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地雷掃除人  作者: 東京輔
第10話 Gewissensbisse ~呵責~
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10-9 マニュアル

 『助けに行く』そして『安全を確保する』。そのどちらでもない行動をとる俺に、皆は興味深げな目を向けた。注目を浴びるのはどうも苦手だ。パールと目が合ったのはちょっと嬉しかったけど、そんなささやかな幸福はあっという間に終わりを告げた。


「……言いづらいのが回ってきやがった」

「いいから早く答えなさいよ」


 シャウに小突かれて、俺はへいへいとぶっきらぼうに返事をする。言わずもがな、俺のテンションは一向に上がる気配もなかった。ダックスのようにでかい声でもなく、またメーヴェルのように声が上ずることもなく、俺は普段より低めの淡々とした口調で話し出した。


「怪我した奴より自分の身の安全を確保するってのは俺も賛成。だけど、一刻も早くそこから抜け出したほうがいいんじゃないかと……俺は思う」

「最優先すべきはあくまで自分の命……。少し酷な言い方をすれば、君は仲間を見捨てて逃げるという事だね?」


 俺は黙って頷いた。どうしてそんな風に言い換えてくれやがったのかと、少しパールの事を怪訝に見つめた。『逃げる』――文字にしてみればいかにも卑しいが、それが俺の答えだった。

 当然、隣にいるダックスが口を挟まないわけがなかった。


「おいおい。レン、そりゃないぜ。お前が捻くれてるのは百も承知だが、何も空気読んで違う答えを言わなくたっていいじゃんかよー」

「ダックス。お前は怪我した方の人間になってイメージしたんだよな? 俺は逆だ。その状況を、もう一方の人間になったつもりでもっとリアルに考えてみた」


 あっさりした口調から次第に真剣なものに変わっていく。今から俺が話すイメージを他人に伝えるためには、いつもの話し方では伝えきれないと思ったからだ。


「地雷の起爆する心臓に悪い破裂音。ツンとする火薬の匂い。友達の千切れた腿の断面。血とか肉とか、そういうグロイものが辺りにボトボトと散らばっている。お前はそれから目を逸らさずにいられるか? 冷静になって止血したり、そいつを背負って安全な場所まで移動できるってのか?」


 熱の入っていた議論の場が、水を打ったように静まり返る。言葉にするだけでも、それは胃の中のものが逆流するように不快で、凄惨なイメージだった。戦争のない国で生まれ、明日の安全を約束された人間が忘れている、されど自然界においては珍しくもない血と骸の光景。不運な交通事故でもそれを垣間見ることができる。知人が単なる有機物へと還る戦慄の瞬間。

 そのとき人は、冷静なままでいられるだろうか。


「俺は……無理だよ。きっと直視する事もできやしない」


 希望を言えば、俺だって傷ついた仲間を放っておいたりはしたくない。ましてやそれが互いにバカを言える親友だとしたら、後先考えずに助けに行くと強く思う自分がいる。けれども、それと同時に存在する冷徹で臆病な自分が、助けに向かおうとする足にしがみつく。

 冷静と冷徹の狭間という、不確かな感情を行動に表したのが俺の答え。教壇に立つパールはじっと俺を見据え、何も訊こうとはしなかった。その沈黙がただ辛かった。

 賛同を得ようとは思っていなかったが、思いがけず近いところから声が上がった。頭を下げていた彼女は一瞬唇を噛み、そのあと沈黙を破ってくれた。


「私も……そう思う」

「シャウ」

「決して仲間を見捨てるわけじゃないの。でも、今の私達にできる事は限られている。時間はかかるけれど、助けが呼べるのならそうするべきよ。……いいえ、私達は所詮それしかできないの」

「じゃあお前、応援が駆けつけるまでに仲間が出血多量で死んじまったらどういう――」

「はい、そこまで」


 食い下がるダックスを宥めるように、パールは議論の終了を告げた。


「はじめに伝えておくべきだったが、この問題に確かな答えはない。ひとりで決断しなければならないという点において、導かれる行動が異なるのは当然だ。私は三人に意見を求めたが、どれにも該当しない意見を持った人もいるはず。それはそれで全くかまわない」


 その言葉で、俺は少しだけ救われたような気がした。パールほどの人間がそういうのなら間違いないと、無理矢理にでも複雑に絡み合う感情を閉じ込める必要があった。相反する二人の自分を互いに認めさせることで、責める対象を打ち消そうとしたのだ。

