10-4 ファーストコンタクト2
「……は?」
「ブロンドの美女って、浅瀬でチャプチャプ水遊びじゃねぇんだからよ。頼むぜ」
大袈裟に手を広げ、三枚目の役者のように振舞うダックス。人の神経を逆撫でする事に関しては人並み外れてやがる。俺の機嫌が直ちに損なわれるのは、もはや必然だった。
「お前、やっぱケンカ売ってんだろ」
「いいからよく聞け。ブロンドに青目は世界的に見てもイイ女の条件に他ならない。だけどよぉ、俺が求めてる美女ってのは、もっとこう、グローバルな感じなの」
「グローバルな感じ」
「そう。みんながみんなモデル体型の八頭身でビューティフォーってぇのもつまんねぇだろ。ダイナミックの塊みたいな合衆国の女もよければ、東洋人にはいつまで経っても老けやしない魅力がある。お国柄やその土地に合った特色ある女性……。俺が求めてるのはそういうのだよ、わかる?」
「雑食がよく言うぜ。で、その成果は?」
「皆まで言うな。初球はぜ~んぶ空振りでいいんだよ。最後の最後にドデカい一発をぶち込めればな」
こんな感じで自分の世界に入っているダックスに、嫌悪の眼差しが集中している事に気がついた。周辺に座る女たちの迷惑そうな視線……。対面にいる男の不埒な所業を全て物語っている。そして不可解な事に、そんな奴と席を共にする俺にも同様の禍々しい視線が押し寄せる。一緒にいるあの男も甲斐性なしの仲間なのかと。
速やかにこいつから離れなければ未来はない。そう思って口を開きかけたが一足遅かった。食い気味に次の話題を切り出されてしまったのだ。ダックスはさらに身を乗り出し、消え入るような声で囁く。
「それよりレン、ドーバー教官はどう思う?」
「どう思うって……。まさかお前、教官も狙ってんのかよ!? 頭おかしいんじゃねぇのか」
「レン君、よ~く見たまえ。確かにあの御方の傍若無人な振舞いはハートマン軍曹を彷彿とさせるが、隠しきれないオンナの部分がしっかり主張してるだろう?」
ダックスに言われなくとも気づいていた。いや、男なら誰だって気づくはずだ。ドーバー教官の凄まじい身体つきについては。格式高い軍服が抵抗のなす術もなく着崩され、豊満な二つの膨らみがたわわに実っている。それだけじゃない。充分に肉の乗った尻や太もも、そして見事に引き締まったウエストとくれば、それはもう新手の新兵器と言われても信じて疑わなかっただろう。
今だから告白できるが、ドーバー教官のおかげで俺は過去から一時的に目を逸らす事ができたのだ。それだけ当時十七歳の俺は、とてつもない衝撃を受けていた。
しかしながら、この鬱陶しい輩の言う事に頷くのも癪なので、俺はあくまでも興味がないといった態度でダックスをあしらった。
「馬鹿が。俺はイエスともノーとも答えんぞ。もしこの場に不届き者がいて、この会話が教官の耳に渡ったとしたら、地雷踏むより先に死んじまうだろうからな」
「ビビってんのかよ。そんな体たらくじゃイイ女なんて当分――」
「へぇ。随分面白そうな話してるじゃない。もっと聞かせてよ」
背後から発せられる、挑発的な女の声。教官かと思って肝を冷やしたが、あれだけドスの利いた声なら一瞬で判断できる。教官のそれに比べれば、それは至って健全な女の声だった。
悪い微笑みを浮かべていたダックスの表情が、一転して苦虫を噛み潰したような顔に移り変わった。そして苦渋に満ちた声を漏らす。
「ゲェッ! お前は……」
「同じ研修生として放っておくわけにはいかないわ。あなたの下衆い行いはね」
振り返った先には、腕組みをしてこちらを睨む年頃の女の姿があった。年頃といっても俺やダックスとほぼ同年代で、まず一〇代前半ではないだろうけれど。眩いくらいに鮮やかなブロンドの長い髪に、少しだけ上を向いた小ぶりの鼻。盲目的にイイ女だと思い込めばそうに違いないのだろうが、俺が真っ先に受けた印象は『キツイ』というものだった。
俺は未だ変顔を続けるダックスに訊ねる。
「知り合いか?」
「昨日ナンパして思いっきり玉を蹴られた。とんでもねぇ暴力女だよ」
……どうやら俺の予想は当たっているようだ。
同性にはやたらと支持されて、異性となると親の敵とでもいうように敵対視する女。いるよな、クラスに一人はこういう面倒なタイプの奴が。勝ち気な表情と頬のそばかすが思春期真っ盛りの少女のようで、なるほどこれが若干若く見える要因か、と俺は了解した。
女は煽るような態度で俺達を見遣る。嫌味をふっかける仕草だと俺は直感した。
「とんでもないのはどっちかしらね。TPOをわきまえない人間に、地雷撤去なんて繊細な作業が務まるとでも?」
