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地雷掃除人  作者: 東京輔
エピローグ
140/140

因果

 ルゥビノ・アクタウスの足取りは、いつになく忙しいものだった。分単位で積み重なる業務を放り出して、彼女は今、医者のビー・ジェイがいる簡易診療所へと向かっていた。つい先ほど顔を合わせたばかりのパートナーが、何者かの襲撃を受けて怪我を負った。表面上は冷静さを取り繕っていたが、その内心は決して穏やかなものではなかった。

 これまで努めてきた日焼けのケアすら忘れて、ルゥは診療所までの最短ルートであるアシェフのメインストリートを小走りで進んだ。診療所のある雑居ビルまではもう少しだ。


 乱れた呼吸を抑えもせずに、ルゥは勢いよく診療所の扉を開いた。中には数名の地雷掃除人が集まっていたが、外の雑音が嘘のような静けさだった。日当たりも悪く、窓からそよ風も吹いていない。重苦しい空気だけが周囲を漂っている。

 ルゥはひとつ深い息を吐いた。何を訊ねるか逡巡はしなかったものの、曖昧な質問が彼女の口から発せられる。


「……一体、何があったというのですか?」

「どうもこうもありゃしませんよ。サヘラン人の子どもがレンに体当たりをかまして、五、六発やつの顔を殴ったんです。奇声を上げながらね」


 答えたのは年輩のサコンだった。彼が軽い冗談を交えない事を察するに、事態はあまり穏やかでないとルゥは推測する。ルゥは白衣を着た男性の方を向いて別の質問をした。


「ビー・ジェイ、レンの容態は?」

「痩せた子どもの腕力だ、仕事に支障が出るほどの怪我じゃない。それよりも精神的なダメージのほうが大きい。しばらくは安静にしておいてやってくれ」

「パートナーの私だけでも、面会はできませんか?」


 ビー・ジェイは顔を横に振った。仕事柄、ルゥはレクトガン・シュナイドという人物をこの場にいる人間の誰よりも把握していた。であるから尚の事、パートナーの容態を怪訝に思ったのだ。陰惨たる過去を乗り越えてきたレンの精神は想像以上にタフだ。その彼が何故、心に大きな傷を負ってしまったというのだろうか。聡明なルゥを以てしても、それらしい予測すら頭に浮かばなかった。

 ルゥは切り替えて別の質問をする。


「では、その子どもについての情報は?」

「オーランが今、その子と話して取り調べているが、アシェフの住民ではないそうだ。おそらく搬入された物資に紛れ込んで、こんな所まで運ばれて来たらしい」

「何のために?」

「生き残るため……だとしてもあまりに賢くないやり方だ。そのまま夜まで待つ事もできただろうに。真昼間、それも目立つ場所で人を襲うとはな」


 真相の鍵を握るのは、やはりレンを襲った子ども。ルゥやサコンがそう結論づけるには幾ばくもかからなかった。あまりの空腹感に正気を失ってしまったというのか。それとも外部の人間を狙った無差別の犯行か。いいや、大の大人を襲うにしても、素手で立ち向かうのというのはおかしな話だ。普通なら何らかの武器を持って犯行に及ぶものだろう。


「サコン、それはおそらく間違いだろう」そう切り返したビー・ジェイを、ルゥは驚いて見つめた。「あの子は人を襲ったんじゃない。レンを襲ったんだ」

「何ぃ? そいつぁ一体どういう事だ?」


 何か知っている風のビー・ジェイは、思いつめたように口を閉ざした。きっぱりと物を言う彼としては珍しい様子だ。レンを襲ったというのは、どういう意味なのだろうか。


「ビー・ジェイ。貴方は先ほどから歯切れが悪いようですが」

「……似ているんだ」ビー・ジェイの瞳に不安めいた色が浮かんでいた。そして彼は重い口を開く。「俺は数ヶ月前に一度、あの子に似た子どもを診ている。確証は持てないが、おそらく――詳しい事は彼に訊くとしよう」


 部屋の扉を開けたサヘラン人の男に、ビー・ジェイは話を託した。子どもの取り調べを行っていたオーランという男だ。

 間を置かずに、ルゥは訊ねる相手をその男に変更した。


「オーラン、レンを殴った子どもに関して何かわかりましたか?」

「ええ、全て話してくれました。名前はキウマルス・ギラーニ。国境に近いスンヴァという町の出身だそうです」

「スンヴァといえば……。住民のほとんどが亡命していた町だったな。亡命できなかった住民の亡骸と、彼らの怨念がつまった地雷意外は何もない町だった。こう言っちゃ何だが、ゴーストタウンって言葉がしっくりくる場所だったよ」


 スンヴァという町の印象がどうにも朧げで、ゴーストタウンという言葉を聞いてようやくルゥはその町を思い出した。彼女らにしてみればただの通過点、アシェフより規模の小さな荒廃した塵埃の集落、人災の被害を受けた哀れな町。

