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地雷掃除人  作者: 東京輔
第10話 Gewissensbisse ~呵責~
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10-13 運命の日(2)

 山の中腹を過ぎたあたりから、獣道だと思っていたものがそうも呼べないほどに荒れ果てた足場へと変貌を遂げた。人の背ほどまで生い茂る雑草や、さらにそれに巻きついた蔓をかき分けて、足を取られぬように注意を払いながら進んでいく。先の戦争から何十年と時を重ねれば、手入れのされない山奥などはすぐに草木に埋もれてしまう。しかし、どれだけ堆肥物が積もろうが、堆肥にならない鉄くずがこの地に鳴りを潜めているかもしれないのだ。

 樹木である程度陽光が遮られているとはいえ、湿気をもろに含んだ蒸し暑さのせいで、何度も何度も服の袖で汗を拭っている。スコールに降られていないのが不幸中の幸いだが、そういった劣悪な環境下での作業は心身共にまいってしまいそうになる。


「――であるからして、ダックス、『教官の悩殺ボディに一目惚れしたのか』という君の問いかけに答えるとするならば、それはイエスという事になる」

「あー、うん。わかった。つまりは単純に、お前はドーバー教官の有り余る魅力に惹かれたって事だな?」

「惹かれる……。そう、人間とは面白いもので、感情を共有して好感を得る者もいれば、自分にはない魅力に惹かれて恋心が芽生える者もいる。そのうえ、好きなところも悪いところも全部ひっくるめてその人が好き、という人もいるな。一筋縄ではいかないから、人は恋愛に夢中になるとも言える」

「まわりくどいこと抜かしてるけど、結局はおっぱいとケツ最高ってことだな?」

「そうだ」

「ちったぁ否定しろ!」

「最ッ低。これだからオトコってやつは……」

「あはは……」


 だから俺たちのグループではこうして、他愛のない日常的な会話を無線でおこなっていた。それが襲い掛かるストレスの緩和剤として有効であると判断したからだ。優秀な人間がいれば、仕事とは関係ないおしゃべりも適当な理由を並べて公式に許可されるというわけだ。

 クソうるさいセミの鳴き声に顔をしかめながら、無線機越しのノイズ混じりのやりとりを聞き入るという、なんとも無駄であふれかえった行為。ただそれ故に、ひどい環境での作業を黙々と続けられる手助けとなっていた。


「おいレン、聞いてんのか? おい!」

「ん、何だ?」


 強い口調で騒がしいなと思っていたら、何度か自分の名を呼ばれていたようだった。トゥロイネンの堅苦しい恋愛哲学には、どうやら他のメンバーもほとほと飽きてしまったらしい。相変わらずトークを回していたのは『ラジオ係』のくちびるオバケだった。


「お前だけ恋バナしないなんてのはナシだぜ。レディの二人もそう思うだろ?」

「もちろん!」

「き、気になるかも」


 メーヴェルとシャウはそう答え、俺の言葉を促した。特にメーヴェルのほうは食いつきが半端じゃなく、体力不足だと嘆いていたのはどこへいったと言わんばかりのテンションの高さだった。

 ふと目線を上げると、行く手を阻むような雑草の壁が俺の前にそびえ立っていた。手前に垂れているさまは人を見下ろしているようでもあり、俺は無線からでも伝わるように大きな嘆息をついた。


「……にしても、この作業はいつまでやらされるのかねぇ。森林浴もままならないとはな、予想外だったぜ」

「気を抜いちゃダメだよ、レン君。パールさんもこれは体力作りの一環って言ってたし」

「気が抜けないから厄介なんだよ。最近、他の連中が発見したんだろ?」

「ああ。二日前のクアッドのグループが、山間部で一基の地雷を見つけている。クアッドのグループは、僕たちのいる場所から二〇kmと離れていない。ここにも撤去され損なった地雷が眠っているかもしれない」


 トゥロイネンがつけ加えた事により、雰囲気は真面目なものに変わる。元々はくちびるオバケがやかましいだけで、他の四人はどちらかというと固めの人物であると俺は認識している。

 今は恋バナなんてしているが、トゥロイネンが言うように、他のグループが俺たちと同様の作業をしているときに、なんと本物の地雷を発見したのだという。その一報を聞いた途端、今まで輪郭がぼやけていた危機感が唐突に現実味を帯びて、俺の胸を締めつけた。

 だから、この鬱蒼と生い茂る雑草を乱暴に蹴散らす事ができず、常に初動作は地雷探知機で足元の安全を確保するというものでなければならなかった。


「去年の新人は八基も見つけたそうよ。でも、そのおかげで集中力を培うことができたって」

「探すものが金銀財宝なら、やる気もぐんと上がるんだがなぁ。作るのに一ドルとかからず、そのくせやたら危なっかしい兵器ときたもんだ。たまには顔上げてバードウオッチングでも楽しみたいね。鳥は好きでも嫌いでもないけどさ」


