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地雷掃除人  作者: 東京輔
第10話 Gewissensbisse ~呵責~
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10-12 運命の日(1)

 運命の日が訪れたのは、それから三カ月後のことだった。

 うだるような暑さの正午過ぎ、纏わりつく湿気と昇ってくる熱気に集中力のほとんどを奪われながら、俺は足場の悪い地面に気を配りながら歩を進めていた。植物の緑は眼に良いと聞くし、木々の合間から降り注がれる陽光は心安らぐものがある。だけどその刺激は降り注がれるなんて生易しいものではなく、溶けて蒸発してしまいそうに強烈なもので、鬱蒼と生い茂る森林の緑にはそろそろ心失せるものがある。落ち葉や枯れ枝に小虫、隆起した木の根といったジャングルじみた光景。そして延々と鳴りやまぬ鳥や虫の鳴き声を聞いていると、時間という樹海を彷徨しているかのような感覚に溺れてしまいそうだ。

 では、なぜそうならないかというと、無線機から流れてくるまるで止まることを知らない言葉のさざ波が、時間が正しく進んでいることを教えてくれるからだ。


「ブロードウェイに憧れるやつってのはさ、言ってしまえば全員変人なわけよ。みんながみんな気ぃ狂ったかのように舞台の虜になっちまう。彼女もそのうちの一人だったが、最後に俺にくれた台詞が何だったと思う? 『貴方といると楽しいけれど、人生そのものが喜劇になってしまいそう。私の人生はもっとロマンティックでありたいの』だとよ。じゃあお前アレか、端役のオーディションに落ちまくって心折れた挙句、顔がいいだけのヤリチン野郎と酒の勢いで一晩過ごして、そいつに性病移されて故郷に帰るのが俺といるよりロマンティックだっつーのかって話よ。わかるか、お前にフラれた俺の気持ちがよぉ!?」

「ねぇそれ、どこまでがほんとの話なの?」

「おいおい、このダキシモ・エマヌエレが嘘八百を言い連ねるとお思いか? そりゃほんの少しの脚色はつけてるとはいえ、全てが事実と受け取ってもらってもそれは過言じゃないぜ」

「どうだか。ロスの女の話はアパートの名前以外全部でたらめだったし」

「発言を慎みたまえ、ミスター・レン。そうやって茶々を入れたがるのは君の悪い癖だ。もっとこう俺のように、場がブワッと盛り上がるようなトーク術を磨いてだな――」

「定期連絡。返事をしてくれ」

「こちらシャウ。異常なし」

「こちらメーヴェル。同じく異常なし」

「レン、右に同じく」

「おいこら! 流れをぶった切って定期連絡とかひどくないか!? 異常なし!」


 無線機からはダックス以外の笑い声であふれかえる。単調な作業と劣悪な環境でストレスを溜めないでいられるのは、これまでのダックスの恋愛遍歴をこういったラジオ感覚で常に聞いているからだろう。

 ちなみにこれらの会話は全て無線で行われており、左から俺、トゥロイネン、メーヴェル、シャウの四人が二十メートルほどの間隔で暑さと闘いながら作業をしている。そして後方のダックスがそのカバーをしつつ、自慢のしゃべりで場を和ませているという具合だった。


 ベトナム、クアンチ省ドンハ。S字型をしたベトナムの中心に位置する場所。古くは軍事境界線と言われた北緯17度線付近の森林を、地雷探知機を片手に闊歩している最中だ。既に他の機関が地雷撤去を終えた場所をなぞる様にして、俺たちは作業を進めている。まぁ、新米のぺーぺーをいきなり地雷原に放り込んでも死ぬのが関の山だし、いつまで経っても反応がない地雷探知機をぶらぶらと構え持つこの退屈な作業を任されるのは当然だろう。

 俺たちのグループは先ほど述べた通り五人。成績優秀なシャウ、メーヴェル、そしてトゥロイネンの三人に、凡才コンビの俺とダックスが交じって調和を取られたという構成だ。口が本体なのか、それとも脳ミソの中に小さい本体がいるのか、みたいな奴とコンビと思われているのは多少不服ではあるが、彼のいない生活を考えるのは既にできなかった。ダックスは味のない生活にスパイスを入れて上等な料理を振る舞うくらいの、飽きの来ないトークを延々と喋り通す能力を持っていたのだ。

