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地雷掃除人  作者: 東京輔
第10話 Gewissensbisse ~呵責~
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10-10 訪れた施設

 ベトナムの国道には、俺が今まで見たことのない光景が広がっていた。というのも、視界に映るほとんどがスーパーカブと呼ばれる日本製の二輪車で埋め尽くされていたからだ。交通ルールなんてあったものじゃない。信号機はおそらく、俺の知っている決まりで作動していない。『青なら進め。赤なら気をつけて進め』とでも言わんばかりに、現地の人が乗るカブが俺たちのバスを囲み、カーブを曲がっていく。それは信号機が赤を灯してから五秒も経った後の出来事だった。

 舗装されていない国道の所々には、誰かが積荷を落としたであろう果実やら木材やら、誰も片付けようとしない石礫やらが散らばっている。そしてそれを現地人はスイスイと避けてカブを走らせるのだからタチが悪い。胃袋がシェイクされるのを予想して、ランチを軽めに取っておいたのは正解だった。俺の分の残りもたいらげたダックスは、今は一番前の座席で死にそうな顔をしている。

 どこに向かうのかはあまり興味がなかった。俺はただ、流れていくベトナムの風景を眺めながら、たまには自由気ままに露店で飲み食いでもしたり、観光気分でぶらりとベトナムの街を歩いたりしたいなどと思っていた。今日はまだドーバー教官に遭遇していなかったから、緊張の糸はだるんだるんに緩みきっていたのである。


 およそ一時間が経って町なかを過ぎるとカブの数も減っていき、そして国道と謳われる砂利道はさらに礫の大きさを増していく。振動する度にドスンと響くのにほとほとうんざりしようかというところで、バスは目的地に到着した。門のあとに続く道は平坦で平凡なアスファルトだったが、それだけの事で気分が晴れたのを今でも鮮明に覚えている。バスを降りたら、曇天が多いベトナムの空に晴れやかな日差しで迎えられたのも印象深い。

 敷地の中はとても心安らぐもので、俺がなぜそう思ったかというと、ここが今まで眺めていたベトナムの風景と似ても似つかわしくない現代的な設計をしていたからである。訪問者を迎え入れるのは整えられた小奇麗な庭園。青々とした芝生は調達したものであろうが、土埃がかぶった黄土色の国道よりは見栄えが段違いによかった。富裕層の住む豪邸の庭と遜色がない景色に、俺たちはしばらくの間目を瞬かせた。

 そしてその奥には、町に並ぶ店や屋台とは比べものにならないほど立派な施設が建てられていた。俺たちが住んでいるサプマク寮よりも近代的で――あの家畜小屋のほうこそ前時代的なのかもしれないが――何より広々とした空間が見る者の心を落ち着かせた。


 施設からは子どものはしゃぎ声がこちらに反響して俺たちの耳に届く。それもあってか「ジュニアスクールかな?」「そうかもね」といった会話が、周りでちらほらとおこなわれている。

 パールは俺たちを先導して施設の入り口まで歩く。そこでは年のいった現地の男性が深々とお辞儀をして俺たちを出迎えてくれた。二言三言パールはその男性と会話をし、軽いハグの後その場所を離れ奥へと俺たちを引き連れた。壁に貼られている掲示板や前衛的な絵画、それにテーマが動物で統一されている粘土の造形物を見て、俺はこの場所がスクールであると確信した。どこからか響いてくる声の正体は、元気盛り育ち盛りの子どもたち。


「みんな、おはよう!」


 正午も間近に迫ったパールの遅い朝の挨拶。その反応は彼女の後ろにいる研修生と、教室の中にいた数十名の児童とでは全くの正反対だった。だけどそれはどうしようもないものだった。言葉が出てこなかったのだ。それとは対照的に思考回路は多大な負荷がかかり、それでもなおこの児童たちの姿を整然と理解しようとしている。

 パールの姿を見るや否や、駆け寄って甘えようとする子どもたちは未来の象徴そのもの。


 ――そう、四肢の一つ、もしくは二つが欠けている事実を除いては。


 ある女の子は松葉杖をついて。ある男の子は己の右足と、肌色の奇妙な左足を交互に動かして。それぞれが異なる負傷を負ったベトナムの子どもたちが、されどにこやかな笑顔を浮かべてパールのもとへとやってくる。

 「しばらく見ないうちにまた大きくなった?」「パールは変わらないね」「男の子にはわからないかな?」「えー、なになに? どこが変わったの?」「髪型に決まってるじゃん。前はウェーブがかかってなかったでしょ」「髪の毛のにおいも違うねー」「あはは。女の子は本当に気づくのが早いな」

 そういう他愛のない彼女たちのやりとりを、俺たちはどんな顔して見ていただろうか。誰彼構わず話に割り込むダックスも、子供が好きだと言っていたシャウも、誰も声を発することはなかった。呑みこんだ言葉が喉を詰まらせている。手の平や背筋には凍りつくような汗が染み出ている。