「へっ。TPOをわきまえればナンパしてもいいってのかい?」
「ナイス反撃! レン君愛してる!」
調子づいたダックスも相まってか、自然と二対一の構図が出来上がる。決してダックスに助け舟を出したわけじゃない。俺の性格上、細かい事が妙に気になってしまうのと、やられっぱなしは性に合わないが故の抵抗だった。
口に出した瞬間から俺は自らを戒めた。首を突っ込めば面倒事は避けられないとわかっていたのに。女の標的がダックスから自分に移り変わるのを背中越しに感じながら、俺は正面を向いて女を見据えた。
「何? この私に楯突く気?」
「いいや。優等生ぶるのもいいが、ひとつだけ忠告しておくぜ。それだけデカい声で喋っていたら、いやでもあの御方の目に留まっちまうぞ」
「なかなか良い分析力を持っているな、お前」
「ほらな――って!」
横を向くと、全てを虐げるような視線をくれる人物がそこに立っていた。あれだけ喧騒に包まれていた食堂が、冷や水を浴びせられたように静まり返る。起こりうる最悪の事態が現実となってしまったのだ。
「ド、ドーバー教官……」
震えた声でダックスがそう発するなか、ヒールの高いブーツを小気味よく鳴らしながら、ドーバー教官は俺達の方へと近づいてきた。ブロンドの女も青ざめた顔をしている。さながら俺達は袋小路の窮鼠、それも戦意を失った哀れな身。舌舐めずりをする猫に対してなすがままの状態だった。
そんな俺達を思う存分品定めした後、教官はドスの利いた声ではなく、逆に色気たっぷりの甘く囁くような調子で声を上げた。
「こんな時間から随分とご盛んじゃないか、えぇ? そのままベッドに連れ込んでピロートークまでもっていくつもりかい? あいにくゴムはここらに売ってないんだ。中に出すなら注意しろよ」
恐怖で縮こまる俺達に、容赦なく教官のお下品な言葉が降り注がれる。口の悪さがここまで来ると、驚きを通り越してもはや感動すら覚えるというものだ。たったの二言三言で空気を一瞬にして凍りつかせる、ある種のカリスマ性。研修生の誰もが彼女のそれを感じ取ったに違いない。
だが、教官の発言を否定しなければならない者がいた。ブロンドの女が頬を赤らめて憤慨する。
「そ、そんな事をしようとしたわけではありません!」
「女ァ、良い事を教えてやろう」声を荒げるブロンド女に対して、まるで子猫を弄ぶかのように、ドーバー教官は彼女の顎に指を添えた。「食事中に私が私語を禁止しない理由は何だと思う? 腑抜けのガキ共にきついお仕置きをするためさ。血と汗滲む訓練でしごきにしごいてやりゃあ、緊張の糸が緩んだガキどもはす~ぐ弱音や愚痴を吐いちまう。言質を取ればあとはこっちのものさ。煮るなり焼くなり私の好きにできる。どうだい、とびきり愉快な話だろう? アッハッハッハ!」
教官は大声を上げて笑ったが、俺達研修生にとっては笑い事ではなかった。
つまり、このサディスティックという言葉をそっくりそのまま模ったような教官は、私利私欲を満たすためにあえて規則を緩めているというのだ。研修生がポロッと口にした文句や愚痴をここぞとばかりに狩り取って、普段の生活では満たされない支配欲を発散する。それを受けた人間がまた失言を漏らし……。
そういった非生産的サイクルに、俺達は今まさに組み込まれようとしている。由々しき事態の被害者になってしまう。
俺がそう思った時にはもう遅かった。ドーバー教官はドカッとテーブルに片足を乗っけて、皆の注目を一身に集める。かなりきわどい格好だったが、今はそれどころではない。
食器がカタカタと揺れ終わらないうちに、教官のけたたましい一声が食堂内に響き渡る。
「いいかお前ら! 私はこの世でお前らに対して、最も差別しない人間だ! 男だろうが女だろうが、インポだろうがアバズレだろうが全て平等にしごきあげてやる! この寮にいる間は私がルールだと思え! 私にしごかれてくたばるのが先か、地雷踏んでくたばるのが先か。お前らの人生なんざ所詮その程度だ! 人権を主張する前に、お前らにはまず人間になってもらう! 地雷なんて古くせぇ兵器にビビってる奴は人間じゃねぇ! 猿だ! お前らはまだクソを投げ合うだけの猿! それをこれから人間に仕立て上げようってんだ! 私と出逢えた幸運に感謝するんだね!」
静寂という余韻だけが場を漂う。何か発言しようものなら、たちまち鬼教官の格好の餌食となってしまう。それ故、誰も喉を震わせようとはしなかった。
――あのバカ野郎を除いては。
「こ、幸運って何だっけ……!?」
