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地雷掃除人  作者: 東京輔
第4話 Weise ~賢明~
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4-5 情報収集開始!

 酷い夢を見た。

 ホラー映画に出てくる怪物や、得体の知れない何かに追われ、恐怖に駆られる夢は誰でも一度は見たことがあると思う。だが、鏑木が見た悪夢はそれと若干質が異なり、逃げ場がない状態で怪物に食い殺されそうになるといった、死ぬかもしれない恐怖ではなくて、確定している死がじわじわと近づいてくる恐怖、これを夢の中で体験したのである。背中にはじっとりと汗が染みこみ、心臓が飛び出そうなほどに鏑木の胸を叩いている。


「ここは……?」


 そのような夢を見た後は、たいてい頭が混乱していて、『ここはどこ? 私は誰?』状態になっている事が多い。鏑木もその例外ではなかった。だが、鏑木の目に映る景色は彼の記憶にないものであったため、心音が落ち着きを取り戻すまで鏑木は辺りを見回していた。

 橙色が灯る仄暗いその部屋には、左右に窓が配置されていて、通路を挟むように同じ方向を向いた椅子が敷き詰められている。――いや、これは椅子ではない、座席だ。そしてここは、ある一室ではなくて車の中だ。鏑木はその車の後部座席で寝ていたのだ。

 そうだ、今自分は海外取材に来ていて、ようやくS・Sに辿り着いたのだ。鏑木は右手を口元にやって頭の中を整理した。もう少しで思い出せそうな気がする。鏑木が考え込もうとしたその時、前の座席の方から妙にトーンの高い男の声が聞こえた。


「あら、気がついた?」

「ひっ!」


 ひょっこりと座席から姿を現したその顔は、夢の中で見た怪物のまさしくそれだった。座席が陰になって、うまいこと生首のように見えるそれは、立ち上がってその全貌を露にする。はちきれんばかりのタンクトップに隠れきれていない、筋肉で固められた逆三角形の巨躯。鏑木はそこでようやく理解した。怖い夢より何百倍も恐ろしい現実に、意識を奪われたという事を。


「んもう、そんなに怯えなくても大丈夫よ。取って食ったりなんかしないから♪」


 その巨人はなよなよしい歩き方で鏑木の方へ近づいていくる。たまらず鏑木は後部座席の隅へ逃げ込むが、無駄なあがきだった。とうとう巨人が目の前まで近づいたところで、鏑木はようやくまともな思考回路を働かせることができた。


「あ、あなたは一体何なんですか!?」

「私? 私はねぇ――」


 少し前かがみになって両腕を締め、胸(というか胸筋)を強調する、グラビアアイドルなんかがよくやるポーズを、巨人なオカマはしてみせた。鏑木と目線が合ったところで、強烈なウインクもおまけでついてきた。


「純情乙女よ」


 オカマはそう言って鏑木の服の後ろ襟を掴み、うつ伏せ状態の鏑木をいとも簡単に右肩に乗せた。


「わ、何するんです!?」

「決まってるじゃない、新婚旅行(ハネムーン)へとしゃれ込むのよ、オホホホホホ……」


 鏑木のささやかな抵抗など気にも留めず、オカマは鏑木を抱えたまま車を降り、鼻歌交じりにS・Sに向かって大股で歩き出した。


「い、いやだああああぁぁぁぁ……」


                *


 鏑木は巨人に担ぎ上げられたまま、なす術もなくS・S内部に連れ込まれた。巨人のオカマの背丈から見えるS・Sは意外と天井が低く、廊下の幅も狭く感じられた。抵抗も無駄な努力と悟った鏑木は、なぜ自分がこんな目に遭っているのかを考えた。そしてすぐに、このS・Sの中で会った一人の男を思い出す。彼に言われて、オカマが住まう巣窟にわざわざ自分から近づいてしまったのだ。あの男が最後に見せた不敵な笑みの理由を、鏑木はようやく理解した。理解したところで、今の状況が良くなるわけではないのだが。


「は~い、とうちゃ~く♪」


 そうこうしている内に、鏑木はオカマの肩から降ろされた。何十年も使われていそうな、しかし同時に小奇麗な印象を持たせる長テーブルの列が、鏑木の目に入る。小さめのシャンデリアから灯される控えめな照明が、それらに一層深みを加えた。そしてミートソースの香ばしい香りが、鏑木の鼻孔をくすぐる。先程嗅いだ匂いは、どうやらこの部屋から漂ってきたものらしい。鏑木が着席した丸椅子も、規則的に並べられたものの1つで、背後には木製のカウンターが設置されていた。