 しかし、ルゥは息を呑まざるを得なかった。地雷掃除人が作業した短い日数の間に、予想外のアクシデントが起きていたのだった。そしてその惨劇の中心に立っていた人物は、彼女のパートナーであるレンだった。


「ゴーストタウン……。やはりそうか……」


 ビー・ジェイもルゥと同じタイミングで何らかの確証を持ったようで、その声色は静かな悲壮感を孕んでいた。


「キウマルスは言っていました。あの地雷掃除人がもっと早く来ていれば、兄さんは助かったのに。だからあいつは兄さんを殺したも同然なんだと……。心当たりはありますか?」

「サコン、これはまさか……!?」


 自分でも驚くほど、ルゥは動揺した声を漏らした。点と点が結ばれて線ができるのは明らかだが、その線はあまりに惨たらしい軌跡を描いていた。


「チッ、なんてこった。ビー・ジェイ、あの子どもはあの時死んだ子どもの兄弟だってのか!?」

「嫌な予感が当たっちまったな」


 惨劇を知る者は共通の認識を持ち、皆沈鬱な表情を浮かべる。地雷にまみれたサヘランの大地を突き進むのが彼らの使命なのに、よもやあの語られざる惨劇と向き合わなければいけないとは。色々な物事が重なったトラブル、とルゥは簡単には片づけられなかった。あの子どもとレンは、巡り会うべくして巡り会った。この状況を呑みこむには、そう解釈するしかなかったのだ。


「あの、スンヴァで何があったか、教えていただけますか」


 オーランは三人の表情に戸惑いつつも、彼らに向かって口を開いた。三人は目配せをして無言で頷く。代表してルゥが、スンヴァで起きた惨劇の説明を簡潔におこなった。


「レクトガン・シュナイドは二者択一を迫られたのです。地雷原に近づく二人の人間のどちらを助けるか。レンは助かる可能性の高い老人の方に向かった。老人は助かりましたが、後に認知症と判明しました。そしてもう一方の人間、つまりキウマルスの兄は運悪く地雷を踏みつけ……」


 そこでルゥの口が止まった。そして改めて、惨劇の後味の悪さを噛み締めたのだ。

 ひどく苦くて目も当てられない。けれど実際に起こった悲劇。しかもその悲劇は未だ幕を閉じておらず、よりによって今からクライマックスを迎えようとしている。


「可哀想に……。言葉が見つかりません」

「キウマルスもあの場所にいたんだ。どこかの物陰で息を潜め、兄の最期を目撃してしまった……」

「これも、運命なのでしょうか」


 答えのない問いかけをルゥは呟いた。パートナーの身を案じつつも、彼を襲った子どもの心情もわからないわけではない。それだけに複雑な感情の渦が彼女を苦しませていた。


「運命って言葉は好きじゃない」沈黙を破ったのはサコンの低い声だった。「これは因果だよ。なるべくしてなった事だ、そこに他者の干渉は有り得ない。たとえそれが神であったとしても」


 虚空を見つめながらサコンはそう語気を強める。

 これが因果だというのなら、レクトガン・シュナイドという人物は、なんて残酷な因果を辿って人生を歩んできたのだろう。地雷掃除人になるために、そして地雷掃除人であるために、彼はこれからもその因果に苛まれて生きていくのだろうか。ルゥの心に渦巻いていた感情の靄が、不安の色に帰結する。


「これはあいつが選んだ茨の道だ、見届けるしかあるまい。あの若造は捻くれもんの頭でっかちだが、こんなところで立ち止まるようなヤワな男じゃない……。俺はそう信じてるよ」


 ハンチング帽を目深に被り直し、サコンはそう言い残して部屋を出て行った。

 彼の寂しげな背姿を見て、何かを見出そうとするのは間違いかもしれない。

 だが、ルゥは思った。この世が因果で成り立っているのなら、未来を変えうるのは現在の行動でしかないと。パートナーの支えとなるための行動を取らなければならないと。


 今、彼の地雷掃除人はサヘランの太陽に身を焦がされ、心を痛めている。その身を庇う雲はなく、灼熱の日々は無残に続いていくだろう。けれども、やまない雨がないように、照りつける太陽もまたないのだ。癒しの雨は必ずやってくる。

 ルゥビノ・アクタウスの足取りは確かだった。立ち昇る陽炎の中を吹き抜ける涼風のように、彼女の心にはひとつの覚悟が宿っていた。

1-4と1-5に関連する話でした。よければそちらを読み直していただければ幸いです。


さて、これにて地雷掃除人の第一章が完結しました。お話としてはここで折り返し地点(予定)となります。う~む、書ききれるのかな。少々不安です。


近いうちに新章のプロローグ(長め)を投稿しますので、よろしければそちらもお願い致します。

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