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地雷掃除人  作者: 東京輔
第9話 Konfrontation ~正対~
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9-8 賢者オーラン

 いくつかの瞬きの後、男は瞳を点々と動かした。そうして誰の力も借りず、自力で上体を起こそうとする。どうやら本当に大きな怪我はしていないみたいだ。

 ビー・ジェイがすぐに彼の肩に手をかける。冗談混じりにヤブ医者といつも言っているとはいえ、白衣の他にもその諸動作は医者のものだった。


「待て、体を起こさなくていい」ビー・ジェイは男を仰向けにさせ、男の定まらない焦点を合わせる。「自分の名前がわかるか?」

「……オーラン」

 男はゆっくりと口を開いた。

「これは何本だ?」

「……三本」

「意識ははっきりしているな」


 メンバー全員が、とりあえずよかったと安堵の表情を見せる。

 目を覚ました男――オーランも、ぼんやりとした顔に安穏の色を覗かせていた。

 中東系の濃い顔立ちの中に、言っちゃ悪いがどこか幸の薄そうな印象を受ける。頬がこけてやつれているのがそれを際立たせているのだろうか。齢は判断し難いが、多分若い。

 しかし、体のどこにも異常を来たしていないというのが信じられない。供給の絶たれた町で、これだけの健康状態をなぜ維持できたのか。オーランには申し訳ないが、今の俺達には色々と尋ねる必要があった。


「……ここは?」

「アシェフからそう遠くない場所だ。安心してくれ」


 ウルフが膝をついて横たわる男と目線を合わせた。

 ようやく自我がはっきりしてきたと思いきや、オーランは目を見開いて飛び起きた。


「アシェフ……? そうだ、他のみんなは……!? わたしはどれくらい気を失っていた!?」

「無理するな。しばらくは横になったままでいい」

「早く、早くしないと水と食糧が尽きてしまう……! 子どももお年寄りも、もう何人も死んでいるんだ。だから……!」


 ビー・ジェイの制止もやむなく、オーランは上体を起こす。その勢いで危うく点滴が外れてしまいそうだった。縋るような眼で俺達を見回すオーラン。彼の訴えを聞いて、表情を曇らせる他なかった。

 ケイスケが重低音の声でオーランに訊ねる。


「やはり、アシェフの内部は一刻を争う状況なのですな」

「オーラン。起きたばかりで申し訳ないが、そちらの詳しい事情を聞かせてくれないだろうか? 俺達は、君らの助けになりたいんだ」

「あ、あぁ……」


 ウルフは水の入ったペットボトルを渡し、そう声をかけた。しかし、オーランは透明な容器の中を覗き、生唾を飲みこんだだけで手をつけなかった。それほど喉が渇いていないのだろうか。


「まず始めに確認しておきたいのだが」一呼吸置き、ウルフが難しい顔をして訊ねる。「サヘラン政府が主要都市だけを残し、点在する小さな町々を抹消したという事については?」

「……やっぱり、そうだったんですね」


 オーランは項垂れて、悲しそうな眼をした。何もかもが閉ざされた町で、どれだけ政府からの救助を待ち侘びた事か。その思いは俺には計り知れない。


「気づいてたってぇのかい?」

「ある日、去年の末頃だったと記憶していますが、政府の人間が大量の地雷を運んできたんです。そしてわたし達にこう告げました」


 ペットボトルを両手で握りしめ、オーランは話を続ける。


「武装した余所者がまもなくやって来るから、緊急措置として町の周囲に地雷をばら撒いておけと。何か変な話だと思ったんです。何の宣言もなしに他国が武力介入してくるはずがない。それにアシェフは内陸にあるから、空路と陸路を塞いでしまっては住民が鳥籠状態になってしまう。あまりに愚策であると」

「しかし、結局政府の言う通りにしてしまったのは?」

「……情報規制されており、そうするより身を防ぐ術がありませんでした。ですが、我々サヘラン国民にとって、余所者は脅威の対象、災いをもたらす存在と同等なのです。そういう教育を、我々は子どもの頃からずっと押しつけられてきました」

「洗脳教育ってやつか。またずいぶん時代遅れなことを」


 座席で胡坐をかいたサコンが、そうぼやく。

 さながら俺達はサヘランの連中にとって、悪魔の遣いとでも思われているらしい。脳みその皺から血の一滴まで俺達を拒むように刷り込まれては、どうあがいても歪んだ思考を持つ大人になってしまう。国単位でそんな事をやるなんて馬鹿げている。歴史の背景にそうせざるを得なかった理由があるにしてもだ。

