3-5 Yeahhhhh! からの……
「レンさん、大丈夫ッスか?」
「全っ然大丈夫じゃない。くそ! あの新人何なんだよマジで! いきなり人の股間蹴り上げるなんて人間とは思えねぇ」
「ほんとッスよ。危うくレンさんの優秀な遺伝子がおじゃんになるところだったッス」
悪態をつけるくらいマシになった腹痛を堪えながら、俺は休めることなく作戦会議室に放り込まれた。おかげで気分は最悪、そばにいたジョウに何の利益も生まない文句を垂れ流す他なかった。
ジョウが話を続ける。
「でもまぁ、痛いで済んでよかったじゃないッスか。レンさんが女にでもなったら、僕どうしようかと……」
「楽しそうじゃない、それ。使ってないヤシの木なんて、いっその事切り取ってしまえばいいのよ」
ズィーゼはデスクに腰を乗せ、つまらなさそうな態度とは裏腹に、強烈な皮肉を俺に向けた。ぶらぶらと暇を持て余している彼女の綺麗な脚を、サコン、コンラッド、リヴァイア、ケイスケのオヤジ共4人が、これでもかというくらいに瞳孔を広げて凝視している。
「ズィ~ゼ~。男同士の繊細な話に乗っかってこないでよ~」
「黙りなさい切り取るわよ。それとも握り潰す?」
「はうっ……!」
この部屋にいた俺を含む男全員が、パワハラめいたズィーゼの言葉の暴力に、股間を縮み上がらせた。……屈強な肉体を持つケイスケだけ、少し顔をほころばせているのは見なかったことにする。
ともかく、作戦会議室に呼び出しをくらうっつー事は、それなりの理由があるという事だ。俺たちが顔を歪ませているのを嬉々として眺めているズィーゼに、俺は問いかけた。
「おいズィーゼ、それよりこりゃあ一体何の真似だ?」
「今日はあんたらの世話を頼まれてんのよ」
世話。何も俺たちは、介護が必要なほど老けてはいないし、ベビーシッターにあやされるほど、オツムが残念なわけじゃない。俺と同じ予想をしたであろうケイスケが、独特な口調で尋ねた。
「あんたらというと……。ズィーゼ殿、それはまさか!」
「だから今日は、あんたら全員私が面倒見るって言ってんの」
「Yeahhhhh!」
怒号にも似たその雄叫びは、ちゃちな造りでできている作戦会議室を粉砕してしまうような破壊力があった。発信源はオヤジ共四人であるが、近くにいた俺は、耳に決して軽傷ではないダメージを負った。ズィーゼはこれを予期していたのか、澄ました顔で耳を塞いでいた。
「天使がぁっ……! よ、ようやっと俺達にも天使が微笑みおったぞぉっ……!」
「泣くでないサコン。今まで嘗めさせられた辛酸は全て、今日この日の幸福のためにあったのだ……。やはり神は我々を見捨ててなどいなかったのだよ……」
「ぅし……! ぅし……!」
オヤジ共はそれぞれの喜び方で自分を表現していた。サコンは喜びのあまり、嗚咽混じりに目に涙を浮かべている。熱心な宗教家でもあるケイスケは、天を仰いで自身が崇拝する神様に感謝しているようだ。部屋の隅で小さくガッツポーズを繰り返しているのはリヴァイア。コンラッドはいきなり大声を張り上げて貧血にでもなったのか、拳をたくましく上げながらそのまま仰向けにぶっ倒れていた。
「はいはい、あんまりはしゃいでると、大事なヤシの木を切り取るわよ?」
ズィーゼが手をパンと叩いて、俺たちに席に着くよう促した。取り乱したオヤジ共も、我に返ったように粛々とそれぞれの定位置に戻る。宙に浮いた液晶モニターに表示されたのは地図だった。
「あんたらが今日行く場所はここ。ヘルダムとヴテナラの境目ね。足はもう取ってあるから、十五分後に駐車場に集合。……以上、何か質問ある? ないわね? じゃあ解散解散――」
