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地雷掃除人  作者: 東京輔
第10話 Gewissensbisse ~呵責~
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10-7 ある問題

 偽りの試験から数日経ったある日。新しい事まみれの日々にもようやく慣れが生じてきて、ハイスクールの延長じみた雰囲気の中で俺達は研修を消化していった。その日の一発目の講習前の時間も、ドーバー教官による乱暴な足音が近づくまではしょうもない会話を繰り広げていたと思う。他の連中も、俺の愛のある皮肉の味わい深さをわかってきた頃だっただろうか。

 取留めのない話をしていると、廊下から小気味良い足音が聞こえてきた。それは先ほど述べた鬼教官によるものでもなく、かといってヨボヨボのカビラ爺さんの杖の音でもない。ある程度の覚悟と、あの教官よりひどい指導者であるはずがないという楽観的思考をもって、一同はその人物が扉を開けるのを待ったのだ。


「や、おはよう」


 彼女の一声はそんな軽い挨拶だった。

 人間、神経が過敏になると不思議なもので、歓声を上げる直前の皆の息を呑む音を、俺はクリア過ぎるほどに聞き取っていた。そして仲間たちのボルテージが一気に急騰するのとは対照的に、俺はただただ目を瞬かせてその人物を見惚れていたのだ。


「キャーッ! パールさんよ!」

「す、すげぇ! 本物だ! 本物のパールワン・エテオだ!」

「ヤバい私どうしよう!? ねぇねぇヤバいって! うそ、マジ、どうしよう!?」


 女子特有の、アイドルやイケメン俳優を目撃したときの甲高い歓声が、留まる事を知らずに次々と湧き起こる。まあそれは無理もない。画面の向こうにいる人間が何の予告もなく目の前に現れたのなら、それはもう非常事態だ。非常事態に悲鳴を上げない生物などいないだろう。席についていた女達は立ち上がり互いの顔を見合わせて、夢じゃない事を確認して興奮度をさらに高めていく。俺の隣にいたダックスなんかはその女性を二度見した後、頭を抱えて膝から崩れ落ちた。とにもかくにも、俺達がサプマク寮に来て以来、初めての嬉しいイベントである事には違いなかった。

 栗色のふわりとなびく長い髪。全てを包み込んでくれるような優しい瞳。味気ない黄土色のワークウェアも、この人が着るとどこぞの軍服よりも格好良く、美しくみえる。彼女の一挙手一投足に『凄み』があって、見る者を魅了させる力を持つ。


 真面目な面持ちで彼女が口元に人差し指を添える。たったそれだけで、教室の中は魔法がかかったようにしんと静まり返った。そして誰もがそれを不思議がる事なく、魔法使いが次に発する言葉を今か今かと待ち望んでいたのだ。


「どうやら、自己紹介は要らないみたいだね」


 すんなり耳に入り込む透き通るような声に思わず頷くところであったが、そこらへんは他の連中のほうがしっかりしていた。


「してください! ぜひ!」

「聞きたいです! パールさんの自己紹介!」


 大多数がそのような要望を口にするものだから、もしかしてさっきのはそういう()()だったのかと俺は混乱した。バンドのコンサートでよくある光景に似ているものがある。注目を一身に捧げる感覚。ステージに立つ側ではなく、見守る側の視点であるのがミソだ。


「そ、そうか」


 生徒たちの狂おしい熱気に気圧されたかたちで、その人は続けた。


「私はパールワン・エテオ。人道的支援のために、世界各地を忙しなく飛び回ってる赤十字社の一員だ。正義の味方というわけじゃないけど、そうだな……いいとこアクティブなお節介焼きってところかな。専門ではないけれど、地雷に関することも多少の知識を心得ている。そういうわけで今回、君たちの講義も承る事になった。よろしくね」


 そう言ってパールが微笑むと、室内は拍手喝采の渦に巻き込まれた。

 一目で秀麗な女性でわかるとはいえ、単なる赤十字社の一員がこれだけの知名度を誇るのを疑問に思う人もいるかもしれない。かくいう俺自身も、パールという女性を知ったのはつい最近になってからだった。しかし、一部の連中は前もって彼女のことを知っていたという。

 きっかけは、とあるウェブサイトのニュース映像だった。どこかの国の難民に食糧を与える何てことない(といったら至極失礼だが)動画の中に、否応にも目が留まってしまう一際美しい女性が映っている。――という話題が話題を呼んで、その女性は赤十字社の人らしいという情報が舞い込み、結局名前も特定されるに至った人物、それがパールワン・エテオだった。

