4-1 This is the official movie.
「鏑木です。入りますよ」
ノックの後に扉の向こうから、おう、という小気味の良い返事が返ってきた。扉を開けると、黒革の上品な椅子に不釣り合いな中年が、口に煙草を咥え腕組みをして半透明の液晶ウインドウを眺めていた。
「ロクさん、僕なんか呼び出して何の御用です?」
一端のADである自分が、名の知れたディレクターに割とくだけた言葉遣いで問いかけられるのは、そのディレクターが自分の事を毎度のようにこき使っているからであり、今日の呼び出しはそうでなきゃいいな、と鏑木は淡い望みを抱いていた。
ロクと呼ばれた中年――緑山は咥えていた煙草を灰皿に押し付け、鏑木を見やる。
「お、来たねカブちゃん。いやさ、カブちゃん以外の人間には頼めない事でね」
鏑木は心の中で溜息をついた。ロクが自分の事をカブちゃんと呼ぶ時は、大抵無理難題を自分に解決させようとするからだ。もちろん、上司であるロクには逆らえなかったが、態度より先に鏑木自身の口が、条件反射のように勝手に動いた。
「……また海外取材ですか」
「さっすが、カブちゃんは頭の回転が速いね~。デキる男はやっぱし違うよ」
今度は間違いなく鏑木は溜息をついた。数年前、この緑山が企画したもので、ADが名前も初めて聞くような外国に飛ばされ、そこで単身アポなし取材を行うといった正気の沙汰ではない番組が、当時人気を博していた。二十一世紀にもなって、打ち合わせややらせが皆無の内容が逆に受けたらしく、ゴールデンタイムで放映されるまでにその番組は登りつめた。その番組ADを務めた鏑木も、人気を担う一端になっていた。
しかし、鏑木自身はその取材中は満身創痍で、日本に帰ってくる度に高熱を出していたのに、番組中ではその話題は一切触れられなかった。そのような経緯を知らずとも、その番組は栄枯盛衰のままに視聴率は落ちていき、深夜枠に戻された四年前に、誰にも気づかれる事なくひっそりと最終回を遂げた。
それからも度々、『あの人気ADが再び○○の地へ!』といった安っぽい謳い文句で、鏑木は緑山の言われるままに海外に飛ばされたが、二番煎じも甚だい内容に視聴者は呆れかえり、鏑木はついに『人気AD』という冠さえも失ってしまった。
鏑木自身はやっと裏方の仕事に戻れると、前向きな姿勢でここ数年は働いていた。だが、その期間でも緑山は自分の立場をいい事に、自分勝手な番組企画を立ち上げては潰していき、それを見限った優秀な人材が、みるみる会社を離れていった。
離れるタイミングを失った鏑木は、せめて自分がこの会社を再起してみせると、孤軍奮闘の意向を見せたところで緑山に呼び出され、そして現在に至るというわけだ。
鏑木の静かな怒りを感じ取れるほど繊細ではない緑山は、意気揚々として液晶ウインドウを鏑木の方に向けた。
「まずはこれを見てくれ」
画面を見ると、それは有名な動画投稿サイトのようで、ストリーミングを終えた動画が黒い画面になり、再生されるのを待機している。鏑木は動画の上に表記されているタイトルを見たが、それは頭上に疑問符が浮かぶほどに奇妙なものであった。
「The Samurai Mine Sweeper――何ですか、これ?」
「その動画の、二分一〇秒あたりからだ。――そうだ、そっからじっくり見てくれ」
緑山は顎を使って鏑木に指示した。鏑木はそれに従って画面上のシークバーを動かし、再生時間の二分くらいから動画を再生させる。
黄土色の乾燥した大地に干からびた雑草――荒野と呼ぶにふさわしいその風景にぽつんと、一人の男が立っている。その男の十メートル程手前だろうか、DANGERという言葉とともに、地雷が表記された標識が立っている。
――地雷原。後姿で顔は分からないが、確かに男は地雷原に足を踏み入れ、そこであるものを振りかざした。
「――え? 日本刀!?」
画面上の男が日本刀らしきものを振り下ろすと同時に、そこから白い煙が噴出する。地雷が起爆したのかと鏑木は一瞬ヒヤッとしたが、男は健在で、その白煙が無くならないうちに数歩歩きだしたかと思えば、再び地面に日本刀らしきものを振り下ろす。そしてまた、勢いよく白煙が噴き上がる。
この男は地雷掃除人なのだと、鏑木はそう理解した。
「どうよ? さすがのカブちゃんもこれには驚いた?」