 「今日はこのお兄さんお姉さんたちが一緒に遊んでくれるからね」


 パールがそう告げると、子どもたちは甲高い歓声をあげてはしゃぎだした。すっくと立ち上がったパールは振り返り、表情を失った俺たちに柔らかな視線をくれる。


「感じるものはたくさんあるだろうけど、そんな顔をしていたら子どもたちはつまらないよ? 今はたくさん遊んでおやり」


 そうだ。喉を詰まらせてばかりはいられない。心を強く持って気丈に振る舞うしかないのだ。普段は自分勝手な俺だけど、今ばかりは目の前の子どもたちを思いやる事だけ考えよう。子どもたちの目を見よう。ひとたび視線を落とせば、俺は必ず彼らの障害を注視してしまう。目を見ていつも通り接しよう。大丈夫、年下の扱いはけっこう心得ているから……。

 様々な思いが脳裏に駆け巡るなか、俺の後方でバチンと何かを強くはたく音が聞こえた。見ると、ダックスが自分の頬を両手で挟んでいた。皆が呆気にとられていると、ダックスは再度バチン、バチンとかなり強い力で頬をはたいた。

 目をギュッと瞑っていたダックスは両頬をさらに圧迫して一言、


「……オクトパス!」


 と叫んだ。


「タコだ!」

「タコがいるー!」


 パールと研修生たち、そしてもちろんこの俺も目を点にしていたが、ダックスのその意味不明な言動は意外にも子どもたちに受けていた。数名の好奇心旺盛な男児たちがタコフェイスをかます謎の男のほうに近づいてくる。

 謎のタコ男はにやりと口角を上げ、そして一段と大きな声を教室内に響かせた。


「うっしゃあ! 元気なやつらは外行くぞ! お、サッカーボールあるじゃんか。見てろよ、バロテッリの再来と謳われたこのダックス様が、お前らに美技を披露してやるぜ!」


 おどけようなタコ男の芝居がかった口調は、結果として緊迫していた教室の空気を和ませる事になった。ただでさえ厚いダックスの唇が輪をかけて分厚くなっているものだから、一部のおとなしい女の子たちを除いてタコ男は概ね好評だった。


「タコは足八本あるからずるいよー!」

「俺の足は八本も生えてねぇだろ! タコなのは顔だけ! 墨も吐けねぇし! おーし、キックベースやるぞ。まずはチーム分けだ。実力が同じくらいのやつとジャンケンしろ。勝ったほうがチーム・クラーケン、負けたほうがチーム・デビルフィッシュな」


 ダックスはそう言って、ほとんどの男児たちを外に連れ出そうと促した。なかなか移動しづらそうにしている子らを見て、慌てていくつかの研修生がそれを援助する。それに続いて女子たちは同性の児童のほうに近寄り、簡単な自己紹介などから入ってお話しをし始める。

 役割分担がこうもスムーズに行なわれたのは、奇しくもタコ男のおかげという面妖な事態となったわけだが、今は彼に感謝せねばなるまいと誰もが思った瞬間だった。

 子どもたちの世話をする大人。そう、何も変わりはないのだ。ただ児童が義足を履いていたり、松葉杖をついていたりするだけで、俺たちの役目は変わらない。意識を向けるのは彼らの障害ではなく、彼らの進むべき道なのだと、俺はいつの間にか理解していた。


 男児たちが教室を出る一方で、浮かない顔をしてその場を動かない子どももいた。視線を落とした先は、空っぽになった彼の右足だった。偽りの右足はそこにはなかった。憂いの理由は誰もが察する事ができただろう。見るからに快活で運動が好きそうな少年だった。けれども、大好きなことを満足にできない不自由さを与えられてから、その少年は運動するのが嫌いになってしまった。手に取るようにわかる耐えがたい事実だった。

 そんな彼に語りかけることができるのは、教養のなっていない人間か、もしくは思いやりの心を分け隔てなく、そして充分に捧げることができる人間のどちらかだろう。


「お、どうした? サッカーは苦手か?」

「…………」


ダックスは少年に語りかけたが、少年は口を開かなかった。視線を合わせたダックスだったが急に背筋をピンと伸ばし、きょろきょろと辺りを見回す。そして大げさな咳払いの後、いささかジェントル風な声音で再度少年に問いかけたのだ。


「あー、実はだな、私はチーム・デビルフィッシュの参謀を務める者であり、点取り屋でもあり、裏で暗躍するスパイでもあるんだが」

「……スパイ?」

「そうだ。あの手この手でチームを勝利に導こうとする、まあチームにとっては良いやつで、相手にとっちゃ悪いやつなんだが」

「……?」

「細かい事はいい。君にはぜひウチのチームに入ってもらいたい。人数が多ければこの上なく有利になるからな。もし君が入ってチームに勝利をもたらしてくれたのなら、そのときはお菓子フェスティバルを開催しようじゃないか。どうだい、悪くない条件だろう?」