「ちょちょちょちょっとタンマ!」
まくしたてるように説明を終わらせたズィーゼに、俺は待ったをかけた。ズィーゼは面倒くさそうにこっちを見る。
「なぁによ、あるならとっとと口を動かしなさい」
「ズィーゼ、お前まさか今の情報だけって事はないだろうな?」
「こやつの言う通り、地雷の型とか総数とか、それとそこの地形なんぞの情報がありゃあ、文句はないんですがねぇ」
仮にも俺たちが今ここでやっているのは作戦会議で、何より自分の命に関わる事だ。たったこれっぽっちの情報で地雷掃除ができるんなら、俺たちが名指しで召集された意味がない。
単純に地雷といっても、その種類は多種多様であり、それぞれに適した掃除人が責任とプライドをもって片づけるのがここのやり方だ。サヘランに主に設置されているのは、比較的規模の小さい、空中散布型や爆風型と言われるもので、俺はそれを撤去するのに特化した掃除人である。
しかし、扇形に散弾を爆発させる指向型――いわゆるクレイモアや、爆発で鉛を周辺にまき散らし、数十メートルにも被害が及ぶ跳躍型にはあまり向いていない。そっちの専門はサコンだ。ちなみにジョウの遠隔操作によるやり方は、理論上いかなる地雷にも全対応できるはずなのではあるが、すぐに使い物にならなくなるのがネックになっている。
つまり、掃除人を同じ場所に集めてまとめて掃除する、というのはそれなりの事情があるわけだが、どうもこの女は自分の職務を全うしていないようだ。
ズィーゼは珍しく困惑した表情で、頬をポリポリと掻いた。
「え、なに、そんな面倒な事まで調べなきゃいけないの? ジョウはこれだけで充分仕事してくるけど」
俺たちは一斉にジョウの顔をじろりと睨んだ。
「あはは……。実は、現場でいっつもレンさんに詳細を教えてもらってたッス……」
……なるほど。道理でやけに俺の行く先々で、金魚のフンみたいについてくるわけだ。この前俺が微熱でドタキャンした時、こいつが速攻ですぐ目の前の地雷を吹っ飛ばして気絶した事に、ようやく合点がいった。
「ジョウよ。お主よく今の今まで無事であったな……」
「慣れッスよ慣れ。ハッハハ……」
ジョウの乾いた笑いを食い気味に、ズィーゼが偉っそうな態度で言い放った。
「そうよ。伊達に地雷掃除人名乗ってるわけじゃないんでしょ? つべこべ言わず、さっさと行ってさっさと掃除してくればいいだけの事じゃない」
「馬っ鹿野郎。こんな仕事受けてられっかよ。今日はパス! せいぜい俺の分まで稼いでくれよ」
「別にいいけど、あんた違約金払えるの? 五万五千ドルかかるけど」
「はっ。そんな端金払えるに決まって――」
「「五万五千ドル!?」」
巨額の違約金を提示された俺たちは、演技でも何でもないのに同時に同じ言葉を繰り返した。普段の三十五倍ほどの金額に慌てふためいたサコンが、すかさずズィーゼに確認を取る。
「ミ、ミセスズィーゼ。何故そんな違約金が馬鹿高いのか、教えてもらえますかねぇ」
「だって、今日中にヘルダムの地雷が無くなるからって報告しちゃったのよ。んま、あんたらなら死に物狂いでやれば間に合うでしょ? せいぜい頑張りなさい」
体全体に脂汗が浮き出た。俺たち掃除人は雇われの身であるうえ、その雇っているのが国連様なので、誤った情報や目分量の撤去した地雷の数をそのまま伝えるのは、全世界に嘘の情報を流すのと一緒だ。誰が何と言おうとそれは許されざる行為であり、今後の俺たちのあり方にも悪影響が及ぶのは目に見えている。
