4-7 甘いものにはご用心
「本当の事を言ってもらえますか?」
「知らん」
「証拠は挙がってるんです。言い逃れはできませんよ」
「さあ。俺には何の事だかさっぱり」
「だったら、こっちを向いて話してもらえません?」
「いやはや、今日は天気が良い日だなぁ」
質疑応答が成り立たないままに、鏑木とシュナイドは隣同士で同じ方向を向いて会話をしていた。いや、シュナイドが一方的に、鏑木の鋭い視線をかわしている状態と言ってよいだろう。シュナイドのさらに奥には、ジョウと呼ばれる少年が不思議そうに二人のやりとりを見ている。その口には、シュナイドが無理矢理詰め込んだロールパンを頬張らせていた。
「シュ ナ イ ド ? いいや、それとも『レン』と呼んだ方がいいですか?」
鏑木は大袈裟に、そして一字一句はっきりとした口調で、隣に座るシュナイドに向かって声を上げた。普段は落ち着いた話し方をする鏑木が、このような口調で喋るのは、別にシュナイドに対して怒りを露にしているわけではない。シュナイドが鏑木に嘘をついて、故意にオカマの下へ行かせたというのは確かだが、それよりも取材対象の大本命が目の前にいるという事実が、鏑木の声を上ずらせたのである。
シュナイドはゆっくりと鏑木の方を向いて、ほんの一瞬だけ彼と目を合わせたが、すぐに逸らして溜息を漏らした。
「――はぁ。なあカブ―よ、いっその事、もう一回寝てくれやしないか? 多分その方が、お互いに幸せだとおも――」
「あ り え ま せ ん。あなたの口から本当の事を言ってもらうまで、僕はずっとあなたの傍に付きまといますからね」
シュナイドの浅はかな提案は、被せ気味に放たれた鏑木の言葉によって跡形もなく飲み込まれた。飲み込まれるために生まれてきたような言葉だったのは言うまでもない。そんな鏑木の強気な態度を目の当たりにして、太陽の色に近い赤毛の少年が感心したように頷いた。
「おぉー、すごいやる気ッス。これぞ取材班の鑑ッスね」
「お前はもう何も喋るなっ」
シュナイドは何の躊躇もなく、隣のジョウの頭頂部にゲンコツをかました。中指の第二関節だけ少し突き出していたのを、鏑木は見逃さなかった。ジョウは殴られた部分を抑えて、信じられないという表情をしていた。
「え~!? レンさん、何で僕の事叩くッスか!? ひどいッス!」
「だから、それ以上何も喋るなっての!」
シュナイドは握り拳をジョウに見せつけ、喚き散らす彼を黙らせた。仕事仲間というよりはむしろ、兄弟のような二人の仲睦まじいやりとりは、食堂全体に響き渡るほどに騒がしいものであった。それでも誰も何も言わないのは、それが日常茶飯事に起こる出来事であるからなのではと、鏑木は予想した。
そんな事はどうでもよく、鏑木が再びシュナイドを問い詰めようとしたところで、ピーピーという簡素な電子音がどこからか聞こえた。幾許もしないうちに、シュナイドが仏頂面をして、彼の腰にあった液晶無線機を木製のカウンターに置いた。液晶無線機が何もない空間にモニターを作り出すと、そこには鏑木が思わず目を疑ってしまうほどの美女が映しだされた。
現実離れした淡い桃色の髪を後ろでまとめた姿は、さながらどこかの物語から引っ張り出してきた女王の様だった。ふっくらとした妖艶な唇から奏でられる声は、天使とも悪魔ともいえる、危険な魅力を孕んでいた。鏑木はそれを見て、思わず息を呑んだ。
「――どうやら、思いの外早く気づかれてしまったようですわね」
「チッ、何だよルゥ。わざわざ俺の事を笑いにきたのか?」
魅惑のボイスに甘美な視線。にもかかわらず、シュナイドはそれらを物ともせず、鏑木と応対するときと何ら変わらずにその美女をあしらった。世界中を取材してきた鏑木だったが、自分の知っている世界がいかに狭いものなのかを知らされた瞬間だった。鏑木が驚愕している間にも彼らの会話は続いた。