 この境遇に対してぼやいてはみたものの、草木をかき分けて恐る恐る前に進む様子は、俺を映しているカメラがあったら何と滑稽に見えた事だろう。手に持った部分が汗で滑るので握りなおす。これは蒸し暑さからくる汗ではない。緊張の汗だ。ついさっき少量の水を口に含んだというのに、喉がカラカラだった。


「鳥の好き嫌いはともかくとして、男なら誰だってオンナ好きなはずさ。上手く話をはぐらかしたようだが、このダックスを誤魔化すことはできないぜ。ちゃーんとお前にも色恋沙汰を話してもらうからな」


 俺の精神状態はいざ知らず、後方のダックスは呑気におしゃべりモードに入る。この作業、今さらながらこいつだけが楽しているような気がしてならない。


「チッ。不真面目なやつはこれだから」

「んだとぉ?」

「無線越しにケンカしないでくれる? あと、ダックスはちゃんと下を見る!」

「わーったよ」

「そ、それでレン君の話は……」

「お前がぶり返すのかよ、メーヴェル」

「だって、レン君以外は一応みんな話してくれたんだし、ねぇ?」

「道連れってわけかい。ったく……」

「あ、そういう経験なかったら別にいいんだよ? 趣味の話とかでも私は全然」

「ナチュラルに煽ってくれるじゃねぇか、おい!」


 俺がそうツッコむと、ダックス達は声を上げて笑った。調子に乗りすぎる俺たちを窘める係のシャウも、堪えきれずにクスクスと笑っている。


「いいぞー! メーヴェル!」

「今のは……面白かったぞ」


 めったに表情を崩さないトゥロイネンもこの調子なのだから、俺の渾身のツッコミは上出来と評価してよいだろう。何せ言い放った俺自身も、直後に笑みをこぼしたほどだったのだから。

 かけがえのない時間が流れていく。久しぶりの感覚だった。時の経過がこんなにも惜しく思えるものだったとは。心に傷を負って、そこから立ち上がるのを赤子のように拒絶して、自分の殻だけを被った何者かが異国の地へと赴いた。だけど、それは紛れもない俺自身であって、ついさっきまで俺はその殻の中に閉じこもっていた。

 そして今、笑みをこぼしたこの瞬間、殻はオブラートのように溶けてなくなり、誰にも気づかれる事なく本当の俺がスッと現れたのだ。


 緊張の緩和か、それとも他者への信頼か。自分語りをほとんどしないこの俺が、急な思いつきのように進んで口を開くなんて。口走る直前に、俺は自身の行動に少し驚いたが、同時にそれを安らかな気持ちで見守ることにした。


「……彼女なら、いたよ」

「ええぇ!?」

「ぬわんだとぉ!?」


 メーヴェルとダックスの絶叫が、無線機と実際の彼らの口から時間差で響き渡る。そのせいで何匹かの野鳥が飛び去ってしまった。他二人の反応は、その絶叫によりかき消されてしまったようだ。


「バイト先で知り合ったんだけど、気立てが良くて可愛くて周りの人に人気があって、俺にはとても似つかわしくないオンナだった」

「なんでつきあえたんだよ、教えやがれ! 押しまくったのか!?」

「俺がそういう奴に見えるか。コクってきたんだよ、向こうからな」

「いつどこで、どんな風に!?」

「いや、それが何の前触れもなかったんだよな。バイトの待合室で――」

「何のバイト!?」

「ゴルフ場のバイト。俺はOBの球拾いで、向こうはキャディ」

「世の中にそんな優雅なバイトがあるのかよ……」


 ダックスが無線機の向こうでそう嘆いた。彼の苦労話は嫌というほど聞いていて、俺はかなり水準の高い暮らしをしていたのだと気づかされた。まあ、マフィアに追われている依頼人を五〇〇km先の場所まで無免で運ぶなんて稼業からすれば、俺のバイトは優雅だと言われて当然だろう。

 トゥロイネンも興味深げに俺に訊ねてきた。そろそろ定期連絡の時間だと思うのだが。


()()という事は、すでに別れたのか?」

「さあな。わからん」

「わからんって、まさかここに来る事を伝えてこなかったの?」

「家出同然で飛び出してきたからな……。まあ、どのみちあいつと連絡を取ろうとは思わないし、あいつも俺のことを忘れてくれたほうがいい」

「はぁ? 何スカしてんだよ」


 トゥロイネンに痛いところを突かれて、返答がぶっきらぼうで曖昧なものになってしまう。太陽が雲の中に隠れて日差しが弱まる。同時に森林の空気が暗く澱んだようにも思えた。

 ダックスが訝しげになるのも自然なことで、同じシーンに出くわしたら俺も同じような発言をしていただろう。

 全てを伝える事はできなかった。信頼という絆がようやく出来てきて、ありのままの自分を曝け出す事はできても、あの出来事は禁忌の鎖で縛りつけるのがやっとだった。いずれは話したい。話して楽になりたい。でも、今はきっとその時じゃない。


 いつか打ち解けられる時が来ればいいな。勾配のややきつくなった地面を踏みしめて、俺は何も答えず汗を拭った。山の頂上まではまだ遠い。顔を横に向けると、木々の間から緑豊かな山の連なりが見えた。雲影がほどよい色合いを作り、色彩あふれた絵画を眺めているような気分になる。数秒間の休息は、足の疲労感をその瞬間だけ忘れさせてくれたのだ。

