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地雷掃除人  作者: 東京輔
第10話 Gewissensbisse ~呵責~
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10-17 ひとりじゃない

 昔話で大いに盛り上がった俺たちは、後半に入るとさすがに話し疲れてしまって、CAが肩を揺すって起こすまで泥のように眠っていた。酒をやっていないのに頭が痛い。ダックスのパンチ頭もしなしなになっていたが、互いに気分は上々だった。

 これで空港も活気づいていれば晴れ晴れとした気持ちも継続したのだが、現実はそうはいかなかった。到着ロビーは降りる人間の足音が響き、規模の大きい分だけそこらの無人駅より物寂しい雰囲気が蔓延している。幸いにも天候だけは良く、澄み渡る青空とガラス越しの陽光が俺たちを歓迎してくれたが、日当たりの良い上階のラウンジも、利用客がごく僅かとなれば閉めざるを得ない。サヘラン関連の件で、関係者が乗降するギズモの空港でこの有様なのだから、他の空港はさらにひどいのだろう。

 ロビーに出てまもなく、一人の女性がこちらに近づいてきた。ルゥと同じ制服を着ていたから、関係者であるのはすぐにわかった。谷間が悩ましいルゥの着崩しとは違って、何とも奥ゆかしい佇まいの女性だった。


「ダックスのパートナーか?」

「あ、そうですけど」

「アシェフに行くんだろ? 悪いが、ついでに俺も乗っけてくれないか。出来たらでいいんだが」

「はぁ」


 きょとんとした様子で気のない返事を二つ返される。何か俺の方に不備があったかと思い、すぐに見当がついたので俺は懐からアナログの身分証明書を取り出した。


「あぁ、すまん。ほら、俺も地雷掃除人なんだ。いいだろ?」

「構いませんよ」


 俺が催促すると見知らぬオペレーターはそう言い、口元を抑えた。笑うところはどこにもなかったし、初対面の人間に笑われては良い気持ちがしない。寝癖でもついてるのかと思い慌てて髪を撫でたが、そういう事でもないようだ。


「? 何が可笑しい?」

「レン、お前さぁ」呆れた物言いでダックスが割り込んでくる。「何だろうな、お前のそういうとこ嫌いじゃねぇんだけど、久方振りに会った女子にそれは失礼っつーかさ。リアクションに期待してた俺は裁判を起こしたい気分になってる事、理解してるか? つまり『気づけや、バカ』って事だ」

「気づく? …………ッ!?」


 早口で捲し立てるダックスの言葉を順々に追っていく。いや、そうするまでもなく想像のし難い仮説が俺の頭を過った。久方振り、女子、気づけや。このキーワードを与えられて初めて、俺は制服を着た女性の顔をまじまじと見つめるに至ったのだ。

 ブロンドの髪は右肩のところでひと房に束ねられ、柔和な印象を与えてくれる。やや吊り目がちの眼差しは、知り合いに向けられる警戒心のない温厚なものだ。そして彼女が何者かを完全に決定づけたのは、ツンと上を向いた小ぶりの鼻だった。髪型は変わり、目は化粧でアイラインが濃くなっていたが、その鼻だけは当時と変わっておらず、可愛げな特徴を残したままだった。

 彼女の正体を知った俺は手で顔を覆い、何度もかぶりを振る。誰でもいいから、お前の目は節穴かとでも罵ってほしいくらいだった。


「……おかしいと思ったんだ。女好きのダックスが、何で契約を結んだオペレーターについて長々と語らないんだってな。そういう事か、シャウ」

「あら、一〇年振りの挨拶なのに、随分と素気ないのね」


 そう言いながら微笑む制服の女性はシャウ・セザル。一〇年前のベトナムを共に過ごした仲間が、制服に身を包んで俺の前に立っていた。ちょっと勝気な口調は当時のままだが、どこか大人の余裕さえ持ち合わせた感じになっている。返答も小気味良いもので、俺の言葉を促してくれる。憮然として俺のことを睨むダックスを横目に、良い齢の取り方をしたなと口走るのを抑えて、俺はすぐに別の返事を用意した。


「俺が再会のハグなんかするタマかよ。明日でこの世が終わってもしないだろうな」

「見た目もそうだけど、その軽口も変わってないのね。安心したわ」

「いいや、変わったさ。ところでシャウ、お前はすっかり綺麗になったな。その髪型も似合ってる」

「え?」

「はぁ?」


 シャウとダックスは目を丸くして俺を見遣る。軽口だけの若造と思っては困るぜ。一〇年もあれば社交辞令というのものが自然と身に付くわけで。まぁ、率直な感想を述べたというのはここだけの話に留めておくが。


