9-17 接近
町を照らす陽がほのかな赤みを増して西に沈もうとする頃、俺とサコンはポォムゥを引き連れて、アシェフの正面ゲート周辺を歩いて回っていた。入口のアーチは例によって砂埃にまみれ、来訪者を歓迎しているようには到底見えないが、見栄えの修繕などは後回しだ。俺達には俺達の仕事がある。……と言っても、ピンク色のふよんふよん歩くロボットを引き連れるおっさん二人という構図は、傍から見るとかなりシュールだろうけれど。
「半径一〇〇メートル以内における地雷総数……六百四十七! レン喜べ! 地雷は山ほどあるぞ!」
「ハッ、笑えねぇ冗談だな……」
喜々として報告するポォムゥとは対照的に、俺はひきつった笑いを浮かべるしかなかった。
「レンさんよぉ、足場のほうはどうなっとるかね?」
「スダメナの地面よりも少し硬いな。まぁ、俺達にとっちゃ好都合だ。足を取られる心配がなくなる」
足場をザッザッと踏みしめて、足の裏にかかる負担の具合を確認する。職業柄、どうもそういう細やかなところが気になるようになった。気になり過ぎてもし過ぎる事はない、というのがこの職業の悩みどころだ。
「問題は、ここからスダメナまでの距離が長すぎるって事だわな。全部を取っ払ってたら埒があかねぇ」
地平線近くを望みながらサコンがそうぼやく。目線の先には、地雷原を分かつ真っ直ぐな一本道があった。俺達がスダメナから通ってきた道だ。両サイドにはアシェフの住民達が設置した多くの地雷が鳴りを潜めている。
出来る事ならその全てを掃除したいところだが、時間がそれを許してくれない。どれだけの数の地雷を、どんなやり方で、何時までに撤去するか。地雷掃除人とあれど、一般的な社会人が納期までに仕事を終わらせる計画を立てるのと同様の方法で臨まなければならない。
地形的には問題のない環境だが、急を要するのは人員の駐在場所だ。拠点を移すにしたって、身勝手にアシェフに押し入る事はできればしたくない。それをやったら俺たちは侵略者と何ら変わらなくなってしまう。
「確かにな。住民達が俺達を歓迎してくれれば話は別だが……」
「相変わらず鈍いねぇ、お前さんは。それよりも代表者の鶴の一声を狙ったほうが手っ取り早いとは思わんかね」
「そう上手くいくかよ。俺達は本来、ここいらの人間にとってお邪魔虫なんだぜ? 信頼関係を築くったって、あまりに時間が無さすぎる。強引に説得しようとすれば逆効果にもなりかねない」
サコンの言う通り、サヒードがこの話を受け入れてくれれば、事を進める手立てがぐっと楽になるのは間違いない。だがそれは、彼の信ずる教えに抵触している。俺達はどうやったって彼らにとっては余所者でしかない。これは俺の勝手な意見だけど、あちらにとって不利な条件の駆け引きや交渉はもうやりたくなかった。息苦しくて心が詰まりそうになるのは御免蒙りたかった。
俺が無駄に真剣な眼差しをしていたからなのかは知らんが、サコンにしては珍しく、口をへの字にして俺に同意した。
「ちぇっ。まあお前さんの言う通りだよ。そこらへんの決断は、お偉いさん方とじっくり話し合うしかないわな。やれやれ、仕事も地雷も盛り沢山だ」
いまいち冴え渡らないサコンの冗談を茶化そうとしたそのときだった。
淡白な電子音が俺の鼓膜を振動する。波長の短い電子音の連続。だが俺にとって、それは身も凍るような絶望へのカウントダウンそのものだった。
無意識に脳裏であの記憶が蘇る。できる事なら、もう二度と耳にしたくないと思っていた。その忌まわしき電子音は、瞳の色を血のような赤に変えたポォムゥが発しているものだった。
「んお! レン、大変だぞ! 地雷に近づいている人間を検知したぞ!」
「何!? どこだ!?」
即座に辺りを見回したが、砂埃が舞う広大な地雷原にそれらしき人影はどこにも見当たらなかった。
「……俺達以外、誰もいないようだが?」
「ここじゃないぞ! 七時の方向およそ六〇〇メートル! 町の内部だ!」
「内部だとぉ!?」
迂闊だった。地雷原という言葉に踊らされて、町の外に出てきてしまうという失態。余所者の侵入を少しでも妨げる名目で、町の内部に地雷が設置されている例はいくらでもあったのに。
