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地雷掃除人  作者: 東京輔
第10話 Gewissensbisse ~呵責~
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10-2 昔話は軽快な出だしから


 そんな俺の底なし沼じみた精神状態はいざ知らず、旧友は生身の足と義足の足を交互に動かし、満面の笑みで俺を迎えてくれた。ロビーに陽気な声が一段と響き渡る。


「おうよ! ひっさしぶりじゃねぇか、マイブラザー!」


 旧友にバシバシと何度も肩を叩かれて、その後には熱い抱擁が待っていた。過剰な歓迎とはいえども、俺にはそれを拒否する権利はなかった。再会を喜ぶ気持ち半分、再開を未だに夢ではないかと疑う気持ち半分。双方が相殺されて、俺は呆然と立ち尽くしていた。


「いやぁ、寂れた空港で感動の再会とはおったまげた。元気してるかよ?」

「まぁ、何とか……」


 昔と何ら変わらないダックスに対して、どういう反応をしたものかと困り果て、俺は言葉を濁し、そして視線を下にずらした。視線の先にあったものは無機質な黒い右足だった。

 話題を変える間もなく、ダックスは俺の視線を読み取った。しまった、と俺は諦めたのだが、


「んー? あぁ、これか。サイボーグみたいでかっちょいいだろ?」

「…………」


 ダックスの反応は俺の予想よりはるかに淡白なものだった。かといって、安堵感やそれに近似した感情が俺の表情となって出ても困る。足を失って普通のままでいられるほど、人間は単純にはできていない。旧友にイエスともノーとも答えられず、俺は閉口し続けるばかりだった。

 不器用である事は自分でも自覚している。だが、この後俺が取った行動ばかりは、後で振り返っても容易く自分を罵れるくらいには不器用すぎるやり方だった。嬉々とするダックスとは対照的に、俺は人見知りを遺憾無く発揮したかのように一歩退いて、旧友との距離を自ら広めたのだ。


「悪いが搭乗の時間だ。ダックス。二度と会う事はないかもしれんが、お前も元気でやれよ。じゃあな」


 まるで感情のこもっていない、格好悪くて恥ずかしい立ち去り方だ。それでも自分で踏ん切りをつけた分だけ、成長の表れだと思う。これでもし俺がまだガキのままだったら、「人違いです」などと言って誤魔化したか、障害を患った旧友から全力疾走で逃げていたかもしれないのだから。

 ダックスが人一倍人懐こい性格で本当に助かった。彼でなければ、不器用なやり方で立ち去ろうとする俺を呼び止める事ができなかっただろう。正確に言うと、ダックスが俺を呼び止めたわけではなかった。ロビー全体に響き渡るくらい威勢のいい笑い声が背後から聞こえたから、俺は足を止めたのだ。


「だっはっは! おい、なにクールにきめてんだよ。そんなに急がなくても、おそらくお前と俺の行き先は同じ所だぜ?」

「……何?」


 めまぐるしく互いの感情が揺れ動く中で、ダックスは洗練された微笑みを俺にくれた。嘘偽りもなければ、疑心や迷いすらない洗練されたスマイル。俺が面白味のない相槌を打って目を丸くしている最中(さなか)、その刹那だけ旧友の声と眼差しは真剣なものになった。


「サヘランに行くんだろ、レン。だったら俺に職場の事を教えてくれよ。なんせ、俺は期待の新人(ルーキー)なんだからよ」

「……どういう事だ」

「うすうす感づいてる癖によぉ。俺も地雷掃除人になったのさ、悲願のな」


 ダックスは立ち尽くす俺を横切り、すれ違いざまに再び俺の肩をポンと叩いた。彼が最後に付け加えた悲願という言葉。俺にはどう受け取ってよいのかわからなかった。

 皮肉だろうか、それとも建前だろうか。黒い右足の旧友には何一つ尋ねられず、俺は歩き方の変わったダックスの背中をぼんやりと見つめた。


「まぁ立ち話もなんだし、さっさと乗っちまおうぜ」


 そう言った旧友と横並びになって、俺達は搭乗口へと足を運んだ。不便だろうから荷物を持つとダックスに手を差し伸べたのだが、それは首を横に振ってやんわり断られた。彼もそれ相応の覚悟でサヘランに向かうという事なのだろう。複雑な気持ちが頭を行き交っているが、そのやりとりがダックスとの過去を思い出させた。親睦の深い友だと沈黙の時間のほうが却って心地良い。それは義足となった友人であっても変わらないものだった。

 諸々の手続きを済ませ、金属探知機のゲートに差し掛かった時、歩みを止めないダックスを俺は思わず止めてしまった。ダックスはきょとんとしていた。


「お、おい。ちょっと待て」

「何だ?」

「その、お前の足……。金属探知機に引っかからないのか?」


 少し言い淀んでしまったが、ダックスは自身の義足を一瞥し、憎めない笑顔でこう返した。


「あぁ、全然よ。カーボン製で軽いし丈夫。人類の叡智に感謝感激だな」

「そうか……」


 ダックスと再会してから、ずっと奇妙な感覚がついてまわっている。身体が運命に支配されて操られているような感覚だ。特に変わった素振りを見せないダックスとどう接すればいいのかが見当つかなかった。痛々しいからやめてくれとは口が裂けても言えないし、かといって、思わぬ拍子でダックスが豹変して、俺の首根を掴まれたらそれを受け入れるしかない。とにかく流されるまま、俺はダックスと共に機内まで足を運んだ。