 そのカウンターの向こうに、いつの間にか鏑木を担いでいたオカマが顔を覗かせていた。オカマはにんまりと微笑み、鏑木を見やる。


「私は着替えてくるから、そこで待っててちょうだい。わかってると思うけど、逃げるとかそんな事考えちゃだめよ? 私、逃げ惑う男の子を全力疾走で捕まえるのが大好きなの♪」

「は、はい……」


 鏑木の脳裏によぎった逃亡の手立ては、一瞬にして水泡に帰した。


「あ、それと」


 オカマは鏑木に悪戯な視線を送る。


「覗いちゃダメよ♪」


 そう言い残し、オカマはカウンターの奥の部屋に消えていった。鏑木は空気の抜けた風船のように、その場にへたり込んだ。丸一日かかったサヘランまでの旅路より、数分間オカマに振り回されるほうが疲れるというのは、いかがなものか。思考を巡らせて逃亡を図るという行為は、疲労困憊の鏑木の選択肢の中には存在しなかった。カウンターに突っ伏し、ただただ助かってよかったと、生存欲求が満たされるのをその身に噛み締めていたのだ。


 ――何しにこんな所に来たんだっけ。ああ、そうだ。日本刀を持つ地雷掃除人、そんないるのかいないのかもわからない人物を探しに来たのか。疲れ果てた鏑木は、突っ伏した状態で夢の世界に羽ばたこうとしていた。夢の中の怪物のほうが、あの嘘みたいなオカマより可愛げがあるかもしれない。自分一人しかいないこの広い空間を脅かしたのは、この部屋とつながる廊下の向こうから聞こえる、雑多な足音だった。

 その足音が近づくにつれ、すごく嫌なイメージが鏑木の頭によぎった。奥に潜んだあのオカマが仲間を呼び、自分を蹂躙しようとしているのではないか。右も左もわからぬ東洋人を、慰み者にしようと企んでいるのではないか。そう考えると、足音の正体はオカマの仲間という事になってしまい、鏑木は本当に逃げ場を失ってしまう。だが、その足音はついにそこまで来てしまい、いくつかの脚が曲がり角から姿を現した。


 恐る恐る鏑木は目線を上げると、くたびれた恰好をした中年男性達が次々と姿を現した。モスグリーンの薄汚い作業着の上着を腰に巻いていたり、寝間着を着ていたり、中にはアロハシャツを着ていたりしている人もいる。人種も様々だ。肌の色は言わずもがな、鼻の高さや髪の色すら多種多様で、とても一括りにはできなかった。唯一統一されたものといえば、性別が皆男性ということぐらいだ。オカマではないということが確認できたところで、鏑木はほっと一安心する。

 その中の二人が鏑木の存在に気づいたようで、悠然とした様子でこちらに近づいてきた。アロハシャツを着た男が鏑木の右に座る。


「おや、珍しいね。先客がいるよ」

「カッカッカ! お前さん、その様子だとエリーに無理矢理連れてこられたクチかい、えぇ?」


 そして左には、作業着を腰に巻いた男が陣取った。名も知らぬ外人に挟まれた形だったが、不思議と威圧感は感じられなかった。鏑木は作業着の男のほうを見る。


「エリー? その人ってまさか……?」

「そう、あっちの奥で着替えてるのがエリーさんだよ。ここでスナックを経営してる」


 鏑木の質問には、反対側のアロハシャツの男が答えた。その男は眼鏡をかけていたが、サイズが合っていないのかそれがほんの少しだけ傾いていたため、どこか冴えない印象があった。黒髪の短髪もしなびた感じで、広めの額を隠しきれていないところが何とも哀愁を漂わせる。それとは逆に、作業着の男は恰幅がよく、話し方から察するに『図太い』という言葉がしっくり当て嵌まる。彼の姿形に見覚えがあると思ったら、鏑木は上司である緑山の顔を、ふと思い出した。