誰しも疑問に思っていた事を、勇敢にも口に出す者がいた。俺の対面に座るダックスだ。口に出すといっても、それは蚊の翅音ほどの小さな独り言だった。しかし、外の虫の囀りさえクリアに聞き取れる今の状況では、ダックスの声はあまりにも音量がでかすぎた。
ドーバー教官は慌てて口を塞ぐバカ野郎を一瞥し、つまらなさそうに声を出す。
「そこの出来損ないパンチ頭」
「イ、イエッサー!」
「てめぇのことはよく覚えてる。基礎訓練からバテやがった腐れパンチだ。そのザマで女を口説くたぁいい度胸だねぇ。それを評して、てめぇには名誉あるしごかれマンに認定する! 今期としては第一号だ。ありがたく思えよ、これが幸運ってもんだ」
「イ、イエッサー!」
教官が何を言っているのかわからないにしろ、ダックスは条件反射のようにそう叫んだ。身体を硬直させるパンチ頭に、教官は悪そうな笑みを浮かべてこう告げる。
「今晩、私の部屋に来い。イイ男にしてやるよ」
「ほわ!? イ、イエッサー!」
静寂に包まれていた食堂が一転、虚を衝かれたようなどよめきが起こる。俺も内心は穏やかではなかった。イイ男にしてやるってのはそれ即ち、あんな事やこんな事が繰り広げられるという事だろう? いやでもあの教官が本気で物を言うわけがないし、瓢箪みたいな顔したダックスがラッキーボーイになる展開も考えられない。色々な要素を鑑みても教官が嘘をついているのは明白なのに、周囲に起こるどよめきは一向に止む気配がなかった。
その浅はかな行いが、どうやらドーバー教官の怒りの琴線に触れてしまったようで、その怒りの矛先は当然の如く俺達に向けられた。
「あん? 何じろじろこっち見てんだ? 胃袋にモノを詰めこみ終わったんなら、とっとと片づけてクソして寝ろ! 起床時間は朝の六時半! 遅れた奴はてめぇの命ごと地雷を一基撤去してもらう! わかったな!?」
教官が出口の方に体を向けると、人だかりがモーセの海割りの如く真っ二つに分断された。出来上がった道を、教官はブーツを小気味よく鳴らして歩き去っていく。仲間である研修生たちがたった一日やそこらでここまで調教されるとなると、この先が不安で仕方ない。
そう気を揉みながら皆と同じように食器の後片付けをしていると、ブロンド女が恨むような視線を俺に送っているのに気がついた。不穏な面持ちでブロンド女は口を開く。
「あんたのせいよ」
「は?」
「あんたが私に楯突いてきたから、教官に気づかれたのよ」
「知るかよ。話に割り込んできたのはお前だろうが」
「悪いほうの注目を浴びるなんて、これほどにもない屈辱よ」
「へぇ。じゃあお前は本物の優等生だってわけだ。そりゃ失敬」
取り柄というほど俺は優れたものは持ってないが、あいにく口の悪さだけは父親譲りなところがある。自分が軽くあしらわれたとみるや、女は強い口調で俺に告げた。
「私の名前はシャウ。シャウ・セザルよ。覚えておきなさい」
「シャウ……何だって?」
「シャウ・セザル! 物覚えの悪いやつね!」
「シャウセ……。ぷっ! くくくく……!」
人の名前を聞いて笑いを堪える行為ほど失礼な事はないだろう。唯々あまりにも唐突な出来事だったから、俺が性格の悪い奴だとは思わないでもらいたい。さすがのブロンド女もこの反応は予想外だったようで、いくらか戸惑っている様子だった。
「ど、どうして笑うのよ」
「いや、そうだな、すまん。覚えとくよ。つーか、忘れられそうにない」
不満げな態度でシャウが踵を返した後も、俺は独りにやける口元をしばらく押さえていた。そこにダックスがタイミングを見計らってゆっくりと近づいてくる。
「面倒くせー奴に絡まれちまったな。にしても、レン。俺はお前の笑いのツボがいまいちわからん。今、笑うところあったか?」
ようやく笑いも治まってきたので、俺は一息深々と吐いて説明した。
「あいつの名前な、俺んとこの国のスラングに似てて、それがちょっとアレでな。さすがに堪えられなかったわ……」
「へぇ、教えてくれよ。どんなスラングなんだい?」
「Scheiße sau。クソ雌豚だってよ」
「ブーッ! そりゃ吹いちまうわな」
「だろ?」
一緒に笑い合ったダックスの血色が良かったのは今晩が最後だった。翌日の朝、ダックスはボロ雑巾のような顔色でヨレヨレになった姿で俺達の前に現れた。出来損ないのパンチ頭もしなしなになっていた。何があったのかを訊いてみると、ダックスは悲しみにまみれた顔をしてこう答えた。「あの後、教官の部屋で一晩中基礎訓練をやらされていた。ヒーコラ言いながら苦しんでいる俺を見て、あの教官、酒を煽りながらずっと笑ってやがった」と。