ましてやパートナーからの報告だ。それを撤回するのにも激しく追及されるに違いない。というのも、前にもジョウ、ズィーゼのペアが送られてきた情報が違うと指摘され、二日ほどかけて尋問を受けたのをこの目で確認したからだ。……まぁ、ズィーゼは逆に捜査員をなぶり倒したともっぱらの噂だが。
とにかく、俺たちが穏便に明日を過ごすためには、今日の仕事を死に物狂いでやり遂げるのが最善の選択なのだ。俺だって自分のルールに則って、できる事ならやりたくない。だが、俺の通帳から五万五千ドルもの大金が失われるのは、そっちのほうが大問題だ。
がっくりと肩を落とす俺と同時に、オヤジ共も思い思いのやり方で落胆した。
「神よっ……! 貴方はまだ私に困難を与えるというのですか。何と無慈悲な……」
「5万5千……。 貯金無くなる……。 悲しい……」
「ズィ~ゼ~。いくらなんでもあんまりッスよ、こんな仕打ち。俺らに落ち度があるなら、そりゃまぁズィーゼがいじめたくなるのもわかるッスけど」
「……そうね。愛するペットにそこまで言われちゃしょうがないわ。ここはジョウに免じてこれで手を打ってあげる」
さすがのズィーゼも観念した様子で、右手の人差し指を立て『1』の数字を作った。
「一番多く地雷を撤去した人にもれなく、『私が一日お相手してあげる権利』を差し上げるわ。こんなサービスは金輪際ありえないわよ?」
「何だそりゃ。そんな胡散臭いもんにひっかかるわけ――」
呆れて洒落た皮肉も返せなかった俺の言葉を遮ったのは、
「Yeahhhhh!」
……という、オヤジ共の雄叫びであった。
鼓膜が破れてしまうかと思うほどのすさまじい音量だったが、ズィーゼは例によって澄まし顔で耳を塞いでいた。
「待ってた! 俺は女性にこれを言われるシチュエーションをずっと待ってたんだよ! ヒュー! レン君、今夜はパーティーだ!」
ぶっ倒れていたコンラッドもいつの間にか起き上がっていて、俺の肩を抱き寄せて大きく揺さぶった。
「ズィーゼ殿との約束された一日……。これを逃す術はなし。諸君よ、我々は強い絆で結ばれた有志であるが、今日この日、この一日だけは敵同士である! 己が全ての力をもって、地雷を殲滅することをここに誓え!」
ケイスケが右手を突き出し、他の連中にもそうするよう促した。サコンが続く。
「おうさ! こちとら人生折り返し、若造に中年のど根性を見せてやるぜ!」
「みんなには悪いけど、今日は俺、本気を出させてもらおうかな♪」
「ぅし……! ズィーゼとデート……! ぅし……!」
「な、何か嫌な予感バリバリするけど、ここはノリでがんばるッスよ~!」
続いてコンラッド、リヴァイアと威勢よくその上に手を乗せる。
流れに乗じて、ジョウも軽いノリで手を乗せた。
最後に残った俺は、この変なノリについていっていいのか多少迷ったが、今まで死んだ魚の眼をしていたようなオヤジ共が、ここまでやる気になるのも珍しい事だ。それに、ここでしらばっくれるほど俺は野暮なやつじゃない。
「……まぁ、死なない程度にな」
今思えば、この時点で俺もズィーゼの罠に引っかかっていたのかもしれない。
「で、ズィーゼさん。今日の運転手は誰ですかい? こんだけ大所帯となると、それなりの腕があるやつが望ましいんですがねぇ」
「心配御無用。私の親友がぜひと頼んできたから、快くお願いしたわ。新婚旅行へいってらっしゃい」
ズィーゼは口元を扇子で隠し、妖艶に微笑んでみせた。おバカな誘いにまんまと嵌る俺たちを眺めるその内心は、さぞ面白かったに違いない。最高潮に向かおうとした俺たちのテンションは、彼女の放った言葉によってスカイダイビングのように急降下した。
「……ハネ……ムーン?」