俺は自分に対する憤りを飲み下し、町の内部に向かって猛然と走り出した。『液体窒素剣』は車輌の中に置いてきている。あれがない俺はただの役立たず同然だが、それでも躊躇する事は許されなかった。躊躇をしたそのコンマ一秒で、救えたはずの人間を見殺しにしたくはなかったから。
そこは、住人たちが集まっていた区画とは別の、もう一つの住居区と呼べるような場所だった。ただ、家屋や建物は存在しているのに、住む人間の気配がまるで感じられず、一緒にひた走るポォムゥがいなければ孤独感に苛まれていたであろうくらいには奇妙だった。ゴーストタウンというのがしっくりくるが、その言葉だけはどうしても使いたくなかった。数カ月前、俺はそう呼ばれていた場所で悪夢を体験した。その悪夢を繰り返し目の当たりにするなんて絶対に無理だ。今度こそ心が挫けてしまう。
ポォムゥに言われるがままに路地裏をすり抜けると、見晴らしの良い通りに出た。寂れた建物が整然と並んでいるが窓ガラスは所々壊れており、電灯や脇に停まる車は砂埃を被っている。
陽炎の湧き立つその通りの真ん中に、輪郭の定まらない人影を目撃した。その奥には進入禁止と記された簡易なバリケードが道を塞いでいる。ポォムゥが何か喋り出す前に、俺はその人影に向かって再びがむしゃらに走り出した。
「対象の人間、はっけ~ん! レン、走るのだ~!」
「おい! そこで止まれぇ!」
幸いにもその人物は一歩も動かずにいたのだが、俺の声に何の反応も示さなかった。そいつとの距離がみるみる縮まっていくうちに、その人影の正体が推量から確信に変わっていく。
バリケードの前に立っているのはミトラと呼ばれる少女だった。
「バカ野郎が! せっかくの救われた命を無駄にするつもりか!」
「…………!」
俺はミトラの腕を乱暴に掴み、強引に一、二歩退き下がらせた。ミトラは驚いた様子で俺の顔を見たが、俺が余所者だとわかるとすぐに顔を逸らした。当たり前だが、まだこれっぽっちも信用されていないらしい。
「ここに地雷があるの、知ってたんだろ? だったら近づくなよ。おかげで全力疾走かましたじゃねーか……」
「…………」
息も絶え絶えでそう話しかけたものの、ミトラは口を開こうとしないばかりか俺のほうを見向きもしなかった。少女の瞳は常にバリケードの向こう側を望んでいた。希望に縋るような健気な瞳だった。
子どものお守りなんて一番の苦手分野だからほとほと対応に困っていると、ジョギングくらいの足の運びでサコンがようやく到着した。かなり息が上がっており、額には大量の汗を浮かばせている。
「ヒィ、ヒィ、ホォ……。お、お嬢ちゃんは無事かぁ……?」
「何とかな。ハァ、ハァ。ったくよ、情けねぇなサコン。へばるのが早すぎんぞ」
「そ、そういうお前さんこそ、息が上がっとるじゃないか。ゼェ、ゼェ……」
「おぉ~。ここにも地雷がたくさんあるぞ。クレイモアがいっぱいだ!」
俺達がなけなしのスタミナを消耗してまいっている横で、ポォムゥは呑気にそう喜んだ。余所者には動じなかったミトラだが、ピンク色のふよんふよんした物体には驚いて警戒する仕草を見せた。警戒というか、あれはびびっている。
「とにかくここは危険だ。少し下がろう」
少女は頑なにその場所から離れようとしなかったが、俺が無理矢理腕を引っ張って、バリケードから二〇メートルくらい距離を取った。
俺は少女の前に膝をつき、目線を合わせた。師匠がやっていた動作の真似事にすぎないが、なるほどたしかに見下ろすよりも具合が良い。何というか、距離が縮まった気がする。少女が一向に目を合わせてくれないので、一方的な俺の思い込みだろうけど。
何であれ、今回のように地雷原の傍に接近するような事があってはならない。皮肉を垂れるのは一丁前な俺だけど、人を叱るとなるとてんでダメなところがある。それでも俺は少女の肩に手を寄せて、なるだけ優しく声をかけてみた。
「名前、ミトラだったよな? お前にとっちゃ俺らは信用ならないかもしれないけどよ、 子どもの命を見捨てるような輩でもないんだ。だから、勝手に歩き回るのは今後――痛てっ!」
バチンと、寄せていた手を強い力ではね除けられ、俺はしばらく呆然としてしまう。その間に、ミトラは近くにあった路地裏へと体を滑り込ませ、姿を消した。
手にはまだじんわり痛みが残っている。師匠のように上手くはいかないか、と鼻で笑ってみせたものの、その実思っていたよりもはるかにショックを受けていた、というのが本音だった。