 研修生たちは黙りこくり、頼りがいのあるパールの言葉を待った。


「あと少し技術の発展が進めば、怪我をした仲間を救える可能性はぐんと高くなるだろう。けれども、君たちが地雷掃除人になる以上、こういった場面に遭遇し、苦しい選択を余儀なくされる事は避けられない。そしてそれらはやがてジレンマとなり、君たちの精神力を大いに奪っていく。後の生涯に悪影響を及ぼす事もありえる」


 ドーバー教官も同じようなことを言っていた。いくら知識を蓄えたところで、極限の状態でその通りに動ける人間は少ないだろう。そして万が一、自分が選んだ選択の所為で事態が悪いほうに向かった場合、普通の人間なら後悔の念に苛まれ、服従し、打ちひしがれる事だってある。()()()()()()()()()()()()()


「だから覚えておいてくれ。この状況に近い場面に出くわしたときの対処法を。その通りに行動すれば、この業界では適切な判断をしたと認められる」


 俺はパールの告げる一字一句を聞き逃すまいとした。マニュアルがあるのならありがたいと安堵すると同時に、マニュアルがあるという程度には遭遇する可能性があるのかとナーバスになった。瞬時にこれら二つの思考をできるほどには、俺は珍しく集中していたのだ。

 一息ついたあと、パールは続ける。


「いいかい? このケースで最も重要なのは人数だ。自分一人だけなら助けを呼びに行く。もう一人無事な仲間がいるのなら、一人が応急処置を行い、もう一方は退路を確保する。怪我人は移動させないこと。そして、自分を含めた無事な仲間が三人以上いれば、怪我人を安全な場所まで運んでもよい。……という風になる」

「二人の場合は、なぜ怪我人を移動させてはいけないのですか?」

「心理的に最も危険な状態にあるからだよ」


 質問したトゥロイネンの言葉を待っていたかのように、パールは今までの中で最も確かな口調で答えた。トゥロイネンの挙げた手がするすると下がっていく。


「この問題の核は『命の優先順位』にある。一人の場合と三人の場合は、その優先順位はある程度一般化される。すなわち、『自分を優先する』もしくは『仲間を優先する』という行動がそれぞれ選ばれやすい」


 パールの言う通りだと俺は思った。今回提示された条件は、無事である人間が自分一人だから俺は『自分を優先した』。でも、三人という条件なら俺の選択は変わっていたと断言する。パニック状態に陥る可能性も加味しての決断だ。俺はそこまで冷徹な人間じゃない。

 ――では、二人という条件であれば、俺はどうしていたのだろうか。

 思考に耽る間もなくパールは次なる言葉を放つ。


「しかし、仲間が二人いる場合はどうだろう。これは非常に選択が分かれてしまうんだ。意見が異なると思考や判断能力が鈍ってしまう。私が出題したのは自分一人だけのケースだったが、それでも意見がバラバラだっただろう? 何度も言うようだけれど、この問題に明確な答えはない。だけど適切な対処法は覚えておいてくれ。一人なら助けを呼びに行く。二人なら応急処置と退路の確保を行う。三人以上なら協力して怪我人を運ぶ。いいね?」


 研修生たちがパールの教えを胸に刻んだのは言うまでもなかった。ここは素直に先人の教えに従おうと思う。ダックスもメーヴェルも、濁りのない瞳を教壇のパールに向けていた。


「このマニュアルに則り、地雷掃除の際は基本的に五人以上のグループで臨むこと。少人数での掃除は、余程の熟練者でないと危険が伴うからね」


 パールはまだ何か言いたげだったが、教室の時計が予定の三分ほど過ぎているのを確認すると、ふうっと息をついて俺たちに柔らかな視線をくれた。それは講義の終わりをほのめかす仕草としか、当時の俺たちは感じ取れていなかっただろう。


「さてと、教室での授業はこれで終わり。このあとは外に出かけるから、各自準備をしておいてくれ」

「どこに行くんスか?」

「君たちが行かなければならない所だよ」


 今思えば、彼女のこの意味深な台詞を噛み締めるべきだった。柔らかなパールの視線は、俺たちではなく既に他の対象に向けられたものだと、そう理解するべきだった。

 そして、()()というもう一つの、彼女の柔和な瞳に密かに宿るものを察しておく必要があったのかもしれない。


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