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地雷掃除人  作者: 東京輔
第10話 Gewissensbisse ~呵責~
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10-1 二つの再会

第10話、スタートです。

 いつから小雨が降っていたのだろう。

 地面に小さく打ちつける雨音に今更気がついて、服が進行形で滲んでいくのをただ呆然と眺めながら俺はそう思った。見上げた空は低く、どんよりとした灰色で覆われている。小雨と霧の中に見えるいくつかの緑が、しとやかな情緒さえ感じる心豊かな人もいるのだろうが、俺の心は曇天の空模様と何一つ変わらないものだった。

 亡き人が眠る場所で何を思うか。

 生まれ故郷のグリュンヴァルトに帰るため、鈍行列車に揺られながらずっとその事だけを考えていた。どんな感情が俺を襲うのか。どんな顔して会えばいいのか。向き合う事から逃げて死地へ飛び込むような真似事をしながらそれでも生き続け、そんな風に均衡を保っていた俺の精神が簡単に崩れてしまいそうで……。けれども、家族に逢っておかねばならないという気持ちだけが、俺を帰路に向かわせる唯一の支えとなっていた。

 帰る場所がない故郷に帰る。笑えない冗談だが、実際俺には居場所がなくなっていた。だから辺境の地の地雷原に身を投じたといっても、それは過言ではなかった。俺がいつ死のうとも何の後悔も残らない。鬱屈した感情に身体を支配されていたのだ。

 そして、とうとう俺は死ねなかった。家族が眠る地面の上で、想いを駆け巡らせる猶予を与えられた。静かな雨が降る中でたった一人、雨粒が滴る墓標の前で佇む時間を与えられた。心はおそろしく空虚なものだった。

 人は深い哀しみに襲われると、却って涙を流さなくなる。そんな俺の代わりに天が泣いているというのなら、この滲み出る鬱陶しさをどう説明できようか。年端のいかない子どものように溢れ出る感情に身を任せる事すら叶わないなんて、あまりにも辛すぎる。辛いのに涙で頬は濡れなかった。頬を伝うのは単なる天気の変わり目の小雨だった。


 気がかりなのは弟のオズだ。なぜオズが命を落とし、俺が生きなければならなかったのか。最終的に行き着く思考は常にそこだった。俺が死に、オズが生きれば――辛い思いをさせてしまうかもしれないけれど――世界は今よりよほどスムーズに進んでいただろうに。

 義兄弟の優劣を秤にかけていたのは父だけではなかった。秤に乗った俺自身も、何から何まで優れている弟の事を羨むように見下ろしていた。だったら尚の事、出来損ないの俺がこの世に留まる運命を背負わされたのか、どうしても理解できなかった。

 不幸な自分を慰めてもらいたいわけじゃない。答えの出ない問いかけなのはわかっている。だけど生き永らえた所為で、俺はまた目に焼きつくような悲惨な光景に遭遇してしまった。一度ならず二度までも、二度ならず三度までも。強大な呵責は絶えずずっと俺の心を蝕んだ。苦渋を飲み干せばすかさず継ぎ足される救いようのない人生なのか。誰かを失わなければ生きられない呪われた人生なのか。そんな人生ならいっその事――。


 雨足が徐々に勢いを増していく。まるでその陳腐な頭を冷やせと言わんばかりに強くなる。俺が死んでも俺はどうってことないが、仲間に迷惑がかかるのはごめんだ。こんな俺でもきっと、死んじまったら悲しむ人たちがいる。この命は俺自身のためのものだけではない。人生と命を同列に扱うのは間違っている。そう自分に言い聞かせて、黒く澱んだ感情を体外へ吹き飛ばした。放り出されたものは雨に打ち消され跡形もなくなる。冷や汗のような冷たい雨が、いたずらに火照った体温を奪っていく。

 サヘランの太陽に身を焦がしていたからなのか、秋の故郷の雨は天の恵みにさえ感じた。干からびた俺の心にひとときの安らぎが訪れる。この潤いがいつまた乾いてしまうかわからない。だから俺は腹を決めて、家族に向けての言葉を頭の中に思い描いた。


 オズへ。お前が死んだあとの世界はちんけなものだが、どうにか俺はここまでやってこれた。オズ、お前が家に来てくれて本当によかったと、俺は心底思ってる。親の目を盗んでお前と一緒に遊んでいる時間が、俺にとって最高のひとときだった。お前の好きだったゲームの新作が出たけど、あんまり面白くなかったから安心しとけ。あぁ、今のは一人用の話だから、対戦は面白いかどうかわかんねぇ。

 ……やる事やったら、また会いに来るよ。ゲームの話の続きはその時にしような。


 母さんへ。まずは一言謝らせてくれ。ごめんなさい。俺が素直な子どもだったら、あの日の出来事はちょっとした笑い話で終わっていたのに。それから会話も全部ぎこちなくなっちゃって、まともに目も合わせる事もできなくて、それから……。実の親にひどい事をしてしまった俺を、どうか許してください。親孝行できなくてごめんなさい。

