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地雷掃除人  作者: 東京輔
第4話 Weise ~賢明~
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4-16 ちっぽけな事と白い紙

「そしたらよぉ、カブ―が地面に手をついて泣き始めたときたもんだ。だから俺は言ってやったよ。諦めるにはまだ早いんじゃあないかってね」

「も~う、その話はいいですってば!」

「するとそこに、タイミング良くお前さんが入ってきたわけよ。んまぁ、その絶妙の間を作ったのは、他ならぬ俺なんだがな」

「それじゃまるで二流映画の脇役だな。三文芝居のジジイが、偉そうに語るもんじゃねぇぜ?」

「んだとお!?」

「やんのか!?」

「お~い、エリーさ~ん! ジントニック1つもらえる? カブ―君は何か飲む?」

「あ、じゃあ僕も同じものを」

「ジントニック二つね♪ そこでいきり立ってるお二人さんはいかがかしら?」

「チッ……」

「ふん」

「レンさんとサコンは仲良しッス」

「…………うむ」


 S・Sの酒場のとあるボックス席で、六人の男達が今日の出来事を肴に杯を交わしていた。もっとも、その中の一人はまだ未成年で、オレンジジュースを飲んでいるのだが。

 あんな事があったのにも関わらず、彼らは仕事場から戻ってくるなり取材記者も連れ込んで、酒を飲んでは互いに愚痴を言い合ったり、いがみ合ったり、笑い合ったりしているのである。

 数分前には、医務室で治療を受けていた北条も拉致られて、彼らの輪の中に混じっていた。傍から見る人にとっては、彼が数時間前まで熱中症で倒れ、長い間炎天下に放置されていたとは思わないだろう。

 あと一歩遅かったら死んでいた――。医者からはそう言われ、絶対安静を伝えられたが、北条は意外にも素直に拉致を受け入れたのである。飲まなきゃやってられねぇよ、と鏑木の隣にいた男がぼやいていた。絶望的な状況下から北条を救い出した、勇敢な地雷掃除人――レンは、呂律が危うい程度に酒を嗜んでいた。彼がそう言うのも無理はないだろう。


 改めて、地雷掃除人という職業は極めて危険なものであると、鏑木は取材を経て痛感した。彼らは軍に属する兵士と何ら変わりない、命を落とす危険と常に向かい合っているのだ。


「にしても、やっぱり酒の席には女性がいないと盛り上がらないねぇ」

「ズィーゼでも呼んでみるッスか?」

「いやいや。ジョウ君? あの人は特別さ、悪い意味でね。せめて日付が変わる時間帯でないと、お手合わせは遠慮したいよ」

「そんな事言ってるから、コンラッドはモテないッスよ」

「……ジョウ君も、中々腕を上げたようだね」


 一部の例外を除いて、の話だが。


 だからこそ、こうやって飲む酒の味を忘れないために、彼らは仲間と席を共にしているのかもしれない。昨日までの人生に、何の後悔も残さないように――。注文したジントニックに浮かぶ氷を見つめ、鏑木はしばし考えに耽った。


 思えば、社会に出てからは後悔だけが募っていた。出会った上司が悪かったのか、あるいは適合できなかった自分が悪かったのか。スタートから出端を挫かれて、最愛の人も自分から離れ、子どもの頃からの夢すら最近まで見失っていた。日銭を稼いで、その日暮らしも板についてきたという時に、その夢は輝きを失わず、未だ眩い光を放っていたのだ。

 三十回目の誕生日を迎えた自分にとって、その光は強烈すぎて、直視する事を避けてきた。その光から生まれる自分の影を、覇気のない視線で追っていた。それはそれで心地良かったが、後悔が降り積もっていくのを紛れさせているだけ、というのもわかっていた。