 だが既に、『ラジオ係』として任命されたダックスが、前方にいる四人を笑わせてから二時間が経とうとしていたのだから、話し手を変えようと提案していたところだった。


「だから俺の昔話を掘り起こすのはもういいって。他の人の小粋なトークにも関心があるんだよ。つーことでメーヴェル」

「は、はい?」

「女性を代表して恋バナを披露してはもらえんか。ほら、君の左にいるもう一人のオンナは、絶ッ対にそういうの持ってないだろうし」


 口先で人を誘導させる術をダックスは心得ていた。すぐにもう一人のオンナが強い反応を示したのだ。


「ちょっとダックス! 黙って聞いてれば好き勝手言ってくれるわね」

「んん? じゃあ何だい、君は今までつきあった男の話でもしてくれるのかい? ミス・シャウ、いや、ミセスと呼んだほうがいいのかな?」

「ぐっ……! こ、告白された事くらいならあるわよ、ちゃんと!」

「え、ほんと!?」


 メーヴェルが嬉しそうな声を出した。普段はおとなしめでおっとりしている彼女だが、そういう系統の話になるとぐいぐいくるタイプの人間だと、俺は最近になって知った。

 それよりも会話の内容が気になったので、俺も口を挟むことにした。


「何だよシャウ、メーヴェルにも話した事ないってのか?」

「そ、そんな大した事でもないし……」

「へえ。大した事がないなら、おおっぴらに公表しても何ら問題ないっつー話になるが」

「むぐ……!」


 恥ずかしさで肩を震わせるシャウの挙動が見て取れるようっだった。こうなれば身の上話をせざるを得ない、という流れをダックスは巧妙に作っていたのだ。そしてダックスは間を置かずに質問攻めの態勢に入る。


「で、いつどこで誰に? どういうシチュエーションで?」

「き、去年、大学の教授に……」

「えええ!?」

「それは穏やかじゃねぇな」

「しかし、興味深い」


 堅物で知られるトゥロイネンもさすがに興味を示す。どうしてこう人間という生き物は、他人の恋愛沙汰となると根掘り葉掘り聞きだそうとしてしまうのか。とにかく、すごく気になるのは確かな事実。


「どんな風に言い寄られたんだ?」

「ゼミが始まる前に、教授の部屋に早めに行っていつものように勉強を教えてもらっていたの。そしたら急に肩を掴まれて……。君と真剣に交際したいって言われて……」


 シャウはそう言って口ごもった。勉学にひたむきで何色にも染まっていない一〇代の少女、そして彼女が口述した内容から察するに、それほどドロドロした話ではないのだろう。


「ははん。勉強熱心な生徒に欲情したってわけだ」

「生徒を想う心が、いつしか恋心へと移り変わったと」

「そ、それでシャウはどう答えたの?」


 クソ真面目に考察するトゥロイネンの言葉を食い気味に、メーヴェルは固唾を呑んでシャウに訊ねた。


「教え方も丁寧で優しくて、すごく尊敬してた先生だったんだけど……。先生のことを男性として意識した事はなかったし、それに五〇歳って、私と三〇歳以上も差が離れてるのよ?」

「出会いがなかったんだろうなあ、その先生」


 ダックスは同情するような言葉でしみじみとしたが、だからといってその教授とやらに情状酌量の余地はない。不器用な俺でもわかるくらい、やり方がお粗末だ。まずは食事に誘うだとかの段階を踏まなきゃいかんだろうに。

 吹っ切れたようにシャウは低いテンションのまま続ける。


「女性として見られてるって思った途端、その先生の事が急に信頼できなくなって……。それでどこか遠くに行こうと思ってたら、このプロジェクトの広告が目に入ったの」

「そんなお騒がせな色恋沙汰があって、ここに来たってわけか。人生ってのは数奇なもんだな」

「まったくよ。そのうえ入寮したら、すぐくちびるオバケみたいな奴に声かけられるし」


 抑えきれない笑いが吹き出すかたちとなって、俺の口からこぼれてしまう。無線機からも同様の笑い声が一斉に発せられる。俺たち五人の中で、そんなけったいなオバケに揶揄されうる人物は一人しかいない。

 そのくちびるオバケの不満げな声が、息つく暇もなく無線機を通して俺の耳に届く。


「あぁん? ミス・シャウ。その聞きなれないクリーチャーは、もしかしてだが俺の事を言っているわけかい?」

「くちびるオバケ……。うむ、言い得て妙だな」

「じゃかあしい! てめぇ、トゥロイネン! そういうお前はどうなんだよ!? どうせ恋愛の一つもせずに退屈な人生過ごしてきたんだろうが!?」

「いや、僕は今恋している」


 至極真面目な声音で、トゥロイネンはそう答えた。朴念仁のかたまりみたいな男だとばかり思っていたのだが、優等生の爆弾発言に誰しもが驚愕した。いや、しかし……。


「え、誰に誰に?」

「まさか……」


 考えうる返答、トゥロイネンの普段の生活スタイル。導き出された仮説に俺はたじろぎ、そう口走ったのだが。


「ドーバー教官だ」


 きりりとした口調で、トゥロイネンの野郎はとんでもない発言を繰り出したのだ。いくらお前が教官の後ろを金魚のフンみたいについてまわっているとはいえ、そりゃねーだろ……。


「ぶふーっ!? お前正気か! この無線だってあの鬼教官に傍受されてるかもしれないんだぞ!? あ、鬼、鬼みたいにやさしい教官に……」

「それで僕の愛が伝わるのなら、この上ない喜びだ」

「大したマゾだよ、お前……」

「ああ。そろそろ定期連絡の時間だ。点呼を取るぞ」


 肯定とも咄嗟に出た声とも判別できぬ曖昧な返事をして、律儀に三分おきに点呼を取るトゥロイネン。恋愛とは何たるかを、彼はおそらく勘違いしたまま生きている。四六時中、その人の事が気になって胸がざわざわするというのが恋愛だと定義するのならば、サプマク寮にいる間は俺だって教官に恋してる事になるじゃねぇか……。

 そんなバカみたいな命題に苦笑しながら、俺は地雷探知機を左右にぶらぶらと動かしていたのだった。

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