5-8 alternative
「じゃあ、あのフィギュアからあんたまでの距離は?」
テッサは部屋の端にある、ガラス製のショーケースを指差した。その中には、数々のフィギュアが陳列されていた。特にパステルカラーで彩られたキャラクター物が多い。という事は、これらはテッサの私物だろうか。俺には土台理解できないが、テッサがポォムゥの事をやたらと気に入っているのが少しわかった。
大小様々なフィギュアが並んでいたが、背の小さいテッサがどれを指差しているのかはすぐわかった。俺の視線より少し上の段の棚に、いやでも視界に入るフィギュアがその存在をアピールしている。宝石を模したガラスが散りばめられた、フリッフリの黄色を基調とした衣装を纏い、それっぽい決めポーズをした魔法少女的な女の子のやつだ。その髪型も何だかすごい事になっていて、ご丁寧に可愛らしい羽根のついたステッキも持っている。
あんなに目がでかい人間なんているわけないだろう――と、そんな事を言うのは野暮な話か。
「三メートル四〇センチ……。と、五ミリ」
テッサは右の腰に装備していたポーチからメジャーを取り出した。レーザーポインタで測りたい距離を計測できる優れものだ。一点は俺の足元に、もう一点はフィギュアの顔の部分に合わせてボタンを押す。そして計測された距離は、俺の言った数値と数十センチの誤差があった。
「違うじゃん」
「ここから計れ」
俺は自分の眉間に指を置いた。テッサが面倒くさそうにもう一度測ると、数値はピタリと一致した。目を丸くしてテッサは一瞬黙り込んだが、すぐに次の対象物を指差した。
「じゃあ、入口のドアノブまでの距離は?」
「六メートル八十七――いや、八十六センチと九ミリ」
デジタル表記で出力された数値は今回も一致し、テッサはしばらくの間、銅像のように固まっていた。
「合ってる……」
「そういう事だ。だから地中の地雷の位置を正確に計測できるものがあれば、地面のどこに足を置けばいいのかわかるっつー話だ」
「……変なやつ」
「何とでも言ってくれ」
肩をすくめて戯けてみせた俺を、テッサは横目で見やり、再び机に体を預けた。
「わかったわよ。で? 他にも理由があるんでしょ?」
「もう一つは、あまり自分から言いたくないんだが……」
「いいから早く」
俺は頬をぽりぽりと掻いて目を泳がせたが、テッサの貫くような視線と鋭い口調からは逃げられそうになく、軽い嘆息をついた。
「あくまで推測だがな……。俺が臆病者だからじゃねぇのかなって」
「……はぁ?」
「言い方が悪かったな。人を殺す覚悟が俺にはないって事だ。まぁ、大半の人間がそうだと思うが」
テッサはまだ納得がいってないようで、床に視線を落とす俺の方をじっと見て次の言葉を待っていた。俺は近くにあった椅子に浅く腰を下ろし、テッサと視線を合わせぬまま前屈みの状態で話を続けた。
「なぁテッサ。お前、ウルフが言った事を覚えているか? 『人の息の根を止めるのは、俺にとって造作もない』っていうくだりだ」
「うん、覚えてる……」
「ウルフの言う通りなら、あいつにとって殺人は、任務を遂行する上での一つの手段に過ぎない。そしてあいつは、それを選ぶ事もできたはずだ。でも選ばなかった。兵士を殺して採掘場を制圧するのと、殺さないで炎天下の『必死地帯』を匍匐前進で引き返す事。死に物狂いで突破した『必死地帯』をもう一度――だ。 俺にはどちらが危険なのか、そしてどちらが正しい判断なのかはわからない。だが、ウルフは引き返す方を選択したんだ」
「……」
人の物を奪い合い、憎しみ合い、殺し合い、そして再び憎しみ合う……。それが人間のしてきた愚行だ。いや、発達した感情さえ抜いてしまえば、それは他の動物がしている事と変わりないのかもしれない。だが、俺たちは人間だ。感情を抜きにして何かを語ることなどできない存在だ。
サヘランの連中にとっては、俺たちが愚行を重ねる身勝手な人間に見えていると思う。恐怖で植えつけられた先入観は、そう簡単に拭えるはずもない。油田を吸い尽くした悪魔たちがもう一度、我らの土地を脅かす――。そう思って、震えながら銃口を向けるのは想像がつく。だからといって、俺たちも同じように彼らに銃口を向けてしまっては、それは単なる動物と同じ、本能で活動するだけの生命体だ。
ウルフはそれに抗った。愛称こそ動物のものであるが、彼は真に人間らしい行動を選んだのだ。自らの命を危険に晒してまでだ。その彼の誇り高い意志を否定なんかできない。こんな俺でも、一応は人間として生きているのだから。
頭の中で巡っているこの思考を、全てテッサに説明できるほど俺は語り上手じゃない。俺と同様に床に視線を落としているテッサに、ちょっとした疑問を投げかけるのが精一杯だ。
「テッサ、お前ならどうする?」
「え、どうするって……?」
「お前がウルフの立場だったら、どっちを選ぶ?」
「それは……」
消え入りそうな言葉を発して、テッサは再び黙り込んでしまった。数秒の沈黙の後、先に俺が口を開いた。
「簡単には決断できないだろう? それが普通さ。だから早い話、俺はウルフの下した決断に乗っかっているだけだ。そして多分、他の連中もそうだろう。優柔不断な奴らばかりさ」
「……組織として破綻してる」
「だろうな。嫌いになったか?」
机に寄り掛かったまま、テッサは腕組みをしてそっぽを向いた。
「もともと嫌いよ。でも、少しはここの連中の立ちまわり方が理解できた気がする。最初に説明してほしかったところだけどね」
「そう言うな。臆病者の集まりだからこそ、過去の人間が見出せなかった未来もあるはずさ」
「うん」
テッサのその横顔からは、さっきまでの未練じみた表情が消え、清々しい雰囲気さえ感じられた。理屈っぽい新人をこうして丸め込めた事に、我ながら良くやったと褒めてやりたい。
だが、「あっ!」と声を漏らしたテッサは、またいつもの表情に戻り、いつもの強い口調で俺に食ってかかってきた。
「でも! まだ納得はしてない」
「はぁ?」
「スダメナに行くのが何であんたなのか。レン、あんた最後の方話はぐらかしたでしょ?」
「……そうだっけか?」
「そーよ」
俺が椅子に座っているのをいい事に、テッサは人を見下すような態度で言い放った。少々気に食わないが、ここで力強く〆ないと、今までの俺の頑張りが台無しだ。軽い嘆息の後、俺はきちんとテッサの方を見て話した。
「まぁいい。とりあえず俺が言いたいのは、人を殺す覚悟がなくて、なおかつ『必死地帯』を抜けられるだけの能力を持っている奴が、この組織では俺しかいないって事なんだが」
「大層な自信家ですこと。どこからその根拠のない自信が湧き出てくるのかしらね」
これ以上、減らず口の新人の相手をしていては、俺の忍耐力が持ちそうにない。踵を返して部屋から出て行こうとした時だった。
「……これで用件は済んだろ? じゃ、俺は帰るぜ」
「待って」
「あぁん?」
振り返った先には、後ろからポォムゥに抱きつくような体勢で、やや満足げな表情をしたテッサの姿があった。
「まだ話は終わってない」