4-10 もう一人の日本人
鏑木がせわしなく取材を続けるのには理由があった。移動日を計算すると、自由に取材できる期間は三日間と、幾許の猶予も与えられていないからだ。真実が隠蔽されていた事に落ち込んでいる暇などは、当然の如く無いのである。故に、時差ボケで午後の九時に急激な眠気が襲いかかってきても、貴重な時間を睡眠で費やすわけにはいかず、自分の食事も程々にして鏑木は取材を続けていた。
「あの、コンラッド? いい加減真面目に答えてくれません?」
「うっそ~!? カブー君は僕の話を信じてくれないの!?」
テーブルを挟んで、鏑木の正面にはアロハシャツを着た男が上機嫌に酒を煽っていた。昨日、鏑木がオカマのエリーに攫われ、次に目にした人間の一人である。この男はコンラッドと名乗った。酒のせいで血色は良いが、前髪の生え際が積み重ねた年齢を物語っている。このコンラッドという男、自らを地雷掃除人と胸を張って自慢げな表情をしているのだが、どうにも話が胡散臭い。
「いくら何でも信憑性が無さすぎです。大体なんですか、太陽光を特殊レンズに当てて、上空から地雷を爆破するって。小学生でももっとマシな嘘をつけますよ」
「つれないなぁ。そんな取材じゃあ僕の素晴らしさを世に伝えられないじゃあないか。ヒック、頼むよカブ―君、金髪巨乳美女と婚約を結ぶまで僕は死ねないんだぁ~!」
スナックで鏑木を見つけた時から彼はずっとこの調子なので、鏑木にとってはいい迷惑だった。貴重な時間が、しょうもないおっさんの愚痴を聞いて消費されるのは我慢ならない。タイミングを見つけて切り上げようとする鏑木だったが、その度にコンラッドが目ざとくそれを咎められ、同じような話を堂々巡りするのであった。金髪巨乳美女のくだりはこれで六週目に入る。そんな様子を見兼ねたのか、思いも寄らない助け舟が鏑木を救った。
「あらあら、今日はコンラッドが出来上がっちゃったみたいね♪ ここは私に任せて、あなたは他の人の取材をしてきなさい」
「すみません、エリーさん」
第一印象がとてつもないインパクトだったエリーではあるが、話してみると意外と人当たりが良く、『レンを撮影しない』という約束のもと、カメラも返してくれたおかげもあって、鏑木の彼 (彼女?)に対する印象はそれほど悪いものではなくなった。エリーは愛想良く微笑み、首を傾いで胸の前で両手を組むという、今時の女性がやるわけがない仕草をしながら、さらに有益な情報を鏑木に与えた。
「いいのよ。あ、そうそう。あそこの角で一人でいる彼、わかるかしら? 彼に話を聞いてみるといいわ。確かあなたと同じ日本人だったはずよ?」
日本人、という言葉を聞いた鏑木は眠気が一気に吹き飛んだ。エリーが指す方向を見ると、こちらに背を向けて佇む体格の良い男性が目に入った。
「えぇ!? ほんとですか、早速行ってみます!」
そう言った鏑木だったが、いきなり後ろから声をかけずに、ひとまずその男性の横に回り込んでカメラ越しに顔を覗き込んだ。年は三〇代後半だろうか、短く切り揃えられた髪型と、厳格な表情にそれ以上の風格を漂わせる。茶色のポロシャツの上からでもわかる胸筋の盛り上がりと、上腕二頭筋による袖口の遊びのなさ具合からして、かなりの筋肉質なようだ。エリーとはまた異なる、近寄りがたい雰囲気の人物だった。
「あの、すみません。少しよろしいでしょうか?」
鏑木に声をかけられ、男はゆっくりした動作で全身をこちらに向けた。一つ一つの挙動に隙がなく、研ぎ澄まされた眼光にたじろぎそうになったが、鏑木は一呼吸置いて、カメラを構えたままはきはきと話した。
「あなたが日本人だというのを伺ったのですが、本当ですか?」
「――い、い、いいい如何にも、そそそれ某は日本人でありますが、そ、そそそその前に一つよろしいか?」
聞き慣れている母国の言葉に鏑木が違和感を覚えたのは、男の噛みっぷりが相当ひどかった所為だ。隙のない身振りから発せられる拍子抜けな震え声に戸惑い、鏑木は一旦カメラのレンズから目を離した。
「は、はぁ。何でしょうか」
「そそその……手に持っているものを、どど、どうか向けないでいただきたく……」
「あ、カメラですか? すみません、撮られるのが苦手な方でしたか……」
「かたじけない。どうもそういうものを向けられると、あがってしまう性分なもので」
鏑木がカメラを持っている手を下ろすと、男はほっと胸を撫で下ろした。口調もようやく身振りと同様に落ち着いたようだった。貴重な撮れ高を撮影できないのは惜しまれるが、鏑木は仕方なくカメラをポケットにしまった。
