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地雷掃除人  作者: 東京輔
第9話 Konfrontation ~正対~
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9-20 墓場


 俺が一仕事完璧にやり遂げた後、もう一人の地雷掃除人がバリケードを越え、敵無き戦線に相対した。その男の名はサコン・バズ。『不爆撤去(サイレント・スイープ)』の先駆者であり、世界各地の地雷を片っ端から片づけてきたこの道三十年のベテランだ。その大御所様がトレードマークのハンチング帽を被り、ドデカい機械を背負って、拓かれた路地を歩んでいく。

 何よりも特筆すべきは、あのドラム缶に掃除機のノズルを取っつけたような謎の地雷撤去道具だ。『液体窒素剣(シュネー・トライベン)』や『指向性電波弓(ヴァルツ・シュラーフ)』と同様、あれも世界でただ一人しか扱えない代物なのだが、あの道具を語るにあたり、もう一つ欠かせない特徴がある。

 現代の科学技術では、あの道具を再現する事ができない――ロストテクノロジーなのだという。うちの新人でテッサというメカに詳しいやつが調べようとしたところ、「一度分解したら元に戻す自信がない」「これを作った人は自己中で変態の超天才」などと抜かして解析を中断した。


 その道具を利用した地雷撤去のスピードは、『液体窒素剣』よりかは遅いものの、手作業の処理と比較すると格段に速いものとなっている。だが、あれの最も優れた点は別にあった。

 本来ならば無視するか起爆せざるを得ない――建物の出入口やブービートラップを設置しやすい草地などの局地において、その本領が発揮される。『液体窒素剣』は地中にある地雷を処理する想定で作られたものだが、サコンの道具はたとえ地雷が部屋の壁や天井に設置されていても、容易に撤去が可能なのだ。どういうコンセプトでそんな代物が作られたのかは見当もつかないが、まさに今、この状況に対応できる唯一の手段である事には違いなかった。

 先ほどの俺の姿を見たからなのか、サヒードとオーランは少し落ち着いてサコンの後ろ姿を見ていた。それでもやはり、ひどく心配そうに見守っているようだった。


「サヒードさんよぉ、これは俺の持論だがね」後ろを振り返らずに、サコンはそう言って話を切り出す。「俺らの身近な世の中には、どんな兵器よりも恐ろしいものが存在する。核兵器なんか目じゃないくらい、凶悪で禍々しいものがね。それが何だかわかるかい?」


 数秒の間の後、サヒードは重い口を開く。


「兵器を生み出す人間、か?」

「さすが鋭いな。だが、人間そのものは悪くない。環境次第では、子どもたちの間でも生き残るための競争が起こりうる。真に恐ろしいのは、人間の生み出す怨念さ」

「怨念……」

「そうだ。独り善がりになると負の感情が渦巻いて、慈悲の欠片もない暴力や兵器を生み出す。そして地雷っちゅう兵器には、その禍々しい怨念がまるごと入ってやがるのさ。地面の下で鳴りを潜めて、半永久的にこの世に留まり続ける。馬鹿みたいにはた迷惑な代物だよ。お前さんにも覚えがあるだろう? ここを封鎖するために地雷を設置した時、どんな気がした?」

「……正直、腹を立てていた。誰でもない誰かに対して」

「はっきり言えばいいものを。土足で入り込む余所者が憎くて仕方なかった、違うか?」

「…………」


 サヒードは閉口して俯いた。それが問いかけに対する答えなのだろう。別にそれ自体は恥ずべきことではない。人間の思考が高度に発達した以上、そういった憎悪の心が生まれるのは仕方がない。そういう状況だったと割り切るしかないのだ。

 だけど、サコンの地雷に関する哲学を耳にするのはこれが初めてだった。何とも非科学的な話でいまいちピンと来ないが、そう解釈する事で仕事が捗るならそれに越した事はないだろう。サコンも別段サヒードを責めるつもりはなかったようで、少しおどけた口調で重い空気を吹き飛ばした。


「いいんだよ。俺がお前さんの立場だったら、怒りに任せて余所者に攻撃していただろうさ。怨念を地雷に封じ込めただけでも、お前さんは賢明なお方だ。あとの供養は俺が承りますぜ」