「いやでも、これ……。作りものじゃないですか? あまりにリアリティがなさすぎる」
緑山が同意を求めるかのように尋ねてきたが、鏑木はあくまで冷静に、そして客観的に動画を窘めた。地雷掃除人といえば、ここ何カ月かで急に話題になっているホットワードだ。中東のサヘランが自国に地雷をばら撒いて、他国の干渉を断絶しているのは、ここのところ毎日報道されている周知の事実だが、その数多の地雷を退ける者たちが存在するというのは、先月に入ってから小耳に挟んだ情報だった。
とは言うものの、地雷掃除人の実態は実に地味なものじゃないかと鏑木は疑っていた。普通に考えて、地表や地中にある地雷を撤去する作業風景なんて、匍匐前進で地雷を踏まぬよう近づいて、専用の道具を用いて慎重に行うといった感じだろう。
この動画の男のように、地雷原をショッピングモールを闊歩するようすたすたと歩いて、十秒もかけずに地雷を撤去していくものだとは到底思えない。おまけに道具は日本刀らしきもの。いかにも外人受けしそうな内容は、鏑木にとっては眉唾物にしか見えなかった。
鏑木は緑山の顔を見たが、緑山はえらく自慢げな表情だった。
「それが違うんだな。ほれ、もう画面に出とる」
液晶ウインドウに顔を戻すと、映像を遮るようにでかでかと英文が記載されていた。
This is the official movie.
「これは公式動画です……か。それで、ロクさん。地雷掃除人ってどこの団体に属しているんですか?」
「国連だよ」
「こ、国連!?」
緑山の返答がとても信じ難いものであったため、鏑木はもう一度画面に目を移したが、そこには確かに国連の旗――淡い水色を背景に、白色で平和の象徴でもあるオリーブの葉が地球を包み込む絵が、そこに記載されていた。
つまり、この動画は完成度の高いCGで作られたものではなく、本物の映像ということになる。その事実を未だ鏑木は呑み込めず、彼はただ呆然と再生が終わり黒い画面になった動画を見続けていた。
「一般人でも使える動画投稿サイトに、こうやって動画を垂れ流してるんだ。これがもし嘘っぱちだったら、国連もとうとう終わりだがね。どうかいカブちゃん、少しはやる気になった?」
「やる気って、まさか、僕にこれを取材しに行けって言うんですか!?」
「それ以外に何がある?」
さも当然とでもいうように緑山は答えたが、鏑木はこれを否定するに足る理由を持ち合わせていた。ただ、その理由は鏑木だけに適用されるものではなく、広報を生業とする全ての人間に該当するものだった。
「ロクさん、この際だからはっきり言いますけどね」
鏑木はその理由を盾に、今まで溜まりに溜まった鬱憤を緑山にぶつけた。
「百歩譲ってこれが本物の映像だとしても、この動画だけを頼りにわざわざ国外に出張って取材するほどの金が、うちの局のどこにあるっていうんですか? 昔はそれでよかったのかもしれません。けど今じゃ海外取材をやる度に、『そんな金があるなら国民に寄付しろ』なんてクレームの電話が、嵐のようにかかってきますよ!」
近年の世界人口の爆発的増加により、地球上に眠っていた化石燃料が底をつく算段がついてしまったというのは、一〇カ月程前に報道された有史に残る大ニュースである。残されたエネルギーをどう節約するか――その問題は、金銭的な話題にまで発展していった。
とどのつまり、個人、団体、企業、そして国家に至るまで、ここのところ疎かだった『節約』思想が世界中を脅かしていったのである。誰から見ても、遅すぎる対応だった。消費大国家である日本は、あらゆる先進国に後ろ指を差され、それから逃れるように資源の節約を国民に命じた。
その結果、地上波で放映されていた無駄な番組は一切排除され、どの局も必要不可欠なニュースを報道するばかりで、日本のテレビ局はコンテンツとしての意義を持たないものになってしまったのである。
そんな世間の目が厳しい中で、この緑山という男は昔と変わらぬ体で番組を作ろうとしているのだ。およそ千倍近く値段が高騰した空の便を使って、当てのない取材を自分にしてこいと言うのだ。緑山がどれだけ無茶な事を言っているのか、それは小学生でもわかるくらいに明らかであり、なおかつ滑稽だった。
鏑木はさらに続ける。