「そうですか……。じゃあこれはしまっておきます。それでは改めて、あなたに取材を申し込んでもよろしいでしょうか?」
「ははは。某の話など、幾銭にもならぬとは思いますが」
「とんでもありません! ここに日本人がいらっしゃるなんて、思いも寄らなかったですし。早速ですが、いくつか質問させてもらってもいいですか?」
「えぇ」
「おっと――すみません。名乗るのをすっかり忘れていました。僕は極東テレビの、鏑木潤一という者です。あなたのお名前は?」
慌ただしく向かいの席に座る鏑木とは対照的に、男は重低音が響く渋い声でゆっくりと答えた。
「某は北条恵助と申します。微力ながら、ここで地雷掃除人をやらせてもらっております」
「――驚きました。まさか地雷掃除人の中に、日本人がいらっしゃるとは」
「某も、一年と半年前までは日本で個人輸入業をやっていたのですが、ひょんな事から地雷掃除人の存在を知り、気がついたら自分自身もなっていたという、早とちりな愚生であります」
「ひょんな事、と申しますと?」
「物の流通に情報事は必要不可欠。個人貿易の間で、何やら不穏な情報が某の耳に入ったのが事の始まりでした。その情報とは――」
「各先進国の武器使用による、サヘラン内部の地雷撤去の断念――ですか?」
北条の言葉に被せるように、鏑木は言った。北条は軽く頷く。
「如何にも。鏑木殿は優秀なお方だ、いち早くその情報に辿り着いた事でしょう」
「お恥ずかしい話ですが、ここに来てからようやく知った事です……。報道に通じていると思っていた自分が、これほど無知だとは思いませんでした」
「あの国の情報統制には問題がありすぎる。規制という壁を作っても、それを壊したり乗り越えたりする者は必ず現れますからな。だからといって真実をありのままに公表したところで、無意味な混乱を招くのは必至。もはやあの国に腰を落ち着かせる意味はない――これが某を一念発起させた理由であります」
「それにしても、すごい行動力ですね。でも、一年と半年で地雷掃除人になれるものなんですか? 専門的な知識や道具の扱い方など、必要なものは多いと思うのですが」
厳つい見た目からして、職人という言葉がよく似合う北条を見て、きっと血の滲むような努力をしたのだろうと鏑木は予想したが、北条の返答は至って緩いものだった。
「その点に関しては、うちの組織はかなりルーズな態勢と言えましょう。一カ月の講習、二カ月の訓練の後、右も左もわからぬまま地雷原に放り出されましたからな」
「は、はぁ……。よくご無事で」
「運の良さと度胸だけが某の取柄なもので」
はははと、北条は気さくな笑みを浮かべた。古風な言い回しをする北条だが、やはり母国語を聞くと落ち着く。このまま彼の話を肴に酒でも飲み交わす時間がないのが、鏑木は心の底から残念に思った。会話に少し間ができたところで、鏑木は本題に入った。
「北条さん、すみません。あなたの話をもっと詳しくお伺いしたいのですが、実は僕、ある地雷掃除人を取材しにここまでやって来たのです」
「……それはもしや、レン殿の事ではありませぬか?」
厳つい顔つきに戻った北条は、緩めた眼光を再び鋭くした。察しがよいのは日本人同士の会話ならではの事だ。
「やっぱりご存知なんですね!」
「知っているも何も、ここで彼の名を知らぬ者などおりませぬぞ。有能な地雷掃除人が集うこの場所においても、随一の地雷撤去速度を誇る強者ですからな」
「僕も、動画で少し見た事があります! 何というか、本当に地雷を撤去してるのかっていうくらい、あっさりとしてますよね?」
「――そうですな。にわかには信じ難い光景かもしれませぬ」
北条はどこか遠い目をして言った。何か言いたそうな表情をしていたが、構わず鏑木は続けた。
「それで、そのレンに関する情報を何か教えていただければと思いまして」
「残念ながら、某もここにいる同志達と同じく、ルゥ殿に口止めをされておるのです。役に立てず申し訳ない」
「……そうなんですか。あ、全然大丈夫なので気にしないでください! あははは……」
頭を下げる北条に、鏑木は力のない笑い声で取り繕った。すると突然、北条は席を立ち、高い位置から鏑木を見据えた。日本人と言わなければわからないくらい、逞しい肉体をしている。北条には悪いが、昨日の事もあって、鏑木は少しだけ貞操の危機を感じた。