 でもそれは、ちっぽけな事だった。


 今日とも明日ともわからない自分の命を懸けて、彼らが地雷原に足を踏み入れる様を見て、鏑木の思いは変わった。死ぬ事に比べたら、自分が紛れさせていた後悔などは取るに足りないものだと。夢を叶えるために過去の努力は必要だが、夢を見つめる事に昨日までの準備は必要ないと、そう教えてくれたのだ。

 思い悩んでいた事が嘘のように、鏑木の胸の内は晴れ晴れとしていた。


「おいカブ―、聞いてんのか?」

「え? 何ですか?」


 物思いに耽っていた鏑木の肩に、レンが右手をかけて寄り掛かってきた。吐く息が既に酒臭い。


「アレな話だからってとぼけんじゃねぇぞ。九〇より上か下かって聞いてんだよ」

「だから、何の話ですか?」

「ルゥのバストサイズの話だ」

「ぶっ!」


 口につけたジントニックを盛大に吹き出した鏑木をよそに、五人の掃除人達はどうしようもない話で盛り上がっていた。鏑木の向かいに座る中年男性二人がそれぞれの答えを言い合う。


「僕はね、彼女のポテンシャルを信じてるよ。必ず九〇以上はある」

「ふん、お前さんは何にもわかっちゃいないよ。胸ばかりに気を取られるのは素人さ。彼女の全体像を見りゃわかるが、割と華奢な体つきをしとる……。せいぜい八九といったところだろう」

「ルゥさんは九〇以上あると思うッス! その方がルゥさんっぽいッス! ケイスケさんはどっちにするッスか?」


 もう一人、対面のジョウが言ったところで、鏑木と同列の端に座る北条に矛先が向けられる。


「そ、そのような不埒な質問など、某には……」

「もう、大丈夫ッスよ。これだけ酒場が盛り上がってるんだから、誰にも聞かれる事はないッス!」

「腹を括るんだな、ケイスケよぉ」

「ぬ……ぬぅ」


 持っていた陶器の杯を持ち上げて、日本酒を胃に流し込んだ北条の顔は、みるみる赤く染まっていった。どうやら観念したようだ。


「…………………………上で」

「なるほど、巨乳好きか」

「ななな、何を申されるか、レン殿!」

「わかりやすいリアクションだな」


 彼の隣にいるレンは、鏑木に寄り掛かったまま口を大きく開けて笑った。鏑木がこちらに来て、彼の姿を追った中で最高の笑顔だった。


「そういうレン君の答えをまだ聞いていないんだけど?」

「俺か? 俺は下だな。俺の目に狂いはないぜ。……さてカブ―、そろそろ聞かせてもらおうか」

「え゛、え~っと……」


 話をはぐらかそうにも、全員が自分に注目している中ではどうにもならなかった。そして鏑木が諦めて口を開こうとしたところで、恵体のオカマが彼らのボックス席に近づいてきた。


「あ~ら、何だか面白そうな話してるじゃないの♪ 私も混ぜてくれる?」

「おいエリー。この話は男子以外お断りだ。あんたの出る幕はないぜ?」

「あら残念、素敵な女の子を紹介しようと思ったのに」


 エリーは強靭な体をなよなよとくねらせて、ハート形に(かたど)った両手の中に、ある電子機器を包み込んでいた。


「っておい! それ俺の液晶無線機じゃねぇか!?」

「ま、まさか、素敵な女の子というのは……」


 青ざめた北条の声を聞くまでもなく、彼らの前に一際大きなスクリーンが表示された。その中には、容姿端麗という言葉も逃げていきそうな絶世の美女が、ゴミを見る視線で彼らを見つめていた。


「人のいないところで、何やら盛り上がっていたようですわね。これでまた一つ、貴方がたの弱みを握ることができましてよ」

「おぉ、何という事だ……!」

「ひえぇ~、またズィーゼに怒られるッス~!」


 各々が頭を抱える中、絶世の美女――ルゥは甘美な視線を鏑木に向けた。


「……それで、ミスター・カブラギ? 貴方の答えをまだ聞いていませんでしたわね? 参考までに、貴方の意見も聞いておきましょうか。返答次第では、そこにいる破廉恥集団の処罰も軽くなりましてよ?」


