表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地雷掃除人  作者: 東京輔
第5話 Durchbruch ~突破~
48/140

5-10 準備は整った!


 そして、作戦決行日当日。

 起きたのは六時五十三分、いつも通り、目覚まし時計が鳴る前にアラームのスイッチを切る。体温計で体温を計る。三十六.五度、上々だ。瞼も重くないし、頭もすっきりとしている。起こした上半身だけで伸びをして、一瞬脱力する。体の調子は思いの外良好だ。ポォムゥがエコモードで静かなのを見計らって、忍び足で部屋を出るに至るまで、繰り返される日常とかけ離れた要素は何一つ見当たらなかった。そう、俺が食堂に足を運ぶまでは。

 最初の違和感――違和感と呼ぶにはあまりにもかけ離れたもの――を見せたのは、マザー・トードが俺専用の朝食をトレイに乗せた時だった。いい按配に小麦色になったトーストが半分。仄かに湯気が立ち上る焼きたてのベーコンエッグが少々。コーヒーと水が一杯ずつ。白い小鉢に入ったイチゴジャム。これが通常の俺の朝食だ。だけど今日に限って、ベーコンエッグの皿に見慣れないものが盛り合わせてある。シャキシャキの瑞々しいレタスの上に、焼きたてでまだジュージューいっているフライドチキンが皿を支配しているのだ。これではベーコンエッグが引き立て役になってしまうではないか。いや、そもそもとして、ここまで上手くいっていた俺のルーチンが、垂涎を促すフライドチキンの登場によって見事に打ち砕かれてしまった。


「トード、これは何だ?」

「見りゃわかるだろう? 今日は特別な日だからね、一番の美味しい所を揚げてやったよ。それ食べて精をつけるんだね」


 マザー・トードはそう言うと、皺だらけのくしゃっとした笑顔を俺によこした。悪意がないのはわかりきっているから、咎める事もできやしない。「サンクス」と言葉だけは礼を言って、俺はカウンターの一席に腰を置いた。

 それからというものの、食堂にいる連中の様子がどうもおかしい。普段は朝に食堂に顔を見せないコンラッドが、無言で俺の肩をポンポンと叩いて通り過ぎて行ったり、ケイスケが隣に来て奇妙な呪文を唱えたかと思えば、「これを」と言って紙でできた人形を渡してきたり、ジョウの野郎はニコニコとしながら肩もみを始める始末。フライドチキンで胃が若干もたれたせいもあり、この一連の出来事を気まぐれな日常と捉えるのは困難だった。

 コップの水をちびちびと飲みながら胃を休めていると、横からしゃがれた声が聞こえる。


「よぉレンさん。今日は一段と豪勢な食事じゃないかい、えぇ?」

「まあな。朝っぱらからフライドチキンなんて、あんたにはできない所業だろうよ」


 ゲップが出そうなのを意識していたら、しょうもない言葉しか出てこなかった。腹の出たつなぎ姿の中年は、そんな俺を見て鼻で笑った。


「おいおい。皮肉にいつものキレがないぜ? そんなんじゃ締まらねぇなぁ」

「てめぇの腹が出てるのを、人の所為にするのはどうかと思うがな」


 よかった。今度はいくらかマシな皮肉が言えた。


「この腹には、いざという時のためにエネルギーを溜めこんどるのよ。優男の若造にはわからんかね」

「わかりたくもないね、ジジイの屁理屈なんざ」

「年上は敬うものだぜ? まったく、お前さんは何にもわかっちゃいないよ」


 サコンはそう言い残して俺のもとを去った。違和感だらけの食堂で、唯一こいつだけがいつも通りの行動を取りやがった。だからと言って、それが嬉しかったり幸せだったりは微塵も思わないのだが。マザー・トードが勝手に用意したフライドチキンもやけくそで平らげて、俺は胸焼けを感じながら食堂を後にした。


                *


 陽炎で歪む刈草色の道なき道を、ジープは走る。紫外線をいくらかカットするガラスでさえも、この強烈な太陽の熱線の前ではこれほどの役にも立たない。サングラスをしてようやく視界の明度が落ち着くが、車内に走る緊張は回避のしようがなかった。勘違いしてほしくないのは、作戦前に俺がピリピリしているなどという事ではなく、いつもはジープに乗らない人間が乗っているからなのだ。運転席で冷や汗を流しているサンタナ、それを横目に見て助手席に座る俺。そして後部座席から、その緊張の根源となる人物が声を上げる。


「何ですか、この乗り心地の悪さは。シートは固いし座席も狭いし、おまけに汗臭い。私、こんなに処遇の悪い扱いを受けたのは初めてです」

「だから俺は、あんたがついて来るのを最後まで止めたんだ。恨むんなら自分を恨むんだな」


 バックミラーに映る後部座席には、中央に長い足を組んで座る俺のパートナー、ルゥが陣取っている。足が長すぎて、俺とサンタナが座る座席の間から彼女の綺麗な足が見え隠れしている。ルゥのおかげで、クソ暑い道中を普段は絶対つけない空調をつけてジープを走らせているのだが、サンタナは彼女のご機嫌取りに必死のようだった。