「助言というほどのものではありませぬが、本人の口から聞くのが最善の策と思われます。 某も丁度、レン殿のいる場所に用がありましてな、よろしければついてきてくださるか?」
「あ、ありがとうございます!」
北条は踵を返して、食堂の出入り口に向かった。歩幅にかなりの差があったので、鏑木は小走りになりながらも北条について行った。
*
食堂につながる真っ直ぐに伸びた廊下を、二人の日本人が歩いていた。建物の両端を移動した鏑木達は、食堂とは真逆の位置にあるトレーニングルームへと足を運んでいた。鏑木も日中この部屋を観察しにきたが、レンの姿が見えないので、取材も程々にして離れた場所である。しかし、鏑木が一刻もこの場所を離れたかった理由は別にあった。鼻にツンとくるほどの、汗や体臭の臭いが部屋を充満していたからである。北条は慣れているのか、その部屋に迷いなく入ったが、鏑木はなるべく浅い呼吸をして、室内の空気を吸い込まないようにした。
部屋に入ると、スポーツジムなどでよく見かける様々な器具が置かれていた。壁には鏡が設置されていて、設備は十分に整えられているようだった。しかし、人の姿は見えず、ただ器具の金属が軋む音が一つだけ、広い室内に響かせていた。そこには、朝に見せた余裕綽々の顔を歪ませて、汗を垂らしながら歯をくいしばって器具を唸らすレンの姿があった。あまりの必死な形相だったので、鏑木は一瞬誰だか判別できなかった。
「レン殿、少しよろしいか」
北条の言葉に手の動きを止め、上半身を起こしてレンは荒い呼吸を繰り返した。長い髪から滴る幾粒の汗が、彼の余裕のなさを物語っていた。ふと彼の腕に目をやると、細い身体からやけに不釣り合いな、引き締まった筋肉がついてあった。二の腕だけでなく、肘から手首にかけても鏑木の腕より数段太い。鏑木はテッサの雄弁を思い出した。始めは全く信じていなかったものの、レンの鬼のような腕を見た後では、もしかしたら彼女の言っていた事は本当なのかもしれないと、鏑木はそう思ってしまった。
未だに呼吸は整っていなかったが、レンは鏑木に一瞥をくれた後、北条に視線を向けた。
「はぁ……はぁ……。おいケイスケ、あんたの後ろにいる野郎は何だ。金でも積まれたのか?」
「銭で行動するほど、某は器用ではありませぬ。同じ国の出身同士の馴染み、とでも言っておきましょう」
「そうか、あんたも極東の出身だったな」
手元にあったスポーツドリンクに口をつけ、ようやく落ち着いたレンは鏑木を指差して言い放った。
「だが、俺はもうこいつのインタビューを受けたんだ。取材嫌いの俺がだぞ? こいつの傍には近づきたくないってのが本音だな。どこかに隠しカメラを忍ばせているかもしれねぇし」
「隠しカメラなんか持ってないです!」
どんなに疲れていても、レンが人の癪に障る事を言うのは相変わらずだった。声を大きくして否定した鏑木だったが、その手があったか……! と、心の中で後悔していた。
北条が腕組みをして頷き、口を開く。
「わかってはいましたが、取りつく島もない様子ですな。 まぁそれはさておき、レン殿にはある許可をいただきたく参った所存です」
「ある許可?」
「明日の仕事場――アッフォリムに鏑木殿を連れていってもよいか、レン殿に断っておく必要があると思いまして」
北条の言葉に、レンは怪訝そうな顔をした。
「なぜ俺に聞く?」
「こんな時間に鍛錬など、余程体力が有り余っていると見える。体が疼いて仕方がないのではありませぬか?」
穏やかでありながらも、どこか確信めいた口調で北条はレンに訊ねた。表情を崩すほどの余裕ができたのだろうか、レンは肩をすくめて微妙な顔をした。
「け、大した洞察力だよ。確かに俺は明日、現場でジョウのお守りをしに行くが、それだけだ。ルゥの奴もうるさいし、頼まれたから仕方なく行くだけだからな。俺は何もしねぇぞ」
「左様ですか。ならば問題ありませんな」
二人の会話を見守る鏑木だったが、彼の知らぬ間に話が動いていた。レンを現場に行かせる事ができ、なおかつ他の人の取材は認められている。だとすれば、何かの間違いで日本刀を持つ地雷掃除人をカメラに収める事だってあり得るのだ。北条と目が合うと、無言で頷いてくれた。どうやら彼には感謝してもしきれないようだ。
だが、鏑木が北条に頭を下げる前に、いち早くレンに釘を刺されてしまった。
「おいカブ―。カメラを持っていくのはあんたの勝手だが、絶対に俺を映すんじゃねぇぞ。映したらエリーの車に一生ぶち込んでやるからな」