 彼女のその言葉に、五人の地雷掃除人達は一斉に鏑木に詰め寄った。


「マジか! おいカブ―、下手こくんじゃねぇぞ!」

「鏑木殿、ここは一つ、貴殿に我が命を託しまする」

「頼んだよ、カブ―君。君はできる人だって信じてる」

「早く答えるんだな、ルゥさんの気分が変わらんうちによぉ」

「カブ―さん、お願いしまッス!」


 鏑木がどんな返答をしたのかは謎であるが、彼らが手厳しい処罰を与えられたのは言うまでもない。


 気がつくと、鏑木は寄宿舎の一室で眠りこけていた。起きたのは五時だったが、デジタル時計をよく見ると、小さくPMと表記されていた。取材の最終日を、しょうもない睡眠時間に費やしてしまったのだ。ほとんどの掃除人がS・Sから出払っていて、当然取材は敢行できなかった。

 一時間ほどで身支度を済ませ、サンタナが待つ駐車場に行くために、S・Sの出入り口から足を一歩踏み出す。鏑木を見送るものは誰もいなかったが、鏑木はその簡素な建物に向かって数秒間頭を下げた。自然とこみあげてくる感謝の気持ちがあったのだ。


 ――ありがとうございました。


 夕日に燃える空に浮かんだ星たちが、出番を待ちきれずに煌めき始めようとしているのを、鏑木は妙に懐かしく感じた。


                *


「――それで取材はできなかったと?」


 日本のオフィスビルのとある一室。サヘランから帰ってきて早々、鏑木は上司の緑山に呼ばれ、取材の活動報告を命じられていた。


「はい。約束を破る事は、仕事に向き合う彼に対しての冒涜だと判断しました」


 煙草を灰皿に押し付けた緑山は、低い声で鏑木に訊ねた。


「鏑木、お前が日本を発つ前に俺が言った事、覚えてるか?」

「……何でしょうか?」

「取材してこいっつったんだよ、この能無しが!」


 煙草の煙で充満した汚らしい部屋に、緑山の怒声が響き渡る。オフィスから漏れていた喋り声も、どうやら凍りついてしまったようだ。


「てめぇの裁量で勝手に判断してんじゃねぇよ。この取材にどれだけの大枚をはたいたと思ってんだ、えぇ!? 人のいう事もろくに守れない奴に、今後取材は任せられない。鏑木、お前はクビだ!」


 突然の宣告に、ちょっと前の鏑木なら必死に額を地面につけて謝り続けたかもしれない。だが、今、緑山の前に背筋を伸ばして立つ鏑木は違った。それは緑山が過去に見た、入社一年目の快活な青年の爽やかな笑顔と酷似していた。


「そうですか、それは丁度良かった」

「あん?」


 様々なファイルが散乱する緑山のデスクに、鏑木は一枚の白い紙を差し出した。


「ロクさん。今までお世話になりました」


 緑山の言葉を待たずに、鏑木は踵を返して若々しい足取りで部屋を出た。


 さて、これからが大変だ。

 自分の通帳に、どれだけの金が入っていたっけ。

 きっと足りない。とりあえず大陸を渡って、それからはヒッチハイクでもやってみるか。

 長い旅になりそうだ。まぁ、それもいいものか。


 計画性の一欠片もない彼の瞳には、力強い何かが宿っていた。

 ――人の役に立つ情報を届けたい。

 遠回りはたくさんしたけれど、ようやく一歩、夢に向かって踏み出す事ができた。


 日本刀を手にする地雷掃除人を求めて、一人の日本人が再び、中東のサヘランへ飛び立とうとしていた。


第4話、いかがでしたでしょうか?


感想、ご意見などあれば、ぜひお聞かせください。

また、活動報告のほうに、第4話の裏話的なものを掲載しています。

そちらもお読みいただけると幸いです。

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