「あ、あはは! でも、ルゥさんがついてきてくれてほんと助かりましたよ! 僕とレンさんだけだったら、話す話題もすぐなくなっちゃうし」

「知っていますわ。私はいつでも、貴方たちの会話を聞いていますもの。そう、いつでも……」


 サンタナはまた愛想笑いをして取り繕った。どこに仕掛けてあるのかわからないが、サンタナが運転するこのジープ内のどこかに、ルゥが盗聴器をつけているらしく、俺たちの会話は彼女に筒抜けなのである。変な揚げ足を取られるのも嫌なので、俺たちが車内でくだらないやりとりもしなくなったのは間違いなくこいつのせいだ。


「それと、サンタナ」


 サンタナが返事をするのと同時に、後ろから彼の首にルゥの白い指が絡み付く。サンタナは身をこわばらせ、ある姿勢を保ったままガチガチになった。


「貴方、会話のやりとりが下手すぎます。自分の趣味に関する話ばかりでは、レンでなくとも誰でも退屈してしまいますわ。相手の意見を上手く引き出してあげないと、会話の流れというのはすぐに切れてしまいますのよ?」

「こ、心得ます――」


 妖艶な声で囁かれたサンタナは、顔を真っ赤にしながら震えた声を出した。身を乗り出したルゥの方から、甘い香水の香りがした。サンタナが鼻の下を伸ばすのも仕方がない。

 実際、ルゥがこの場にいなかったら、俺は気を張り詰めていただろう。男のハートを掴む事と、他人を気遣う事に関してはルゥはスペシャリストだ。作戦前に変に緊張する俺を思って、わざわざ同伴してくれたのは言うまでもない。礼を言うのは小っ恥ずかしいから絶対やらないが、彼女に対する感謝の気持ちは心に留めておく。

 ルゥの計らいもあって、目的地までの時間は驚くほど短く感じられた。時刻は午後五時半を回ったところ、他の掃除人達が北側でスダメナの兵士達を陽動している頃だろう。上手くやっている事を願う。

 アイビーグリーンの作業着を身に纏い、ブーツを履き、地雷撤去に使う日本刀を持つと、嫌でも身が引き締まる。俺の姿を見て、ルゥは甘美な声を漏らした。


「やはり、貴方はその恰好をしている時が一番ですわね」

「珍しく意見が合ったな。俺もそう思う」


 俺とルゥは互いに目を合わせ、自然に微笑んだ。


「褒美を用意して待っております。くれぐれも私の努力を無駄にしないよう……」

「そこかよ!」


 笑いながら俺はツッコんだ。しみったれた言葉でももらったら、どう反応すればよいのかと頭を悩ませるところだったが、どうやらそれは俺の杞憂だったようだ。これ以上にない、最高の見送り方だ。

 ルゥの隣にいるサンタナに目をやると、神妙な顔をしていた。


「レンさん……」

「何だ?」

「それ、忘れてますよ」


 サンタナが指を差した俺の胸ポケットから、ミニポムが「ポッ!」と顔を出してあるものを掲げていた。緑色のレンズの優れもの、『土竜眼(モールアイズ)』だ。


「あぶね、忘れてた」

「はぁ~……。行く前からこれじゃ、先が思いやられますよ」

「うっせぇ」


 慌てて『土竜眼』をつける俺に、サンタナはいつもの調子で続けた。


「レンさん、ビリヤードの勝ち逃げは許しませんからね。勝った分のごはんは、しっかりと奢らせてくださいよ」

「言われなくても、しこたま食ってやるさ」


 俺とサンタナは互いに頷き、それ以上は何も言わなかった。そして俺は踵を返して眼前に広がる『必死地帯(デス・ベルト)』を見渡した。だが、俺はそこで少し後悔してしまった。ここから一歩前に踏み出してしまったら、俺と二人との間に境界線ができる。未練という境界線が。今になって、その境界線の存在が俺の中で大きくなっていった。

『生』への執着が心を惑わせ、体の制御を妨げる。そうなれば、『必死地帯』を越える事はできない。重要なのは、生死を頭の中から取り除き、地雷を踏まない事だけを考える事。

自らの鼓動に耳を澄ませ、体内に流れる血の巡りを感じ、『集中』を越えた『散漫』な心の状態を作り上げる事。そのためにすべき事は――。

 目を瞑り、三度ほど深呼吸を繰り返す。肌に感じる太陽の熱線。耳の奥から聞こえる僅かな心音。ゆっくりと目を開ける。吐き気がするほど夥しい数の地雷が地中に蔓延る中で、『土竜眼』はウルフが匍匐前進で進んだ軌跡を、はっきりと映し出していた。


「――行ってくる」


 その言葉を残し、俺は未練の境界線を踏み出した。もう、後戻りはできない。

 余計な事が頭を過ぎらないよう、俺はただひたすら地雷との距離を数値化して、一歩、また一歩と歩を進めた。


 前方五メートル十二.七センチ、回避。次、二メートル二四センチと四九.六センチ。同時に飛び越える。次、やや左、一メートル二九.五センチ。右足で避ける。次、中央、五八.三センチ。左足。次、また左、一メートル五.一センチと三二.三センチ。右足。次、三メートル六十――急ぎ過ぎている。ゆっくり歩け。三メートル六五.八センチ先、左側。……回避。次、一メートル四十センチと五十.二センチ。右足、回避。深呼吸。次、右、八七.九センチ。回避。次――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