「……うん!」


 明るさを取り戻した少年。その瞳に希望が見えた。不敵に笑っていたダックスは、徐々に愛嬌のある笑顔になって顔をほころばせた。そうして少年の背中に手を添えて、ダックスは施設の外へと出て行った。


 俺も彼らと一緒に外で遊んでもよかったのだが、なぜだかそうしようとは思わなかった。というよりも、俺には俺の役目が残っているのではないかと漠然と感じたのだ。ダックスの太陽みたいな熱いエナジーを必要とする子どももいれば、そういうのはちょっと苦手なやつもいる。俺が後者よりの人間だったからこそ、その部屋から出て一番奥のどんよりとした薄暗い部屋を見つけ、そこで黙々とテレビゲームで遊ぶ児童たちを見つけられたのかもしれない。

 仲間は他の子たちで手一杯の様子だったので、なるほど、ここは俺の担当なんだなと自らを納得させるのには充分だった。扉を開けてもこちらをちらりと一瞥しただけで、また画面に視線を戻す四人の児童たち。彼らが全員五体満足の身体でないという衝撃的な光景が目に飛び込む。無機質な義足が放り出されるようにして彼らの腿から伸びている。そのうち一人は――下半身すら存在しなかった。陽の光が入らない部屋で車椅子に佇みコントローラを持って、俺の事などお構いなしにレースゲームに没頭していた。


「へぇ。割と最近のハードも置いてるじゃん」


 気さくに話しかけてみたつもりだったが返答はなかった。カチカチというボタンの音と、画面の中のスポーツカーの排気音だけが部屋に響く。ここの部屋だけ空気が重いように感じたが、俺はそれを鼻で笑ってみせた。

 これでいい、これが普通なんだ。確かに日光を浴びて外気に触れれば、ストレスは軽減され健康的な心身を得られるだろう。そういうデータはごまんとある。だけど、それを無理矢理強制されるのが嫌なときだってある。塞ぎこんで苦悩に悶える時期がある。それはネガティブな人間だけが共有できる鬱屈で重苦しい、されど必要不可欠な休息の時間なのだ。

 ダックスや他の仲間がおらず、この場に俺だけが訪れたのは運命に他ならない。俺だけがこの子たちを内側から支えられる、変えさせられる。そういう使命が俺に与えられたのだと、不思議とそう思えたのだ。


「そこ、半アクセルすると速くなるぜ?」


 俺による唐突なアドバイス。その一声で、四人の男児たちは我に返ったように俺のほうを振り向いた。


「え、なに? 半アクセル?」

「そうだ。あまり知られてないが、このゲームはボタンの押し方でアクセルの利き方が違うんだ。ドリフトの最中はボタン押しっぱじゃなくて、ちょっと押すだけで立ち直りが速くなる。パッドでやるのは久しぶりだが、どれ、ちょっと貸してみな」


 俺が運命めいたものを感じた理由。それは彼らが励んでいるレースゲームを、俺が昔弟のオズと一緒に()()()()やり込んでいたものだったからだ。

 俺は受け取ったコントローラを操ると、それまで中間順位で燻っていたウィングが特徴的な赤いスポーツカーが、現実離れした挙動でコーナーを曲がっていき、瞬く間にトップに躍り出た。ラップタイムの新記録が出ました! と画面にでかでかと表示される。


「うおぉ……!」


 流星の如く現れた謎の青年があっという間に新記録を叩き出す。嫉妬よりも感嘆の声が子どもたちの口から漏れた。女子諸君はわからないかもしれないが、男子の間では足が速いのと勉強ができるのと同列で、ゲームが上手いというのもひとつの憧れの対象なのだ。

 したり顔でコントローラを返す俺に、子どもたちは羨望の眼差しをくれた。その瞳には一抹の光が灯っている。ゲームをしただけで患った障害が無くなるなんて事はないし、結果として何も変えてやれないのかもしれない。

 でも、子どもたちは確かに希望の光を見出した。これだけは確かな事実だった。


「すっげぇ……。兄ちゃん、すごく上手いじゃん」

「まあな。昔はレート1900台でぶっ飛ばしてたんだぜ?」

「1900!? そんないけんの!?」

「兄ちゃん、もっと速く走るコツ教えてよ! そこで立ってないで、ほら座って!」


 子どもたちはそう言って、俺に座るよう催促した。どんよりとした空気が嘘のように消えて、熱気に包まれたゲーム部屋へと変貌を遂げる。まったく、子どもってのは図々しくて現金で、なんとも愛くるしいやつだ。


「ったく、しゃあねぇな」


 外から聞こえるダックス達と何ら変わらぬテンションで、俺たちは時間を忘れていろんなゲームに熱中した。そう、車椅子だとか義足だとかそんなの一切関係なく、喜怒哀楽を前面に出して、日が暮れるまで充実した時間を過ごしたのだった。

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