 はじめはその容姿だけを取り上げられていたパールだったが、徐々に行動力とその理念、人柄、そして様々な活動による貢献度が認知されて、そのうちに名誉ある授与機関から嬉しい報せをいただくのでは、とまで噂されている。


 俺が彼女について知ったのはごく最近で、ここに来て配布された教材に載っていた写真がはじまりだった。カビラ爺さんのクソつまらない講義中に、この人えらい美人だなとダックスに耳打ちしたところ、その後授業そっちのけでなぜかダックスの『パールさんの魅力について』という持論を三〇分も聞かされる羽目になったのだ。

 ダックスによると、パールワン・エテオのすごいところは女性から圧倒的支持を受けているという点らしい。先ほどの反応を見ても、男子より女子の歓声のほうが凄まじかった事がその証拠だ。基本的にセクシーな女性は同性の顰蹙を買うものだが、パールはそれに該当しない。俺は女じゃないからわからんが、『媚びている』だとか『あざとい』だとか、おそらくそういうものが彼女には見当たらないのが要因だろう。


 そんなこんなで特別講師のパールによる講義が始まった。内容は二十一世紀における地雷による被害状況と地雷掃除人の重要性について。何十年も前に起こった戦争時に設置された地雷が、現在に至っても絶えず被害を及ぼしている事を、救助活動を経て得られた自身の経験談をもとにパールは話してくれた。ノンフィクションなので詳細に渡り臨場感はたっぷりで、俺達は講義ということも忘れて彼女の話に聞き入っていた。

 そして、特に俺達の胸を打ったのは、その話を締めくくる彼女の言葉だった。人々の多くは未来をより良いものにするために躍起になるけれど、過去の負の遺産を率先して片づけようとする人はあまりいない。行く行くは、君たちがそのパイオニアとなって活躍することを願っている。何よりも清らかな未来のために――。これには不肖の俺もやる気を出さずにはいられなかった。


 講義というよりスピーチだった時間もあと十五分ほどになった頃、パールは腕時計を一瞥した後、さて、と先ほどとはまた違う面持ちで話を切り出した。集中力を切らす者は誰一人としていなかった。


「これから君たちには、ある問題に対する答えを述べてもらう。この業界では最も有名な教訓話だ」


 それまで使われることのなかったスクリーンが起動された。そこに映された字面を黙読しながら、俺たちはパールの言うことに耳を傾ける。


「地雷掃除人が二人、地雷原で撤去活動を行っていた。二人は親しい間柄で、その日も仲良く張り切って作業をしていた。しかし、二人のうちの一人が運悪く地雷を踏んで重傷を負ってしまった。周囲に仲間はおらず、助けを呼ぶにしても時間がかかってしまう。このとき、もう一方はどのような行動を取るべきか……。考えうる行動は限られている。それらをよく吟味して、君たちなりの答えを出してほしい」


教室内に、今までにない居心地の悪い空気が舞い込んできた。あまり深く考えることのない、いや、考えるのを避けてきた事柄だった。それを最も尊敬できる人物に突きつけられたものだから、皆は口を閉ざすばかりだった。

 仲が良いというのが、却って何かの妨げになるというジレンマ。何か、というのはわかりきっている。時間的猶予のない決断だ。この状況なら俺はどうするべきなのか。

 ひとりの男が手を挙げた。ドーバー教官のことを犬みたいについてまわっている、トゥロイネンという変に生真面目な野郎だ。


「パールさん、質問をよろしいでしょうか」

「うん、いいよ」

「その、重傷を負ったというのはどれくらいの程度を指すのでしょうか? 助かる見込みがあるのか、それともないのか」

「そうだな……。片足が吹き飛んだのを想像してみてくれ。傷を負った人間の息はあるが意識は混濁し、医療に詳しい人物でなければ判断が難しいレベル……という事にしよう。……ん? これじゃあまるで答えを選べと言ってるようなものか。申し訳ない」


 パールの唐突な謝罪に戸惑わない者はいなかった、ただ一人を除いては。俺の隣の能天気なダックスが、重苦しい空気など構わず手を挙げる。


「はいはい! つまりは単純に、どういう事ですか!?」

「それを言ってしまうと、この問題の醍醐味がなくなってしまうんだ」

「馬鹿は黙って言う事聞いてなさいよ。パールさんを困らせるな」


 シャウがそう窘める後ろで、パールが苦笑いを浮かべていた。これで場の空気が和やかになるのだから、ダックスという人間は得なやつだ。


「じゃあまず、元気な君から答えてもらおうかな」

「自分はダックスと言います! よろしくです!」


 命ぜられていないのにダックスはその場で起立し、大仰な咳払いのあと、自身の考えを語りだした。

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