「卑屈な人。それとも、私が放つ罵詈雑言をとても楽しみに待っていたのかしら? だとしたら、貴方に対する対応の仕方を改め直さなければなりませんわね」
「んなわけあるかっ! ったく、どいつもこいつも……」
「まぁ、用があるのは貴方ではなくて、貴方の隣の御仁とお話がしたくて連絡を差し上げましたの。そこの御方、少しよろしいかしら?」
美女はシュナイドの隣にいる鏑木に目を留めた。
「――へ? 僕ですか?」
「そう、貴方です」
その甘美な視線が自分に向けられていると思うと、鏑木は全ての意識をその美女に集中せざるを得なかった。鏑木の脈打つ鼓動が速くなるのも知らず、その美女は再び魅惑の声を奏でた。
「私、貴方が探している地雷掃除人のパートナーを務める、ルゥビノ・アクタウスと申します。私の事はルゥと呼んでくれて構いませんわ。どうぞよろしく」
「はぁ、どうも……」
「先日、貴方が車の中でサンタナと話していた時に、私の話題になった事がありましたわね。覚えているかしら? 『優秀なパートナーがついている』という……」
「――ああ! あなたが例の!」
ルゥの言葉を聞いて、鏑木は車のハンドルに額を当ててうなだれるサンタナの姿を思い出した。こんな美女を目の当りにしたら、彼の諦めに似た表情にも頷ける。本能的に逆らう事を許されない――そのような催眠にでもかかっているような感覚だった。
「その節は、うちのサンタナがお世話になりましたわ。そして今も、そこにいるジョウが口を滑らせてしまったようで……」
「え、なになに? ルゥさん、僕の事呼んでくれたッスか?」
自分の名前が呼ばれた途端、シュナイドに殴られて涙目になっていたジョウがひょっこり顔を出した。彼もまた、ルゥのかける催眠にかかりっぱなしの一人のようだ。
「ええ、呼びましたとも。貴方には罰として、今度、私とズィーゼの椅子になってもらいますので、覚悟しておいてください」
「えぇ!? 何でッスか!」
「詳しくは後ほどズィーゼから伺ってください。――話が逸れてしまいましたわ。失礼しましたわね、ミスター・カブラギ」
「いえいえ、とんでもありません!」
「さて、それでは本題に入りましょうか」
椅子とは一体何の事だろう――と、気になって仕方がない鏑木だったが、ルゥが本題に入るという言葉を口にしたので、その疑問は一旦彼の胸の中にしまっておくことにした。
「既にご存知だとは思いますが、貴方が取材しにいらした最大の目的が、貴方の目の前にいる事でしょう」
「――という事は、やっぱり!?」
「私の口からはこれ以上の事は言いかねますが、興味があるのでしたら、貴方の隣で機嫌を損ねている方に訊ねてみてはいかがでしょうか?」
鏑木が横に目を移すと、シュナイドが湯気の立った食後のコーヒーを熱がりながら啜っていた。
「まぁ、それはさておき……。本題というのは、そこにいるシュナイドの取材を許可するという件についてなのですが」
「ぶっ!」
鏑木が聞き返す前に、シュナイドが啜っているコーヒーを噴き出した。モニター上のルゥとシュナイドの二人の間で、それぞれの視線が飛び交った。一瞬の沈黙の後、汚してしまったカウンターを拭きながらシュナイドが口を開いた。
「おいルゥ、言ってる意味わかってんのか? 俺との契約はどうした、契約は!?」
「あら、私と貴方の関係が、紙の書類などで縛られるほど弱い繋がりだったのかしら?」
「戯言はいい。さっさと理由を言いやがれ」
「理由も何も、向けられた好意を反故にする事なんて、私には到底できないというだけですわ。――ねぇ、ミスター・カブラギ?」