「供養とは?」

「封じられた怨念ごと、地雷を撤去する事を俺はそう呼んでいてね……。だからと言っちゃなんだが、背中の相棒には()()()()がついている」


 勿体ぶりやがって、と俺は少々呆れ気味だった。あのジジイ、酒の席で何度もしている話をするつもりだろう。俺の予測が正しければ、次にサコンはある問いかけをするはずだ。その予感はズバリ的中してしまった。


「サヒードさんよぉ。もう一つだけ俺の話につきあってくれんかね。幸せな人間は死んだらどこに行くと思う?」

「我らの信ずる神は、全ての人間を救済すると教典にある。故に我らは幸不幸問わず、平等に天国へ行くと信じている」

「敬虔なお考えだ」

「お主はどう思うのだ?」

「……墓場だよ」皺だらけの目尻の奥の双眸は、おぼろげな哀愁を感じさせた。「不幸な奴は死んじまったらそれで終わり。土に還るだけの人生だ。だが、砂粒ほどの幸福があれば、人は墓の下で眠る事を許される」


 地雷に関するオカルトな哲学とリアルな死生観。水と油のような相反する思考でありながらも、サコンという人格に収まっている。おそらくそれが、最も人間らしい矛盾と言える。だからこそ、あのジジイは今までやってこれたのだろう。

 サヒードとオーランが沈黙を破る事はなかった。事の当否を受け入れ他人を認める事。昨日散々ぶつかり合った結果の、賢明な沈黙だった。

 色の濃い砂にまみれた家屋に向かってサコンはゆっくりと歩き出す。そこには俺が処理しきれなかった地雷がいくつも残っている。いつだって、サコンの背中に気負うものは感じられなかった。

 俺達にというよりも、まるで蔓延る地雷の怨念に語りかけるように、サコンは最後に呟きを残していった。


「地雷を設置した人間がどんなクソみてぇな人生を送っていたとしても、せめてその怨念だけは供養してやらんとな。だが、十字架背負って地雷は片づけられねぇ。そういうわけで、俺は背中の相棒をこう呼ぶ事に決めたのさ。『地雷分解機(フリート・ホーフ)』ってな……」


                *


 サコンはオンボロの腰を労りながらも、局所に設置された地雷を器用に除去していった。休み休み丁寧にノズルを扱い、時間にしておよそ一〇〇分程度で作業を終えた。これでサヒードの注文通り、町の外観を破壊する事なく見事全ての地雷を撤去する事に成功した。これを手作業で、しかもたった二人で成し遂げたっていうのがミソなのだが、まあそれはいいだろう。

 地雷に込められた怨念か……。今までそんな事考えすらしなかったけど、サコンの作業する姿を見ていると、あながち不必要とは言い切れないかもしれない。他人を想う力は人を奮い立たせる。その活力を源にサコンが仕事をこなしているのであれば、不必要どころか必要不可欠な要素と成り得る。

 パールは世界中の全ての人々を想って。サコンは負の情念に苛まれた人々を想って地雷の撤去に取り組んでいる。肝心の俺はといえば、ほんの一握りの人間と、俺自身のためにしか働いていない。どこまでも小さい自分、むしろ清々しい気分だ。地雷だか怨念だか知らねぇが、とにかくそれらが地球上から無くなるまで、俺は『液体窒素剣』を振るうまでだ。


 サヒードに町内部での作業が終わった旨を伝えると、ミトラはそれを察したのか、俺の横をそそくさと走って行ってしまった。追いかけて強く注意しようにも、彼女が聾唖である事を知った以上、もはや止める事はできなかった。あの子のためにできる事ならもうしたじゃないか。心の中で俺はそう自分を励ました。

 しばらくして、ミトラが家の玄関の扉を開けてそこに立ち尽くした。まるで歩き方を忘れてしまったかのように止まってしまったのだ。その手には家族が写る写真立てと、女物の衣服を持っていた。少女の肩が小刻みに動き出す。あれだけ憎悪に濁っていたミトラの瞳が、瞬くくらいの輝きを取り戻した。――いや。

 それは悲しき雫だった。一粒、また一粒と悲しき雫が少女の小さな頬を伝う。憎悪の後にはどうしようもない怒りがこみ上げてきて、それが過ぎると抑えきれないほどの悲しみがやってくる。年端のいかない少女が抱えるには辛すぎる。大人だって耐え切れなくて悲しき雫を落とすのに。声にならない声がアシェフの町に響き渡った。