「ところでお前さん、何者だい? 見たところ、ここは初めてのようだが?」


 作業着の男にそう問われたところで、鏑木は自分の使命をようやく思い出した。上着にカメラがある事を確認したうえで、ポケットから取り出そうとするが、突っ掛かってなかなか出てこない。時間稼ぎも兼ねて、鏑木は愛想笑いでその場を取り繕いだ。


「あ、あの! 僕は日本から来ました、極東テレビの鏑木という者なんですが」

「テレビ屋さんかぁ! なるほど、確かに真面目そうな顔してるねぇ。僕らとは根本から違うよ、サコン」

「お前さんと俺を一緒にするんじゃねぇよ。俺はこれでも昔はインテリで通ってたんだ」

「昔話は切ないね。そうだテレビ屋さん、せっかくだからカメラ回してよ。それで有名になれれば、僕らにもハッピーな人生が舞い込んでくるかもしれないし」

「け、お前さんの頭ん中はどこまでお花畑なんだよ」

「夢を見なきゃ人は腐るさ。金髪巨乳美女を嫁にもらうまで、僕の頭はお花畑であり続けるよ! そんな事よりテレビ屋さん、早くカメラカメラ」

「あ、はい……」


 もしかしたら、例の人物について有益な情報が得られるかもしれない。そう思った鏑木は、アロハシャツの男に促されるように、上着のポケットからやっとカメラを取り出して撮影を始めようとしたが、誰かにそれをひょいと取り上げられた。


「え?」


 素っ頓狂な声を上げて、鏑木は取り上げられたカメラのほうを見ると、バーテンダーの服装に身を包んだあのオカマが、腰に手を当てた体勢で鏑木のカメラをもう片方の手の平に乗せていた。


「ん~ふふ♪ これは私が預かってあげるわ」

「ちょ、ちょっと! 返してください!」


 手を伸ばして鏑木はカメラを奪い返そうとしたが、屈強なオカマはまるで幼子をあやすように彼をあしらった。彼の手の届かない高さまで手を上げて、それでもセクシーポーズは最後まで崩さなかった。


「あん、それはできない相談ね。実は私のマブダチに、こうするよう頼まれてるの。悪いけど、詮索しない方が身のためよ♪」


 オカマが何の事を言っているのかさっぱりわからなかったが、鏑木は数時間前に一緒にいたサンタナの言葉を思い出す。

『あのね、カブラギさん。あの人を取材できない理由がもう一つありました』

『……教えてください』

『彼には、すごく優秀なパートナーがついてるんです』


「マブダチ……? もしかして、レンという地雷掃除人の、パートナーの人のことを言ってるんですか!?」

「あら、察しが良いじゃない。頭の良い男って、私好きよ♪」


 まさかと思ったが、そのまさかだった事が判明し、鏑木は思いっきり肩を落とす。どうやらサンタナが言っていた、『優秀なパートナーがついている』というのは本当の事らしい。――オカマに妨害されるとは夢にも思わなかったが。あ、夢には出てきたか……。

 二人の会話を聞いていた作業着の男は、ばつの悪いようにして話に割り込んできた。


「なんでぇ、お前さんもあの青瓢箪の野郎を取材しに来たってわけかい、えぇ?」

「あぁ、金髪巨乳美女が遠のいていく……」


 アロハシャツの男が何か呟いた気がしたが、構わず鏑木は作業着の男に向かって話した。


「あの、ミスター。そのレンという地雷掃除人をご存知なんですか?」

「愚問だね。俺はあいつの湿気た面を、毎日嫌でも見とるんだ。知らないわけがねぇ」

「その方について、詳しく聞かせていただけますか!? あ、でも……」


 身を乗り出した鏑木だったが、オカマを一瞥した後言葉を詰まらせた。取材を妨害されるとなると、この人物ほど面倒な事この上ないからだ。鏑木の視線に気づいたオカマは、ある意味で悩殺なウインクをしてみせた。


「ん~ふふ♪ 私が頼まれたのはカメラの没収だけよ。後はあなたの好きになさい」

「あ、ありがとうございます! それじゃあミスター、あちらのテーブルで詳しくお話を――」

「俺の名はサコンだ、覚えときな。それとお前さん、いっとう大事な事を忘れとる」


 作業着の男はショットグラスを片手で二つ持ち、その一つを鏑木の手前までスライドさせた。


「まずは乾杯、だわな」

「ブロンド……ボイン……。あぁ、また遠のいていく……」

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