「ふぇ?」
何故に自分に話題が振られたのかちっとも理解できず、その代わり鏑木は素っ頓狂な声を上げた。ルゥは左手に、鏑木の見覚えのある袋を取り出した。
「貴方から受け取った、この和菓子の詰め合わせ……。誠に美味しく頂きましたわ。ありがとうございます」
*
時は前日の午後に遡る。鏑木はサンタナの運転する車でS・Sに向かう途中、トイレ休憩の際に二人とも車外に出た時の話である。サンタナがアイスコーヒーを鏑木に渡し、木陰のベンチに腰を下ろして一息ついた頃だった。
「ふ~ぅ。盗聴器は車の中に仕込まれているらしいので、ここなら何を言っても問題ないですよ、カブラギさん」
「は、はぁ……。それにしても大変ですね。常時監視されているというのも」
「気にしないでください。――処罰はありますが、むしろちょっとご褒美だし」
何を言ったのかぎりぎり聞こえない程度の大きさで、サンタナは呟いた。
「え? 何か言いました?」
「いいえ、何でも! ――そう、カブラギさんには一つ、ある事を覚えてもらいたくって!」
「ある事?」
「カブラギさんの探している地雷掃除人は、とても頑固で取材に絶対応じない。しかもその前に、その人のパートナーにあらゆる手段で阻まれる事でしょう。まさに難攻不落といった状態です。でも、本人ではなくて、そのパートナーのほうを説得する事さえできれば、意外とすんなり取材ができるかもしれません。――あ、理由は聞かないでくださいね。この会話がもし盗聴されていたら、僕クビになるかもしれませんから」
サンタナがちらりと言った危ない発言を、鏑木はあえて何もツッコまずにおいた。
「パートナーのほう、ですか……。その方は、今行くS・Sにいらっしゃるのですか?」
「残念ながらいないんです。どこにいるのかというと、僕らが会った空港の反対側にある、ギズモの首都にある本部のビルにいることでしょう。あ、僕も大抵はそこで雑用をこなしてるんですけどね」
「そうですか……。サンタナ、その方の何か好きな物とか知りませんか? 速達便を使えば――金額はかかりますが、僕の国から送ってもらう事も不可能じゃないですし」
こういう話は取材中ならよくある話だった。情報を提供する代わりに、その対価を要求するのは交渉として当然の事だ。最も単純に話がつくのは札束だが、今回はそう簡単にいくわけではなさそうだ。鏑木の出した提案も、海外輸送にも何百万もかかるこのご時世においては、むしろ愚かなものだった。とにかく情報が欲しい。その一点に込められた苦し紛れの策だった。
サンタナを首を傾げ、声を唸らせる。
「好きな物ですか……。う~ん、何だろう……?」
「何でもいいんです」
「……甘いもの、かなぁ。毎日色んなおやつ食べてるし」
「甘いもの――あっ!」
思い立ったように、鏑木は自分のバッグに手を突っ込んで中をかき回した。奥底に眠るそれを探り当てると、サンタナにそれを手渡した。
「サンタナ、これをその方に渡してくれませんか?」
「え? 何です、これ?」
「僕がいつも海外取材に行くときに、持っていく和菓子セットです。――といっても、コンビニとかで売ってる安物なんですけど」
それは、饅頭や煎餅、ミニサイズのどら焼きに甘納豆といった、日本人なら誰でも食べたことのある和菓子を、大きめの袋に詰め合わせたものだった。日本を離れても挫けないように、お守りのような感じで鏑木が毎度バッグに忍ばせている一品だ。日持ちするかどうかは考慮に入れてあるため、問題はないだろう。
これにはサンタナも頷き、にこやかな笑顔を鏑木に向けた。
「へぇ、いいんじゃないかな。きっとあの人も喜ぶと思いますよ」
「よろしくお願いしますね!」
和菓子って、無性に食べたくなる時がありますよね。