 しかし、安らぎに浸る時間はあっという間だった。


「……おかしいよ、そんなの」

「シャウ?」


 しばらく沈黙していたシャウが、拗ねたような口調でそう切り出したのだ。五〇メートル以上離れた彼女の方を向くと、そのタイミングでシャウは顔を背き、作業を続けた。俺も首を傾げて作業に戻ると、無線機から彼女の声が流れてきた。


「前から気になってたけど、レンはどこか変。考え方が投げやりよ。自己中のくせに、自分の事になるとぞんざいになるっていうか」

「……そんなの、俺の勝手だろ」

「この前の実技試験の時だってそう。私を庇ってくれたのは、う、嬉しかったけど、何かすごく不自然に思ったの。そういうキザな事する人じゃないし、大事な事に対して無頓着に振る舞う……みたいな」


 完全に図星だったので、苦い顔を誰にも見られなかったのは幸いだった。シャウを庇ったあの時、実際俺は不肖の俺自身の事だけを考えていたのだから。無様に死んでもかまわない。それで家族のもとへ行けるのなら……。そういう、破滅的な思考で実技試験に挑んでいた。

 シャウに心を見透かされたような気がして言葉を詰まらせたが、作業の手は止めなかった。ただ、動揺のせいでいささかそれが雑になっていたようだ。


「おいレン。無頓着なのは恋愛の終わらせ方だけにしろよ。左端のほう全ッ然チェックしてねぇじゃねーか」

「あぁ、悪い……」

「ったくよー。頼むぜマイブロー」


 左後方を振り返ると、三〇メートルほど後ろでダックスが手つかずの藪の中へ邁進せんとしようとしているところだった。俺は視線を進行方向へ戻し、勾配を登りだす。


「レン君。お節介かもしれないけど、その彼女さんの件ははっきりさせておいたほうがいいと思うな」


 沈黙を破ったのはメーヴェルの柔らかな声だった。癖の強いメンバーを取持つのは、ごく自然とメーヴェルの役目となっていた。


「はっきりさせるって、何を?」

「何があったかは知らないけど、レン君は故郷を離れなくちゃいけない理由があったんだよね? その理由は言えないにしても、今元気でやってますって事をきちんと伝えないとダメだよ」

「メーヴェルの言うとおりだ。特にレン、君は他人との意思疎通をしたがらない傾向がある。口にしないと伝わらないものが、この世のほとんどを占めているんだぞ」

「そうね。それとも私たちから彼女さんに、こっちでも相変わらずひねくれ者ですよ、とでも伝えてあげようか?」


 優等生三人組に、各々の形で忠告されたらお手上げだ。シャウのは少し棘のある言い草だったが、それも友人としての仲を深められたおかげだろう。ベトナムという異国の地に降り立ってから、人の温かみに触れる機会が多くなった。

 これを無駄にしてはいけないと思う。家族を失った悲しみに潰されそうになった俺を、こうして友人が慰めてくれる。それだけで随分と救われた気がしたのだ。

 感謝の言葉は恥ずかしすぎて言えるはずがない。直前に指摘された忠告を無視するようでトゥロイネンには悪いが、この思いは俺の胸の中で留めておくことにする。

 その代わりに減らず口を叩くことで、俺は信頼に足る友人たちに感謝を伝えたのだ。


「あーあ、お前らのせいで思い出したよ。ベルタもお前らみたいに学校の成績が良くて頭の回転が速いから、よく俺をからかってきたんだよな」

「ベルタって言うんだ? 彼女さん」

「へぇ。ベルタねぇ。いい友達になれるかも」

「勘弁してくれよ。絶対三分で親友になっちまうから」


 彼らはベルタとよく似ていた。だから俺は調子を取り戻すことができ、ありのままでいられた。彼らと笑い合う時間はかけがえのないものだった。蒸し暑い気候も汗でベトベトの感覚も、彼らとの共有を経て貴重な体験へと移り変わるような、俺はそんな甘美な記憶をまさしく刻もうとしていた。


 ――していたのだが。










 パンッ!










 唐突な破裂音。何かが弾け飛ぶ音。自然と相反するような、きわめて人工的な爆発。

 幻聴であってほしいという淡い願いを打ち砕くように、その音は山中に木霊する。

 体が硬直して動かない。心音が跳ね上がり、胸が締めつけられて痛みさえ覚える。

 肌で感じ取った破裂音の衝撃は、俺の背中を突き抜け彼方へと消えていった。


 後ろ。爆発は後ろで起こった。

 振り返った先に見たものは、ベトナムの空を舞い上がる濁った白煙。

 ツンとする火薬の匂いが鼻腔をつく。

 頭の中でどれだけ否定しようとも、眼に映る光景は何も変わらなかった。


 そう、白煙の下で地面に打伏せ、身体をぴくりとも動かさない友人、愚かで浅ましい兵器の餌食となったその陰惨を極める光景は、何一つとして変わらなかったのだ。


「ダックス……!?」

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