の向かいの豪邸が、俺の家だ。その数分にも満たない道のりが嫌でたまらなかった。俺が年端もいかない子どもの頃、親父にテストの点数を見せるのが苦痛だったのだ。親父は俺に直接文句は言う事はなかった。それが親父なりの最大限の俺に対する愛情だったのかもしれない。だが、親父は俺が自室で寝たのを見計らって、母親に俺に対する不満を、皮肉たっぷりの口調でぶつけるのだ。耳を塞ぎ、布団にもぐっていればその場は何とかなったが、この道のり、この家に近づく一歩だけは避けようがなかった。その苦痛は十七歳になった今でも、条件反射のように体が拒否反応として日々起こった。

 玄関の扉を開ける。幸いにも両親の靴はなかった。すなわち、外出中というわけだ。ほっと胸を撫で下ろすと、リビングの扉からひょっこり顔を出す者がいた。


「兄さん、お帰り」

「おう、ただいま」


 弟のオズだ。正確に言うと、オズウェルクは俺と血のつながっていない義弟だ。こいつが俺の家に来てから、俺の環境もがらりと変わった。オズが生まれながらにして持つ純粋な素直さと、極めて高い学習能力の高さを親父は見抜き、養子としてシュナイド一家に迎え入れたのだ。最も態度が変わったのは母親のラシアンだった。母は変わってしまった。出来の悪い俺に注ぎ込めなかった過度な愛情を、オズに捧げるようになったのだ。

 親父に英才教育を施され、母に狂おしいほど愛されるようになった義弟のオズと、親父からは罵詈雑言を浴びせられ、母からは見向きもされなくなった実の息子の俺。オズが来てから、俺は両親から完全に見放されてしまったのだ。だが俺は、家族の中で唯一、義弟のオズだけに心を開いている。俺がただいまと言うのは、家にオズしかいない時だけだ。


「ママは今お出かけ中だからチャンスだよ! ゲームしようよ、ゲーム」

「おし、やるか」


 オズの真っ直ぐに伸びた綺麗な金髪だけ見ると、年頃の女の子のような柔らかい髪の毛をしている。薄い茶髪で無作法に跳ねに跳ねた俺の髪の毛とは大違いだ。髪の毛だけ見てもこれだけ違うのに、オズは俺にないものを全て兼ね備えていた。目を見て人と話せるところ、礼儀正しいところ、従順なところ。そしてこんな俺にまで手を差し伸べてくれる、敵を作らないところ。もはや俺は、オズに対して嫉妬を覚える事すらできなかった。兄弟と友達の関係の、ちょうど中間くらいの絶妙な立ち位置で、俺とオズは同じ屋根の下で暮らしていたのだ。


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