 俯くオーランに気を使って、サンタナが言葉を発した。


「でも、オーランさんはよくその事に気づかれましたね」

「わたしは一度、留学で二年間海外に滞在していたんです。そこで初めて母国の在り方の異常性に気づいて……。だけど、留学から帰り、わたしはそれについて言及する事ができませんでした」

「どうして?」

「わたしの他にも異常に気づいた人間はいたんだと思います。現にわたしが子どもの頃、ある大人が声高にしてこう主張していたのを覚えています。『我が国の教育の方向性は間違っている。早急に修正すべきだ』と。そしていつの日からか、その大人の姿を見る事はありませんでした……」

「粛清、か……」


 厳粛に清め整えること。ビー・ジェイが無表情で言い放った言葉。俺は眉間に皺を寄せる事で、その意味を噛み締めた。人伝に聞いただけで、鵜呑みするにはまだ早いと思うものの、どうせならそんな事実が嘘であってほしいと半ば諦めている自分もいる。清め整えることがサヘラン政府の正義だとしても、正義は必ずしも善ではない。


「皆さんもお気づきでしょうが、この国の思想は狂気じみた保守性で成り立っています。そしてそれは、陰湿な暴力をも生み出してしまう。わたしは極秘裏に情報を集め、過去にもこれに似た事例が数多く存在する事を知りました。でも、それを訴える事はできなかった」

「政府に少しでもたてつこうとすれば抹消されてしまう。アシェフの町と同じように……」


 オーランが口にする事ができなかった言葉を、代わってウルフが声に出す。それはどこか、オーランに言い聞かせる風でもあった。罪深きは無様な所業を繰り返す政府の連中だというのに、点滴を打つ痩せこけた男は自戒するようにその身を震わせた。


「どこかの国へ帰化する事も考えました。だけど、それはあまりに無責任すぎる。だからわたしは都心部から離れたアシェフに引っ越し、できる限り流通の便を途絶さぬよう努めていたのです。けれど、それから少し経った後に、例の新エネルギーの報道が世界中でおこなわれて……。あとは皆さんのほうがご存知だと思います」


 なけなしの体力を全て使い切ったのか、オーランはそう言い終わると息苦しそうに肩で呼吸を始めた。体中のどこを見ても干物みたいに乾燥しているのに、オーランはまだ水に手をつけないでいた。

 やりきれない空気の中で、またもやサンタナがオーランを励ます。奴はこういう気まずい沈黙というのを一番苦手としていた。


「それにしても、あの状態でよく十カ月も持ち堪えましたね。僕らはてっきり、もう手遅れだと思い込んで――」


 そこでサンタナは思わず自分の口を塞いだ。口を滑らすのも奴の悪い癖であった。


「――いたんですけど。すみませぇん! 失礼すぎました!」

「こいつの事はあとで蹴飛ばしてもいいぜ。俺が許す」


 ペコペコと頭を下げるサンタナを横目に、俺は軽い口調でオーランに話しかけた。だが、オーランの反応は鈍く、「はぁ」と言われてまたもや変な空気になる。

 隣から大袈裟な咳払いが聞こえた。サコンがしゃがれた声で話の脱線を防いでくれたのだ。


「ところで、いったいどうやってお前さん達は生き永らえたんだい?」

「念のために非常食をかなり多く蓄えておいたんです。水はそれほど日持ちしないのですぐに尽きましたが、たまに降る雨のおかげで何とか……。それでも、多くの住民が死んでしまった……」


 もはやどうやっても、オーランを前向きにさせる術がないようだった。まだ彼が目覚めてまもないというのに、質問攻めしている俺達が圧倒的に悪いのだが。

 けれども、このオーランという男はかなり頭が切れる人物だ。最悪の事態を想定して――不運な事にそれが現実となってしまったが――十カ月間生き延びられる程度の食糧を確保しておくとは、素直に感心する。また、彼の話を聞く限りでは、母国を内部から変えようと尽力していた事もうかがえる。愛国心を持った賢者と言えよう。サヘランの連中が全員こんな感じだったら……。いや、それはサヘランに限った話じゃないか。

 今度はウルフがその賢者に励ましの言葉をかけた。


「何と言ったらいいか、軽薄に聞こえるかもしれないけれど、オーランがいたからまだ生きている住民がいるんじゃないか? 少なくとも俺はそう思う」

「それは違います」

「え?」


 男の意外な反応に、ウルフは思わず目を丸くした。それまでは項垂れて落胆していたオーランだったが、ウルフを見上げる瞳に得体の知れない力強さを感じさせた。

 そして、はっきりした口調でオーランは続ける。


「わたしだけでは、あれほど大人数の人間をまとめる事ができなかった。彼が――サヒードがいてくれたから、皆生きる希望を捨てなかったのです」


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