「……とまぁ、こういうお世辞を言えるようになったわけでね」

「ち、ちょっと、もう! びっくりしたじゃない」

「その口説き方、どうやって身につけたのか興味があるぜ、俺は」

「自然とな」


 俺は適当に流し、あらためてシャウの方を向き直す。

 手の平にじんわりと汗が浮かぶ。彼女がどう思ってるかは知る由もないが、俺にとって再会は気まずいものがあった。何も残さずに彼女らの下から去ってしまった事。そして色んなものを清算しなければならない日が今日だという事。心の準備は、ダックスと再会した時から既に間に合っていない。

 俺はシャウが口を開くのを待った。どんな言葉も受け入れようと腹を括ったのだが、彼女の口調は優しく、清流のような澄んだ声色で俺を迎え入れてくれた。


「レン。あなたがサヘランの最前線にいると知ったのはつい最近のこと。パールさんを取り上げた映像にあなたの姿が映った時は、それはもうびっくりした」

「隠れてるつもりはなかったけど、蒸発した手前、見つけてくれてどうもとしか言えないな」


 シャウの真っ直ぐな眼差しを俺は受け止めきれなかった。視線を逸らし、かろうじてそう答えるのがやっとだった。自分で蒸発だなんて口走るのが恥ずかしすぎる。

 落ち着かない俺を見て、シャウは小さく笑った。


「変な話だけど、嬉しかったよ。レンはあの場所から逃げたわけじゃなかったんだって。私もダックスも、それで踏ん切りがついたようなものだから」

「……だけど、色んな人に迷惑をかけてしまった」

「そうね、否定はしないわ。でもあなたはその手で地雷撤去をし続け、道を拓いてきた。誰かに迷惑をかけた分以上の貢献をしてると思う。いいえ、しているのよ。それは疑いようのない事実」


 炎天下の中、乾ききった地面に液体窒素剣(シュネー・トライベン)をひたすらぶち込んでいく。俺がサヘランでやってきた事なんて、貢献などという言葉を使うのも憚られる単純な作業だ。

 けれども、それが世のため人のためになっている。それを他人から認められるというのは、盲目的に自負するよりもはるかに嬉しかった。

 感謝の言葉でも述べようとした矢先、真面目な顔をしていたシャウがおどけたような動作を取り、こう言った。


「……ま、私としてはちょっぴり悔しいけどね。レンばっかりイイ格好しちゃってさ」

「どう答えていいかわからんが、知り合いが増えるってのは心強い。それも二人いっぺんになんてな」

「いいえ、三人よ」

「え?」


 はっきりとした語調で訂正するシャウに、俺は少しだけ戸惑った。


「復帰したのは私たちだけじゃない。メーヴェルも本部の職員として活動してるわ」

「メーヴェルも!? そうだったのか。意外と近いところにいたんだな、俺たち」

「少しずつだけど復帰に向けて頑張ってきたの。絶対レンも帰ってくるからって」


 意外なほど声が上ずる俺に向かって、シャウは真っ直ぐな眼差しをくれた。PTSDを患いながらも、メーヴェルは裏方にまわるというかたちで再起したのだ。どうやら俺は、彼女の優しすぎる性格を見くびっていたようだ。でも、もし実際に顔を合わせるとなったら、それはダックスやシャウとの再会以上に気まずいものがある。去り際にひどい態度を取ってしまった。近いうちにルゥを介して連絡を取ろうと思う。

 下を向いたシャウは何かを言い淀んだが、深い呼吸の後、その言葉を再度俺に向けて発した。


「辛い事があったし、今でもあの時の事を夢に見る。そしていつも自分を責めるの。どうして何もできずに怖気づいたのかって」

「シャウ……」

「後遺症が残ってて、本物の地雷を見るとね、体の震えが止まらなくなるの。これは私自身に対する戒めだと思ってる。でも、何もできないわけじゃない。やり方は変わったけれど、目的はあなたと同じ。地雷のない未来を目指すのは一緒だから」


 顔を上げたシャウの表情は、穏やかでありながらも一つの決意が表れていた。それは俺が過去に掲げたものと同じ、精神を削がれ荒みながらも、それでもなお俺の中に留まり続けた生きるための糧。

 俺は独りじゃなかった。バラバラになった仲間たちは、導かれるように皆同じ方向を向き、各々のペースで歩んでいたのだ。全ては愚かな兵器をこの世からなくすために。


「これからよろしくな、シャウ」

「ええ、こちらこそ」


 抱擁とまではいかなかったけれど、シャウと固い握手を交わした事で、あの時の記憶に蔓延っていた澱のほとんどが取り除かれた。溜飲が下がるとはよく言ったものだ。

 空港からアシェフまでの移動時間、何をするかだなんて全く決めてなかったけど、おそらく俺がナーバスになったり、退屈したりすることはないだろう。

 身を焦がすほどの中東のぎらつく太陽が、今はなぜだか心地よいものに思えた。

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