「それだけじゃない。あなたは自分の言葉にどれだけ重みがあるか、わかってないんだ。打ち合わせで新人の出した企画をこっぴどくけなしたかと思えば、五日後にはそれを我が物顔で決定案にしたりするし、今みたいに何も考えないで、風見さんが取材でどれだけ怖い目にあったと思ってるんです!? 仕舞いにはその事件の二日後に、『風見っちは今どこ?』なんて抜かした事言ってるから、みんなあなたの下を離れてしまったんですよ!?」
もう一年ほど経っただろうか。この局に入社した新人ADに風見という女性がいた。端正な顔立ちで行儀もよく、殺伐とした雰囲気の社内に置いては、鏑木は彼女の事がオアシスのように思えた。しかし、あろう事か緑山は、その風見を『可愛い子には旅をさせよ』とわけのわからない理由をつけて、鏑木と同様海外に単身取材を行わせたのである。それはさすがにまずいと、カメラマンも同伴させるよう鏑木は緑山を何とか説得したが、それでも彼の胸の内は不安で満ち満ちていた。
鏑木の悪い予感は当たり、隣国との小競り合いが絶えない北アフリカの地で、彼女らは紛争に巻き込まれた。幸い命に別状はなく、両者とも身体的損傷は受けなかったが、教科書でしか戦争を知らない風見は、精神的疾患を患ってしまった。
思い出すだけで、目の前にいる緑山に制裁を与えたかったが、鏑木は荒ぶる感情を抑えて顔を真っ赤にしながらも、積もりに積もったものを拳ではなく言葉に変えて、ようやく緑山に伝えたのだ。
緑山はそれを静かに聞いていたが、鏑木が話し終わるのを見計らうと煙草を取り出し、それに火を点けて吸い始めた。そして先程のようにへらへらとした愛想を取り繕うこともなく、低いトーンで鏑木に言い放った。
「……届かんね」
「はい?」
「鏑木、お前の言葉は俺の耳に届かんよ。ちょっとばかし番組で有名になったところで、お前には実績の1つもありゃしない。そうだろ? 取材中のお前のおかしな言動を笑う奴はいても、お前の考えたアイディアや企画が大衆に受けた事はゼロなんだ。俺の事を何と言おうが、所詮お前の言葉は鼻糞以下のゴミなのさ」
啖呵を切った鏑木に対し、緑山はゆっくりと力強い口調で言葉を並べた。その羅列された緑山の言葉を、鏑木は唇を噛んで享受することしかできなかった。緑山は立場を利用して、考えついた企画を乱発してスタッフを動揺させたりもするが、その企画の一握りは、視聴者の心を掴まえるものが確かにあったからだ。
――どんな企画もつまらないと一蹴される鏑木との決定的な差が、両者の間には存在した。
「そして何より、お前は俺の下を離れなかった。俺の下でなけりゃ、お前は世間様に知られる事すらなかったからな。そんな卑怯な砂利がいくら喚いたところで、これっぽっちも俺を揺さぶる事はできねぇ。届かねぇんだよ」
緑山の言葉遣いは汚らしいものであったが、鏑木の口を止めるには充分だった。もともと口が上手い方ではない鏑木だったが、いつの間にか議論をすり替えられた事は知る由もなく、実績がある緑山の言葉を受け止めるだけだった。
「教えてやる。お前みたいな砂利がそこそこの人間になるためには何が必要か。それは数字を取る事だ。数字はな、有名人だろうが芸人だろうが一般人だろうが、誰にでもわかる指標なのよ。取れるやつが持ち上げられ、取れないやつは淘汰される。猿でもわかる仕組みだ。もしもお前が取れる人間になったとしても、喜ぶようなやつぁいやしない。それでもお前が今後、ディレクターになって好きな番組を作りたいなら、今お前がどうすべきか、答えは自ずと出てくるものじゃあないかい?」
好きな番組を作る。――そうだ。自分にはやりたい事があるんだ。たとえどれだけ無謀な海外ロケをさせられようが、どれだけ世界が危機に陥っていようが、自分にはどうしても叶えたい夢があるんだ。
そのために、俺はこの会社に残ったんじゃないか。――鏑木はそう自分に言い聞かせ、真っ直ぐな瞳で緑山を見据えた。
「……やります、やってやりますよ」
「賢明だね。カブちゃんのそういうとこ、俺は気に入ってるよ」
緑山の言葉が終わらないうちに、鏑木は振り向いて早々と部屋から出た。自暴自棄気味に答えてしまったが、やると言ったらやりきるのが彼の信念である。存在するかもわからない、日本刀を手にする地雷掃除人を求めて、一人の日本人が中東のサヘランへ飛び立とうとしていた。