 謝ってばっかりだけど……俺を生んでくれてありがとう。また来ます。


 父さんへ。あんたには言いたい事がたくさんある。けど、親子ってのは切っても切り離せない関係だ。鏡に映る自分を見る度に、皮肉屋で捻くれ者だったあんたの面影を思わせる。正直、あんたに良いイメージはこれっぽっちも持ってないよ。でも、あんたの墓の前に立って悼む気持ちが湧いて出てくるって事は、たぶん、そういう事なんだろうな。

 あれだけあんたの事が大嫌いだったのに、結局俺はあんたと同じ行動を取った。そしてあんたと同じようにジレンマを抱えている。その事については、いずれまた話すよ。今はまだ気持ちの整理がついていない。

 ここには母さんもオズもいる。だから、あんたが嫌でも顔を会わせる羽目になるだろう。ま、その時は何も言わず迎え入れてくれよ。あんたがいつも吸っていた葉巻、今度は買ってくるからさ……。


 死んだ家族と向きあえばいくらか楽になると思っていたのに、胸の痞えは未だ俺の中に留まり続けていた。でもたぶん、これでいいのだと思う。何かを克服するために故郷に帰ってきたわけではない。相変わらず愚図ついた天気の故郷に、ふと帰りたくなった。ただそれだけなのだから。

 手向け花をそっと供えて、俺は家族の眠る墓から離れていく。砂利道が雨露で濡れている以外は、何も変わらずとんぼ返りしに来たのかと言われても仕方がない。だが哀悼の間に雨は降り、独り佇むちっぽけな俺を優しく受け入れてくれた。心の奥底にしまっていた大切な何かを確かめる事ができた。だから決して無意味ではなかったのだ。


 故郷に留まった時間は半日ほどで、その間は昼食すら取らず、俺は来た道をなぞるように俺がいるべき場所へと戻る事にした。燃料枯渇の影響で、主要な都市を繋ぐ交通機関はほぼ機能しておらず、駅や空港は今にも閉鎖しそうなほど閑散としている。仕事の事を考えるには充分な静けさだったが、俺は家族との思い出を頭に巡らせていた。今まで向き合ってこなかった罪悪感もあったし、その罰も甘んじて受け入れる覚悟だった。

 両親に散々な扱いを受けてきたといっても、それは教育が厳しくなってからの話。ジュニアスクールの三年生くらいまでは、それなりに温かい家庭であったのは確かだ。一人っ子だった分、良いように甘やかされた日々が蘇る。習い事もたくさんしたし、色んな所へ旅行に連れて行ってもらった。その甘美な記憶の全てが久々に脳裏に描いたものだったから、その作業はパズルのピースを埋めていくような充実感があった。

 しかし、その作業は同時に苦い記憶をも辿る事になる。深夜、部屋の外から聞こえる父親の俺に対する愚痴の数々。俺の十一歳の誕生日が、オズの飛び級試験合格の記念日に潰された苦い思い出。とても良くできた義理の弟に、俺の立場を乗っ取られた事実。今となってはそんなひどい出来事さえも懐かしい。

 当時も今も、オズには悪い感情を一切抱いていない。むしろ家族の中でただ一人の味方だったのだから、恨みとか僻みとかは抱くはずもなかった。劣等感はあったかもしれないけれど、オズと俺は本当の兄弟だった。そう、本当の――



――――ッ!



 やっぱり、まだ駄目みたいだ……。全ての記憶を受け入れるのはまだ早い。いや、いっその事忘れ去ってしまったほうがいいのかもしれない。家族との温かい記憶と相反するように存在する、陰惨で生々しい鮮血の記憶。どちらかが俺の中にあり続ける限り、どちらも俺の中から消えやしない矛盾じみた現象。墓の前で思い出さなかったのがせめてもの救いだ。甘んじて受け入れようとした覚悟などと甘ったれていた。

 思考が悪い方向に堕ちる前に、飛行機の搭乗のアナウンスが入ったのが幸いだった。席を立ち、誰かとほとんどすれ違う事のないロビーを歩き始めようとしたその時だった。


「レン?」


 不意に呼び止められ、俺は多少驚いて振り返った。振り返った先にいたその男は、昔の知り合いの面影があった。ヒスパニック系の黒人の中でもとりわけ愛嬌のある顔で、一目見たら見間違う事のないくらいの鮮烈なスマイルをかます、かけがえのない俺の友人の面影が。

 疑いようもなくその人物だった。そう、四肢の一つが欠けている事実を除いては。


「レン? レンだよな、お前?」

「ダックス……? ダックスなのか!?」


 時が止まったような感覚。否、俺と友人の時間は確かに止まっていた。そしてまさに今、時計の針が動き出したのだ。

 この世に神という存在がいるのなら、そいつは俺に対してあまりに酷だ。一〇年という長い年月を経てやっとの思いで自身の呵責を終えたというのに、束の間の休息もなく次なる試練を与えなさるとは。

 俺の所為で義足を履く羽目になった友人。彼の運命を大きく変えてしまった俺に、今度はどれだけの呵責をせねばならぬのか。ただ俺の頭の中ではひたすらに、己の運命を呪う感情と、友人に対する贖罪の気持ちが泥濘のように混濁しているのだった。


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