 機内に俺達以外の乗客はほとんどいなかったので、CAに許可を得て俺達は隣同士の座席に座る事にした。気ままな旅行じゃあるまいし、これからの怒涛の日々を考えると憂鬱なフライトとなっていた事だろう。ダックスという男に陰気という言葉はなく、おしゃべり好きで場を賑やかしてくれる愛すべき友人だ。こいつがいれば憂鬱なフライトは、瞬く間にどんなバラエティ番組よりも面白いものとなるのは間違いない。

 だけど、今の俺にとっては憂鬱なフライトこそ必要だった。思いに耽る時間が何よりも欲しているものだった。

 座席のセッティングを済ますとすぐに、陽気な旧友はそのおしゃべりな口を開いた。


「そういや、お前と初めて会った時もこんな感じだったな」

「そう、だったか? あまり覚えてない」

「つれない事言うなよ。俺とお前の仲だろ? あん時はベトナムにいたんだよな、俺達。なんつったっけな、あのヘンテコな名前の空港」

「タンソンニャット空港」

「それそれ! 懐かしいな。こないだ一緒にいたバックパッカーもベトナムに行った事があるらしくてさ、それでその話で盛り上がったんだよ」


 離陸まで我慢できないとでもいうように、ダックスの口からは俺を退屈させない話が次々と発せられる。必要不必要などの損得勘定は諦めて、俺は「へぇ」と相槌を打って旧友の言葉を促した。


「酒をやりながら話しているうちに、だんだん当時の事が蘇ってきてさ。あんな事があったから、なるだけ思い出さないようにしてたんだと思う。だけどやっぱ、友人(ダチ)の顔が恋しくなったっつーかさ、柄にもなく涙流してしみじみしちまったわけよ」

「お前が泣き上戸なのはいつもの事だろうが」


 ダックスは真顔でこちらを振り向き、にへら、といやらしい笑顔を浮かべた。


「へ、やっと調子が出てきたな。減らず口叩かれて安心するのはお前だけだよ」

「抜かせ」


 何だか気恥ずかしくなって、こちらまで頬が緩んでしまったみたいだ。

 しかし、ここでダックスの不幸を思い出してしまうあたり、俺はどこまでも卑屈な野郎なんだと思う。表面上では何食わぬ顔で取り繕うが、中身はいつまでも消せない記憶に縛られて苦しんでいる。視線の先には、やはりダックスの生身ではない足があった。

 ダックスの義足は人間の足を模している型のものではなかった。ベルト幅ほどのカーボン製の薄い素材をカーブ状に折り曲げており、膝から下は四足歩行の獣を彷彿とさせる。隠し事をしない(というかできない)彼の性格上、そのタイプのものを選んだ理由は聞かずとも理解できた。

 機能性も充分に加味してだと思うが、ダックスは既に過去と決別しているのだ。しているからこそ、目立ってしまう義足を履いてもちっとも厭わないのだろう。少し不便になっただけで、それ以外に変化はないと周りの人間に周知させるために。ダックスはそういう、俺にはない強い意思を持っている男だった。それが少し羨ましかった。

 ダックスは慣れた動作で、義足のほうを下にして足を組んだ。


「でも、こうやってまた会えたって事は、俺達運命みたいなもので繋がってるのかもな」

「お前がブロンドの美女じゃなくてほとほと残念だよ。……あ」


 溜息まじりにそう返した時、俺は何とも言えない既視感を覚えた。ダックスが馬鹿を言って俺が皮肉るその日常的な感覚。心を失った少年レンが、遠い異国の地で自分を取り戻していった大切な過去。その俺の記憶に、今と全く同じ会話を同じ人物に繰り広げた事があるのを思い出したのだ。

 旧友との突然の再会に気が動転していたが、強張った肩の力がすっと抜けていくのを感じた。そして先ほどとは違う笑いが込み上げてきて、俺はそれを堪えきれずに小刻みに肩を揺らした。


「何だよ、いきなり」

「いや、さっきのフレーズそのまんま、昔のお前に言った事を思いだしてな」

「マジか」

「そう。そしたら少年ダックスは神妙な顔をして、俺にこう言い返したんだ。『レン。俺達は出会ってまもないが言わせてもらう。浅いぜ、お前』……てな」


 昔話の出だしは実に軽快だった。フライトの時間はこの話で持ち切りになる事だろう。しかし、それは必然的に、俺の中でタブーとしていた()()()()()にも触れなければならない。一〇年前のベトナムで、俺達の身に一体何が起こったのか。

 気持ち良く話を切り出した俺がこの先、自身の呵責によって深く心を抉られる事となる。そんな絶望のどん底が待ち受けているなどと、不肖の俺はまだ知る由もなかった――。


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