 赤ん坊のように泣きじゃくるミトラの事を黙って見てられなくて、俺は彼女の傍まで近づき、また地面に膝をついた。ハンカチをそっと差し出すと、ミトラは泣きじゃくったままそれを受け取った。そして何度も何度も、止め処なく溢れる悲しみをハンカチで拭った。

 自分の思いのままに涙する少女を見て、普通の大人ならきっと、正義感だとか使命感に駆られて、そういった断固たる決意を新たにするのだと思う。しかし、俺はどうやら普通の大人ではないようだ。大人ですらない。大人でも子どもでもない。自覚している。俺の時間はあの時からずっと止まっているのだから。

 俺はありのままに涙するミトラを羨んでいた。嘘でも冗談でもない。自分に正直である彼女が心底羨ましかったのだ。ミトラに感化されて俺も涙を流すのかと思ったが、俺の眼は驚いた事に変化は見られなかった。ミトラが俺の分まで泣いているのかと思うほどだった。

 いつまでも泣き止まない少女の姿は、飄々とした感じを装った哀れな俺の内面を、徐々にはだけさせるには充分すぎた。皮肉と建前で塗り固められた俺の内面。俺の足元から、アシェフの硬い地面に粘っこく浸みていく。


 現実を受け止めるには辛すぎて。

 そのままの生活を続けるにはあまりに酷で。

 どうしたらいいのかわからなくなって。

 俺はずっと逃げて生きている。


 ――それももう、終わりかもしれない。

 とてつもない感情に支配されるだけの人生。

 俺が正対する勇気を持たなければ、本当にそうなってしまう。

 この機を逃したら、俺は二度と自分でいられなくなる。

 そう思って、俺は衝動的に液晶無線機を取り出した。


「ルゥ、聞こえるか」

『いかがされました?』

「ちょっと故郷に帰る。だから手続きを頼む」

『……ご自分が何をおっしゃっているか、おわかりですか? あらゆる兵器が燃料枯渇で使えない今、地雷原を切り拓くのは貴方に強いられた責務ですのよ?』

「わかってるよ、わかってる。……でも、俺もそろそろ向き合わなきゃいけないみたいなんだ」


 無線機からルゥの嘆息が聞こえた。過ぎた我が儘なのは十二分に承知している。だけど今ここで我が儘を突き通さなければ、眼前で泣きじゃくる少女に申し訳が立たなかった。四肢を広げて軍用車輌に立ち向かう勇気。自分の両腕だけじゃ抱えきれない現実を受け止める勇気。踏ん切りがつくのに一〇年もかかったけれど、やっと俺にも一歩を踏み出す勇気が与えられたのだと、そういう運命みたいなものを感じた瞬間だった。


『このタイミングでしかできない事なのですか? 全てが終わってからでも遅くはないのでして?』

「ハッ。それは途中で死んじまうやつの台詞だな。……俺がちゃんと生きているうちに、家族に会っておきたいんだ」

『……多くを聞かない方がいいようですわね。では、理由の項目には何と書いておけばいいかしら』


 声を発しようとする口が震える。出かけた言葉を一度は飲みこんだが、俺の中にあった砂粒ほどの勇気が、臆病な自分を後押ししてくれた。


「墓参りで頼む」

『……承知しました』


 ふと、砂埃を被ったアシェフの街並みを見遣る。この乾いた街並みが、どこか荒んだ俺の心を癒す置き所になっていた。反理想郷の泥濘に心身を揺蕩わせていた。多くの一般人がいる場所に、俺は戻る必要がある。名も無き地雷掃除人から、レクトガン・シュナイドという一人の人間に戻る必要がある。

 風の吹き荒れる事がほとんどないアシェフの通りに、ひとつのつむじ風が舞い降りる。砂塵が目に入り、不穏な幸先を暗示しているのかと思うと足取りが重くなる。だけど、突風に吹かれても地面にへばりついてでも、俺は家族のもとに帰らなくてはならない。

 何千キロと離れた故郷へと戻る一歩一歩に、過去から逃げ続けてきた時間を巻き戻していくような、そんな吐き気がする感覚に弄ばれる俺はもういない。


 ちょっと長い寄り道だったけど、今からそっちに帰ります。


第9話、これにて終了です。

ここまでご愛読してくれた方、ありがとうございました。

次の第10話にて、『地雷掃除人』の第1章が終わります。

引き続き『地雷掃除人』を楽しんでいただければ幸いです。


あ、ちなみにフリート・ホーフというのはドイツ語で「墓場」という意味だそうです。一応注釈ということで。

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